だめっこどうぶつ 8

 相変わらず自分の鑑賞者としての腕前は、おお、あそこになんだか高い山や果てのない道がありそうだよと、眺めている程度であります。生の舞台も何度か見ましたが、この情報量にはついていけません。あっさり自分の頭がオーバーフローするさまを、がっつり経験するのみ。しかしです。いいたいことは有る。あるんですよこれが。ああ、踊りって、ひとをだめっこにする力に満ちているのかもしれません。

ローラン・プティという振付家がいらっしゃいます。フランス人です。お若い頃は自分でも踊ってました。ていうか、そーか。フランスのモテ男(自認)は年取るとこーゆー喰えない顔つきのオヤジに変わるのか。
同じフランス出身のベジャールほど、バレエ以外の場所で言及されることは少ないかと思えますが、振付家としては同じくらい有名です。「現代のバレエ界を代表する」とかいう冠詞がつく方と申せましょうか。
で、まだまだ好きか嫌いかレベルの鑑賞眼の自分にとって、このおっさんは「どうしてくれよう」な位置付けにいます。こうしてだめっこ扱いしてしまえるポジションというか。失礼極まりないのでしょうが、致し方ございません。
まだ生舞台も拝見しておりませんが、なんとゆーか。だってフランス人だもの、という言葉が膜のように自分を覆うのです。
で、今回紹介させていただくのはTDKコアから発売されているDVD「こうもり」です。バレエ関連の映像は割高ですが、そーだよ。自分はたと気付きました。
図書館リクエストだ。このDVDも劇場はミラノ・スカラ座、もとネタはオペレッタ「こうもり」とくればリクエストも通りやすいんじゃないか? ダメですか? 美加さん。
たとえ、DVD付属のストーリー紹介を映像見る前に間違って読み通し、あまりの阿呆さに卓の支えが必要なほど眩暈がしようとも。そしてそれに引けをとらない、いかれた振り付けの連続でも。そして、たとえ、あんたただの脚フェチおやじやん、そんな突込みをとめどなく入れ続けてしまう内容であっても。そして、この作品の初演のヒロインが振付家の奥様だったとしても。
図書館に掛け合う価値はあります。ストーリー紹介するのは少し気が引けますが、ヨーロッパの上流階級で美人の妻と子供が5人の幸せな家庭を持つ主人公は、平穏な結婚生活に退屈しきって夜な夜なこうもりの翼を生やし夜の街に飛んでいってしまいます。それを知り悩む妻に夫妻の古い友人がある企みを持ちかけてと、いや、もうどうでもいいですね。
この夜の街ってのがいかにもだめなフランス人の考えるだめなアメリカっつーか、ミュージカル風な踊りで客を誘う踊り子たちが出てくるんすが、もうダサダサです。
うっわー。これ悪意ですよね。胸と腰と脚のラインをぎりぎりまで見せてます風の衣装は、それでもスカートはひらひらで膝丈だし、胸元にはトレープ付き。まあ、そんなにたいした露出度じゃございません。主人公は思いっきり興奮してますが、えーと。大丈夫か、こんな程度で。普段のお上品な生活ぶりがしのばれたりします。
そこへ颯爽と馬車を仕立てて、長いマントにくるまった謎の美女が登場だ。解説するまでもないですが、奥さんです。以前ちょっと紹介したアレッサンドラ・フェリ嬢、あの根明なヴィヴィアナ(でもフェリ嬢のほうがキャリアも長くて今でも現役ばりばりで有名です)ちっちゃくて可愛いイタリアの女の子で、いくつになっても二十七歳で通る容姿といいますか。
ああ、つい忘れていましたが夫役はマッシモ・ムッルというイタリアのお兄ちゃん、まあその。趣味にもよりますがいい男です。踊りがすごく気持ちよく、豪快というより軽やかで熊哲に持ち味が近いか。熊哲より女性を立てるしオレ様感は薄いですが。相手が天下
のフェリ嬢だったからかもしれません。
もっともこのダンサーは、現役女性ダンサー中、一番強気で自分を曲げない不屈の天才女性ダンサーであるシルヴィ・ギエムのお気に入りでもあるそうなので、ホントに相手のサポートがうまい可能性が高いですが。

