聞きたまえ。
私が若かったころ・・・今を去ることSF大会5回前、SFマガジン53冊前。
私は大阪に住んでいて、そこで山口睦人という男に出会った。二人とも、SF好きの高校生だということだけが共通点だった。他に何か共通点が必要だろうか。
彼は将来、第1回 広島SF大会"HIROCON1"の事務局長になるのだが、むろん、そんなことは誰も知らなかった。
その他いろいろ。
高校卒業後、山口睦人は広島へ、私は東京へ、それぞれの道をそれぞれに歩むことになった。
東京に出てきた私は、堅気の大学生になった。SFからは、足を洗ったのだ。
もっとも、全くSFと無縁とは言えないだろう。SF研の会員だし、週にまあ2、3冊ならSFを読むし、日本SF大会に参加したり、ファンジンにSFを書いたりもする。だが、決して、SFファンとか何とかのいかがわしい者ではない。
だがしかし、1962年に関西で生まれた者には、ある種の呪いがかけられている。
私は"HIROCON1"に参加するはめになり、気づいた時にはスタッフになっていた。
ここに記すのが、その顛末である。
山口から"HIROCON1"参加の勧誘がきた時、私は大いに迷った。なんとならば、今年は卒論やら就職やら現実界総攻撃の年で、そのため全国大会 "EZOCON II"への参加を諦めたばかりだったのだ。
が、ここで悪魔の誘惑が私を襲う。・・・まあ、ほんの少しぐらいSFしてもいいじゃないか。学生最後の夏だからな。
結局、私は誘惑に負けて、とりあえずSFセミナー'84 と第6回SFショーと新潟SF大会"GATACON IX"と、そして広島SF大会"HIROCON1"に参加申し込みをした。
そういうものだ。
SFセミナーが終わったころ、山口睦人から手紙が来た。
内容は、野田昌宏さんからNASAの記録フィルムを借りて、広島まで持って来てくれ、ということと、下宿に泊めてやるから大会数日前に広島に来て、ごく軽い手伝いをやってくれないか、というものだった。
私は、フィルムの件はともかくとして、“ごく軽い手伝い”(ライトスタッフ)などやるつもりはなかった。ライトスタッフというのはSFファンダムの隠語で、“(しばしば重労働を伴う)雑用担当、下っぱ、責任とらされ係”を意味する。
私は金を払って参加する一般参加者なのである。いかなる意味においてもスタッフに協力する義理などない。
1984年8月8日、かがみ☆あきらさん急逝。
8月12日、第6回日本SFショー。
SFショーがはねた後、私は後片づけでドタバタやっている楽屋へ行き、野田昌宏氏に会い、そのまま氏の車に便乗して(あ。今ふと思ったが、あれがひょっとしてシャンブロウX号だったのかも)日本テレワーク社へと向かう。
野田さんがロッカーを開けると、NASAの資料がどっさり。SFマガジンのコラムで有名になったアレである。感動である。4本のフィルムが選ばれ、手渡された。
野田氏にお礼を言って、外へ出た。すでに日はとっぷりと暮れ、夜の気配が広がりつつある。とはいえ、猛暑は消えようとはせず、どろりと重くたゆたって、どこへ逃れようもなく全身を包みこむ。じくじくと染出る汗にまみれながら、私は星を(正確には高層ビルの点滅ランプを)見上げて、決意を新たにした。おおしっ。何が何でもこのデータを銀河パトロール隊本部、じゃなかったHIROCON1へ届けるのだ。
フィルムは、ずしりと重い手応えがあった。
数日経過しても、やはりフィルムはずしりと重い手応えがあった。感動が消えても、質量は消えないものだ。
16ミリフィルム4巻は、決して軽い荷物ではない。はっきり言うと、かなり重い。とても重い。すごく重い。
うう、まっすぐ歩けん。暑い。ひたすら暑い。汗が噴き出し、通ったアスファルトに濡れた跡を残してゆく。しかし、すぐに沸騰して水蒸気になってしまう。
アスファルト自体が溶けて、立ち止まったが最後、ずぶずぶと足が沈んでいく。これが、かのタールピットか。
歩き続けねばならない。激しい陽炎で何も見えない。熱気が吹きつけてくる。人体の自然発火点は何度だっけ。華氏451度か、違う。
広島は遠かった。
東京を出発してから3日後、私はようやく広島市内に入ることが出来た。この時点で、すでに体力と気力は尽き果てていた。
とりあえず、山口へ電話をかける。嫌な予感がしたからだ。と言うのも、先日読んだ大阪SF大会"DAICON IV" アフターレポートなるものに、SF大会前日、いや当日に至るまで修羅場が続いたなどと記してある。
「おうっ。馬場か。ええとこへ来たな。いや今最後の追い込みでひどい修羅場っとんや。人手が足りんからすぐ来て手伝ってくれ」とか何とか、もし山口がそう言ったなら、私はためらわずに到着を1日、いや2日延期する気だった。修羅場に巻きこまれてなるものか。そんなものはスタッフに任せておけばよい。私は、一般参加者なのだ。
が、山口の返事は次のようなものだった。
「今エンディングアニメを作っとるとこや。それももうすぐ終わるし、明日は1日空いとるから、ゆっくり広島案内したってもええぞ」
鳴呼。何と立派なスタッフ達だろう。SF大会2日前にして、すべての準備を完了させるとは。(それが当然だと思う人は、SFファンダムについて何も知らないのだ)
おまけにエンディングアニメ。"DAICON III"以来、SF大会のためのオープニングアニメーション制作は珍しくなくなっているが、それにしても小規模な地方大会(ローカルコン)のために、オープニングのみならずエンディングアニメまで制作するとは。偉い。
私の広島人、少なくとも広島在住SFファン達に対する評価は、一気に6デシベルは上がったのであった。
1984年8月16日、午後5時。私は山口睦人の下宿に到着した。見ると、数人のスタッフらしき人々が何やら紙を切っている。うず高く積まれた、手の平ほどの紙の山を見て、私はこう尋ねずにはいられない。
