離島シリーズ
宮古諸島の島々

 

伊良部島の佐良浜港を昼過ぎのカーフェリーに乗った私は、30分ほどで宮古島の平良港に着いた。
平良港からはまっすぐ空港に向かわずに、市営球場に行く。「宮古島」の項で述べたブルーウェーブ(当時)のキャンプ探訪はこのときのことである。
その後、多良間島に向かうべく宮古島空港に向かった。

 

●多良間島(たらまじま)・水納島(みんなじま)

宮古島から西に約67km離れた位置にあるまん丸い島・多良間島。実は石垣島とも35kmしか離れておらず、こちらの方が近いのだが、宮古諸島に属している。一方水納島はその多良間島から北西約10kmにある、2等辺3角形をした島である。
両島あわせて多良間村という村になっている。人口は1300人程度。その大多数は多良間島に住んでいて、実は水納島の人口は宮国さんという家族1世帯だけの7人である。

多良間島へは、宮古島からはDHC−8型という39人乗りの飛行機が3往復。石垣島からはBN−2Bという9人乗りの飛行機が1往復。私が行ったときは、この両航路ともDHC−6型という19人乗りの飛行機だった。また宮古島から毎日カーフェリーが出ている。
水納島へは、前もって宮国さんに電話すれば多良間島に迎えに来てくれる(何ともまあ…)。


宮古島空港近くの営業所でレンタカーを返した後、空港で多良間島行きの搭乗手続きをした。
ガラーンとした待合室でしばし待った後、搭乗が始まる。前述のとおり当時の飛行機は19人乗り、搭乗手続きカウンターには「満席」の表示があったが、燃料の関係か乗客は13人であった。

小さい飛行機だから滑走路に出たところですぐに加速し、あっという間に離陸。しばらくすると多良間島が見えてきて下降し、全く旋回せずに直線的に多良間島空港に着陸した。飛行時間は15分。



多良間島空港。
沖縄の離島空港はだいたいこういう感じの建物です。
 

いかにも離島空港という感じの空港から集落までは少し離れており、その間を有償のマイクロバスが走っている。バスは主にサトウキビ畑の中をのんびり走る。運転手は乗客1人1人に目的地を聞いていたので、私が泊まる宿の前でもバスは停まった。

通された部屋に荷物を下ろし、宿の自転車を借りて島内を少し走ってみる。とりあえずは先ほどの空港に向かおうとしたら、道を間違えたらしくワケがわからなくなって、かまわずサトウキビ畑の中をてきとうに走っていたら、滑走路が見えた。

その後てれんこてれんこ集落に戻り、島全体が見渡せるという遠見台というところへ行こうとする。しかし持っていた地図はワケがわからず、案内板など一切ないのでだいぶ道に迷ってやっと現地に着く。そこからは島全体が見渡せて、10km沖合の水納島も見える。



遠見台から見た島内の様子。
 

その後はひたすら集落の中をぶらぶらしていた。明日も時間はあるし、島を1周するのは明日にしよう、と思っていた。この時点では水納島に行くことは頭になかったのである。



集落内。こういうところをぶらぶらしてました。
 

今日の宿はこの時期の沖縄の民宿としては様子が違い、完全に満室であった。島の外からの労働者が多いのに、島の中に宿が3件しかないのである。

宿の客の中に、宮古島在住の写真家(以下U氏)の人がいた。夕食後、食堂のソファーで新聞を眺めていたら、その人が宿の若だんなと「明日水納島に行きたいんだけど、誰か他に行く人いないかなあ」と話している声が聞こえた。水納島へ行くには、前述のとおり島在住の宮国さんに電話して来てもらうのだが、船賃は何人で行っても1往復25,000円。つまり、複数人で行った方が割り勘になって得なのである。

で、いつの間にか私も一緒に行くことになった。その1件もあり、3人で夜遅くまでしゃべっていた。途中からとなりに住んでいる人も遊びに来て5人になった。夜遅くになってから、隣近所が集まって飲み出す光景は、沖縄でしか見たことがない。


翌日、当初の予定になかった
水納島に渡る。

前夜の一件があって、U氏が水納島の宮国さんに電話して8時半に出航することになっていたので、その15分前に宿を出発。5分も歩くと島の北側にある前泊港に着く。すでに宮国さん所有の「はまゆう」と書かれた(漁船を大きくしたような)船が来ていた。



