米国におけるジャンケン研究の現状

馬場秀和


はじめに

 あの歴史的な“国際紛争への対処における非対称コヒレント型スキームの適用と実施に関わる共同宣言”、いわゆる「ジュネーブ宣言」から12年の歳月が流れ、その間に各国の安全保証の枠組みは着実にジャンケンへと移行してきた。

 今日、なおジャンケンの有効性と限界についての議論は活発に続けられているものの、戦争の新たな形態としてのジャンケンは、すでに世界規模で受け入れられていると言ってよい。

 今や、ジャンケンこそ地域安全保障の要であり、グー、チョキ、パーの三軍を効果的に統括し連携させる能力、それがすなわち国家の軍事的パワーそのものだ、という「現実」を、否定あるいは軽視することはおそらく誰にも出来ないだろう。

 しかるに、こと我が国においては、ジャンケンに対する認識も議論も今だ抽象レベルに止まり、必ずしも充分に現実を踏まえたものになっているとは言い難いのではないか。

 本レポートは、ジャンケン研究で最先端を走っていると言われる米国の現状を探る試みの一つである。一読して頂ければお分かりのように、理論面および実践面、いずれをとってみても、米国におけるジャンケン研究はもはや我々の想像を超えるところまで進んでいるというのが実情である。

 そのような、ジャンケンの「今」を広く知ってほしい、というのが著者の願いである。それは必然的に日本とアジア・太平洋地域の将来に大いなる影響を及ぼすに違いないからだ。

 読者にとって「ジャンケンとは何か」を改めて見つめなおす一助になるならば、本レポートの目的は達成されたことになる。

1987年 著者


『抑止力としてのジャンケン』以後

 いかなるものであれ、ジャンケンに関するレポートを書こうとするなら、まずは『抑止力としてのジャンケン』(1972)の著者、ピースポーター・ミヒャレスブルグ教授のことから始めなければならないだろう。

 本レポート執筆のために、私がミヒャレスブルグ教授にインタビューしたのは、カナダで開催された、ある国際セミナーの会場においてであった。講演の合間をぬっての会見という慌ただしい申し出にも関わらず、教授は実に親切に応対してくれた。

「私の論文は過大評価されていると思う。あれは、ただアイデアを提出したものに過ぎない。点火プラグの回路を閉じたようなものだ。車を動かすのは、燃料とエンジンとタイヤであって、点火プラグじゃないだろう」

 自分の業績をどのように評価しているか、という私の質問に対する教授の答えである。

「そもそもジャンケンで国際紛争を解決するという着想を、どのようにして得たのですか」と尋ねると、

「なぜ戦争が起こるのかを考えたんだ。どうして平和は長続きしないのだろう。あれほど多くの人々が平和を望んでいるのに」と逆に質問してきた。

 私が肩をすくめてみせると、「先制攻撃だよ」と、あっさり自分で答えを出す。

「先制攻撃という戦術が成り立つからだ。相手より先に攻撃した方が有利になる。こういう条件が成立する限り、きっとどちらかが先に引き金を引いてしまう。だから戦争が起こるのだ」

「つまり、戦争のルール自体が、戦争を引き起こす原因になっているわけですね」

「まさにその通りだよ。だから、戦争をなくすためには、いくら平和運動をしても駄目で、戦争のルールを変えなきゃいけない。そう思ったのさ。簡単なことだ。先制攻撃が不利になるようなルールを採用すればいい」

「なるほど。それでジャンケンを」

「ジャンケンこそ、私が求めていたルールだ。実に見事に条件を満たしている。何しろ、先出しは圧倒的に不利だからな。このルールを紛争解決に適用すれば、それ自体が強力な抑止力として働くのだよ」

 教授は、ジャンケンこそ世界を果てしない軍拡競争から救ってくれる鍵だ、と熱っぽく語ってくれた。

 ジャンケン肯定論者の主張の根底には、ミヒャレスブルグ教授の抑止力理論がある。実際、私が後にインタビューした多くの論者がジャンケンのルールを絶賛し、このルールこそ恒久平和への道だと主張している。

 だが一方で、抑止力理論には、次のような批判があることも忘れてはならないだろう。

「ジャンケンが抑止力として機能するのは、後出しをした方が勝つという条件があるからだ。もし、先出しをしても勝つ方法があるなら、つまりジャンケンに必勝法が存在するなら、やはり先制攻撃が有利になり、抑止力は失われる」

