ロック魂、あるいは芸術の不滅について

皆様、ご記憶でしょうか。チンチラのホンマンを。
そう、あの白くて、縫製ミスではねられる直前のぬいぐるみのような、どことなくバランスの崩れた顔をした、
不器用で、意地汚くて、欲ボケの、無駄な知能ばかりが高い、生涯心安らかな生活とは無縁ねとわかる、
ダメというかイヤというかな性格の、器の小さいチンチラです。

チンチラのホワイトという毛色は、実は、非常に稀なのです。貴重です。
毛皮として。
つまり、スタンダードグレーなら容赦なく淘汰されたであろう、もろもろのダメを、
めったにない毛色をしているからという理由で、大目にみられた可能性が大である、ということです。
そういうわけでペットとして長期におつきあいをしていれば、さまざまなトラブルに巻き込まれる可能性が高いのです。
ホワイトは他の毛色に比べ、免疫系の不具合を抱えている個体の割合が非常に高いらしく、
ホンマンも、我が家に来て半年もせずに、他の同居チンチラが何の症状も見せてない小屋で飼われていながら、
真菌性と思われる皮膚炎を二ヶ月近く患いやがりました。
こいつとの付き合いは、長くはないかも。
そのとき密かに覚悟を決めた、私達の何かが良かったのか悪かったのか、とにかくその後、鼻面を赤剥けさせても
一週間もすれば自力で直し、下痢なのかと疑われるような太い糞も、一日以上続けざまに出すこともなく、
現在もなお、無事にお付き合いをさせていただいております。

こいつは、ただぼんやりと、お立ち台と私達が呼んでいる、ケージのコーナーに装着した木製の板の上にうずくまっているときなどは、
ほんとに野生動物なんかお前は!(いや、ちゃんと日本でブリーディングされた個体ですが)と、
大げさに指先で口元を覆って驚いて見せたりしてしまうくらい、愛らしいんですが。
部屋に人が入ってきたことに気づいたとたん、奴の顔から愛らしさは消え去ります。
欲ボケ。
こう呼ぶしかない卑しい顔つきに、一瞬にして変貌します。
餌は? おいしい(ここが彼にとって最重要なポイントです)餌は? 
ケージの枠をつかみ上体を心持ち上げ、思い切り首を上向かせて、鼻をひくつかせます。
糖分のたっぷり入ったドライフルーツを手に入れるまで、その無理やりなポーズを続けるのです。
そして、餌を手渡されるとあの野郎は、人間様に背を向けやがるうえにです。
ちったあ味わえよ、美味い餌なんだからと、思わず人に拳握らせるほど必死に早食いをします。
隣り合った別のケージにいるミヨンやウィンホンに、続けて餌を手渡していると、はっきりとわかる気配を発します。
「なんで、俺だけが」
怒ってます。屈折した、怒りです。
自分だけが不当に扱われている。
まあ、食い意地のはってる欲深い性格なんて、そう珍しくはありません。ただ、こいつの場合これが待っているのです。
「ホントの俺は、こんな扱いをされていい漢じゃないんだ」
「こんなとこでくすぶってる俺は、ほんとの俺じゃねえ」
ああ、そうかよ。
ほれ。差し出された美味しい餌を、奪い取るように(ホントの俺じゃないからね)私の指先から素早く掴むと、
人に背を向けるだけじゃ足りず、薄暗い木製の小屋に飛びこんで隠れ、がつがつと貪り食う。
ひとりで馬鹿でかいケージを使い放題のくせに。
どこのだれに、おいしい餌を掠め取られると思ってやがるんでしょうか、このネズミは。器、小さすぎ。

こいつが他のチンチラと同居していた頃の得意技に、口元チェックがありました。
おいしい餌を速攻で口に押し込み、まだもごもごやってる途中にもかかわらずです、さっとウィンホンに近寄り、
うっとりと美味に酔っているウィンホンが、口先に祈りのポーズで抱えている餌をさくっと横取りです。
あれえ、もう餌終りなのかあ、いや、美味しかったなあと、ご満悦なウィンホンに素早く背を向け、
取りつかれたように甘い餌を貪ってやがる奴って。
まあでも、これくらいは許してもいいかなと思います。ええ。生き物の性ってもんです。
が、人の足音がするたびに、他人の口元をまず窺うってのは、どうかと思います。
だから、だれも餌なんかもらってねえって。お前を、出し抜いてなんてな。