「何や、これ」
「それか。エンディングアニメや」
「・・・」
私はアニメーションの正確な定義は知らない。が、それはアニメにはとても見えなかった。パラパラ漫画としか思えなかった。いやそれはパラパラ漫画以外の何物でもなかった。
「それ閉会式で皆に配って、自分でパラパラめくってもらうんや。ええアイデアやろ」
「うーん。なるほどねぇ。ウケるよきっと」
私は失望を顔に出さないように、大げさに感心してみせた。
「それで、その、オープニングアニメの方は、あー、つまり、まともな出来なんやろな」
「何の話や」
「そやから、オープニングアニメ・・・」
「んなもん作っとらんわい」
エンディングアニメがある以上、オープニングアニメは当然存在すると信じて疑わなかった私を、誰が責められよう。
さて。夏、それも記録的な猛暑の真夏。安下宿の一部屋に、10人近い人間が閉じこもって仕事をしていると想像してみて欲しい。もちろんエアコンはない。
いいですか。想像しましたか。よろしい。では、もう、いちいち暑さの描写はしない。暑い、と書けば今の想像をくり返すように。
夜になった。スタッフ達も仕事を終え、三々五々帰っていった。残った数人のうち、このレポートの中で重要な役目を果たすことになる人物を紹介しておこう。水足博臣さん、である。
彼はスタッフでも何でもない一般参加者なのに、SFクイズの司会をやることにされてしまい、おまけに問題まで自分で作るはめになった可哀相な人だ。
とにかく問題作成から司会まで、すべて一介の参加者に任せっきりにしてしまうというこのやり口に、2日前にして準備を終えてしまった秘訣を垣間見ることが出来るだろう。
私は水足さんに同情した。が、それはあくまで他人事に対してであって、自分も同じ目にあうなどといった事は全く考えなかった。「仕事は全部片付いた」という山口の言葉を信じていたのである。何と愚かなことか。これが「仕事は全部他人任せにしてある」という意味であることぐらい、水足さんの例を見て少し考えれば分かったはずなのに。
本当に仕事が終わっているのかをチェックしてないこのずさんな管理体制が、後に破局を招きよせ、私も巻き込まれることになる。
電話のベルが鳴った。それこそ破局の始まりを告げる運命の電話だった。
山口は受話器を戻すと、こう言った。
「えらいこっちゃ。今日泊亜蘭先生が来れんようなった。そん代わり小松左京さんが1日だけ来るそうや」
一瞬。ほんの一瞬、私は喜んだ。そりゃ、今日泊さんが来られないというのは残念だが、しかし、小松左京さん、もう誰が何と言おうと、あの小松左京さんである。近頃では全国大会にすら来なくなっているのに、ひょっとして地方大会に来るのは初めてではないだろうか。快挙だ。
祝いの言葉を述べようとした時、周囲の人々の蒼白な顔色に気づいたのだった。
次の瞬間、私の笑顔もひきつった。それが何を意味しているかに遅ればせながら思い当たったのだ。
まず今日泊さんの出る企画は全てボツである。小松さんのための企画を大急ぎで作らねばならない。その内容と担当者を決め、うち合わせをする。その結果を小松さんに話して了承を得る。それから全スタッフに知らせ、参加者にその旨を知らせるビラを刷り、プログラムの改訂版を作って印刷し、当然スタッフの当日割り振りも変更だし・・・それから・・・。
それを一日でやってしまわなければならないのだ。不手際でもあろうものなら野田昌宏さんの顔をつぶしてしまうし・・・げげっ。「さよならジュピター」をコケにする企画があった。うわわ、SFマガジン編集部の阿部毅さんと顔会わせても大丈夫だろか。あべしっ。小松さんの息子さんも参加者だった。たわばっ。
こうして、今晩はゆっくり寝られるぞ、という私の期待はもろくも崩れさった。
山口は必死であちこちに電話をかけまくる。スタッフ達と私はタイムテーブルを囲んで討論。
「小松さんの企画はここへ入れるとして、問題は“ごめんねジュピター”だ。小松さんが来たらえらいこっちゃし」
「盗まれた手紙。これや」 私が提案する。
「この企画、メインホールに移して大々的にやる。さすがの小松さんも気づくまい」
無視された。
「で、次の問題は、ハヤカワの阿部さんと小松さんが出会ってもいいのだろうかという」
「あっ。それええ考えがある」 これも私。
「阿部さんに突撃インタビューしてもらうんや。例の問題について。で、SFマガジンにレポートを載せてもらう」
皆この妙案に感心したが、検討する素振りすら見せなかった。
「えーっ結局、小松さんの企画は“日本のピラミッド”について話してもらうしかないやろな。もう準備しとる暇もないし」
「あっ、そう言えば」 また私が口を出す。
「小松さん、今サンデー毎日の“日本のピラミッド捜し”をやってるんやろ。それが何で広島へ来とるんや?」
しんっ。気まずい沈黙が広がる。自らの無知をさらけ出してしまったことにまだ気づかず、皆同じ疑問を感じているんだな、と私は一人納得していた。山口が優しく言う。「馬場。お前もう寝た方がええぞ」
長旅で疲れた私のことを気づかってくれてるのだ。ありがたく忠告に従うことにした。
眼が覚めると、すでに昼。日ざしは高く、気温はさらに高い。今日も暑くなりそうだ。
水足さんは、まだSFクイズの問題を考えている。何でも、当日は女子高生のアシスタントがつくそうで、それはうらやましいと言うと、いやそれが、今日に至るまで連絡がつかない、打ち合わせは当日になりかねん、などと愚痴る。
「まあSF大会やし、これで普通やないかな」
「当日まで打ち合わせんのは異常じゃ。それ普通と感じる方がどうかしちょる」
SF大会なんて、所詮どうかしちょるもんだと思うのだよ私は。
で、SFクイズを二人で考える。そこらに積んである本の山をひっくり返してネタを探す。竜の卵の質量。“ヴァリス”の意味。プッシャーのヒロイン。コードウェイナースミスの本名。サンドキングスの生態。どうも、ネタは多いけど、おもしろ味に欠ける。全部ボツ。
