二人称としてのジャパン

馬場秀和


国際標準化機構
物資・サービスの国際交流を容易にし、知識・科学・技術・経済活動の分野で国際協力を促進するため、国際標準の開発と推進を行う非政府間機構。
国際標準化機構が定める規格は、国際会議における自由で開かれた議論と、公平な国際投票により決定される。この結果、国際標準機構が出版する国際規格は、世界的に権威あるものとして、政策・イデオロギー等の差異に関わらず、各国に正式に受け入れられている。

ということらしい。

 問題は、「国際会議における自由で開かれた議論」という奴だ。これについて極めて個人的にレポートする、というのが本稿の目的なのである。

 心の準備はいいかな?

 さて。

 アメリカ人とフランス人が同じテーブルにつくと、論争が始まる。

 というのが一般論として言えるのかどうかよく分からないが、少なくとも私が参加しているグループでは、この二国の代表がいつも論戦をしているような気がする。どちらも議論にかけては国際的なエキスパートだから、その闘いたるや、フェンシングの試合のごとく、鋭く、目まぐるしく、そして、困ったことに私には全く聞き取れない。

 議論が開始されてから5分後には、私は二人の英語を理解する努力を放棄してしまう。こうなると、彼らの議論は私にとってただのノイズだ。目の前に積み上げられた資料には英語で何やらぎっしりと書き込まれているのだが、これまた単なる模様にしか見えない。

 議論が始まってから10分も経過すると、意識がもうろうとしてくる。これを私は「国際会議型急性トランス状態」と命名している。この状態に落ち込んでしまうと、目は覚めていながら周囲の状況が把握できなくなり、身体の感覚が極端に鈍くなる。

 これは、どう考えても、あからさまな現実逃避だ。思うに、私は英語が大嫌いなのではあるまいか。

 私が現実逃避に余念がないころ、イギリス人である議長は、大いに困った顔をしている。これまた一般論として言えるのかどうか分からないが、イギリス人は困った顔をするのがうまい。

 どうやら彼は、昼食に3時間以上かけるのは平気なのに、1つの議題に30分以上の時間を費やすのは我慢ならないらしい。議論がちょっと長引くと、第三者に発言させ、話題を変えようと試みる。

 こういうとき、なぜ彼が日本に目をつけるのか、そこがよく分からない。東洋の神秘的な価値観とやらが議論に新たな展開をもたらすことを期待しているのかも知れない。それとも、単に私の声が大きいためかも知れない。

 ともあれ、議長は突然私の方を向いて、こう言い出すのである。

「ところで、この件に関するジャパンの見解は?」


 ジャパン、を二人称として使用するのは止めてほしい。これではまるで「以降、君の発言は全て日本国の正式な意志表明であると見なされ記録されるから、そのつもりで」と宣告されているみたいではないか。

 そして、恐ろしいことに、その通りなのである。ここでは、私の発言すなわち日本の正式な見解ということになるらしいのだ。

 で、各国の代表が私に注目する。近頃、日本は何かと注目されることが多い。私は日本を代表して発言しなければならない。今、すぐに。

 しかし、そもそも、さっきから何が議論されていたのか。全然、分からない。私は、日本は、ジャパンは、この件について何をどう考えているのか。

 プレッシャー。


 ところで。

 日本代表として国際会議に出席する人は、それなりに立派な国際人であるべきだとは思わないか。海外に長年留学していたりして、もちろん英語とフランス語(それにロシア語と中国標準語)くらいはペラペラで、あちこちの国の知識人と知り合いで、最近の国際状況と日本の立場について深い見識を持っており、それについて堂々たる議論を展開できる・・・とか。

 当然のことながら、海外旅行どころか飛行機に乗ったことがないとか、NHKラジオ英会話(初級)についてゆけず4日で挫折したとか、電車の中でガイジンを見かけると隣の車両に疎開したくなるとか、ヨーロッパで何やら騒動が起きてるようだが新聞をとってないからよく分からんなあとか、そういう人間が日本代表になってはいけないはずである。

 そうだろう?

 しかし、この世では、このような不条理なことが平気な顔をしてまかり通っているのである。私が国際会議に出席するまでの経緯がその典型例だと言えよう。

 まず、書類が作成される。そこには、馬場秀和なる者には高度な専門知識があり、議論の進め方について経験豊かなエキスパートであり、人格にも語学力にも問題なく、国際会議に我が国を代表して出席するにふさわしい人物である、ぜひとも彼を国際標準化機構のメンバーとして派遣して頂きたい、などと勝手なことが書いてある。(むろん、私の名前のところ以外は、あらかじめ用意されているテンプレート文面なのだ)

 わはは、冗談言っちゃいかんよ君冗談はよしましょうよと思っているうちに、書類には偉い人のハンコがペタペタ押されてしまい、するすると予算が下りて、(明らかに不要な予算は、簡単に認められてしまうのだ)、手続き完了しました、という通知がやってくる。

 要するに、書類上の情報が全てであって、本人が実際にどういう奴であるかは問題ではないのである。どうも、就職から見合いに至るまで、世の中はすべてこのようにして動いているらしい。