最近はちっともやらなくなりましたが(餌を替えたのです)餌箱に餌を入れると念入りに掘り返す。
いや誰でもやります。これくらい。おやつを混ぜ込んだタイプの餌をやってれば。
おやつのなくなったあと、まだ、同居中だったウィンホンが、おいしそうに普通の餌を味わい出すと、
ホンマンは必ず、がしっと強引にウィンホンから餌箱をガードし、あさるんですよ。中を。念入りにね。
こいつは俺を差し置いて、美味い餌を独り占めしようとしてやがる。きっと、美味しい餌が、まだ隠れ
ているんだ。
なんで、半端な知性は不幸をよぶのでしょう。そして、何故それに気づくことができないのでしょう、半端な知性では。
業か? 
ふと、しょうもないガキの頃に、近所の駄菓子屋さんのアイスを入れた冷蔵庫を毎回念入りに掘り返していた記憶がよみがえり、
嫌な気持ちになりました。美味しい売れ筋の商品は、取り出しやすいところにあるに決まってるじゃんか、私。
なぜ、夢見るんだ。よりによって、そんな卑しい夢を。
自己嫌悪にひたりながらも、やっぱりダメだわ、このネズミと思うのでした。

チンチラをまだ同居させていた頃のことです。
ホンマンは、混み合った小屋から半身をぬっと伸ばすと、小屋に向かって掛けられたはしごを、がっしりと手で掴み、
突然、本当に何の前触れもなく「けえーけえーけえー」と、部屋中に無気味に響くシャウトを、やらかしたのです。
何事? 
あまりにも意味不明で、でもなんというか、こう、まさに心の叫びだったわけですよ。それは。人間の耳には。
おまえ、腸を詰まらせたのか、いや、それはないし、もしかして骨折? でも、身体伸ばしてるよな、ちゃんと。
おろおろする人間をよそに、まさに耳元で大音量を聞かされたはずのミヨンはともかくウィンホンまで、見事な無反応です。
緊張して聞かないふりをした、なんてのじゃありません。
ほんとに、あの叫びが幻だったのかと疑うほど、うとうとと昼間のチンチラらしく、半ば眠った状態でリラックスしているのです。
おい、あんたたち、あの心からの叫びを、無視かい。っつーか認識そのものが、欠落してるんですね。
ホンマンの放った、全霊を込めたと思しい訴えかけるような魂の叫びを、受け取る何かが、ほんとに存在してないんです。
他のチンチラには。
まるっきり、無駄、無駄。ホンマンも特にいじける風もなく、いつのまにか小屋に身体を引っ込めてしまいました。
なんだったんだろう、あれは。
人としては、ただ呆然とするのみでした。
その後ホンマンは、思い出したようにシャウトを繰り返し、同じように、なんの影響も同居人に与えることはできませんでした。
人間には、色々な意味で、ダメージの残る叫びだったのですが。

あの、餌箱叩きのパフォーマンスをご記憶でしょうか。
ええ、あれも実は、人間にのみプレッシャーを与えたのです。
他のネズミどもは、それどころではなかったとはいえ、まったく気にしている様子は窺えませんでした。
また、心の赴くままに行動していると思しいホンマンが、それを気にしているようにも思えません。
人間に餌をねだる行為が、通じていないと感じたときの、あの屈折した、嫌な気配は微塵も発していませんでしたから。
ただ、ホンマンにあるのは、表現への強い衝動であり、他者へそれが伝わるかどうかは、問題ではないようでした。
人間を除いては。
明らかにホンマンは、私達の反応は窺ってます。
自分に起こるもろもろの理不尽は、大抵こいつらに端を発している。そう、思っているのです。
いや、間違ってはいませんが。
だったら、少しは私らと信頼関係を築こうとか、思わないのか、お前は。
俺を何だと思ってるんだ。
そういう鬱屈した目で私達を見てどうする。あんた、毛深いねずみじゃん、ただの。
この意見に彼は納得はしていないようです。
ロッカーですから。あいつは歌も下手だし、ギターもろくに弾けないが、生き様がロックなんだよ。
そう、言われたいのかもしれません。私達にか? いや、多分。