小林広昭が来た。何を隠そう、彼は私の親友だったりする。わざわざ神奈川からノコノコ前日にやって来たのは、むろん私が呼んだからだ。困ったときは他人を引きずり込んで道づれにしてしまうこと。
彼については、あえて何も書かない。とにかく、小林を引きこんで、クイズの問題を作り続けた。
え~と。雪風のシリアル・ナンバーは何番だったっけ。確か、8・6433。ちゃうちゃう、そりゃ「ほうけ頭」の番号や。
私は小さな事がえらく気になるタイプである。手元に本がなく分からないというのが許せない。「よし」立ち上がって宣言した。「これから雪風のシリアル・ナンバーを調べに行く」
「FAFまで取材に行くんか」
「いや、本屋で調べる」
小林と私は、スタッフの一人に案内してもらって調査に出発した。水足さんはパスしたが、当然だと思う。この炎天下、クイズ一つのために外に出るという方がどうかしている。
近所の本屋へ行く。雪風どころか、そもそも早川文庫が置いてない。もう一軒回るが、やはりダメ。広島駅の大きな本屋へ行く。それでもない。他に本屋はないのかと案内者に尋ねると、あるにはあるが、うんと遠いという答え。
しかたなく引き返す。広島には文化がない、という仮説について真面目に議論する。
山口の下宿に戻ると、何やらスタッフが集まって急がしそうに仕事をしていた。
もっと正確に表現するなら、仕事をしようと努力しながら、猛暑のため、半裸でゴロゴロと死体ぶりっこしていた。
それにしても暑かった。何をする気力も起きない。我々も床にベッタリ張りついて、ただ夜になって気温が下がることを、それだけを祈りながら、じっと耐えていた。水足氏と安藤氏は、クイズの小道具や賞状なんかを作っていた。タフな人々だと思う。
いずれにしても、今度こそ準備は整ったらしかった。もうすぐ野田さんや小松さんとの夕食会の時間で、そこで最後の打ち合わせが行われるわけだ。だが、それはスタッフの仕事である。我々、一般参加者は解放されて、今夜こそゆっくり眠れる。もう昨晩のようなトラブルはご免だった。
「夕食会へ行く前に決めときたい事があるんや」 山口が言い出す。
「何や」 私はぼんやりとそう尋ねた。暑さと睡眠不足で頭は消息不明だった。
「オープニングの企画が何も出来とらんのや。今から大急ぎで考えなあかん」
頭がパイナップルだった私には、彼の言葉が理解不能だった。もしかしたら、理解したくなかったのかも知れない。
「何が何だって」
「開会式の企画が出来ていない」
「準備、じゃなくて企画が・・・?!」
前日の、それも夕方になってまだ開会式の企画がない?
嗚呼、これがくじらの背中に旗三本でなくて何であろう。
「いっ、今から企画を立てるのかぁ」
「オープニングのない大会をやるのは気が進まん」(ごもっとも)
「何で今までほうっておいたんや」
「準備しとった企画がボツになったんや。で、誰かが代わりの企画を立てるだろうと皆が思っとったらしい。さっきそれが判明した」
緊急企画会議。
第一案:「ごめんなさい」
内容:実行委員長が、台上で一言「ごめんなさい」と言って、スタッフと共に広島から逃げる。
悪くないアイデアだが、それは最後の切り札ということになった。もっとも、この案を真剣に検討するあたり、この時の我々の気持ちが分かるというものだ。
「なあ、山口。今から新しい企画立てるんはちょい無謀ちゃうか。その、ボツになった企画はどんなんやねん」
「聖火ランナーが北海道から走って来て、点火するんや」
「タイムリーじゃな」 この時、ロス・オリンピックが終わって一週間目。
第二案:「聖火ランナー」
内容:先月開催された"EZOCON II" で聖火を受け取ったランナーが、1カ月かけて北海道から広島まで走って来た、という設定で点火式を行う。用意周到なことに、某スタッフがEZOCON II に行く際、途中の各地で聖火ランナーの写真をとっている。これを会場に並べて疑似リアリティを醸し出す。
「いいアイデアやと思うけど。写真まで用意してんのに何でボツになったん?」
「北海道で荷物ごとカメラを盗まれた」
「・・・」
第三案:「広島昆布即売会」
内容:広島昆布の袋には、ひろこんと書いてある(とのことだ)。そこで、「本日はどうもお忙しい中、ひろこん、広島昆布即売会にご来場下さいまして、ありがとうございます」と言って昆布を売る。
「いまいちじゃな」
「昆布だけやからや。ヒロコンと名のつくもんを三つぐらい並べて売ればウケると思う」
「広島こんにゃく」
「広島コンクリート。広島コンタクトレンズ。広島コンセント。広島コンデンサ。広島コンパス。広島コンビーフ。広島コントラバス・・・」
「う~む。昆布・こんにゃくとくれば次はオチの部分だからなぁ。どれも落ちてない」
その時、小林がつぶやいた。「広島コンドーム」
「それや!! オチがついとる」 やんや。
「じっじゃけん、参加者の1/4は女性やし、女子高校生も多いんやぞ。ちょっと差し障りが・・・」 これは水足さん。
「大丈夫。今日びコンドームを知らん女子高生なんかおらん。心配やったら、台上で息を吹き込んで膨らますとか・・・」
「ヤマト糊と水を入れとくとか・・・」
「やはり本物の使用済を持って行く方がインパクトが・・・」
「で、即売会やる人は当然馬場君であると」
「いや、あのね。ぼくはただの一般参加者やし」
「甘い。ここにいる人間は、ほとんど全員が一般参加者や」(それがそもそも問題なのだ)
私は無言で事務局長たる山口睦人を指さす。
「そろそろ夕食会の時間や。わし行ってくるわ」
山口はそう言って、そそくさと立ち上がった。これで企画会議は幕となった。
