世の中には、岩の表面や断面に、常識的にはあり得ないようなものを「発見」してしまう人々がいる。いわゆる「神代文字」研究者の一部とか。あるいは超古代文明が岩に残した記録を読み取ったリチャード・シェイヴァーなんかもそうだ。
ちなみにシェイヴァーについては、『定本 何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎)に収録されているエッセイ
『ログフォゴあるいは「岩の書」ーーリチャード・シェイヴァーについてのノート』
さて、ここで話題にしたいのは、神代文字やログフォゴのような絵、記号、メッセージではなく、あり得ない「対象物そのもの」を岩の中に見てしまう人々のことだ。いや、もったいぶらずにはっきり言おう。私は化石幻視者のことが気になって仕方ないのだ。
そう。化石幻視者である。
古生物学、恐竜学の世界には、ときおりゴッドハンドというか、学界の常識を一気に覆すようなすごい化石を次々と発見する異端の研究者が登場することがある。ほほぉそれはたいそう立派なことではありませんか、などと感心する人がいるやも知れぬが、しかし、そういう異端の研究者が発見する「すごい化石」は、あまりにもその、すごすぎて、誰からも真面目に受け取られることなく、ただ黙殺されるのだ。ここがポイントね。
そういう異端の研究者こそが、化石幻視者と呼ばれることになる。
具体的な例を見てみよう。サイエンスライターの金子隆一さんが、その著書『最新恐竜学レポート』のなかで、ある化石幻視者について詳しく紹介している。
『最新恐竜学レポート』(金子隆一)より
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現地調査を進め、同じ一か所の現場から、ティラノサウルス、マメンチサウルス、イグアノドン、翼竜の全身化石などを続々と発見するのである。
さらに、今まで足跡だと思っていたものが、実は小型肉食恐竜の上顎であったことにも気づく。まあ、これが事実なら、ジュラ紀後期アジアから白亜紀後期の北米まで、時空を超越した中生代各時代、場所の生き物が一堂に会した恐竜博さながらのボーンベッドという事になるわけだが、その産出状況も壮絶である。
(中略)
化石の産出地はこの崖一帯から内陸部、付近の海岸線、沖合の島にまでおよび、それらの場所がおびただしい恐竜化石で文字通り埋めつくされているのだという。(中略)解析の結果、カルスト台地の地表に林立する石灰岩の奇石群はすべて恐竜化石の塊である事が判明した。岬も山の頂きも川原の丸石も、鍾乳洞内部の鍾乳石や石筍も、果ては地球に落ちてくる隕石(月、火星から飛来したものも含む)もすべて恐竜の化石である。月や火星の表面も、多くの恐竜化石で満ちあふれているであろうと氏は予言する。
(中略)
まっとうな恐竜学の世界のすぐ外側には、インチキ化石業界から恐竜妄想にとりつかれた人々まで、まだまだ人知れず広大なトワイライト・ゾーンが広がっているのである。
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単行本p.219
何ともすごい話で、「まっとうな恐竜学の世界」から見るとトワイライト・ゾーンだというのは、それは確かにそうだろう。
だがしかし、「オカルトの世界」から眺めてみると、これは大層ありがちというか、むしろ陳腐というか、個人的な所感では「ある種のUFO目撃者にそっくり」と思えて仕方がないのである。
お分かりだろう。星でも、雲でも、航空機でも、果ては街灯を見ても「UFOだ」と断定、自分は何度もUFOを目撃している、UFOを呼び寄せることが出来る、宇宙人としょっちゅう会話してる、と言い出す、あの人たちのことだ。
そうしたUFO目撃者と化石幻視者の言動がそっくりなのは何故だろうか。この謎について考えてみたいのだ。
で、いきなり結論まで持っていってしまうのだが、真相は実に単純なことではないだろうか。つまり、いわゆるUFO目撃者と化石幻視者は同じものを見ている。言い換えれば、化石幻視者が見ている「すごい化石」なるものは、実のところ「化石のカタチをしたUFO」なのではないか。
……。
いやいやいやいや化石は空を飛ばないから未確認「飛行」物体じゃないだろ、というツッコミが聞こえてくる。聞こえてくるぞ。しかしだ、そういった瑣末な言葉尻にとらわれて物事の本質を見誤ってはいけない。
我々は、潜水している未確認物体、誰も飛び立つところを見てない着陸円盤、月面写真に写った謎の構造物など、どう見ても飛行してないのに、これらをためらうことなくUFOと呼んでいるではないか。化石のカタチをした未確認物体を、飛行しないからというだけで「UFOではない」と決めつけるのは、それは理不尽というものだ。
むしろ「ユーフォロジィ(UFO学)の研究対象はUFOではなく、UFO目撃報告だ」という基本姿勢に忠実でありたいのなら、目撃者が似たように反応し、似たような言動を示し、似たような固執を見せるのであれば、それは少なくとも同じカテゴリの目撃報告だと解釈するのが妥当だろう。
このような考察のもとに、ここでは化石幻視者が目撃してしまう未確認物体のことを、「未確認化石物体」(Unidentified fossil Object)と呼ぶこととしたい。略してUfOである。
UFO目撃者とUfO目撃者には本質的な違いがあるだろうか。どうやらそんなものはなさそうだ。目につく大きな差異はその人数だろうが、これは空を見上げる人と、岩を割る人の、母数の圧倒的な違いがそのまま反映されていると考えれば矛盾はない。
