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四天王

[2002.10.31 : PRI]
■四天王■


一般にヒンズー教起源の仏は「天」部に配されています。「天」とは六道の
ひとつであり、三界の中の欲界の最上部に位置します。

  ・−−−−−−−・
  |  仏の世界  |
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  | 輪廻の世界 |→| 無色界 |          | 夜摩天 |
  ・−−−−−−−・ ・−−−−−・          ・−−−−−・
            | 色 界 |   (六道)   | 兜率天 |
            ・−−−−−・ ・−−−−−−・ ・−−−−−・
            | 欲 界 |→|  天道  |→| 楽変化天 |
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             (三界)   |  人道  | | 大梵天 |
                    ・−−−−−−・ ・−−−−−・
                    | 阿修羅道 | | 刀利天 |
                    ・−−−−−−・ ・−−−−−・
                    | 畜生道  | | 四天王天 |
                    ・−−−−−−・ ・−−−−−・
                    | 餓鬼道  |  (六欲天)
                    ・−−−−−−・
                    | 地獄道  |
                    ・−−−−−−・

四天王は四方を守る守護神とされます。帝釈天に仕え、八部衆を支配。四天
王は明王の神格が出現してくる前の、初期の仏教で特に重視されたようです
が、法隆寺・東大寺などで、諸尊の四隅に堂々と立つ姿は立派です。

四天王の名前及び方位との対応は次のようになっています。

守護 金光明経 大方等大集経 同 壇上の
方位 四天王品 諸天王護持品 眷属 配置

東 持国天 提頭頼咤天王・他化自在天王 乾闥婆衆 東南
南 増長天 毘楼勒叉天王・化楽天王 鳩槃荼衆 南西
西 広目天 毘楼博叉天王・須夜魔天王 龍衆 西北
北 多聞天 毘沙門天王 ・兜率陀天王 夜叉衆 北東

通常四天王は金光明経の名前で呼ばれますが、多聞天だけは単独で祀られる
時に限り、毘沙門天の名前が使われます。他の三天は単独で祀られることは
ありません。

毘沙門天を信仰していたことで有名なのは上杉謙信です。彼(彼女?)は毘沙門
の「毘」の字を旗印に使っていました。毘沙門天のお使いは虎とされますが、
謙信のもとの名前は長尾景虎でした。

四天王を祭る寺として有名なのは大阪市の四天王寺ですが、この寺は日本で
現存する最も古い寺です。

かつて仏教の是非をめぐって物部氏と蘇我氏が争った時、16歳の聖徳太子も
蘇我氏の一員としてその陣中にありました。しかし相手は何と言っても皇室
の軍事部門を一手に引き受けてきた物部。蘇我は劣勢に立たされます。この
時、太子はいそぎ四天王の像を彫り「私たちを勝たせてくれたら必ず四天王
のために寺塔を建ててお祀りします」といい、その像を奉じて先陣に立ちま
した。皇子が先頭に立って戦っている。そのことで士気を高められた蘇我勢
はなんとか戦況を逆転させ、勝利を収めることができました。

この戦争の結果、物部氏は壊滅。彼らが支持していた穴穂部皇子も殺され、
蘇我氏が推した泊瀬部皇子が即位。崇峻天皇となります。聖徳太子は約束を
守って、この摂津に四天王を祭る寺を建立しました。(実際に完成したのは
6年後)これが現在の四天王寺です。またこの寺の西門にある石の鳥居は日本
最古の鳥居です。

四天王寺は四天王信仰と建立者の聖徳太子信仰のほかに弘法大師信仰や浄土
信仰にも深い関わりがあり、毎月21日の弘法大師の縁日には境内にガラクタ
市が立ちますし、上記西門の鳥居は、西方浄土につながっているとされてき
ました。

なお、四天王の真言は次の通りです。

  持国天 種子ヂリ
      真言オン・ヂリタラ・シュタラ・ララハラバタナウ・ソワカ

  増長天 種子ビ
      真言オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ヂハタエイ・ソワカ

  広目天 種子ビ
      真言オン・ビロハキシャ・ナウギャ・ヂハタエイ・ソワカ

  多聞天 種子ベイ
      真言オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ
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