スタッフ達が出かけて行ってしまうと、何かこう、時間が空白化したと言うか、けだるい呆然とした空気が部屋を支配した。一般参加者としては全ての義務を果たしたわけで(よく考えたら何がどう義務なのか不明だが)、後はスタッフ達の夕食会での打ち合わせ任せである。夜9時に山口が帰って来たら、スタッフミーティングで決定した開会式の内容を聞き、今夜はもうどうせ準備は無理だろうから早めに寝て、明日は明日の風とばかりぐっすり熟睡すればよい。
今までずっと大騒ぎだっただけに、何もすることがなくなると、何か手持ちぶさたで落ち着かない。恐ろしい事に、たった1日で私の身体にもスタッフ症状が現れ始めているのだ。
「ホンマに明日が大会当日なんかいなぁ。実感ないなー」 誰かがえらく生々しい事を言う。まぜっ返す奴もいる。
「本当に明日になれば大会初日が来るんでしょうか。ひょっとして、昨日も、一昨日も、いやずっとずっと前から、我々は大会前日という同じ日の同じドタバタをくり返し続けているとしたら・・・どうなんでしょうね。先生」
「さあ、・・・やっぱ責任とるしかないんちゃう?」
午後9時を回った。山口はまだ帰って来ない。多分、打ち合わせが延びてるのであろう。前夜になって開会式の内容を決めるのだから、まあ無理もないか。
残っているのは、水足博臣氏(クイズの準備をまだやっている)、安藤治氏(手伝っている)、小林広昭氏(何もしとらん)、馬場秀和(暑さに耐えている)の4人だけ。
10時を回るころには、4人ともじっと黙って山口の帰りを待っていた。しん、と静まった部屋に、ただ扇風機の首を振る音だけが空ろに響く。じわじわと汗がしみ出す。時おり水を飲み、じっとしている。また汗が出てくる。
沈黙に耐え切れず、私は口を開いた。
「なあ。あそこにあるパラパラま・・・エンディングアニメ、放ったらかしといてもええんか」 切りもせず、単に床に山と積んだままの紙束を指す。
「ああ。あれボツや」 安藤氏がボソッと言う。
「ええっ。何でや」
「見本作ってみたら、紙の大きさ揃ってなくて、全然パラパラめくれんかった」
私はため息をついた。
夜も11時を過ぎた。山口はまだ戻らない。
「事故でもあったんやろか」
「それなら電話があるやろ」
「きっとまだ開会式の打ち合わせが続いとんや」
「ひょっとして、スタッフ達、今オープニングの準備やっとんのとちゃうか」
「まっさか。夜中やで」
「じゃけん、今からやらんと間に合わんような企画かも知れん。手伝いにいかんと悪いかも」(水足さん、あなたはあまりにもお人好しだと思う)
「やっぱり夜中に一般参加者に仕事させるわけにいかんと思ってるんかな。山口の奴」
「まあ、向こうから何か連絡あるまでは、どうしようもない」
じりじりしたまま時の過ぎるのを待つ。睡眠不足のせいで、私は眠くなってきたが、耐えた。山口さえ帰ってくれば安心して寝られるのだ。早く帰って来い、山口睦人。
そろそろ大会当日になろうとするころ、下の方でガタガタ音がし、階段をドスドス上ってくる気配。帰って来た。ついに。
「お帰り。オープニングの企画どう決まった?」 私は叫んだ。
次の瞬間、山口睦人は私が考えていてたよりずっと大物であることを示した。
彼は平然と、まるで当然のように、こう言い放ったのである。
「なーんも考えとらん」
その時の事を回想すると、不思議なことに、この破局に対して私は思ったほど動揺しなかったように思う。感じたのは、果てしない脱力感であって、ショックでも絶望でもなかった。
おそらく私は心の底でこの事態を予想していたのだろう。山口とのつき合いは長いのだ。
他のスタッフがゾロゾロ見舞いにやって来ては去って行った。だが、どうしろというんだ? 前日の夜中になって事務局長が「なーんも考えとらん」有様で。
訂正、もう当日だ。
私は何もかも忘れて眠ろうと思った。"HIROCON1"は史上初のオープニングなし大会になるだろう。それが私の責任か? そもそも、私は金を払った一般参加者なのだ。(忘れがちだが)
もし、その時、野田昌宏氏が下宿を訪ねて来なかったとしたら。私は本当にそうしただろうし、そして、いささかの自負をこめて言うが、"HIROCON1"のオープニングは、あれとは違ったものになっていただろう。
しかし野田大元師が真夜中1時過ぎに、我々を激励する、ただそれだけのためにスタッフの下宿へ顔を出した事。私は本気で感動していた。
スタッフがどれほど野田さんの恩恵を受けているか。野田さんがどれほど親身になってくれたか。山口の話で薄々知っていた。考えてみれば、小松左京さんを連れて来てくれたのも野田さんだし、それに・・・。
私は、パラパラ漫画の残骸の中に半ば埋もれかけているNASAのフィルムを見やった。
もう義理があるとかないとかじゃない。あのフィルムを貸してくれた野田さんに対して、"HIROCON1"を成功させなければ申しわけないじゃないか。
この時点で、部屋には5人しか残ってない。山口・水足・安藤・小林・馬場の精鋭部隊である。何の精鋭かはともかくとして。
午前2時を過ぎた。私の手には1枚の紙があった。ブレイン・ストーム、いやブレイン・ストーミングの結果である。
ごめんなさい、聖火ランナー、広島昆布に加えて、新たに出てきたアイデア。
いきなり閉会式、突然ウラコンの開会式、なぜかチャンドラー氏追悼会、といった比較的まともな案。全員、原爆音頭で盆踊りといった過激なこと秘孔をつかんばかりの案。とりあえず酒盛りとかお見合いとか訳のわからん案。
だが。「常識」や「公序良俗」の枠をはめ、さらに「10時間で準備できる」という条件(これが厳しい)をつけると、ほとんどの案は死んでいった。
残ったのは、聖火ランナーと、電話あいさつであった。
「来られなかった今日泊さんにね、電話で挨拶してもらって会場に流す」
「あっ。道原かつみさんにもヤラセで挨拶してもらお」
「道原さんは隠れゲストとして会場へ来るんやろ」