では、バレエに戻ります。謎の美女は舞台中央でおもむろにマントを脱ぎ捨てると、そこに現れたのは、脚です。
いや、洒落や冗談ではなく、レース付きレオタード姿のむき出しの脚なのです。それ以外に目を向ける観客がいるなんて、想定され
ていないと思われます。プティって、そーか。いや、バレエなのですから正しいのでしょう。そうですよ、脚こそがバレエですよ。ええ。って本当にそうなんですか。
ここまで一点の曇りもなく主張されるとすみません素人が突っ込むレベルの問題ではないのですね。脚こそが命なんですね。脚が美しければ無問題なのですね。そう引っ込むしかないのです。突っ込みの虫は。いや、しかし。・・・ほんとっすか?
当然、夫は謎の美女が自分の妻だなんて考えもしません。上客にしなだれかかる店の踊り子を邪険に振り払い、美女の思わせぶりな誘いに乗って一緒に踊り始めます。ここでも、脚のみ。
いえ、あの。パ・ド・ドゥで最も大切なこと、それは女性ダンサーの脚をこれでもかと見せ付けることなのですね。そうなのですね、プティ先生。ナイトクラブの内装がダサダサなのも、踊り子たちの衣装があんまりにダサいのもすべてはフェリ嬢の脚を引き立てるためなのですね。
夫妻の友人役を踊っているダンサーはプティのアシスタントを務めている方で、この人が舞台に登場すると、とたんに舞台がくっきりとした印象に変わります。これこそが振付家の意図したものだと、立ち上る空気のようなものが湧き上がります。
なんというか。踊るってのは、飛ぶことにも回ることにも意図があって、それを絶対ぶれない軸で掴んでいるダンサーの存在ってのは、こんなにもすごいもんなのか。
ひゃー、すげえよ。などと、いい年をして口にしていい言葉じゃないよな叫びを、あげっぱなしでした。役の理解、踊りの解釈なんて言われても、うーむとぴんと来ることはなかったのですが、この方の踊りを見て、ちょっとはそれに触れたような気分になってしまった自分は、多分思いっきりうぬぼれているのでしょう。
や、楽しいもんですから。こんな腐れた感慨をもてあそんでみたりしました。
まあ、ここまでくれば、あとはもうモトサヤまで一直線なわけでして、ただただ、フェリ嬢の脚と、メイド萌えってフランスにも(いや劇場はイタリアか)あるんですね。そうですかな妄想が展開していき、夫のこうもりの羽を妻が鋏でぶちっと切り取り、お互いへの愛を再確認して終わります。ええ終わります。終わりました。

やっぱり、プティは自分の中で、よくわからんカテゴリーに浮き続けております。

お次は自分の中で、この人たちとは分かり合えないカテゴリーに不動の位置を占めているパリ・オペラ座バレエ団の「アパルトマン」ご紹介です。
なんと。これが
ですね、ものすごくはまったのですよ。
振付はマッツ・エックというプティよりひと世代若い、古典バレエの動きをがんがんぶっ壊すコンテンポラリーの雄、だったりします。スウェーデン出身で母親も有名な振付家だそうですが、作品からはそうなのかと意外に思える経歴です。
それ、日本では四股っていうよ。そんな振付を嬉々としてなさる方です。っつーか、五歳児が「見てみて、こんな変な格好できるよ」と自慢げに客の前で披露したり「こーゆー風に飛んでみてよ」と周りのオトナを困惑させるような要求を絶え間なくかましているままに、大人になっても、それがとどまるどころかエスカレートしちゃったんだな。
そうとしか思えない、振付をしています。一応、紹介では登場人物の本質をえぐる衝撃的な振付とか言われてますが、ほんとうか? 「子供のように素直に、音楽を聴く」のがエックの創作のやりかただそうで、それならわかるよ。
短いインタビュー映像を見たこともあるのですが、あんたそんなこと欠片も考えてないだろうな、小難しいテーマについて雄弁に語っていたりして、喰えないです。
まあ、記者も仕事だし振付家の意図なんて記事は書きやすいに越したことはないよね。明らかにおっとりしたひとのよさそうな目がそういってました。僕もそのほうが色々やりやすいし。君を困らせるつもりはないんだ。やりたいことをやりたいだけで。