 ジャンケン否定論者は、各国の膨大な軍事費がジャンケンの研究に集中している事実を指摘し、必勝法の発見は時間の問題であるとする。

 はたして、ジャンケンに必勝法はあるのだろうか。あるとすれば、それはどのようなものだろうか。

 私は、この疑問に対する答えを求めて、各地の研究所を取材することにした。


ジャンケン研究の最前線から

 ジャンケン必勝法。

 今日、あらゆる研究者がこの聖杯を求めて精力的な活動を続けている。少なくとも、今のところ万人を納得させる必勝法は発見されていない。かといって必勝法が存在しないという証明も得られていない。

 多くの専門家は、必勝法発見まであと一息だと判断しているし、中には「必勝法はすでに発見されているのだが、政府が機密にしているに違いない」と断言する人までいる。

 逆に「必勝法は存在しない」ことを証明したと称する論文が、これまた多くの学者(その中には、本問題の第一人者ともいうべき人々も含まれている)の手によって発表されていることも、また事実である。

 どちらが正しいのか。果たしてジャンケン必勝法なるものは存在するのか否か。あるいはそれは(一部の研究者グループが主張するように)真偽決定不能命題の1つなのだろうか。

 ここでは、ジャンケン研究の成果を駆け足で紹介するにとどめ、後は読者の考えに任せることとしたい。


【電算機シミュレーション】

 スーパーコンピュータによって必勝法を探る試みは、現代のジャンケン研究の主流をなすものである。このために専用のスパコンを設置している研究所は列挙にいとまがない。これまでにいくつものアルゴリズムが考案され、実際に使われているのだが、ここでは、代表的なものとして『ダブルクロス法』をとりあげ、解説を試みてみよう。

 まず初期条件を与える。仮に、今までの統計結果から、相手はグーを出す確率が少し高い、ということが判明したとしよう。この場合、こちらの出す手としてまず考えつくのは、パーを出すことである。これを第1次戦略と呼ぶ。

 だが、当然のことながら相手はそのことを予想して、チョキを出すことでこちらの裏をかこうと試みるだろう。従って、こちらの手として有効なのは、グーを出すことだ。これが、第2次戦略である。

 けれど、相手はまたその裏をかこうとしてパーを出すだろうから、こちらの第3次戦略はチョキに他ならない・・・。このようにして、第4次、第5次、一般に第n次戦略が求められる。

 さて、ここでnを無限大にもってゆく。このとき、第n次戦略が、特定の手に収束するなら、この手の裏をかくことは不可能であり、すなわち必勝法ということになるだろう。

 上で示したのは、ダブルクロス法の最も基本的なアイデアであり、専門家からは『原始ダブルクロス法』と呼ばれているものだ。実際には、この方法には様々なバリェーションがあり、収束するまでのステップ数を減少させる工夫が加えられている。

「当研究所の最新型スーパーコンピュータなら、毎秒2000億回ジャンケンを行うことが可能です。この処理速度をもってすれば、間違いなく、ここ数年以内に必勝法にたどり着けることでしょう」

 私のインタビューを受けたNSF(国立計算機センター)配下のある研究所の職員は、自信満々な口調でそう語ってくれた。


【心理誘導】

 相手が出す手をこちらの望む方向に導くような方法を、一般に心理誘導と呼ぶ。たとえば、ジャンケンの瞬間に大声で「わっ」と叫び、相手を驚かして思わずパーを出すように仕向ける『ソニックカウンタ法』などが古典的な例である。

 ソニックカウンタ法についても、どのような音量、周波数のときに最も効果があるかといった研究が行われているが、現在ではより高度な心理誘導がいくつも提案され、こちらの方向に研究の流れが移りつつある。

 主な現代的心理誘導を挙げてみると、事前の情報操作によりこちらがある特定の手を出すと信じ込ませる『デマゴギィ法』、相手より一瞬早く手を出し、負けたときには「お前、後出ししただろう」と言いがかりをつけて再試合に持ち込む『ファルスチェンジ法』、負けても「今のは練習」と言い張って負けを認めない『チャイング法』などである。

 心理誘導の分野では、我が国の研究の遅れが著しく目立つ。日本の大学では、いまだソニックカウンタ法の研究が主流となっており、現代的心理誘導に対する認識不足は甚だしい、と言わざるを得ない。この分野における我が国の立ち遅れが、極東地域の安定を損なうことがあってはならないだろう。若い研究者諸氏の奮起を期待したい。