宮国さん所有の船。これに乗って水納島に渡りました。
 

今日なんか天気もよくて風もほとんどないのに、港を出港すると海は荒れていた。しかしそんなことはいつものことなのか、船はじゃんじゃんすっ飛ばす。

30分ほどで水納島に着いた。着いた港から島の中に入っていく簡易舗装の道を5分くらい歩くと、林から抜けて広いところに出る。ここに宮国さんの家があり、コンクリート造りのコテージもある。その前の原っぱにテントが1つあった。ある大学の4人組が来ているとのこと。

ここから歩いてすぐのところにある灯台や御嶽(「うたき」と読む。沖縄独特のもので、神をまつった拝所のような場所)に行ってみる。この島にはかつて学校があるくらい人が住んでいて、当時の住居があったような跡や、廃屋などもこのあたりにあった。



宮国さん宅付近の原っぱ。
このあたりに住居跡や廃屋などがあります。
 

島にはもう1組、作業服を着た役場の人たちが図面を広げて何やら話していた。あとで宮国さんに聞いたところによれば、島の中に道路を作る視察に来ているとのこと。これだけ人の住んでいない島に道路を新しく作って何になるのかなあ、と勘ぐってしまう。

その後、宮国さんの軽トラの荷台に乗せてもらい、2等辺3角形をしている島の長い辺のてっぺんに相当する付近に連れて行ってもらう。途中、多良間島からの水道が完成するまで水源だった井戸がある。島は半分以上が牧場で、その中のわだちのような道を進み、島の突端まで行く。



島を縦断する?道路。
 

そこで車を降りて、砂浜に沿って港まで歩いた。砂浜はいかにも南の島という白い砂浜、海はきれいな青色、天気もピーカン照りで、とても2月の景色ではない。同行のU氏は、夏にここに写真を撮りに来る下見に来たそうで、「これはいいなあ」とか言いながらあちこち写真を撮っていた。3〜40分歩くと港に着いた。



これぞ沖縄の海という感じ。
 



同行の写真家・U氏と同じアングルで撮ってみました(^^)
 

しばらく待っていると、宮国さんが車に乗ってやってきた。何か多良間島に用事があるらしく、3人でやってきた。
11時半過ぎ、島をあとにする。30分ほどさきほどの荒れた海を進んで多良間島の前泊港に着くと、ここにも宮国さんのワゴン車が置いてあって、それで宿まで送ってもらった。


午後は宿の若だんなに島を案内してもらうことになった。この人、つい最近まで横浜に住んでいた(いわゆるUターン)らしく、車は横浜ナンバーであった(ちなみに運送関係の仕事をしていたようで、私が住むあたりのことも知っていた)。
と言っても島の外周道路を一周しただけであるが、かなり距離があって当初の予定通り自転車で一周していたら大変だったろうなあと思った。

途中2カ所海岸に寄った。
特に2つめに寄った、島の最南端の人崎は目を開けていられないほどのピーカン照りで、サングラスをしていた(2月ですよ)。



サングラスなしには、まともに目を開けていられませんでした…
 

ここには地元の老人会の人が来ていて、岩場にあるアーサ(海苔みたいなやつ)を取ってたり、木陰にゴザを敷いて話をしていたりした。声をかけたらまあ寄ってけということになり、アーサの天ぷら(取れたてをその場で揚げたので、これはうまかった)をご馳走になったりした。



アーサを取る老人会の面々。
これをすぐ横で天ぷらにして食べてました(うまかった〜)


私が行ったときは、多良間島に飛ぶ飛行機は石垣空港をねぐらにしていたため、朝石垣島を出発、多良間島と宮古島を数往復して夕方石垣島に戻る、というダイヤだった(現在は違う)。
ということで当時の多良間島から出る最終の飛行機は石垣島行きで、私はそれに乗って島を離れることになっていた。
本来なら多良間島をほとんど見られなかったことで、もう1泊したいところなのだが、明日は島内挙げてのお祭りがあるらしく、今夜の宿は3つとも完全に満室のようで、予定通り島を離れなければならなかった(ちょっと残念)。

空港へ行くと、出迎えの人たちでにぎやかだった。このお祭りを機会に島外から戻ってくる人も多いようである。宮古島からの飛行機も当然満席の状態でやってきた。
一方、その折り返しの最終石垣島行きの客は、たったの7人であった。

 

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