「そこがヤラセ。ホンマに来られへん今日泊さんと、来てるのに最後まで紹介しない道原さんが続けて電話で挨拶するんや。道原さんに一階の公衆電話から大広間へかけてもらって、会場不在証明を作っちゃう」
「よし決定。で、3人目は」
「何で3人目が必要なんや」
「いや、何にせよ3人目が必要やろ」
「君はラーマ人か」
「まあまあ、祝電話が届いたとか言って大げさに盛り上げといて、時報流すというのは?」
「う~ん。タイミングが難しい」
「ほな、どうすんね」
「え~と。会場に来てない有名人で・・・」
「会場どころか、この世におらん人がいい」
「・・・あっ。チャンドラーさんか」
「そうそう。彼が広島来た時の宴会テープを流す」
「それで開会式の終わりっと。よしよし。整理するぞ。まず、開場は12時。12時半から館内放送で聖火ランナーの説明とアナウンス。1時、聖火ランナー入場。点火式。実行委員長あいさつ。小松・野田、二大ゲストあいさつ、地上最大の決戦。電話による今日泊・道原・時報・チャンドラー挨拶、と」
「大体決まったな。んじゃ、聖火ランナーの細かい手順決めよう」
「まず放送だけど、誰がやんの」
「神田賀代さん」
「かんだかやさんって。ああ。クイズ大会のアシスタントやる女子高生。でも、いきなり原稿渡して、はいこれアナウンスしてって出来るもんかな」
「大丈夫。心配せんでええ」(このセリフはこれまで何度も聞いたのだ)
「本当かなぁ。まっ、リハーサルやるし。じゃ原稿書こう」
「わし書くけん」 水足さんが紙を広げる。
「まず聖火ランナーが会場に接近しつつあるというアナウンス。思いつくまま言ってみ」
「大型で強い聖火ランナー13号は、依然として勢力をおとさず日本列島に接近しつつあり・・・」
「このまま進路を変えなければ、本日昼すぎには広島に上陸する可能性が高くなりました」
「・・・では、広島駅から中継します。広島の安藤さん・・・」
「はいはい。安藤です。ここ広島駅前では、聖火ランナーの接近に伴い、しだいに、えっと」
「市民の風当たりが強くなり」
「そうそう。市民の風当たりが強くなり、白い目もパラつきだしています。駅前商店街も、店を閉める姿が目立ってきました」
「朝、録音に行こや。セリフもその場で録音しちゃえばいい」
「それでえーわ。んで、聖火ランナーが会場に近づいて来た時のアナウンス」
「あっ。聖火ランナーが新亀万に手をかけましたっ。もうこの放送も終わりのようです。さよなら。皆さん、さようならーっ」
「ちょっとやりすぎ」
「ロス・オリンピックの男子マラソンときの興奮アナウンスをそのままやるっちゅうのは」
「できるんか」
水足さんは、あと10m、あと10m、がんばれっ、ぐわむばれっ、せこっ、というのをやってみせた。本物より上手だった。持ち芸は身を助ける。
「できた。で、水足さんのがんばれ連呼の後、あと3mあと2mちゅうのフェイドアウトしていって、そこでキューを出すと、待ち構えてた聖火ランナーが階段をかけおりてって参加者の中をつっ切って走って、舞台にかけ上がって・・・何に点火しよう?」
「う~む。何かこう、でかくて威厳があって、しかもウケるもん・・・」
我々は顔を見合わせ、同時に叫んだ。「小松左京!!」
「えと小松さんに点火するのは、ちょい過激じゃけん、あの人のくわえた煙草にしょ」
「聖火ランナーが舞台に上がる。と、さよならジュピターのテーマ、じゃ~んじゃーじゃじゃじゃあ~んが流れて小松さんが出てくる。で、聖火ローソクで煙草に火をつけ、小松さん深々と吸って、ぶはぁーっと景気よく煙を吐く。拍手拍手拍手と。できあがり」
「よしよし。んで、聖火ランナーの役は誰がやる?」
誰も猫に鈴をつけようと言い出す者はいなかった。
「まっ、その役は直前までに考えりゃ・・・」
「そだな。うん」
「あははっ」
「わははっ」
「んじゃ、もう朝の4時やし、少しでも寝とこ。7時ごろ起きて録音に行って、8時には会場に着いて打ち合わせとリハーサル。リハーサルは3回はやりたいな」
ふと眼が覚めた。睡眠不足特有の頭痛と吐き気、そして全身のだるさ。無理もない。東京を発って1週間、まともに眠った日がないし。そうだ、今晩は合宿だからまた寝られん。死にゃせんかなぁ。今何時、9時か。
とび起きた。9時だって? オープニングまで4時間。うそだろー。何でみんなまだ寝てんだよー。朝早く録音して、三回はリハーサル・・・。とんでもない。リハーサルどころか、本番すら。
「どーすんだよ。あと3時間半やぞ」
「あせってもしゃーない」
何かそう言われると、馬鹿々々しくなってきた。一般参加者の私が何であせらにゃならんのだ。私はよーするにフィルムをフライデイのごとく届けた時点で、仕事は終わっているのである。
支度をして階下に降りると、下宿の大家さんが何やら嬉しそうに地元の新聞を見せてくれた。何でも、まさに今日、広島で文化イベントが開催されるそうだ。全国から若者が集まって、文学やら何やらについて語り合い、偉い先生方の講演なんかも聞けるそうで、講師には小松左京先生や梶尾真治先生が予定されているとか。そんな立派な催し物ならぜひ参加したかったが、不幸にも、私はこれからSF大会に行かなきゃならんので、涙をのんで諦めた。
タクシーを降りると、そこが会場だった。とりあえず荷物を置いて座る。もう立ち上がる気が失せてしまった。
スタッフ達は急がしそうに歩き、走り、叫び、わめき、うろたえ、混乱し、上がり、下がり、回り、飛び、笑い、怒り、あせり、つまり、準備をしているようだった。誰もオープニングのことなど気にしていない。自分の仕事で手一杯なのだ。
私は呆然と座り続けていた。何をすべきか分からなかったのだ。私だけを残して周囲は高速回転し、大急ぎでしなければならない事があるのに、頭の中が空白でそれが何だかどうしても思い出せない。よく夢の中で感じる状態だ。
とにかく何かやらなきゃ。仕事しているうちに死んだ頭も復活するだろう。