この「アパルトマン」という作品も、現代の都会生活で疲弊した家庭生活及び愛情がテーマです位のことは、ほざいたのでしょう。ええ、きっと。
まず目を引くのは登場人物たちのどこかちぐはぐな衣装です。子供がよく不審そうに見つめている「オトナって何であんな変な服を着たがるんだろう」そんな記憶の中に沈みこんでいたデザインがそのまま出てきます。さえない色の眩暈がするような取り合わせや、バランスの狂った模様、でこぼこの浮き出したスーツとか。
懐かしいよ、これ。絶対にこんななりをした大人などいやしなかったのですが、子供の頃はこんな風に見えたよ、確かに大人の着てる服って。説得力があります。
冒頭いきなり、知的美人な容貌の女性ダンサーにビデを相手に踊らせて、それがまた、やたらときれいだったりするのが素敵です。もうここでやられました。
パリ・オペラ座かー。いまいちだよなあと、気の進まないことおびただしかったのですが、そんな迷いは一気に吹き飛びました。
「アパルトマン」が舞台ですから、同じ舞台装置のままどんどん場面展開をしていきます。これをきっと、都会の没個性を強いられた人間へのうんたらとか言ったりしたんだろうなあ。いや、違うぞ絶対。だって楽しいじゃん。同じ部屋がどこまでも続いていて、その部屋に別々の人間が住んでいるって田舎のガキが想像してドキドキするような設定だぞ。
宇宙船みたいだな。すげーや、かっこいい。そうやって思いっきり憧れていたはずだ。
布製の本体をもつ掃除機を、女性ダンサー総出で振り回す「掃除機の行進」のシーンなんて、あんた子供の頃、掃除機にまたがって家の中暴走したりしてただろうと、突っ込んでしまいました。
この舞台は緞帳が三枚用意されていて場面が進むごとにそれが開かれていくという仕掛けになっているのですが、これなんかも子供っ
ぽさ全開だよなあ。舞台の向こうにまた幕があって、その向こうでは全然別の出し物が上演されているのかも。
子供なら一度は考えるよな。そして、もしもその幕が開くんじゃなくて閉じてきたら、舞台の上の人はどうするんだろう。これも絶対考えます。面白いよなあ。きっと慌てるんだろうなあ、見てみたいなあ。うん。私も見たかったよ、そんなシーンを。
期待を裏切らず、やらかしてくれます、マッツ・エックは。
三枚の幕が閉じた外で、死んだように横たわる女性ダンサーが一人。おい、一人かよ。ソロのみのパートはなかったよな、この舞台では。観客の突込みが終わった頃合に、幕の裾があわただしく持ち上げられ、相方の男性ダンサーが滑るように這い出してきて、女性ダンサーの脇に死体のように転がります。べたべたです。でも。どうしても、笑わずにいられなかった自分は、マッツ・エックに負けました。
「アパルトマン」群舞は最高におもしろかったです。掃除機振り回したり奇声を発して四股踏んでみたり。ソロも、ソファの上でぐねぐね体を動かしてみたり。それヒトのしていい動き違いますな、危ういバランスの(そう見えるだけです。完璧にコントロールされてます)ジャンプや椅子相手のリフトとか、やりたい放題です。
そうか。ここはパリ・オペラ座だ。世界で最も訓練の行き届いたダンサーがゴロゴロしているバレエ団なんだ。マッツ・エックの御機嫌な顔が舞台の壁に浮き出ていたのを、確かに目にしたような気がいたします。
こんな動き出来る? おお、すごいね。じゃあ、これはどうかな。
丈夫で壊れない、いかれたおもちゃを存分に振り回している、無事に育つのかこいつは、周囲の大人を心底疲れ果てさせた子供のように振る舞っていたのだろう。予断とはいえ、この作品を前にしては、そう思わずにはいられません。
しかしです。後半の見せ場である「恋人のパ・ド・ドゥ」という、行き違う男女の虚しいやり取りを表現したと非常に評価の高いらしいパートがあるのですが。
あのー。すみません。どこら辺に、求め合いながらも虚しい関係しか築けない孤独な男女とかがいるんですか? ものすごく、不発だと思う自分が間違っているんですよね。
五歳のガキが大人って変なことするよなと、部屋のすみっこで覗きでもしていそうです。ていうか、自分がそうなった気分です。それに何の異論もないので、まあまあ楽しくはありましたが、だからどこに都会生活のってどうでもいいですね。
恋愛沙汰は子供の最も苦手とするところです。それとも経験値があがるとあれにも涙しちまうものなんですか。笑うとか。うーん。
まあ辛気臭い踊りの後は当然弾けてくれます。しかし、そんなことを今更言うな、なんですが。パリ・オペラ座のダンサーって踊り上手いんだなあ。すげーよ、このひとたちは。自分初めてパリ・オペラ座の舞台で、しみじみと感動いたしました。
上演時間が五十分ちょいの一幕物なのもいい感じです。さあ、図書館へリクエストしましょう。真の童心に戻れます。

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