 とにかく、出席することになった以上、生きて会場に到着しなければならない。これがそもそもかなり大変なことなのである。何しろ、前にも書いたような気もするが、私はそれまで飛行機に乗ったことすらなかったのだ。

 それでも、なんとか開催国の空港までは到着できる。ビバ、航空業界。

 一歩、空港の外に出ると、そこは何と異国の地である。突然、これから数週間、言葉の通じないこの地で誰の助けもなしに一人で生きてゆかねばならないことを実感する。

 ああ、一人で強くたくましく生きてゆくのだよ、と口で言うのは簡単だが、実際にそういう立場に追い込まれたときの気分ときたら、心細くて心細くて、もう駄目です私立てませんコーチ、という感じである。実際、足が震える。情けない。

 何とか必死の思いで会場に着く。人間、やれば出来ることもある。

 私がメンバーとして参加するグループの各国代表者達がたむろしているあたりにふらふら近寄ってゆき、どもども日本のBABAです、などと挨拶する。これは英会話だから、恐ろしいほどの勇気を必要とする。

 が、もちろんこんなことでビビっているわけにはいかない。会議室に入ったら、彼らと英語で議論して、日本の見解を堂々と主張して納得させなければならないのである。うん。

 でもやっぱり、英会話はこわい。声がうわずってしまう。悲しい。

 会議用の書類を取りに行く。これがまた、凄い分量。部屋ひとつ書類で埋めつくされた観がある。会議が始まるまでに、これらに目を通しておかなければならない。もちろん、私が出席する会議で必要になる分だけでよいのだが、それがどれなのかさっぱり見当がつかない、というのが問題なのだ。ついでながら、私は英会話だけでなく、英文も大嫌いだ。

 こうして、じたばたしているうちに会議が始まってしまう。まず全体会議というのがあって、ここで細かいスケジュールが決定される。これに従って、各議題ごとに個別の会議が行われる。

 有能な議長が担当する会議は、おそろしく効率的である。無駄な検討や不毛な議論は一切許されない。言葉がバシバシッと卓球のように往復したと思ったら、もう結論のまとめに入っている。すぐには結論が出ない問題については、さっと担当責任者が割り当てられ、翌日まで各国の意見を調整して合意案を用意するよう命じられる。

 こういう運営の鮮やかさには、さすがプロは違う、と心から感心してしまう。そこらの退屈で不毛なだらだら会議とは雲泥の差だ。

 ただ、問題は、非効率的な出席者が足を引っ張ることだ。例えば、あらかじめ資料を読んでおらず論点を理解してない奴、英語が苦手で会話が極端に遅い奴、何度も同じことを質問する奴、黒板に図を書きながらでないと話が出来ない奴。こういう輩は、議長に「この件に関するジャパンの見解は?」と聞かれて、冷や汗を流して沈黙する、といった困ったことをやってしまう。

 ともあれ、会議はいずれ終了する。終了後に議長のところにやってきて、「実は今の会議では何が議論されて、どういう結論になったのか教えてほしい」などと言い出す厚かましい出席者など、いないはずである。他には。

 このようにして、数週間に渡って沢山の会議が開催される。個々の会議の結果は、翌日には文書としてまとめられ、コピー機フル稼働で複写され、専用の部屋に積み上げられる。

 参加者は、常にそれらに目を通して、状況を理解しておかねばならない。1日に数百枚という書類が積み上げられるので、実際にはこれはかなり困難である。

 しかし、よくもまあ、これだけ紙を消費して、資源保護団体が文句を付けないものだと感心してしまう。

 最初の1週間が過ぎるころには、時差と英会話と慣れない食事のせいで、私はたいてい胃をやられてしまう。このため、常に吐き気とめまいがしている状態で会議に参加しなければならない。つらい。

 ようやく全ての会議が終了する頃には、精神的にかなり疲弊している。死にかけている、と言ってもさほど誇張にはならないだろう。何しろ、数週間に渡って「ジャパン」という二人称で呼ばれ、自分の言動が日本を代表してしまう(そのうえ、公式議事録に掲載されて全世界に配布される)というプレッシャーに耐え続けてきたのだ。日本語で私の名前を呼んでくれる人がいれば、どんなに罵倒されてもいい、という気持ちになる。


 ようやく帰国の日がやってくる。帰ってしまえば、こっちのもんである。何しろ、もう私は日本じゃない。ジャパンじゃない。会議でどんなことがあったにせよ、あれはみんな「ジャパン」がやったことだ。議事録にもそう書かれるはずだ。私とは関係ない。そうだろう?

 とは言っても、ありのままに本当のことを書くと、ジャパンが可哀相である。何といっても、ジャパンと私は、しばらく一心同体で過ごした仲なのだ。よし、ジャパンはとても立派に責務を果たした、と報告してあげよう。

 このようにして報告書を書き上げると、ジャパンは満足してどこかに行ってしまう。きっと、今ごろ別の人と一緒に異国の地で何かやっているのだろう。まあ私の知ったことじゃない。

 少なくとも、次の国際会議までは。



季刊「せる」1990年春号(通巻15号)掲載作品に加筆修正(2002年10月)
馬場秀和


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