私は4人の仲間を捜した。水足さんは自分の企画の方で急がしいから、オープニングの用意は残り3人と協力してやるしかあるまい。えっ。山口がいない?! あっそか。あいつは事務局長やった。あっちこちに連絡に走りまわっとるんや。
仕方なく私は安藤さんと小林を捜した。その結果、二人は行方不明だということが判明した。
私は一瞬迷った。このまま外へ出て、飯でも食って1時前に堂々と参加者として会場へ入り、「ごめんなさい」を見物しようか。
どうせそんなことは出来ないのは良く分かっていた。それができる人間なら、ここにこうしてはいないさ。ええ。どうせどうせ私は。
目をつぶり、心を落ち着け、何をなすべきかリスト・アップしてみた。
何か吐気がこみ上げてきた。考えてみれば、この企画はできたばかりで、まだ何の準備もやっていないばかりか、そもそも実行可能なのかどうかの検証すら、ろくにやっとらんではないか。
10人くらいの人手があって、3日間、いやせめて1日の時間があれば、準備できる可能性はあると思うが・・・。実際には、手が空いてるのは私1人。タイムリミットは、2時間半。
神田賀代さんを見たとき、私はこう思った。まるで、ランちゃんのコスプレをしている新井素子さんだと。まっ、それはともかく、彼女に原稿が渡ったことを確認してから、たまたまそばにいた人をつかまえて、水足さんと二人で口説いて、聖火ランナーの役を押しつけてしまう。ついでにローソクを買ってきてもらう。ランニングに着がえて、頭から水をかぶってもらう。もう何でもやってもらう。
ロビーで旅館の人に頼み込んで、マイクを全館放送につないでもらう。あーっ、あーっ、ただいまマイクのテスト中っと。よし。大丈夫。え、ゴホン。大広間の人、この放送が聞こえますか。
階段をかけ降りる。大広間で作業をしていた人々は、聞いていた。よしよし。そこにいた音響係らしき人に、オープニングの説明をする。聖火ランナーが入場する時、炎のランナー。小松さんが立ち上がった時BBJ。司会者の説明のあとチャンドラーさんのカラオケ。大丈夫大丈夫テープはちゃんと用意してあるから(むろん用意されているかどうか私は知らない)。あと、上の階からこの電話にかけるから、ピックアップして増幅して、スピーカーから流せるようにしといて。えっ、何、そりゃ君の責任だよ。
一参加者の私は、忙しいスタッフ達に次々と仕事を押しつけていった。
ロビーわきの管理室へズカズカと入りこんで、旅館の人に尋ねる。外部からの電話を地下に回せるだろうか。返事はイエスだった。この管理室のダイヤルで外に電話し、つながったらこのプラグをこのジャックに差しこめばよい。会話は、このヘッドホンでモニターできる。で、開会式が始まってから私がここへ来て、作業してもいいでしょうか。ありがとうございます。あっそうそう一人ゲストの方が1時までに来ないかも知れないんで、その時はえとこの旅館の代表の方にあいさつしてもらいたいんですが。おねがいします。よろしく。どうもどうも。
畳みかけて無理な注文を通す。
私は走り回り、わめき続けた。立ち止まったが最後、倒れてしまうに違いないと思った。正気を保つために走り続けた。睡眠が足りない。
小林と安藤さんが帰って来た。やはり録音に行っていたという。広島駅は遠いので、近くの路面電車の駅へ行ったそうだ。
「それにしちゃ遅かったな」
「まず商店街へ行って、電池とマイクの接続コードと、生テープを買うことから始めた」
「・・・」
忘れてた。今日泊さんに電話しなきゃ。どうか自宅にいますように。えと電話番号は、と。山口、こら。今日泊先生の電話番号は何番や。
「んなもん、ワシ知らんで」
「知らんって、お前事務局長じゃろが」
「電話番号メモは他の奴が持っとんや」
「じゃ、そいつはどこにいる?」
「行方不明」
ええい。何で皆して行方不明になるんじゃ。私は、電話のそばでウロウロうろうろ行ったり来たりしていた。早く電話しないと、あああ。
すごい形相で電話の周囲をぐるぐる回っている私の姿が、よほど異常だったのであろう。「どうかしましたか」と野田さんが声をかけてくれた。大元師ではない。スタッフの野田恵里子さんである。あ。あんたひょっとして今日泊亜蘭先生の電話番号しらんか。
「知りません」 ま、普通知らんわなぁ。
「スタッフの中に、必携SF手帳を必携してる人おらんかな」
「いないと思いますけど」
多分そうだろう。あのSF手帳はいつも肝心なときに決して見つからないのだ。
あああっ。今日泊さんも道原さんもダメならもうどーしょーもないよぉ。
その時。山口が声をかけた。
「メモ帳みつかったぞ。ほれ」
次の瞬間、私の手に小さなメモ帳が渡った。ええっと、きっきっきっ今日泊。あった。
「私かけましょうか」 恵里子さん、あんた女神様だよ。
「おねがいします。とにかく、1時すぎに電話しますということと、その時、会場の参加者の皆さんに挨拶して下さい、ということを伝えて下さい」
ダイヤルを回し始めた恵里子さんを見ながら、私は次に起こることを予期していた。30秒ほどの静寂。ゆっくり受話器を置く恵里子さん。こちらに振り向いて、今日泊さんは外出してるようです。メモ帳を無表情に受けとって、トイレに入る私。目をつぶって、静かにメモを引き裂いて・・・。
ガチャン。やけに大きな音がして、百円玉が吸い込まれる。信じられない。回線が通じたのだ。
「あ。もしもし、今日泊さんのお宅ですか。ヒロコンのスタッフの野田と申す者ですが」
通じた。やった。通じたよ。信じられないよ。
彼女は受話器を置いた。こんな短時間で話が終わった以上、今日泊さんは二つ返事で引き受けてくれたに違いない。今日泊さん、ありがとう。野田恵里子さん、ありがとう。皆さん、ありがとう。
「どうでした」
「何も話さないうちにお金が切れました」
私はロビーへ走って、そこらにいたスタッフ相手にカンパをした。5、6枚の百円玉が集まった。全部電話器に放り込み、自分でダイヤルを回す。
