偽月

馬場秀和


 紀伊半島の南、長峰山脈の麓にある小さな町で私は生まれ育った。漁業と果実栽培の他には特に産業らしきものがない土地だが、古くから「偽月の里」として知られているため、晩秋から冬至にかけてそれなりに観光客がやってくる。シーズンオフにもたらされる現金収入は、田舎町にとって貴重なものだ。そのため町のあちこちに「偽月の里にようこそ」と書かれた看板やのぼりが立ち並んでいる。小学生の頃、通学路を歩いていてそれが目に入るたび、何だか理不尽に責められている気がして、私は何とも言いようのない悲しみと微妙な反発を覚えるのだった。町で一度も偽月を見たことがない住民は、おそらく私ひとりだったに違いない。

 深夜の冷え込みが厳しくなってくる頃。新月の夜、必ず新月の真夜中なのだが、天頂近辺に明るい満月が現れる。どう見ても本物の満月としか思えないが、写真やビデオには決して写らない。だから偽月が存在するという客観的な証拠は何も残らないのだが、大きさや色や位置に関する証言が一致することから考えても、人々がみな同じものを見ていることは明らかだ。幻覚や錯覚のたぐいではない。

 偽月が見られるのはひとシーズンに一夜だけで、見られない年も珍しくない。そしてどの新月が偽月になるかは予測がつかない。だから熱心な観光客は数カ月に渡って新月の夜だけを狙って宿の予約をとる。町の旅館は十月から年末にかけて新月の日ばかり予約でいっぱいだそうだ。テレビでは見ることが出来ないという偽月の特徴は、地元観光という点からすると素晴らしい恩寵だった。その昔、偽月はタヌキの仕業ということになっていたそうだが、私が小学生の頃にはさすがにそういうことを口にするのは一部のお年寄りだけで、一般にはアノマリー、すなわち超常現象の一種として認知されていたように思う。

 いずれにせよ、私は偽月を見ることが出来なかった。というより、偽月の夜に私が外出すると、いや夜空を見上げただけで、偽月は消え失せてしまうのだ。今から思えば、本当にそうだったのか確かめたことはないので、これはずいぶん怪しい話である。ただの思い込みだったのかも知れない。だが、先生を含め学校中でそう信じられていることはまぎれもない事実だったから、新月の夜になると私は部屋に閉じこもって窓も開けないようにして過ごした。近所の人がそのことをどう思っていたのか、そもそも知っていたかどうかも分からない。当時の私にとって、学校以外の世間という発想はなかった。

 遊びの仲間に入れてもらえないことは常だった。自分が極端にアノマリーと相性が悪い体質だということを明瞭に意識したのがいつ頃だったのかは覚えてないが、少なくとも小学校にあがる頃には、友達のいわゆるオカルト遊びに参加してはいけない、近寄ってもいけない、ということはよく理解していた。遊びに誘われないことに気がつかないふりをすることにも慣れていた。

 たとえば、こっくりさん。地方によってやり方や名前は異なるらしいが、私の郷里では、広げた半紙に「はい/いいえ」、あういえお五十音、そして鳥居のマークを描き、その鳥居の上に硬貨を置くという方法で遊ばれていた。周りに集まった子供たちが厳かな口調で質問を口にすると、硬貨が半紙の上を勝手に滑り動いて答えをつづるのである。

 一時期、この遊びは大いに流行った。休み時間になると、どの教室でも必ずといってよいほど行なわれていたため、また授業再開の鐘が鳴っても教師がやってくるまでずっと続けていたので、そこに近寄らずに教室に入るのは困難だった。それまで流れるように自在に動いていた硬貨が、私が教室に入った途端、ぴたりと静止してしまう。息をつめて硬貨の動きを見つめていたクラスメートたちは、それによって初めて私の存在に気づき、落胆といらだちの目でこちらを見つめるのだ。私は知らんふりをして席に着くが、それはひどく気づまりな体験だった。

 建前として「校内でのこっくりさんは禁止」とされていたので、表立って私に抗議する者はいなかったが、みんなが私のことを薄気味悪がっていることは歴然としている。私が意図的に妨害してるのではなく、自分ではどうしようもない、そういう体質なのだ、ということはクラスの全員が了解していた。教師が何度もそのように説明し、私を責めないよう仲間外れにしないようにと、善意と熱意を込めて念を押したからだ。それは全くの余計なお世話だった。それだけでも私はいたたまれない思いをしたのだが、最悪だったのはその後に「そもそもオカルト遊びをやってはいけない」というお説教が続くことだった。このため私は教室における監視係あるいは密告者のように扱われることになった。

 あるとき、校庭から騒ぎ声が聞こえてきた。別のクラスで体育の授業中に空飛ぶ円盤が現れたのだが、もちろんそのときは分からない。授業中だというのに、何人かが教室を抜け出して校庭に向かう。そして次々に歓声を上げる。こうなっては総崩れ、今でいう学級崩壊だ。一人でやればサボリだがみんなでやればイベントとして誰も叱られないだろうという子供らしい思惑が働いて、学校中の生徒がほぼ一斉にわっとばかりに校庭へ出ていったのである。

 私も人の流れに乗って一緒に外に出て、皆にならって空を見上げた。空には灰色のもやもやとした大きな雲が浮かんでいる。みんながその雲を指さして口々に騒ぐところによると、空飛ぶ円盤はその雲に突入したらしい。もちろん私は空飛ぶ円盤を見ることは出来なかった。雲から飛行機が出てくるのを見ただけである。何の変哲もない普通の小型機だった。これには校庭に出ていた全員がひどくがっかりし、私は黙って一人で教室に戻った。いつもの通りに。


 中学にあがった頃、図書館で色々と調べているうちに、自分の特異体質にはちゃんとした名前があることを知った。専門的には「シュマイドラー症候群」、一般には「ゴート(山羊)」と呼ばれている。人口の0.2パーセント程度がゴートだと推定され、居住地域や文化による偏差はほとんどないらしい。

 もともとは、ESPテスト(テレパシーや透視など超感覚的知覚の検査)において、超能力の存在を信じない被験者は期待値よりも有意に低い点数を出す傾向が発見され、そのような被験者グループが「ゴート」つまり山羊(西洋ではヤギはひねくれ者というイメージがあるそうだ)と呼ばれたのだ。このような形で表れる超能力は「サイミッシング」と呼ばれ、期待値を有意に上回る「サイキック」を打ち消して、総計として結果を期待値に近づける効果がある。この意味では、サイミッシングはいわば「負のサイキック」なのだ。

 その後、安定したサイミッシング能力者が見つかり、またそのような被験者はESPだけでなくあらゆるアノマリーに対してサイミッシングを発揮することが分かってきた。彼らのサイミッシング能力は無意識に発動し、自分で制御することは出来ない。やがて「ゴート」はそのような能力者を指す言葉として定着していったのだという。

 自分がゴートであるという事実を知ったときには少しく興奮したが、よく考えてみれば、だからと言って何が変わるわけでもない。世は空前のオカルトブームであり、無意識にせよ何にせよそれを打ち消してしまうような子供が歓迎されるはずがない。イスラエルの超能力者がテレビ特番に合わせて日本列島に念動力を送ったときには、何も起こらなかったのは私の責任ということになった。

 中学校でも私は仲間外れにされた。それどころか陰に日向に嫌がらせをされ、不都合な偶然は全て私のせいにされ、学校に来ないよう脅され、その悪意むき出しの執拗さは小学校の頃とは比べようもなかった。オーラが汚れていると言われ、邪霊にとりつかれていると言われ、前世の忌むべき罪業について散々に噂された。父が事故死したときには、母親までが号泣しながら私を罵った。この頃のことについてはあまり書きたくない。

