UFOと文学

J.G.バラード『ヴィーナスの狩人』


馬場秀和




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伝統的SFから距離を取りはじめたとき、自分は外宇宙を拒否して「内宇宙」を選んだのだと述べた。内宇宙こそ彼の縄張りだった。
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  『J・G・バラード短編全集1 時の声』単行本p.9

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「終着の浜辺」はわたしが「内宇宙」と呼んだもののもっとも極端な表現だ――外部の現実世界と内なる心理が出会い、融合する場所。この領域でのみ、成熟したサイエンス・フィクションの真のテーマは見出せるのだ。
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  『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.400






 ニュー・ウェーブ運動を牽引し、SF界に革命を起こした鬼才、J・G・バラード。『ヴィーナスの狩人』は、バラードが「内宇宙」というSFの新たな探索領域を切り拓きはじめた頃である1963年に発表された短篇で、柳下毅一郎氏による翻訳が『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』に収録されています。

 物語の始まりはこうです。マウント・ヴァーノン天文観測所付属のハッブル研究所に赴任してきた若き天文学者アンドリュー・ウォード博士が、副所長であるキャメロン教授から、一人の変人の話を聞かされるのです。

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「チャールズ・カンディンスキーって名前を聞いたことはないか?」とキャメロンは訊ねた。「『外宇宙からの着陸』という本を書いている。三年ほど前に出版されたんだが」
 ウォードは疑わしげに首をふった。ゲートを通り抜けるときに車のスピードを落とし、キャメロンは警備員に手をふった。「たしか異星人と遭遇したとか言っている奴じゃなかったっけ? 火星人だかーー」
「金星人だ。そいつだよ。見ただけじゃない」キャメロン教授はつけくわえた。「異星人と話したそうだ」
(中略)
「金星人とはどこで会ったって言ってるんだい?」ウォードは好奇心が声ににじまないよう気をつけながら言った。
「ここから三十キロほど先、サンタ・ヴェラ・ハイウェイをはずれた砂漠だよ。友達とピクニックに行ったんだが、一人で砂丘を散歩してたら、いきなり宇宙船に出くわしたんだそうだ」
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.7、12

 砂漠に着陸した円盤? 金星人とのコンタクト?

 あまりにも馬鹿げた話に興味をそそられたウォードは、そのカンディンスキーという男に会ってみます。どうせ狂人か詐欺師だろうとたかをくくっていたウォードですが、どうにもつかみ切れないカンディンスキーの人物像に、戸惑いを覚えるのでした。

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「最初は狂人だと思ったんだけど、今となってみると自信がなくなってきた。彼にはどうにもとらえがたいところがある。誠実なようで、それでいて直接向き合おうとするとディテールを何ひとつ与えてくれない。そして金星人について直接切りこもうとすると、あつらえたように見事な答えが返ってくる。ぼくはよくできた詐欺だと確信したよ」
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.19

 もちろん円盤だの金星人だのといった与太話はあり得ない。しかしカンディンスキーは明らかに狂人ではない。だから詐欺師だ。その結論にしがみつこうとするウォード。たしかにふるまいには詐欺師めいたところがあるものの、カンディンスキーは自分の言っていることを確かに信じている。いったいどうなっているのか。

 認知的不協和に陥ったウォードは、次第にオカルト特有の深みにはまってゆきます。決して信じるわけじゃない。だけど否定しきることも出来ない。無視して忘れることも出来ない。関わるのを止めることも出来ない。

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 カンディンスキーにかかわりあってしまい、相手の強いカリスマ的性格に魅惑されてしまったことを悔やんだ。あきらかにカンディンスキーははぐれものへの本能的な同情を利用していた。誠実さと確信が信じやすいカモを引き寄せてしまうのだ。
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.21