「もしもし。今日泊先生のお宅でしょうか。ヒロコンの、ええとまあスタッフの馬場という者ですが。実はかくかくしかじかでして」
「ああ。さっきの電話もそうでしたか。いやこの時刻ごろには、よく女の人の声で広告や勧誘の電話がかかってくるもので、てっきりそうだと」
「ああ。なるほど。それで、うんぬんかんぬんなんですが」
「ええ分かりました。実はヒロコンへは、ぜひ行こうと思っていたのですが、あれこれどれそれ」
「あっ、あの、それは1時の挨拶の時にお願いします」
録音テープを聞き、アナウンスの手順を決め、ローソクで聖火を作り、電話とアンプの接続を確認し、到着した小松左京さんへオープニングの説明と依頼をし、水足さんや神田さんと最後の打ち合わせをしているうち、正午になった。開場。
ぞろぞろ参加者が入って来た。とりあえず、自分の手続きを済ましておこう。そう考えた私は、受付の女性に参加者No.50 の馬場秀和だと名のった。彼女は、ネームプレートを探して何やら困っている。
「どうしたんですか」
「あの。50番のネームプレートがないんですけど」
本当だ。登録者名簿には私の名前があるのに、プレートがないのだ。
「ネームプレートは余ってないんですか」
「スタッフ用のしかありませんが・・・。いいですか?」
とてもイヤな予感がした。
小林が言う。「小松さんにオープニングの説明したか」
私は、スタッフに頼んどいたと答えた。
「確かめた方がいいぞ」
「いちいちそんな事まで確かめてる時間ねーよ」
それでも一応と、小松左京さんに正しく話が伝わっているかどうか確認してみる。ああ、聞いた聞いた。舞台に上って、タバコに火をつけて吸うんだろ。
「いえ、あのですね。聖火ランナーというのがやって来まして・・・」と小林があわてて説明し始める。私はとても不安になった。スタッフ達にはキチンと話が伝わっているのだろうか?
「ヒロコン参加者の皆様にお伝えします・・・」
エゾコンで聖火を受けとった聖火ランナーが1ケ月かかって列島を南下し云々という例のホラ放送が始まった。私は驚きのあまり聞き入ってしまった。上手いのだ。素人とは思えない。神田賀代さん。あんた偉いよ。
この後、賀代さんは小松左京講演会、クイズ大会等で大活躍し、「私の愛したSF」に名前を書かれ、ついにはアクト賞を受賞するのだが、それはまた別の話。別のときにお話ししよう。
ここに至って時間は連続的な量子跳躍を開始する。
放送は10分おきに流れる。もう12時50分。開会式の準備が間に合わん。
「しゃーない。開会式を10分遅らせて、1時10分からにしよう」
私と山口はそう決定した。ただちに放送原稿に訂正が加えられ、あらゆる時間が10分だけ増やされる。録音しておいた安藤さんの実況中継が流れる。
1時10分。わーっ、間に合わんよぉ。
「しゃーない。開会式を5分遅らせて、1時15分からにしよう」
1時15分。やっぱり間に合わん。
「しゃーない。開会式を2分30秒遅らせよう。それでもダメなら、さらに、1分15秒遅らせて・・・」
すでにお分かりのことと思うが、このようにして締切りをのばしていっても、決して1時20分の壁を越えることはできない。(証明省略)
1時20分。開会式。水足さんは、マイクを握りしめて熱演。聖火ランナーが登場したらしい。階下のどよめき。とりあえず第一歩は成功したらしい。
その時。私は無人のロビーで受話器を耳に当てていた。
「ただ今から、1時、21分、40秒をお知らせします。ポーン。ただ今から」
そう。時報のジョークのため、腕時計を正確に合わせていたのだ。結局何の役にも立たなかった作業を、あれだけ苦労したオープニングも見ないで。私の人生を象徴しているようではないか。
今でも信じられないのだが、時計を合わすというこの単純な作業が、その時の私にはどうしてもできず、3分過ぎて電話は切れた。私は切れた受話器を耳に当てたまま、ぼんやりしていた。なぜこんな所でこんな事をしているのかよく分からず、おまけになぜこんな事ぐらいがうまく出来ないのかも分からなかった。
このとき、私の頭はほとんど死んでいたのだ。SFファンいうところの「アルジャーノンの更年期障害」というやつだ。
とにかく、私は思った、かけ直さなきゃ。117へ。時報へ。私はノロノロと財布を開いた。中には、5円玉が1つと、1円玉が3つ。なぜか、とても悲しくなった。
階段を降りてる最中、突然脱力感と目まいが私を襲った。ああ。アドレナリンが切れたんだな。はっきり分かった。がんばれ副腎(だっけ)。あと15分だけ。
大広間では、実行委員長の金子さんが挨拶をしていた。次に、小松さんと野田さん(恵里子さんではなく大元師)が挨拶に上る。
「俺、上で電話の交換やるから、ゲスト挨拶が終わったら、階段かけ上って教えてくれ」
小林にそう頼んだ。と、そのとき2人の挨拶が終わった。
私は階段をかけ上った。
管理室で、ヘッドフォンをつけ、ダイヤルを回した。今日泊さんが出る。
「かくかくしかじかです。ちょっと待って下さい」 プラグをジャックに差す。
「ええと。はい、これでこの通話は、会場に用意した大スピーカーにつながりました。今日泊先生、会場の皆さんに挨拶をどうか」
「ええと、ヒロコンにはぜひ参加したかったのですが、あれこれどれそれ」
私は今日泊さん挨拶を聞きながら、すべてうまくいったことにホッとしていた。
数分後、小林が飛び込んできた。
「何やっとんや。早よ電話せい。司会も間が持たんであせっとるぞ」
私は何がどうなってるのか分からず、ほうけたように小林の顔を見ていた。と、突然何がどうなっているのか分かった。冷や汗が出てきた。今日泊さんの挨拶はそろそろ終わりに近づいている。一瞬、お礼を言って通話を切ろうかと思った。が、私は目をつぶってこう言った。