 しかし、この災難は、結果的に私にとっては幸運だったかも知れない。それこそ死にものぐるいの覚悟で受験勉強に取り組み、名門とされる神戸の男子校に晴れて合格したからだ。私は郷里の町を離れて親戚の家に居候し、そこから高校に通学することとなった。その後、帰郷したのはたった一度。母の葬式のときだけだった。


 隠してもどうせバレる。ゴートであることは恥ずかしくないが、それを隠していたことがバレるのは恥ずかしい。そんな妙に屈折した思いから、新入生の自己紹介の機会に思い切って自分がゴートであることを告白した。私にしてみれば必死の覚悟だったのだが、周囲の反応は驚くほど冷淡、というか無関心だった。田舎の小中学生と違って、都会の高校生はアノマリーに対する興味が薄い。むしろアノマリーの話題なんてガキっぽい、くだらない、という認識が一般的だったのだ。それを知って私は安堵のため息をついた。

 その数日後。昼休みの教室に大柄な上級生がやってきた。「このクラスにゴートがいるって聞いたんだけど」と野太い声で呼ばわる。声もでかいが、まず態度がでかい。柔道部の主将をイメージさせる巨漢で、重心は低いのにむやみと頭が高い。スポーツ選手タイプだが物腰にさわやかさというものがなく、どことなくヤクザっぽいというか世をすねた風情が漂っている。はっきり言ってあまりお近づきになりたくない相手だった。私は目を合わさないよう顔をそむけた。

 もちろんそれは無駄なことだった。そのとき教室にいたほぼ全員がいっせいに私の方を振り向いたからだ。その上級生は大股に一直線に机をはね除けながらこちらに歩いてくると、大声で「君か?」と誰何する。私は混乱して、とっさの反応として素直に「はい」と答えてしまった。すると彼は「そうか、俺もそうだ」と嬉しそうにうんうん何度も一人でうなずき、私の肩に手を置いて言った。

「アノ研は君を歓迎する。本日、放課後に3B教室へ来るように。隠し芸など用意しておくと好印象を与え得るだろう。じゃっ」

 それからふと思いついたように振り返ってこう続けた。

「ところでおれは楢崎だ。これからは親しみを込めてナラ先輩と呼んでもいい」

 そして私に返答する機会を与えることなく疾風のように去っていこうとして、たまたま教室に入ってきたクラスメートにぶつかった。不運なクラスメートは半回転しながら廊下の壁に叩きつけられ鼻血を出した。気の毒なやつだ。私ほどではないにせよ。


 放課後の3B教室は妙に空々しく、まるで映画のセットか何かのように見えた。不思議と懐かしい記憶を呼び起こす匂い。今思えばそれは父親の匂いではなかっただろうか。

 私が入ったとき、教室にいたのは二人だけ。机を横につなげて作った即席の「審査員席」に、ナラ先輩と、そしてもう一人、そのときは名前を知らなかったが、山田先輩という三年生が並んで腰掛けていた。私は言われた通りその審査員席の前に立った。入部審査であるが、この場合、普通とは逆で、私は入部する気などさらさらなく、入部させたいのは先輩たちの方だったのだが。

 アノ研について説明しておこう。それは「アノマリー研究部」のことで、ナラ先輩が創設者にして現部長、山田先輩が副部長。歴史はわずか二週間、現状は部員総数三名。ただし事務処理上は部員十二名なのだが、これについては後述する。当面の問題は、部員三名の中に私が含まれているといきなり宣言されたことだ。私は入部すると言った覚えなどないとかなり強い口調で抗議した。やんわり言ったのでは明らかに押しの強いナラ先輩に負けてしまいそうだったから。

 ナラ先輩は困り果てたような顔になって、「じゃ、どういう条件なら入部してくれるのかなぁ」と子供がすねたような口調でそう尋ねてくる。不思議なことにナラ先輩にそう言われると、まるで先方としては理を尽くして説得しているのに私がわがままで依怙地になっているために話が進まず、全員がもう疲れ切っている、そんな雰囲気になってしまうのだ。冷静に考えればこちらに非など全くないのだが、どうも意地を張るのも子供っぽいかという気になって、それがつまり罠なのだが、ついつい「偽月を見せてくれるなら入部してもいいです」などと口走ってしまった。

 偽月とは何かと問われたので仕方なく説明すると「なんだ、そんなら問題ない。よし、偽月を見せてやる。約束だ」と明らかに何も考えずにそう言いながら、ナラ先輩は勢いよく立ち上がると机の列を回ってこちらまで歩いてくるや、左手で私の手をしっかりと握った。そして感動で胸がいっぱいですという声で「アノマリー研究部にようこそっ」と叫びながら、右手で私の肩を勢いよく叩いた。鎖骨に走るいやな痛みが気にかかる。それまで黙っていた山田先輩が、いかにもやる気なさそうにパチパチと拍手してから「じゃ、この紙に記入してね。二分以内」と言った。


 アノマリー研究部ことアノ研の活動目標は、この世からあらゆるアノマリー、すなわち超常現象をなくしてしまうことである。ゴートはそのサイミッシング能力によってアノマリーを打ち消し、ごく平凡なありふれた事象に変えてしまうことが出来る。これが「デバンキング」と呼ばれる活動であり、ナラ先輩に言わせると、デバンキングこそゴートとして生まれた者が背負うべき大切な使命なのだ、ということらしい。

 私は別にアノマリーに恨みがあるわけではないが、自分には縁がないものに世間が熱中していると思えばそれを消してやれと奮い立つナラ先輩の心情、というかありていに言ってくだらない嫉妬だが、それはよく理解できる。またアノマリーさえなくなればゴートが異端視されることもないし、将来ゴートとして生まれてくる子供たちも私のようにイジメられることがないわけで、そう考えれば消極的ながらそのデバンキングというやつに協力しても悪くはないかと、私はそのように思った。

 アノ研は部員三名。設立時には部員二名で、そもそも部として認められるはずがないのだが、そこは山田先輩が手を打ったそうだ。病的な印象を与えるほど痩せて背がひょろりと高く、まぎれもない皮肉屋の眼をした山田先輩は、実質的に活動を停止して翌年にはつぶされるはずの部ばかり選んで次々と入部し、それぞれの部において正式に会計担当、事務担当に就任。各部の幽霊部員を本人への確認もなく勝手にアノ研の名簿に組み入れ、それどころか学校から支給される各部への部活予算をプールして、実質的にアノ研が自由に使えるようにしてしまったという。

 それは汚職というか横領というか、立派な犯罪だと思うのだが、山田先輩は「何も規則には反してない」と言い切った。これは部活規定の穴であり、規定に穴があればそこを突くのは人として義として当然のことであり、むしろ自分は正義の使者、猛反省すべきは不完全な規定をそのままにしている学校側である、というのが山田先輩の言い分だった。これが言い訳ではなく全くの本心なのがいかにもこの人らしい。

 いずれにせよ、驚くほど潤沢な闇予算を握ったアノ研は、毎週のように「デバンキング活動」に勤しむことが出来た。アノマリーが起きている場所に出かけてゆき、それをデバンキングで消してしまうのだ。交通費や食事代、ときには宿泊費まで、全て部活費として計上された。超常現象まわりの書籍、雑誌なども部活費でどんどん購入した。

 ちなみに山ほど買ったオカルト本は、ナラ先輩が所属する3B教室に「学級文庫」と言い張って積み上げられた。高校生にもなって学級文庫はないだろうと思うのだが、別に誰が困るというものでもなかったせいか、そのまま黙認されている。本を置きたいのなら部室を申請してはどうかと言ってみたのだが、これには山田先輩が猛反対した。目立ったことをしてはいけないというのだ。すでに充分に目立ってるじゃないですかと指摘しても、山田先輩に言わせると学内生態系におけるアノ研の生存戦略のかなめは「書類上の沈黙」だという。私には意味がよく分からなかった。