さて、ここで次のような反論があるかも知れない。すなわち、UFO目撃者には「コンタクティ」というカリスマ的人気を誇る人々がいるのに、UfO目撃者にはそんなスターはいないではないか、これは大きな相違点だ、と。
うむ。
ところがどっこい。実は、UfO界隈にもまさにコンタクティに相当する人がいるのだ。具体的にいうなら岡村先生とか。
そう、あの岡村長之助先生である。
ご存じない方は、まずは「本の雑誌」に掲載された風野春樹ドクターによる紹介記事を読んで頂きたい。一部を引用する。
「サイコドクターの日曜日 偉大なる幻視者、岡村長之助の発見」(風野春樹)より
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岡村長之助という古生物学者がいた。明治三四生まれ。本業は内科医で、名古屋で医院を開業していたアマチュアの研究家である。
岡村先生は、岩手県の北上山地で収集した石灰岩を顕微鏡で観察しているときに、驚くべきものを見つけた。なんと極微の人類の化石を発見したのである。
彼はそれを「ミニ人類」と名づけ、こう主張する。四億年の昔には、現代人と同じ形態を持つ体長数ミリの人類がいて、直立して二足歩行していた。また動物も現代と同じ姿のまま存在していた。その後、岡村先生は次々とミニ人類たちの化石を発見していった。シルル紀の大地震で生き埋めになった父子や、竜と呼ばれる生物に捕食されている人類、さらにおたまじゃくしのような姿をした原ミニ人などなど。
(中略)
これだけなら知る人ぞ知る奇人として忘れられるはずだったのだが、1996年になって岡村先生はイグ・ノーベル賞生物多様性賞を受賞し、世界的に知られることになる。
(中略)
確かに彼の学説は間違っているし、笑いものにするのは簡単だ。しかし、それでも彼の「発見」には、不思議と心打たれるものを感じるのである。この岡村先生は、顕微鏡で観察した精子の中に小人を見たレーウェンフックや、火星の表面に運河を発見したローウェルの系譜に連なる、偉大なる幻視者といえるのではないだろうか。
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「本の雑誌」2010年1月号(No.319)p.62
繰り返される常識外れの目撃体験。
さも見てきたように語られる異界の物語。
到底信じがたい話にも関わらず不思議なカリスマ性により人気を博すること。
こうしてみると、岡村先生はコンタクティの資格を充分に満たしている。というより典型的なコンタクティだといっても過言ではないだろう。
ちなみに岡村先生への評価はイグ・ノーベル賞にとどまるものでない。『新恐竜伝説』(金子隆一)によると、1991年に米国で刊行された恐竜完全カタログ『中生代そぞろ歩き 第二版』のスペシャル・ノートとして、次の情報が堂々と掲載されているとのこと。
『新恐竜伝説』(金子隆一)より
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日本の研究者、オカムラ・チョーノスケは、日本の古生代の岩のなかに、より大型でわれわれにはおなじみの脊椎動物、すなわち“ドラゴン”、恐竜、鳥、哺乳類、さらには人間などの顕微鏡的同類を発見したと主張しており、そのなかには体長1ミリの“角竜”、体長2ミリの“カミナリ竜”が含まれる。
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単行本p.61
これはガチの専門書に記載された文章なのである。専門家でさえ岡村先生の業績を無視できず、というか魅了されてしまい、学術的なカタログについつい載っけてしまったのだ。気持ちはなんとなく分かる。
コクタクティが語る「UFOに乗って他の惑星に行った」といった体験談に私たちの心が惹きつけられてしまうのと、そこには同じメカニズムが働いているに違いないのである。
でだ。
こうしてみると、そもそも私たちはこれまでUFOというものをあまりにも狭くとらえていたのではないか、という気がしてくるのだ。
円盤型、葉巻型、三角形、そんなカタチをした何かが空を飛んでいる、それだけをUFOと見なし、典型的でない報告はスクリーニングして、「質の高い」事例だけを調査する。さすれば必ずやUFOの真実に迫ることが出来るであろう……。
そんな発想はすでに時代遅れだ。
世はまさにビッグデータ解析、ディープラーニングの時代である。つまるところサンプルデータの物量こそがパワーなのだ。いやよく分からないまま口走っているのは自覚している。しかし、玉石混淆といわれようが何だろうが、とにかく調査対象を広げ、大量の事例を集め、あとは統計解析・相関分析・機械学習を駆使して、ちからわざで真実をあぶり出す。それこそが21世紀のユーフォロジィなのである。
いや知らんけど。
ま、そういうわけで、「化石のカタチをしたUFO」の他にも、例えば「STAP細胞のカタチをしたUFO」であるとか、様々な研究分野(のトワイライト・ゾーン)における常識外れの報告を「××のカタチをしたUFO」の目撃事例と見なすことで、UFO研究の対象はぐんと広がるだろう。
そう。今こそカタチにとらわれないUFO研究が求められているのだ。
『UFO手帖2.0』掲載(2017年11月)
馬場秀和
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