不可視の聖杯 −超常現象の背後に−

J.A.キール著  馬場秀和訳


 我々が住んでいるこの惑星では、予想も説明もつかない奇妙な出来事が頻繁に生じている。

 ベネズエラでは、光り輝く円盤から降り立った身の丈10フィートの“金属製の巨人”が、シューシューと音を立てて蒸気を吹き出している光景が目撃された。ポーランドでは、何の変哲もない電気ポットが「ラブ・イズ・ノット・イナフ」を歌うのを何人もの人が聞いた。インドネシアでは猫のノミ取り首輪だけが、エジプトでは時計の短針だけが、ニュージーランドではセミが羽化した後の脱け殻だけが、それぞれ大量に空から振ってきて、住民にパニックを引き起こしている。

 私の手元にあるファイルを開けば、こういった事例をいくらでも見つけることが出来る。これらは、まとめて、大文字のS(ハイ・ストレンジネス=非常に奇妙な)、小文字のp(ロウ・ポッシビリティ=とてもありえそうにない)という分類記号を付けられたページにストックされ、多くの場合、そのまま忘れ去られる運命にある。

 私の理解が正しいなら、読者の手元にある『Spファイル』と名付けられたこの冊子にも、これらのSp事例が多数収録されていることだろう。

 “自称”UFO研究家の多くは、これらのSp事例を無視することが自らの神聖な義務だと心得ているようだ。彼らは、自分のお気に入りの解釈、例えば「UFOは他の惑星からやってきた知的生命体の乗物である」といったものを信奉しており、その解釈に合わない事象は、馬鹿げているとして、全て無視し、目を背けるのだ。

 そのくせ、彼らは決まってこういう言い方をする。「科学者や一般大衆の心の狭さときたら。何しろ、従来の理論や常識に合致しないことは、馬鹿げているとして、全て無視し、それらの真実から目を背けてしまうのだから」

 察するところ、どうやら「心の狭さ」こそ、われわれ人類という種族に共通する特徴であるらしい。

 本当にどこか宇宙の彼方から、知的なエイリアンが地球を訪れているのだろうか。実際のUFO遭遇事件を見る限り、それはとても信じがたい。UFOの「搭乗員」は、とうてい知的生命体とは思えない姿をしている。巨人や小人はともかくとして、昆虫や、爬虫類や、アメーバや、歯車を組み合わせたマシンなどの奇怪な形をしていたり、ときには空中を漂う霧や、炎や抽象図形に過ぎなかったりする。ある事例では、複雑な数式そのものが空中を飛び回って哀れな目撃者に話しかけてきたという。

 外見と同様に、彼らの行動も知的だとはとうてい言えない。その行動は、馬鹿げているか、意味不明であるか、あるいは単なる悪ふざけとしか思えない。高度な技術力で組み立てられた宇宙船を操縦し、何光年もの彼方から地球にやってきた存在が、便秘の深刻な弊害や、フリーセックスの是非や、建物の重みで地球が内側につぶれないように支えている力について、真剣な口調で私たちに忠告してくれるのである。そうでなければ、彼らは犬やカーネーションや道路標識を持ち去ろうとしたり、いつまでも同じところをグルグルと回り続けていたりする。

 もしもUFO遭遇事件が真実であるなら、Sp事例は例外ではなく、むしろ多数派なのだ。UFO現象だけではない。このパターンは他の超常現象にも当てはまる。その分野における“典型的”な事例はむしろ少なく、Sp事例こそが多数派なのである。そして、真実はそこにある (Truth is Out There)。

 我々は、超常現象と呼ばれる曖昧な領域に、恣意的に明瞭な輪郭線を引いて、全てを明らかにしたつもりになっている。自分たちの解釈に合致した事例だけを選んで、絵を完成させているのだ。それは、二人のヒューマノイドが向かい合っている絵かも知れない。密約を交わしている政府高官とエイリアンだろうか?

 先に見たい絵があり、それに合わない大多数のものを輪郭線の外に追い出すことによって、絵が見えてくるのである。だがしかし、実のところ、捨て去った部分、すなわちSp事例こそが全ての中心なのだ。ここに注目してみよう。そうすれば、向かい合う二人のヒューマノイドの絵は溶けるように消え去り、隠されていたものが見えてくることだろう。

 不可視の聖杯が。

 超常現象は、その種類を問わず、繰り返し同じ場所で発生する傾向が見られる。地球上には、そのような“取り憑かれた”場所がいくつもある。もし、あなたの町でしばしばUFOが目撃されるのであれば、おそらくあなたの周辺では、心霊現象、ポルターガイスト、謎めいた動物の目撃、不可解な人間の消滅、その他の奇現象もまた、平均よりもはるかに高い頻度で発生しているに違いない。

 これらの事象は、水曜日に発生する傾向があることが知られている。UFOとの遭遇と、幽霊の目撃が、同じ曜日に集中しがちなことも、多くの研究家が気にかけない事実の一つだ。宇宙の彼方からやってくる宇宙船が、我々のカレンダーや、さまよい歩く亡霊の都合に合わせて運行する理由を思いつかないせいだろう。

 様々な超常現象が時間と空間について同一の偏りを示している以上、それらは互いに関係している可能性が高い。いくつかの“取り憑かれた”場所には、おそらく窓(ウィンドウ)が開いているのだ。どこに通じているのかは分からないが、何かが向こう側からやってきているだけでなく、向こう側に行ってしまう人々もいることだろう。

 『Spファイル』の読者に、心から忠告しておこう。これらのストーリーは、非常に奇妙で、とてもありそうになく、馬鹿げてさえ見えるに違いない。それらは、まさにそう見えるように意図されているのだ。誰によって? 私は知らない。しかし、あなたは答えを見つけるかも知れない。

 それは10年後かも知れないし、1年後かも知れないし、今日の夕方かも知れない。そのとき、あなたは寝室に横たわっているかも知れない。人里はなれた道で車を運転しているかも知れない。たまたま深夜営業の店から徒歩で帰宅する途中かも知れない。何の変哲もない日常生活。あなたはSp事例のことなど忘れている。

 そのとき、何かの気配を感じて、あなたはふと周囲を見回す。そして気づくのだ。Sp事例はいつも他人事とは限らない。実のところ、誰がいつ体験してもおかしくない、この惑星ではありふれたものなのだ、という真実に。


2005.11.15 J.A.Keel


【著者略歴】

J・A・キール
本名、アルナァ・ジョン・キール(1930〜2002)。米国を代表する特撮監督。
1957年、TVシリーズ『地球防衛組織シャドー』で特撮ファンに注目される。1970年『トロイの木馬作戦第一号』でスタートした「ウルトラテレストリアルシリーズ」にて不動の人気を獲得した。
ウルトラシリーズ第17話『マゴニアへのパスポート −四次元から来た怪獣ブルトン登場−』は、欧州の美術界に大きな影響を与えた。第11話『オカルト無法地帯 −黙示鳥人モスマン登場−』は、2002年『プロフェシー』のタイトルで映画化されている。
2002年1月14日、死去。その後も精力的に活動を続けている。



超常同人誌『Spファイル』2号に掲載(2005年12月)
馬場秀和


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