 どうにもうさん臭さが抜けないアノ研だったが、そのデバンキング活動は文句なしに楽しかった。ナラ先輩は私など到底かなわないほど凄まじいサイミッシング能力を持っていたのだ。

 彼が手をふれただけで、石像は血も涙も流さなくなり、夜鳴き石は沈黙し、エンゼルヘアーは蒸発してしまう。落雷によって窓ガラスに焼き付けられた画像はかすれた汚れになり、ミステリーサークルはただの荒れた農地にしか見えなくなり、山の怪光はクラクションを鳴らして走り去ってゆく。

 捕獲されたツチノコを見に行ったときは劇的だった。いきなり巨大なネズミを吐き出し、ただの山蛇になってしまったのだ。海岸に漂着した謎の怪物死体を私たちが苦心のすえ裏返してみたところ、あからさまなウバザメの下顎がだらりと垂れ下がった。最初に調べたときにはそんなものはなかったのにと地元の動物学者も不思議がっていた。

 言うまでもなく、アノ研が見学した超能力の公開実験は全て失敗に終わった。念写は手のひらのピンボケ写真に、外気功は一人体操になり、引き寄せも空中浮遊も起こらず、遠隔視はただのお絵描き教室になってしまった。宇宙人との遭遇現場に行ったこともある。専門家が最初に調査した際には、付近の土壌から異常な放射能が検出されて大騒ぎになったにも関わらず、私たちがデバンキングした後は全く検出されなくなった。

 興味深い事実は、一度でもナラ先輩と接触した超能力者は、ナラ先輩が立ち去った後も超能力を発揮できなくなるということだ。当時、スプーン曲げが出来る超能力少年があちこちに登場してマスコミで大いに話題となっていたのだが、ナラ先輩が次から次へとインタビューして回ったあとは、誰にもスプーンは曲げられなくなってしまった。同様に、ナラ先輩が触れた後でもなお機能するラジオニクス波動器や磁気永久機関は一つとしてなかった。「浮上せり」と報告されていた実験円盤でさえ、二度と浮上しないガラクタになってしまった。

 同じゴートでも、私はその場で起きているアノマリーを消すのが精一杯であるのに対して、ナラ先輩はどうやらアノマリーの源泉のようなものを消してしまうらしい。ナラ先輩がいると、アノマリーの源である何かが枯渇して、同じ現象は二度と起こらなくなるのだ。これがゴートによるデバンキングというものだった。

 山田先輩はゴートではなく、アノマリーにもさほど興味はない様子だった。というか、山田先輩は何につけても興味がなさそうに見えた。それでもナラ先輩のデバンキングには必ず付いてきて、現場の写真を撮影したり、記録をとったり、関係者へのインタビューを録音したり、そういう雑用を黙々とこなしていた。私はナラ先輩の補佐役で、先輩が処理し残した細々とした周辺アノマリーをこまめに消して回る担当だった。

 こうしてアノ研の活動であちこち飛び回っているうちに、あまりにも楽しい夏が過ぎ去っていった。人生ただ一度きりの最高の夏を過ごしているのだということに、そのとき私はまるで気がつかなかった。


 二学期に入ると、アノ研のデバンキング活動も学内にけっこう知れ渡ってきて、何やら面白そうだという噂も広がり、入部希望者がちらほら現れるようになった。中でも印象的だったのは二年生の徳永先輩だ。私よりもなお背が低く、小柄で丸顔、いつも落ち着きがなく手を動かしており、視線をきょろきょろ流す癖があり、さらに出っ歯であったため、どうしてもリスに見えるのだった。ナラ先輩から初対面でいきなり「君のあだ名はリスということで」と直截的に言われた徳永先輩は、人懐っこい笑顔を浮かべて嬉しそうに「分かりました」と答えたおかげで、入部審査を一発で通ってしまった。

 徳永先輩は災厄を引き寄せる体質だった。所属している2C教室では既に何度も不審火が起きて学校側でも問題になっていた。火元がどこにもないにも関わらず、授業中にいきなりカーテンが燃え上がる。クラスメートが見えない牙で攻撃され負傷する。激しいラップ音で授業が中断されたり、音楽室の壁にかかった絵がゆっくりと回転したり、チョークが勝手に飛び跳ねたり、他生徒の所持品が鍵をかけたロッカーやカバンから消え別の場所で発見されるなど日常茶飯事だったというから、確かにそれは問題だろう。

 徳永先輩によると、そういったことは子供の頃からずっと続いているので、家族からも気味悪がられていたという。中学時代には、ほぼ半年ごとに転校を繰り返したらしい。そんな過去にも関わらず、徳永先輩には暗いところがなく、いつも明るくニコニコしている印象が強い。本人に言わせると「被害にあうのは周囲の人ばかりで、ボクには何の害もないから平気です」とのことで、小動物系に似合わぬその図太さはぜひ見習いたいものだと、私など何度そう思ったか知れない。アノ研に入ったおかげで、徳永先輩の特異体質は完治したそうだ。大喜びの徳永先輩は、私たちと一緒にデバンキングに同行して、現場での対人交渉を精力的にこなしてくれた。この人がお願いすると、たいていのことが通ってしまうのだった。

 二学期も半ばを過ぎるころ、アノ研の部員数は十名をこえていた。あいかわらずゴートはナラ先輩と私だけだったが。山田先輩は難しい顔をして、そろそろ「自由闊達な」活動は止めると宣言した。そして名簿の改竄を元に戻し、金銭まわりを「浄化」して、さらに正式に部室を申請した。こうして、旧校舎の三階にある通称「文化長屋」にアノ研のささやかな部室が誕生した。ただし文芸部との相部屋だったが。それを置き土産に、三年生は大学入試に専念するため部活から手を引くことになった。ナラ先輩と山田先輩にとっては、アノ研での活動は実質半年にも満たなかったのだ。ナラ先輩は引退の挨拶で「この世にアノマリーがある限り、俺の闘いは終わらない」と絶叫し、それはアノ研にだらだらと語り継がれる伝説となった。


 完全に引退する前に、何かこう最後の「ぱぁーっとしたイベント」が欲しいというナラ先輩の曖昧なリクエストを受け、徳永先輩が持ち込んできたのが「就労支援ネットワークの活用」という企画だった。

 わが校は県内でも有数の進学校だが、それでも様々な理由から高卒で就職する生徒はいる。そんな生徒の仕事探しをサポートするため、卒業生が自動的に加入する就労支援ネットワークという制度がある。社会の現場で働いているわが校の卒業生が、学校からの要請を受け、後輩を一時的にバイトというかボランティアとして雇って就労体験を積ませるというものだ。期間は一週間程度。もちろん無給だが、学校側からそれなりの支度金が出る。また就労体験期間は出席日数としてカウントされるそうだ。

 徳永先輩は「これを申請して、特殊清掃の会社で働いてみるというのはどうでしょう」と申請用紙をひらひらさせながらそう言った。ナラ先輩は即座に飛びついた。希望通り申請が通り、私たちには小さな特殊清掃会社が紹介された。その頃には山田先輩は受験に集中するためほとんど顔を見せなくなっていたから、申請した就労体験希望者はナラ先輩だけ。付き添いとして徳永先輩と私が初日のみ参加することになった。

 月曜日の朝、指定された小さな雑居ビルの一階入口入ってすぐ、錆びて変色した郵便入れが寂しく並んでいる陰気な場所に集合して、私たちは声がかけられるのを待っていた。このビルに入っている特殊清掃会社で主任をつとめている大雪という人がうちの卒業生で、私たちの身柄引受役になってくれたのだ。