【トレーニング】

 正攻法こそ最良の戦略、などと言われる。

 理論やテクノロジーに頼るより、まず心身を鍛える方が大切、という認識から、ジャンケンの特訓を積むことで優秀な兵士を育てる試みが各地の公的機関で進められている。

 イリノイ大学のジェファーソン博士らのグループが考案した訓練法によると、ごく普通の人でも、数カ月の訓練でジャンケンのプロ並の実力がつくという。昨年秋、米海軍がこの訓練法を取り入れると発表したことはまだ耳に新しい。

「もちろん、映画や小説に出てくるような、“無敵のジャンケナー”など現実にはあり得ません。しかし、ある程度の素質があれば、訓練次第で、かなり強くなれるものなのです」

 これはあるジャンケン道場の師範の言葉だ。

「自宅でも出来る練習法がありますか」と私が尋ねたところ、答えはこうだった。

「毎日、1000回の素振りを欠かさないことです。その際、グー、チョキ、パーを意識的にまんべんなく出すようにすること。ほんのわずかでも手の偏りがあると、それが致命的な弱点となりかねません」

 どうやらジャンケン黒帯への道は楽ではないようだ。

 米国では、政府の後押しもあって、民間のジャンケン道場が無数に開設されており、希望者はどの州、どの街に住んでいても、近くの道場に入門できる体制が急ピッチで整いつつある。まさに、草の根から“強いアメリカ”を目指していると言えるだろう。


【その他の研究】

 ユニークなジャンケン研究として注目を集めているのが、デンバー国立ジャンケンリサーチセンタのライラ=カーネット女史が提唱している『拡張ジャンケン』だ。さっそくインタビューを申し込んだ。

「拡張ジャンケンとは、どのようなものですか」

「通常のジャンケンが、グー、チョキ、パーの3つの手から構成されるのに対して、もうひとつ手を追加して4つの手から選べるようにしたものです」

 ライラ女史は、このように説明してくれた。

「拡張ジャンケンの特徴は、必勝法が存在しないと数学的に証明されていることです。ですから、拡張ジャンケンを戦争に適用すれば、世界中の軍備を大幅に削減することが可能になります」

「4つ目の手は何という名前ですか」

「名前はまだ決まっていません。シンボルの形は決定してますけど」

「どんな形ですか」

「チョキの変形です。チョキが人差指と中指を水平に伸ばすのに対して、新しいシンボルでは中指だけを垂直に立てます」

「拡張ジャンケンには、生化学の方面からも強い関心が寄せられていると聞きましたが」

「ええ。私は専門ではないので詳しいことは説明できませんが、生物の遺伝子であるDNAは4つの塩基から構成されていて、この塩基の組み合わせで蛋白質が決定されますね。この過程は、拡張ジャンケンそのものなのです。」

 女史は、生命の誕生や進化過程を拡張ジャンケンの連鎖として読み解くことが可能だという。また、脳における言語学習、神経の自己組織化、免疫作用など、様々な生理学的過程も、“拡張ジャンケンプロセス”と呼ばれる原理で統合的に説明できるのではないか、という機運が高まっているのだ。


おわりに ~ジャンケンの世紀~

 すでに見てきたように、当初は近代的戦争の基本原理として注目されたジャンケンは、もはや軍事研究の枠を超え、他の様々な学問分野に多大なインパクトを与えつつある。最も応用が期待されているのは、生物学、生化学、進化論の分野だが、それすらジャンケンの持つはかり知れない可能性のほんの一面に過ぎないことは確実だ。

 将来的には、物理学、数学、哲学、精神医学、宗教、美学、経済学、社会学、あらゆる学問分野が、ジャンケンという基本原理の下に統合されることになるだろう、と予言する急進的なグループ(例えばユタ学派)の思想も、必ずしも極論として退けることは出来ないのではないか。

 少なくとも、長い目でみて、我々の生活の隅々に至るまで、およそ「文化」と名付けられるものは、全てジャンケンを基盤としたものに再構築されてゆくであろうことは、まず間違いない。

 我々は、「ジャンケンの世紀」に生きているのだ。

 本レポートの読者が、このような広い視点から、ジャンケンを見つめなおしてくれることを願ってやまない。


 なお、本文中の取材に当たっては多くの方々の協力を得た。ここに改めて感謝の意を表したい。



季刊「せる」1987年夏号(通巻5号)掲載作品に加筆修正(2002年10月)
馬場秀和


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