 そしてついに決定的瞬間がやってきます。ある晩、将来のキャリアがかかった重要なスピーチを前にしたウォードにかかってきた一本の電話。それは……。

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「何かトラブルかい。アンドリュー。お父さんに何かあったんじゃなければいいが」
「カンディンスキーだよ」ウォードは急いた様子で言った。「砂漠の、農場地域にいる。また宇宙船を見たって言うんだ」
「なんだ、そんなことか」キャメロンは首をふった。
「じゃあ、戻ろうか。かわいそうな男だな!」
「ちょっと待って」とウォードは言った。「彼は今観察中だって言うんだ。空軍基地のウエイン将軍に電話して、戦略空軍に警告を出してくれって言うんだよ」
ウォードは唇を噛んだ。「いったいどうしよう」
(中略)
「アンドリュー!」キャメロンはしかりつけた。「いったい、どうしたんだ? カンディンスキーなんかほっておけ。今はこっちが大事だろう。そんな無礼は許されないぞ」
「でも助けてあげなければ」とウォードは言い張った。
「彼には今こそ助けが必要なんだ」彼はキャメロンから身をもぎはなした。
「ウォード!」とキャメロン教授は叫んだ。「頼むから、戻ってこい!」ウォードを追ってバルコニーまで出て、そこで階段を駆け下りて芝生を走り闇に消える姿を見送った。
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.36

 科学者としての将来が台無しになると知りながら、カンディンスキーのもとへ走るウォード。彼がそこで目撃したものとは……。

 というわけで、人がオカルトにはまってゆく過程を生々しく描いた短篇です。主人公ウォードは円盤着陸や金星人とのコンタクトといった話を信じたわけでもないのに、しかし現実にはあり得ないような圧倒的な「体験」をしてしまう。それが客観的事実なのかどうかは最後まで明らかにされません。

 後に書かれる作品の多くが最初から内宇宙を舞台としているのに対して、この短篇は現実からスタートして内宇宙へと走り込んでゆくような構成になっており、バラード初心者にもとっつきやすいでしょう。

 もちろんアダムスキー事件がモデルとなっていますが、アダムスキーを題材とした小説のなかでも最もオカルト体験の本質をついた作品の一つ、といってよいのではないでしょうか。

 注目すべきは、脇役であるキャメロン教授の発言です。

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 ユングは、西洋文明はプラトン年の終わりにさしかかっており、キリスト教時代を支配した魚座がかげり、水瓶座の時代に入ろうとしていると考えている。混乱と精神的混沌の時代だよ。過去の歴史においても、不確実性と不和のときには、宇宙的存在の乗り物が地球に接近し、ごくまれだがその乗員と実際に顔を合わすことさえあった、と述べているんだ。
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.31

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 ほとんどの人はチャールズ・カンディンスキーのことを狂人だと思っている。だけど実際には、今日の世界においてもっとも重要な役割を果たしてるんだ。来るべき危機を人々に警告する予言者の役割をね。彼の幻想の本当の重要性が見いだされるのは、原水爆反対運動同様、あくまでも意識とは別の次元、うわべの合理的生活の下でたぎっている膨大な精神パワーの表現なんだ。巨大な地質学的変成を引き起こす大陸棚の重合的運動のようにね。
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.32

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 カンディンスキーにとっては、それを言うならSF小説の作者たちにとっても不幸なことだよ。変容の象徴をいわゆる合理的社会の中で描写しなければならないというのはね。アプリオリに科学的な、少なくとも疑似科学的な説明が求められるんだから。だが真の予言者は決して合理的に推論されるようなことは扱わないんだから、今日では、チャールズのような人間は無視されるか嘲笑されるしかないんだよ。
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『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』単行本p.32

 どうやらキャメロン教授は、重要なのはオカルト体験の真偽ではなく、それが象徴している文化的な文脈を読み解くことだ、と考えているようなのです。この人物にはバラード自身が投影されているような気がしてなりません。SF作家への言及は、当時のバラードの本音(愚痴?)でしょうか。

 いずれにせよ、UFO現象に対するこのようなアプローチは、執筆年代を考えると驚くほど先進的です。ユングというより、むしろジャック・ヴァレに近い。何しろヴァレの『マゴニアへのパスポート』が発表されたのが1969年。本作はそれに先立つこと6年も前、1963年に書かれているのですから。

 オカルト体験、というかそれに伴う不可思議な心理、時間感覚の変容、変性意識状態、そういったことが描写されているのだと思って読むと、バラードの作品からは独特のリアリティと臨場感がひしひしと感じられます。バラードを読むという行為は、ごく安全なオカルト体験だといってよいのかも知れません。



『UFO手帖3.0』掲載(2018年11月)
馬場秀和


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