 ナラ先輩が乗ればそれだけでもう満員になりそうな小さなエレベータが、かすかにベルの音を立てたかと思うと、扉が開いた。出てきたのは灰色の作業服を着た二人組だ。正体がよく分からない、かさばる機材を、二人とも両手いっぱいに抱えている。工事現場の監督のような雰囲気を漂わせている赤ら顔でがっしりした男が大雪さんだろうと私は思った。もう一人は、髪を極端に短く刈り込んだ神経質そうなアジア系外国人のように見えたからだ。

「やあ、おまえらが見習いな。今から現場に行くから一緒に来な。あとこいつクロヤギ」

「クロード・リーです」

「そうそう、それだ。略してクロヤギだ。えらい無口だが、日本語はペラペラだ。分かんねぇと思ってつまらんこと口にすんじゃねえぞおまえら」

 大雪さんの声はよく響くバスというか重低音。決して上品ではないが、面倒見のいい親切な人だということはすぐに分かった。クロヤギと呼ばれた、リーさんだったか、この人はどこか得体が知れないというか、何を考えているのかわからないというか、ほとんど無表情のまま大雪さんの指示に従ってクリップボードに挟んだ用紙に何かを記入していた。

 私たちは勢い込んで挨拶をしたが、大雪さんはただ頷いて「ここで立ち話も何だから」と軽く流し、そのまま全員で雑居ビルを出ることになった。「あ、荷物お持ちしましょうか」と声をかけた徳永先輩は、大雪さんからにべもなく断られてしょんぼりしていた。ナラ先輩は妙に張り切って、もうじっとしていられないらしく、見えない敵とのシャドウボクシングに余念がない。子供か。

 雑居ビル裏手の駐車場に停めてあった一目で外車と分かる大型ステーションワゴンに、リーさんと手分けして要領よく機材を積み込んだ大雪さんは「おまえら後部座席な」とぶっきらぼうに言い、私たちはあわててワゴン車に乗り込んだ。ハンドルを握ったのはリーさんで、はっきり言ってかなり乱暴な運転だった。あやうく車酔いしそうになった。現場までは途中休憩を含め一時間ほどかかるとのことで、私たちはその間に大雪さんから仕事について色々と聞き出すことにした。


 特殊清掃業というのは、要するに現代版の「御祓い屋」だと言ってよいだろう。その業務は、昔なら「怨霊を鎮める」とか「祟りを祓う」と呼ばれたであろうもので、今風にいうならアノマリーのデバンキングだ。私たちがアノ研でやっていた活動を事業化したようなものだが、これがけっこう需要があるらしい。

 特殊清掃を依頼されるアノマリーは、日本では心霊まわりがほとんど。だが米国では、重力異常地帯、円盤の連続目撃、空からの奇妙な落下物など、特定地域で繰り返し起こるアノマリーは何にしても「無害化」しなければ安心して暮らせないという、おそらくは宗教的な心情からの要望が強く、この手のビジネスが急成長しているという。将来的には日本でも流行ると予想されることから、ベンチャー企業の新規参入が相次いでいる注目の事業分野なのだそうだ。

 私たちはアノ研の活動をしながらも世の中のそういった動きをほとんど何も知らなかったので、大雪さんの話はずいぶんと参考になった。私など、せっかくゴートとして生まれてきたのだから、将来この業種に就くのもアリかな、などとぼんやりではあるがそれなりに真剣にそう思ったほどだ。その日のうちに撤回することになったが。

 現場は広島県との県境にほど近い住宅地にある古いマンション。そこの七階で騒霊さわぎが起こり、住民が出て行ってしまったのだという。他階の住民からも苦情が出ており、マンション管理を担当している不動産屋が困りきって「除霊」依頼をしてきたのだ。かなり強力なポルターガイストらしい。期待が高まる。

 ワゴンを停めたマンション下の駐車場で、依頼主だと思われる気難しそうなおじさんに大雪さんが何やら説明しているのをぼんやり眺めていると、ナラ先輩が「まずは現場に行ってみようぜ。俺でもデバンキング出来るかも知れないしな」とむやみと強気なことを言い出す。ずいずいと小さなエントランスホールに踏み込んで、一基しかないエレベータにさっさと乗り込んでしまった。徳永先輩も徳永先輩で、止めるどころか何のためらいも見せずその後に続く。エレベータの扉が閉まり、上昇中のマークが点灯した。

 しかし勝手にそんなことしていいのだろうか。困って大雪さんを見た。気づいてないはずがないのに、大雪さんは素知らぬ顔でアフターサービス保証がどうのこうのと説明している。暗黙の了解を得たことにして、私は小走りにホールへと急ぎ、ボタンを押してエレベータが上から戻って来るのを待った。


 七階に到着してドアが開いたとたん、私は思わず悲鳴を上げそうになった。薄暗い廊下はまさに血の海だった。壁にも足元にも鮮血が思う存分にぶちまけられ、天井からは血のしずくがぽたぽた落下している。どこからか、おぅぅおぅぅおぅぅ、という怨念こもったぞっとするような声が響き、廊下全体がそれに共鳴して脈動するかのように揺れている。私はとっさに閉ボタンを押してエレベータのドアを閉じようとした。見なかったことにしようと思ったのだ。しかし、閉ボタンがきぃぃっというネズミのような悲鳴をあげ乱杭歯をむき出しにしたので、指をあわてて引っ込めた。今やすべてのボタンが口を開き、肉を喰わせろ骨をかじらせろと飢えた悲鳴を上げ始めたので、私は仕方なく廊下に足を踏み出した。

 廊下の壁に立てかけてあった自転車のスタンドが勝手に跳ね上がった。ハンドルに血や毛髪がべったり張りついたその自転車は、威嚇するようにベルを鳴らしながら、せまい廊下をこちらめがけて突進してくる。何とかぎりぎりでかわしたものの、それに続いてどこからか飛んできたスニーカーの靴底が目のすぐ上を強打して、そのあまりの痛さに私は座り込んでしまった。でもおかげで助かったのだ。天井灯から長い蛍光管が外れ、すっと降りてきて、直前まで私の顔があったところをフルスイングで打撃し、壁に激突して派手な音を立てて割れたからだ。飛び散ったガラスの破片に気をつけながら、私はそろそろと四つんばいで移動した。泣きそうな声でナラ先輩を呼んだ。というか助けを求めた。

 廊下を曲がった角の向こうから徳永先輩が顔を出して「こっちです、早く」と声をかけてくれた。私は半泣きのまま立ち上がり、そちらに駆けてゆこうとしたが、いつの間にか廊下の床から生えていた無数の手首が邪魔をする。もう無我夢中で蹴りつけ、蹴りつけ、どうか足をつかまれませんようにと、そればかりを念じながら廊下の曲がり角まで走り込む。徳永先輩がその先で手招きしているのでそちらに行こうとしたとき、いきなり背後からぎゅっと右腕をつかまれた。何となくこうなるんじゃないかと悪い予感がしていた通りの展開に、もう駄目だと思って目を閉じた。

 背後から「こりゃけっこうやべえな」という野太いナラ先輩の声がしたので、ほっとして目を開けると、私のすぐ目の前にあるのはドアが開いたままの非常口で、しかもその外にある鉄製の非常階段はものすごい力で壁面からもぎ取られたらしく、ねじくれた奇怪なオブジェと化して空中にぶら下がっているのだった。ここは七階。奈落のふちまで一歩半だった。