「あのー。お話中すいません。実は、その、当方の手違いで、今までのお話は会場に流れてなかったもので。それで、あの、すいません。もう一度始めからお願いできますか」
世の中にこれほど失礼な話もあるまい。今日泊さんが怒って電話を切っても、文句は言えない。結果として、ヒロコンの開会式はパーになり、野田昌宏さん、金子誠さん、その他大勢の顔がつぶれ、スタッフは今日泊さん宅へ謝罪に走り、私は星系外逃亡しなければならなくなるところだった。
しかし今日泊さんは(内心はともかく)優しく対応して下さった。私はプラグを引き抜き、ずらりと並んだ数多くのジャックを見て絶望的な気持ちになった。時計が合わせられない今の私に、正しいジャックにプラグを差しこむことなど、できるわけがない。今日泊さんはじっと待っている。どんどん時間は過ぎてゆく。
旅館の人に助けを求めるはめになった。恥ずかしい。その間、会場の方では、野田昌宏さんがフォローして下さったそうだ。最後まで、あの人には迷惑のかけ通しだったような気がする。どうも、すいません。大元師。
大元師自ら会場の電話に出て今日泊さんと話をしたのだが、結局、声はスピーカーからよく出なかったらしい。後で小林から聞いたところ「霊界からの通信」のようだったとか。(失礼)
当然のことながら、道原かつみさんは到着せず、私は無断で予定を変更した。旅館の主人にマイクを渡して、あいさつしてもらったのである。こうなると思って事前に根回ししておいてよかった。
次は時報だった。会場で司会者が「ただ今、ヒロコンへお祝いの電話がかかってきました。こちらへつなぎます」とか何とか言い、私がタイミングよく接続すると、会場へ「ただ今から1時、45分、ちょうどをお知らせします。ピッピッピッ、ポーン」で笑いが起こる(はず)というわけだ。
だが。会場で何がどうなっているのか、私に知るすべは全くなかった。といってここを離れるわけにもいかない。小林あたりが機転をきかせて、知らせに来るのを期待するしかない。
旅館の主人があいさつを終えると、私は言った。
「すいません。会場に時報を流したいんですが。いえなに。ちょっとした冗談です。ええ。ほんの5秒、ピッピッピッ、ポーン、とだけ入ればいいんです。どれにプラグをつなげばいいんでしょうか。えっ。つながってるって。はあ。えーと。じゃ117に電話して、このスイッチをONにすればいいんですね。えっ、もうONですって。あっ、そうか。今まで挨拶してたんですからね。はは。そうかそうか。このマイクと会場のスピーカーはつながってるわけだ。はは。じゃ、じゃあ、今しゃべってるのも全部流れて・・・」
忘れよう。私は力なく階段を降りながらそう思った。何もかも忘れよう。
会場では、チャンドラーさんの歌声が流れていた。私は身体を半ば引きずるようにして楽屋へ入った。小林も安藤さんも、放心したような顔つきである。
終わった。私はくり返しそう思った。すべて終わった。だのに、残ったのは、まっ白い灰じゃなく、疲れ切った身体と死んだ頭。まあいい。終わったのだ。
もちろん、終わってなどいなかった。SF大会は始まったばかりだった。
それに、この時点では知るよしもなかったが、ヒロコンの終わった後に、私と小林は野田大元師に挨拶するため国際ホテルへ行こうとして、道に迷い、徹夜と二日酔いで再起不能となった身体で、炎天下の日ざしの下、広島の街をさまよい歩く運命にあった。さらに、その夜は山口の下宿で打ち上げ、翌日は長谷川正治先生や他のスタッフと一緒に厳島参り、と苛酷なスケジュールが待っていたのだ。
だが、この時はただ、何もかも終わった、それだけしか頭に浮かばなかった。反動が来た。貧血と吐気と頭痛と悪寒と筋肉の痛み。今まで無理をした分、おつりをつけて反動が来た。
しっかりしろ。私は自分に言いきかせた。やっとスタッフから解放されて一般参加者に戻れたんじゃないか。もう私はただの参加者。払った金の分だけ楽しめばよいのだ。
舞台では水足氏が、クイズ大会予選を始めていた。
クイズの第一問は「昨夜オープニングの企画を立てた時、スタッフは一人しかいなかった。○か×か」だった。いかにも水足さんらしい。どこがSFクイズなのか。私の頭はもうろうとしていた。このまま眠り込んでしまい、ヒロコンを何も見ることが出来なくても、金が惜しいとは思えなかった。
その時、スタッフの一人が話しかけてきた。
「すいません。手が空いてたら、クイズ大会の監視をやってくれませんか」
「はあ?」 私は間の抜けた声を出した。
「参加者がインチキをしないかどうか、舞台の上から見張るんです」
私は困惑しながらも、ノロノロと頷いた。私は一般参加者に過ぎないから、という言い訳は、もはや自分に対してすら無力だった。そう、足を洗う事などできるわけもないのだ。
「あっ。舞台に出るんでしたら、この法被を着て下さい」
私は振り向いた。スタッフの手にあるそれは、紫のハッピだった。紫のハッピ。それはスタッフの制服だ。つまり、それを着るということは、お手伝いではなく、正式なスタッフになることを意味する。ああ、紫の法被の人。
何かが心の奥底で止めろと叫んでいるような気がした。しかし、他にどうすることができよう。私は、紫の法被を着た。
こうして、人生最悪の23時間30分が始まったのだ。
HIROCON1(1984年8月開催)アフターレポート用原稿に加筆修正(2002年10月)
本レポートは1984年当時に書かれたものであり、今となっては著者にすら意味不明なネタが一部に含まれていますが、品質上の問題はありませんので、ご安心してお読み下さい。
本レポートはノンフィクションであり、登場する人物・イベント・団体等は、執筆時点で全て実在したものです。ただし、実際に生じた出来事との相違があった場合、現実の方が優先されるものとします。
馬場秀和
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