■2003年8月1日〜8月15日
□8月13日(水)
御岳山に行ってきた。







□8月7日(木)
ぼくは自分の言動に苛立ちを感じる。そこでぼくが一種の「理想型」として思い描いているのは、やはり「物語」から学んだものだ。ぼくは自分が「物語」のように振る舞えないことに苛立っている。ほかに振る舞い方を知らないからだ。しかし、そこで意識的に「物語」を模倣することは禁じなくてはならない。それでは「演技」にしかならない。
結局、ぼくが束縛されているのは、「完全に自然発生的でまったく計算や自己陶酔や自己憐憫といった不純物のまざっていない純粋で強い感情」という漠然としたイメージなのだ。そして、その「感情」からは、揺るぎない「確信」が生まれるはずだという無意識の思い込みがある。
自分が「確信」をもって振る舞えないのは、充分な「感情」を抱いていないからではないかという自分自身に対する疑惑。恐らくはそれが苛立ちの正体だ。
ぼくははじめ何も書かずに済ませるつもりだった。むしろ、絶対に書くべきではないと思っていた。それは不純なこと、つまり身近な人物の死を「スキャンダル」として扱うことだと思った。吉野家風にいえば、「お前、『人が死んだ』って言いたいだけちゃうんか」という感じ。書いてしまえば、その突っ込みを絶対に否定できないことはわかっていた。同様に、その行為は自己陶酔や自己憐憫といった肯定的にはとらえがたい感情と無縁ではいられないこともわかっていた。
□8月5日(火)
前回、わたしは、写真を目の前にしてわたしたちが絶句してしまうのはしゃべり方を知らないからだ、と書いた。感想のしゃべり方を知っていてはじめて、人は感想を持つことができる。その逆ではないのである。わたしたちが、文学についてならいくらでも感想をいえるのは、ただ文学の感想のしゃべり方に慣れているからにすぎない。(後略/高橋源一郎『文学じゃないかもしれない症候群』収録/「ひょうたん島のゆくえ」/P.76)
もちろん、ぼくがいつになく饒舌に「死」や「思い出」について語ることができたのも、その語り方を知っていたからにすぎない。ぼくはそれらを小説やテレビから学んだ。フィクションであろうがノンフィクションであろうがニュースであろうが、それらはほとんどの場合、「物語」として語られる。だから、ぼくの書いた文章は気持ち悪いくらい「物語」に似ている。
そうなることは、書く前からわかっていた。何しろ、ぼくは他に語り方を知らないのだから。
□8月3日(日)
高橋源一郎『文学じゃないかもしれない症候群』に収録されている「『陰毛』と悲しみ」を読んで、荒木経惟の写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』を買ってきた(以前から興味はあったんだけど、買うには至らなかった)。装丁の紹介文を引用すると、これは「新婚旅行での“愛”の記録、私家版『センチメンタルな旅』から21枚。妻の死の軌跡を凝視する私小説的写真日記『冬の旅』91枚。既成の写真世界を超えて語りかける生と死のドラマ」という内容の写真集。
前言を翻しますが、やはり「何ごともなかったかのように」というのは無理かもしれません。ここはちょっと開き直って書いてみるつもりです。
□8月2日(土)
高橋源一郎の著作の再読。『ジョン・レノン対火星人』に続いて、『文学じゃないかもしれない症候群』を読む。
(前略)作者である「わたし」のたった一つの真実の声を信じること、信じないこと、再び信じようとすること、そのすべてを見守ろうとすること。(『文学じゃないかもしれない症候群』収録/「まる子とジョイス」/P.90)
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