 ナラ先輩は私の右腕をしっかりとつかんだまま、ほとんど引きずるようにしてずりずりと引き戻す。手を離せば錯乱した私が非常口から飛び下りると思っているらしい。ようやく廊下の角のところまで戻ったとき、エレベータを出てすぐ左の部屋(そのときは余裕がなかったが、後で確認したら702号室だった)のドアが開き、徳永先輩が顔を出して「どうやらこの部屋が中心地みたいです」という。スーパーのチラシを見ながら特売品について話しているようなのんびりした声だった。

 ナラ先輩と私は顔を見合わせた。私は「お先にどうぞ」とかすれ声で言う。ナラ先輩は一瞬だけ迷ったようだが、すぐ「おおっーし」と気合を入れながら、徳永先輩が押さえているドアから中をのぞきこんだ。しばらくして「うひゃっ」という情けない声を出して廊下に飛び出してきた。気が進まないながら、でも好奇心もあって、私はそろりそろりと702号室に近づいた。そして中をのぞく。

 部屋は廊下よりもさらに暗くて最初よく見えない。しばらくすると目が慣れてきたのか、小さな玄関の向こうの居間に、焦げたように真っ黒い、ねじれた人影が何体も立っているのが分かってきた。いやよく見ると立っているのではなく、天井からぶら下がっているのだ。しかも眼を極端に見開き、今にも飛び出しそうな黄色い血走った眼球がこちらを睨みつけている。うっかり視線が合ってしまった。やばい。

「こりゃ俺の力じゃどうにもならん」さすがにナラ先輩もびびったらしい。いっぽう徳永先輩は平然と「とりあえず撮影しておきますね」と言って、持参したポラロイド社のインスタントカメラを構えて派手にフラッシュを浴びせかけた。ある意味、この人が一番怖いかも知れない。フラッシュの光が人影らを刺激した、というか怒らせたらしい。たくさんの首が一斉にぎちぎちと回り始めた。不吉な予感に満ち満ちた動きだった。私たちは、少なくとも私とナラ先輩は、魅入られたかのように彼らから視線を外すことができずにいた。

 ステレオグラムという立体視の絵がある。ちょっと見ると放送終了後のテレビ画面のようなでたらめな白黒の点の集合にしか見えないが、目の焦点をうまく調整することで、突然ありありと立体図形が浮かび上がってくる。両目で「捕捉」している間は驚くほどリアルに見えていた立体図形が、何かの拍子に焦点がずれたとたん、まるで何もなかったかのように消えてしまう。というか、もともと存在してなかったことに気づく。ちょうどあんな感じだった。不意に私たちの背後からずいと前に踏み出してきたリーさんの背中に一瞬気をとられ、それから視線を居間に戻したときには、人影などもうどこにもなく、ただ周囲の壁に複雑な形の黒染みがあるだけだった。偶然にも染みを立体視して、存在しない人影を見たように錯覚していたのだろうか。まさか。

 これまたいつの間にか背後に立っていた大雪さんが「ちょっと、おまえら、邪魔。どけや」と声をかけ、私たちを押し退けるようにして部屋に入る。水の入ったバケツ、洗剤、モップを床に置き、ぬれ雑巾で壁を拭き始めた。それはどう見てもごく普通の清掃で、こすられた壁の染みはどんどん消されてゆく。さっきまで充満していた不気味でおぞましい雰囲気はきれいさっぱり消え失せ、そこは気の滅入るような陰気な部屋に過ぎないのだった。廊下からはおぅぅおぅぅという低い音がまた響いてきたが、今ではそれは電車の通過音だとすぐに分かる。開いたままの非常口から聞こえてくる外の騒音だった。

 非常口といえば、非常階段は何事もなかったようにきちんと取り付けてあった。廊下も確認してみた。床にも壁にも赤カビがべったりと広がっている。薄暗いとはいえ、こんなものが鮮血に見えたとは到底思えない。ハンドルにくまなく錆が浮いた自転車は廊下の壁に立てかけたまま放置され、割れた蛍光灯やスニーカーが床に落ちているが、どこにも異常な気配はなく、ただただ貧相でどんよりした日常的わびしさを感じさせるばかりだった。

 ナラ先輩は「すげえよ、こりゃマジすげえ」と小学生の語彙をもって感嘆していたが、私は目の前の現実に圧倒されて声も出なかった。これがプロの仕事というものなのか。これに比べれば、私たちのデバンキングなど、それこそ子供の遊びに過ぎなかった。ゴートである私たちでさえあれほどはっきりと目撃したアノマリーが、根こそぎ「なかったこと」にされたのだ。


 徳永先輩は相変わらずマイペースだった。手に持った何枚かの写真を見ながら首をひねって「ちょっとこれ見て下さい」と私たちに向かってそう言う。すでにインスタントフィルムの即席現像は完了しており、そこには黒い人影や、床に飛び散った鮮血や、廊下の天井近くを何個も(何頭も?)漂ってこちらを睨みつけているすさまじい形相の生首などが、はっきりと写っているのだった。あのときじっくり上を見なくて良かった。「これ心霊写真として雑誌に高く売れないか」と真剣に聞いたナラ先輩に、徳永先輩は「あー、ここまではっきり写ってると駄目ですね。シャレになりません」と当たり前のようにそう答える。

 大雪さんたちの仕事は迅速だった。部屋が終わると続いて廊下にもモップをかけて、散らかしてあったものを片づけて、あちこち証拠写真をとって、それで完了。エレベータ出てすぐ横の空きスペースに置かれた様々な機材は何一つとして使われなかった。私がそれについて尋ねると「ああ、そいつはただのハッタリだ」。びっくりした私たちに「当然だろ。モップとバケツと雑巾だけで、はい掃除しました、じゃ誰も高い料金を出す気にならないだろが」と教えてくれた。

 ということは、ただのハッタリのために事務所からここまであんなに重そうな機材を運んできたというのだろうか。

「そこがコツなんだ。ご大層なもろもろを、人手で重そうに現場に運び込んでゆく。それをクライアントに見せる。するってえと説得力があるわな。気前も良くなる。感謝もされる。そうすりゃ俺らだって満足感や達成感が違う」

 社会に出て仕事をするというのは、思っていたよりしんどいことらしいと私は思った。

 仕事が終わったのですぐに下に戻るのかと思ったら、大雪さんは「こんな短時間じゃ、ありがたみってもんがねえ。しばらく時間をつぶすぞ」と宣言。ふところから煙草を取り出して、百円ライターで点火しながら「じゃ、いいぞ。何でも教えてやるから質問してみな」と言い、駐車場にたむろする不良たちのような格好で腰を落とす。リーさんは702号室で何やら作業を続けている。


 まず私が尋ねたのは、このポルターガイスト現象は幽霊の仕業なのかどうかということだった。大雪さんは、幽霊なんざいねえよ、ただのアノマリーだ、といって笑う。アノマリーってのは地下のマグマみてえなもんだ。ときどき圧力が高まると地表、つまりは現実世界に噴き出してくる。噴き出したアノマリーそのものを俺たちは知覚できねえもんだから、やれ宇宙人が乗ってる円盤だ、やれ死んだ人間の魂がさまよってる、やれ生き残った太古の恐竜が泳いでる、みたいに現象そのものに対して適当な解釈をして納得する。けど、こいつらは俺たちの脳の認知というか知覚解釈の癖みたいなもんで、もともとこういうのはみんな同じアノマリーなんだ。

 ナラ先輩はリーさんの能力について尋ねた。あの人はゴートなのかと。大雪さんは、あいつはブラックゴートだと言う。クロヤギって呼んでるのもそのせいだ。もともとアメリカの空軍さんが始めたブルー何とかってプロジェクトに由来している。空飛ぶ円盤を組織的に調査しようってやつだ。調査を進めていくうちに、異常なまでに円盤事件の「解明」率が高い調査員がいることが分かったんだな。実際にゃ、解明してたんじゃなくて、強力なサイミッシング能力でアノマリーを消してたんだが、本人はそれに気づいてない。空軍の上層部、どなたかお偉いさんが、こりゃいけると踏んだんだ。何しろ円盤騒ぎなんて空軍にとっちゃ頭痛の種だ。消してしまえるもんならそれに越したこたぁない。ってんで、そのブルー何やらは先細りのまま放置して、ブラックゴートという極秘プロジェクトを立ち上げた。素質があるゴートたちを集めて訓練して、そいつらをエージェントとして円盤事件の目撃者のところに派遣する。たいてい二人一組でな。一人が目撃者と話をしている間に、もう一人が特殊なデバンキングを行う。続けるか?

 私たちが熱心に頼んだので、大雪さんはもう一本煙草に火をつけてうまそうに吸ってから続けてくれた。特殊なデバンキングってえのは、その場で起きているアノマリーを消すだけでなく、時間的に遡ってそもそもアノマリーを「なかったこと」にすんのさ。目撃者の記憶を除いてな。「遡及修正」と呼ばれるこの種のデバンキングをやると、写真やら物証やら、とにかくアノマリーの証拠が何も残らない。言っとくが証拠隠滅すんじゃねえぞ。起きたという事実というか歴史そのものを消しちまうんだ。遡及修正にはそれなりに手間がかかるから、その間に相棒は目撃者を脅すなり何なりして、色々と時間かせぎをする。お前らも聞いたことあんだろ。ブラックメンとかメン・イン・ブラックとかいった連中の噂。あれがブラックゴートのエージェントだ。脅迫なんて口から出まかせ、くだらん小芝居、とんだ茶番。本当の狙いは事件の遡及修正だ。連中が立ち去った後は、目撃者が何を言おうが証拠は絶対に出てこない。そりゃ見事なもんさ。そいつらがもともとのブラックゴートだ。アノマリー消去のプロだ。当時はその存在自体が秘密だった。今じゃ情報公開されて、合衆国の永住権さえ持ってりゃ誰でもテストを受けてブラックゴート訓練機関に入れるけどな。リーはそこの卒業生で、ブラックゴート認定を受けている。まあ色々あってあちらにいられなくなって、あっちこっちふらふらしているらしい。今はうちで働いているが、いつまで続くかは分からん。俺が知ってるのはそれだけだ。

 徳永先輩が「遡及修正というのは、例えばこういうことですね」と言いながら、さきほどのインスタント写真を皆に見せた。私とナラ先輩は文字通り飛び上がった。信じがたいことに、写真には何ひとつ異常なものは写ってない。壁の染み、カビだらけの床、天井の火災報知機。写っているのはありふれたものばかりだった。大雪さんはちらりと写真を見ると、702号室に向かって「終わったのか」と大声で尋ねた。それに答えて「完了です」という声がして、リーさんがのっそり姿を現す。相変わらず無表情のまま、私たちの方へぶらぶらと歩いてきて、黙って機材を肩にかつぎ始めた。大雪さんはよっこらせと立ち上がり、そんじゃさっさと料金を頂戴して事務所に戻るべえか、などと言いながら機材に手を伸ばす。

 私たちは大きなショックを受けていた。特にナラ先輩は茫然自失に近い有り様だった。ゴートとしての自分の能力はちょっとしたものだと先輩は信じていたのだろう。自分なら今でも特殊清掃の会社でバリバリ仕事が出来ると思っていたのかも知れない。ブラックゴートというその道のプロに何が出来るのかを見せつけられた今、その自信は粉々に打ち砕かれ、先輩は混乱しているのだった。帰りの車内でもナラ先輩は無口で、何かを思い詰めたようにじっと考えこんでいた。


 私と徳永先輩が大雪さんたちと会ったのはその日だけだが、ナラ先輩は一週間仕事を手伝って、リーさんから色々と手ほどきを受けたらしい。就労体験期間が終わった次の月曜日、ひさしぶりに部室に顔を出したナラ先輩は「俺はアメリカに行ってブラックゴートになる」と宣言した。顔が真剣そのものだったので、笑ったり突っ込みを入れたりした人はいなかったけれど、その場にいた誰もが内心で苦笑していたに違いない。またナラ先輩がノリだけで馬鹿なことを言い出したと。だが、先輩は本気だった。卒業に必要な出席日数は確保済だから、と言ってそのまま学校に来なくなった。予定していた大学受験も放棄して、後で知ったところによると、それから二年かけてついに渡米したそうだ。

 部長を引き継いだのが徳永先輩だったせいか、ナラ先輩が消えてから一年もたたないうちに、アノマリー研究部はなし崩し的にただのオカルト同好会と化してしまった。部室を分け合っていた文芸部のSF&ミステリ派と癒着し、だらだらとオカルト話で時間を潰していた。やがて文芸部の硬派(近代文学の相剋がどうのこうのと論じ合っていた人々)が居心地が悪くなって抜けてしまった後、何となく「文芸部」の看板だけ残して部室全体が雑談系ゆるサークルになってしまった。

 私が抜けた後も『でにケンの今日も元気でオーパーツ』なる会誌を3号まで出したり、文化祭ではそれなりにウケたりしてたようだが、次第にメンバーが減ってゆき、やがて自然消滅したと聞く。結局のところアノ研はナラ先輩の求心力でもっていた、というよりあの人の私物だったのだろう。


 卒業後、私は大学に通うために上京して、はじめての独り暮らしを始めた。四年かけて学部を出て企業に就職した頃には、とっくにオカルトブームは過ぎ去っており、かつてあれほど頻繁に報じられていた超常現象の話もほとんど耳にしなくなった。おそらくデバンキングされ尽くしてしまったのだ。

 そのデバンキングという言葉でさえ、この頃になると「超常現象とされている事件を調査して、その真相(つまり超常現象ではなかったということだ)を明らかにする活動」という意味で使われるようになっていた。実際にはアノマリーを打ち消して、あるいは遡及修正して「なかったこと」にしているにも関わらず、世間的にはそれは「もともとなかった、という事実」を暴いている、ということにされた。いや、デバンキングしている本人たちでさえ、自分がゴートであり、アノマリーに関わることで無意識にサイミッシング能力を発揮している、という自覚がもうなかったのかも知れない。

 超常現象はテレビ番組や娯楽雑誌でネタとして繰り返し消費されるだけの低俗な話題に成り果ててしまった。かつて自分自身で消して回っていたくせに、なくなってしまうと理不尽な悲しみや喪失感に悩まされた。まるでゴートとして生きてきた自分の過去が根本的に否定され消滅してしまったような、そんな不安をいつもどこかで感じていた。あまりにも身勝手な言い草だということは分かっていたけれど。ナラ先輩はどうしているだろう。無事にブラックゴートになれたのだろうか。

 だが、いつしかそれも遠い感傷に過ぎなくなっていった。実際、それどころではなかったのだ。仕事は順調というにはほど遠かったし、残業と休日出勤は常だった。業務上も、私生活でも、細かいトラブルはひっきりなしに起きた。就職してから五年目に結婚した。新たな親戚付き合い、引っ越し、昇進、転勤、そして母の死。私は忙しかった。そうして無我夢中で走っているうちに、ふと気がつくと、二十世紀がひっそりと終わりを告げていた。そして次の世紀が始まって、最初の秋。アノマリーが戻ってきた。


 歴史的大事件のニュースを初めて知ったとき自分が何をしていたか、その細かい状況をずっと後まではっきりと覚えていることを、フラッシュバブル記憶というのだそうだ。マンハッタン・グランド・クラッシュ、あるいはセカンド・ツングースカと呼ばれることになる事件の報道をはじめて目にしたとき、私は社員食堂でエビカレー定食(中辛)を食べていた。気味が悪いほど鮮やかな真紅の福神漬が、その幾何学的配置が、なぜか今でも鮮明な映像として脳裏に浮かぶ。フラッシュバブル。

 食堂のテレビに映し出された映像は衝撃的だった。ニューヨークの上空を舞う大小様々な円盤の群れ。円盤から放たれた怪光線を浴びて崩落する世界貿易センタービル。画面外から切り込むように伸びてきて円盤に到達する白い煙。ミサイルだった。細かい破片をまき散らしながら奇妙にゆっくりと落下してゆく巨大な円盤。それは子供の頃いつも想像していた光景だった。だが、これは現実だ。

 事件から一週間が過ぎても、火災と汚染のため現場一帯には近寄ることさえ出来なかった。他のニュースは全て無視され、あらゆるメディアが発狂したように報道を続けた。ザ・クラッシュから約四十時間後、現場付近に立ち込めていた黒煙のカーテンが一時的に海風に吹き流されたとき、たまたま絶好のタイミングで報道社のヘリから空撮された一枚の写真は、全世界の新聞に幾度となく掲載されることになった。

 それは前世紀に軌道上から撮影された地球の写真と同じような心理的効果をもたらした。私たちはもうこれまでのなじみ深い世界には決して戻れないのだ、という痛みを伴った自覚。グラウンド・ゼロと名付けられたその写真には、半径数百メートルに渡って広がる巨大なクレーターと、その中心部で地面に斜めに突き刺さっている銀色の円盤がはっきりと写っていた。


 その電話がかかってきたのは、事件発生から一カ月近くが経過し、そろそろ現場の封鎖を緩和して調査団の立ち入りを認めるべきだという議会の要求に対し大統領は拒否権を発動する見込みである、というニュースが流れた頃だった。とりあげた受話器から「楢崎だ。今いいか」という野太い声が聞こえてきたときには、声の主が誰なのか気づくのに数秒かかった。

「ナラ先輩ですか。今どこに」

「身辺整理のための一時帰国だ。すぐ戻らなゃならん。世界中のブラックゴートが招集されてるんだ」

「やっぱりブラックゴートになったんですね」

「ああ。もう何年も連邦政府の仕事をやってる。今回は特別に国家安全保障がらみのプロジェクトに抜擢されたんだ。ちょっとしたもんなんだぜ、こいつは」

 最初は低い声でハードボイルド風にしゃべっていたナラ先輩だが、会話が進むにつれて意識というか情緒が高校時代に戻ってきたらしく、段々と自慢っぽい得意気な口調になってきた。声量も大きくなる。私も気持ちとしてはすっかり高校生に戻ってしまい、アノ研の部室でいつも雑談していたときの、あの雰囲気になった。

「てことは、マンハッタン・グランド・クラッシュを遡及修正するんですか」

「そっちはベテラン組の担当だ。もうすでにRIP、ロズウェル・インシデント・プロジェクトのメンバーが取りかかっている。そういやロズウェル事件というのを知っているか」

 まったく聞き覚えがなかったのでそう答えると、ナラ先輩は「そうだろう。連中は凄腕だ。いや、正直いって、やつら本当に人間なのか俺は大いに疑っているよ」と謎めいたことを言う。

 だが私はザ・クラッシュのことを考えていた。史上初の戦闘機と円盤の空戦、ビルの崩落、グラウンド・ゼロ。いったい全世界にどれだけの映像が流れたことだろう。写真が載った新聞を全て集めれば、それこそ世界貿易センタービルを再建できるほどの量になるに違いない。そして墜落円盤そのものを含め、残された物証の数々。というより今やマンハッタン島それ自体が証拠物件だ。考えれば考えるほど、これを遡及修正してしまうなんて全くの不可能事に思えてくる。

「本当にザ・クラッシュをなかったことに出来るんですか」

「事件そのものをなかったことには出来ないだろうな。でもやつらなら、アノマリーではなかったということにするだろう」

「アノマリーではなかったって、あれはどう修正しようがエイリアンによる攻撃にしかならないでしょう」

「大衆の潜在意識に染みついたその固執概念だけは残して、事件そのものは遡及修正してすり替えるんだ。でもまあ、それはやつらの昔ながらの仕事だ。俺たち若手チームには別の仕事がある」

「なんですか」

 自分が饒舌かつ大声になっていることにふいに気づいたのか、ナラ先輩は急に声をひそめた。

「アノマリーはマグマのようなもので、圧力が高まると地表に吹き出してくる、それが超常現象だ、という話を覚えているか」

「どこかでそんな話を聞いた覚えがあります」

 どこで聞いたのかは思い出せなかった。地面が盛り上がり、地割れから溶岩が噴き出してくるイメージが浮かぶ。

「俺たちのようなゴートは、つまり寄ってたかってマグマの噴出を塞いできたわけだ。すると、どうなると思う」

 言いたいことはすぐに分かったが、少し考えているふりをして、ナラ先輩をもてなすことにする。

「・・・つまり圧力がどんどん高まってゆくわけですか」

「そうだ。これまで人類はずっと超常現象、すなわちアノマリー放出と共存してきた。適度な頻度で圧力を放出している限り大きな噴火は起きない。しかし、ここ半世紀における大規模かつ広範囲なデバンキングのせいで、世界中のアノマリー圧力は限界まで来ていた。そこで大噴火が起こった。今回の事件がそれだ」

 安全弁のないボイラー。内圧が高まり、あちこちから蒸気を吹き出して、少しでも圧力を逃がそうとする。私たちはご丁寧にも蒸気が漏れている箇所を一つまた一つと塞いでゆく。不気味な振動。ゆがみ。そして起こる大爆発。ボルケーノ。グランド・クラッシュ。

「待ってください。そうすると今回、マンハッタン・グランド・クラッシュを無理やり遡及修正してしまったら」

「大噴火、俺たちのいうアノマリー・バーストを先送りすることになる。先送りすればするほど圧力は高まってゆき、いずれは誰にも遡及修正できない規模のどえらい惨事を引き起こすことになるだろう」

「まずいじゃないですか」

「だから俺たちが招集されたんだ」

 私は受話器を握りしめた。ナラ先輩の口調から、何か重要なことを伝えようとしているのに気づいたからだ。

「アノマリー・バーストが起こる場所をコントロールする。すなわち合衆国が選んだ場所に大噴火を誘導する。そうして圧力を下げてその他の地域におけるアノマリー被害を予防するんだ。見方を変えれば、これはいわばアノマリー兵器だ。防ぎようがない究極の戦略兵器になり得る。いいか、今のところ最初のターゲットは中東の・・・」

 そのときドリルを金属板に押しつけたようなノイズが響き、私は思わず受話器を耳から離した。目眩のような耳鳴りがする。耳の穴に何度か指を突っ込んでみてから、受話器にそっと耳を近づけてみた。ノイズはまだ続いている。「もしもし」と声を出してみるが、通じているとは思えない。やがて、かすかな音がしてふいにノイズが消えた。一瞬遅れてカチッという音がして回線が切れ、あとは話中音が虚しく聞こえてくるばかりだった。


 ナラ先輩にこちらから連絡をとろうとしたのだが、どうしても連絡先が見つからない。昔の手帳に山田先輩の電話番号が書かれていたので、まずはそこにかけてみた。母親らしき人が出て、とても親切に山田先輩の現在の連絡先を教えてくれた。いい人だ。

 ようやく連絡がとれた山田先輩は、私の話を黙って最後まで聞いてくれた。そして「分かった。こちらで楢崎の連絡先を確認してみる」とそっけなく答えて通話を切った。

 その日の夜になって、今度は徳永先輩から電話がかかってきた。山田先輩から連絡がきたこと、ナラ先輩の連絡先が見つからないこと、相談しているうちに三人で同窓会を開こうという話になったこと、などを手際よく伝えた上で、再来週の土曜日は空いてますか、同窓会に参加できますか、と尋ねてくる。同窓会はいいアイデアだと思ったし、日付にも問題なかったので、即座に承諾した。徳永先輩は続けてこう言った。

「自分も山田先輩から言われたんですけど、ナラ先輩に関する資料があれば何でもいいから持ってきて下さい。写真とか、名簿とか、手紙とか、名前が書いてある領収書でも何でもいいそうです」


 都心にある中華料理店の個室を借りて、三人だけのささやかな同窓会が開かれた。手配は全て徳永先輩がやってくれた。現地で顔を合わせてみると、徳永先輩は高校生の頃とは見違えるようになっていた。丸々と太って、いかにも楽しそうに豪快に笑うオヤジさんだ。もうリスには見えない。あえて言うならチンチラか。外食産業のコンサルタントのような仕事をしていて、そこで知り合った奥さんとの間にすでに二人の子供がいる。奥さんの写真を見せてもらったが、やはりぽっちゃりとしたふくよかな女性だった。並んだ徳永先輩と二人して、みっともないまでに幸せそうに写っていた。

 一方、山田先輩は高校のときとさほど印象は変わっていなかった。極細の金属フレームの眼鏡を神経質そうにいじりながら、顔に皮肉めいた薄笑いを浮かべている。今は外務省につとめているそうだ。数年前に上司の紹介で見合い結婚をしたが、二週間で別れてしまったという。詳しい事情は聞かなかった。

「三人とも、ナラ先輩に関する資料が全く見つけられなかったというのは不思議ですよねえ」

 徳永先輩がそう言うと、山田先輩は「それどころじゃない」と何やら深刻な表情でカバンから大きな茶封筒を取り出す。中から分厚い書類の束を取り出して丸テーブルの上に置いた。中華料理店によくある大きな回転式の丸テーブルだ。テーブルの回転部分がなめらかに回って、書類が私たちの方にやってきた。

「興信所の調査レポートだ。冒頭のサマリーだけでも読んでみてくれ」

 報告書の最初のページには、次のようなことが簡潔に書かれていた。楢崎雄二という名の当該人物について徹底的に調査したが、実家を含め住所は見つからなかった。当人のものと思われる住民票も戸籍も電話番号も存在しないことを確認した。高校に在籍記録はなく、卒業アルバムにも、学校に残されている資料にも、彼に関する言及は一切出てこない。一枚の写真も、一枚の書類も、健康診断記録も、各種保険も、葉書も、手紙も、当該人物が残した痕跡は何一つ見つからない。結論として・・・。

「楢崎雄二なる人物は存在しない、もともといなかった、というわけですか」

 徳永先輩は冷静にそう言った。私にはとうてい信じられなかった。

「そうだ。まさにアノマリーだ。これで俺たちも立派な超常現象の目撃者だな」

 山田先輩がそう言うと、徳永先輩が「ナラ先輩は自分の存在を遡及修正してしまったんでしょう」と指摘する。私は頷いた。

「電話で話したとき、先輩は身辺整理と言ってました。このことだったんだと思う」

「その件だがな、こっそり電話局の通話記録を調べさせてもらった。どうか気を悪くしないでくれ。楢崎と電話で話したという時間帯に、君の電話番号に関する通話記録はないそうだ。つまり楢崎との通話は、いわゆる幻電話だ」

 山田先輩が必要以上に深刻な表情で私に向かって言った。これは本物の衝撃だった。

「そんな馬鹿な。・・・いや、だって、嘘じゃない、あれは本物のナラ先輩でした。ちゃんと話したんです」

「俺たちは信じるさ。だが客観的には、それは否定されるな。懐疑主義者ならこう言うだろう。俺たちの証言には何一つ物証がない。楢崎雄二なる人物も、アノマリー研究部も、何ら証拠がない。もともとなかったと判断する他はない」

 全ては、勘違い、記憶錯誤、集団幻覚、あるいは捏造に過ぎない、ということか。私は確かに見たんです。ええ、はっきりとこの目で。間違いありません。超常現象目撃者たちの陳腐なセリフの数々を思い出す。今や私たちがその立場に立ったのだ。あれほどはっきりと覚えていることを、自分の人生の一部を、根本から否定されてしまい、そして何一つ証明することが出来ない。

「まあ、いいんじゃないですか。誰かに信じてもらえなければ嘘になるというもんではないし。三人の記憶は一致してるんだから、ぼくらにとってナラ先輩もアノ研も事実なんですよ」あくまで前向きな徳永先輩は気楽に断言する。

「そうだな。確かにそうだ。少なくとも楢崎の無責任さについて、ここにいる三名の意見は一致するだろう。その消え方も含めてな」山田先輩も書類をしまいながら、あきらめ声でそう同意した。

「ナラ先輩はそりゃ責任感にあふれてはいませんでしたけど、でも一緒にいて楽しい人でしたよ」徳永先輩がそう言う。

「アノ研だって、ナラ先輩がいた頃はすごく楽しかったじゃないですか」

 山田先輩は何か皮肉めいた返答をしようとしたが、私がとっさに割り込んだ。

「うん。本当に楽しかったよな」

 声が震えていたと思う。


 なぜ私はこんなにも動揺しているのだろう。この身を震わせるような気持ちは何なのか。ふと郷里の偽月のことを思い出した。そして、自分を揺さぶっている感情の正体に気がついた。これは歓喜だ。長年の夢がかなった喜びなのだ。

 子供の頃、私は偽月を見たかった。他の友達と同じように、興奮しながら偽月について話したかった。それはかなわぬ願いであり、かなえようと試みるだけで他人を傷つけてしまう、そういう類の呪いであった。晩秋の新月の夜、窓を閉め切った暗い部屋の中で、私はじっと天井を見つめていた。その向こうにあるかも知れない偽月を想像しながら。一晩中。祈るように。

 偽月は美しいと、見た者は誰もがそう言う。それは決して記録に残らない、人の心の中にだけある美しさだ。町の人々は、そして熱心な観光客は、その美しさにうたれ、ともに同じものを見た喜びを語りあうため、真夜中に四つ角に集まって空を見上げる。

 私もそこに入りたかった。部屋の窓を開け、屋根づたいに移動し、雨樋に手をかけて、慎重に、だが決然と、路地に飛び下りる。走って、走って、とうとう四つ角までやってくる。私を見つけた友達たちが、天頂を指さして「ほら、すごくきれいだよ」と口々にそう言う。私は夜空を見上げる。天頂を見上げる。「うん。本当にきれいだよな」そのためになら何を捨てても惜しくないほどに。

 初めて出会ったあの日、ナラ先輩は言った。「よし、偽月を見せてやる。約束だ」

 偽月。存在するという客観的な証拠は何も残らないのだが、大きさや色や位置に関する証言が一致することから考えても、人々がみな同じものを見ていることは明らかだ。幻覚や錯覚のたぐいではない。ナラ先輩も、アノ研もそうだ。あのオカルトブームも、それを言うなら青春そのものが、偽月なのだ。

「うん。本当に楽しかったよな」

 懐疑主義者はその存在を認めないかも知れない。だが、確かにあのとき、私はそこにいて、あなたたちとそこにいて、ナラ先輩もそこにいた。あの最高の夏。決して忘れることのないわずか半年の活動。かなわぬ夢のように楽しかった日々。先輩は約束を守ったのだ。私はあなたたちと共にずっと見ていた。天井のはるか向こうを。偽月を。



超常同人誌『Spファイル』7号に掲載(2009年8月)
馬場秀和


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