ホンマンが一人暮らしをしているケージには、長らく回し車がついていました。
ホンマンは、その上でうとうとと居眠りをしたり、もっと大切なことには、プライドを傷つけられたと感じた時など、
何かを振り切るように、憑かれたような表情で、それを激しく回していました。
つまり、心の支えだったのです。
しかし、ここは集合住宅です。いくらペット可とはいえ、騒音の苦情は死活問題です。
これだけ広い小屋を独り占めさせたのだからと、回し車の撤去に踏み切りました。
そして、非常に痛いしっぺ返しをくらったのです。
ホンマンは、何度も回し車のあった場所に、違うルートから近づきました。
階段の途中から飛び降りる。上段の棚から決死の覚悟でダイブする。
下段の棚から試したときは、勢い余ってケージに激しく鼻面をぶつけていました。
間違いなく、心のオアシスが消えていることを確認して、呆然とするホンマン。
仕方ないと諦めるはず。そう、タカをくくっていたのですが。
あの野郎は、夜昼なく、回し車のはまっていた場処のケージの枠に飛びつき、激しく体当たりをしては、
派手な音を立てつづけたのです。
回し車の撤去の意味なしの騒音です。
そのうち、この枠を攀じ登り、小屋をのせている上段の棚にぶら下がっては、背中から落ちるなどという、
愚かなことを繰り返しだしました。
その後には、床に二本足で立ち上がり、上を見上げてくるくるとピルエットを繰り出します。
いや、それが日々上手くなってる辺りが、なんというか、とても嫌でした。
撤去直後は、人がいようといなかろうと、ガンガン派手な音を立てていたのですが。
ピルエット技に磨きがかかりだしたころから、変わってきました。
人がドアを開ける。なんだかぐずぐずとモルモットたちの世話などしている。
きます、気配が。やる気だな、こいつは。
チラッと横目で確かめると、それの呼応するように始まります。ホンマンのパフォーマンスが。
まず、小屋から素早く階段を駆け下りる。下段の棚から、回し車のあった柵まで一気にジャンプ。
おもむろに二本足で立ち上がり、柵に数回体当たりをして、派手にケージを打ち鳴らした後、一際高く跳躍し、
上段の棚にぶら下がって身体を激しく振り回します。
それから(二回に一回は)見事に床へ着地した後、くるくると見事なピルエットを決めてみせます。
また階段を掛け登り下段の棚から、巣箱の横のわずかな隙間に一気に飛び乗る。
そして(奴的に)ハイライトは、巣箱の上とケージとの、ぎりぎり自分の身体を押し込める空間に仰向けにはまり込み、
ケージの柵を手前から奥に向かって、一定のリズムでもって左右の手で交互に掴み、
小屋の端まで身体を滑るように移動させるのです。
(うちの連れ合いは、つれなくこれを「背泳ぎ、背泳ぎ」と連呼しますが)
その後ホンマンは、ものすごく俺様な顔をして、お立ち台に飛び乗ります。
輝いてます。一瞬の光芒ですが。
すぐ「餌はどうした」の卑しい顔に戻りやがるので。いや、大切だよな、美味しい餌は。
っつーか、このあたりネズミの哀しさで、芸を見せたご褒美として美味しい餌をもらうという発想が、欠如してるのです。
明らかに、この一連の行動は、回し車撤去という侮辱に対する抗議であり、そのうち、なんだか手順の決まった、
俺的に快感な行動様式に変化していっただけなのです。
ああ。見返りを求めるなど、ロッカー、いやアーティストとして邪道なのでしょう。
俺の叫びを聞いてくれ、が原点ではないのです。
俺はどうあっても、叫ばずには、いられないのです。
そうです。芸術とはきっと、そうしたものなのです。
・・・だから、他の連中にもお前と同じだけしか餌やってねえっての。
なんで、他の連中に餌をやっている飼い主を、抜かりなく観察できるのに、
他がもらってる餌が、あんたとまるっきり同じものだってことが、わかんないんだよ、お前には。

芸術は、不滅です。業も、また。
きっと、この広い宇宙には、何はなくともロック魂は普遍に存在するのです。ええ。

唐突ですが、ご好評だったミヨンちゃん(オス)についてのその後のご報告を。
我が家に新しいモルモットが二匹やってきました。名前は「ちあ」と「たおず」といいます。
どちらも一見可愛い系というか、少年マンガラブコメで、幼馴染の可愛い、やらせてくれ、いえ、いい雰囲気になって、
いいよなお前とお友達の適度な嫉妬を煽れるくらいの美人ちゃんズです。
で、また掃除のときの例の事故が起こったのですが。
キュッキュッという、新入りモルモットたちが、人の顔を見ると必ず発する、あんた邪魔なのよ声がしたのです。
ああ、やっぱり、そうそう、うねのようなダメはいないわよねと思って振りかえって見たのですが。
そこには、すっくと胸をはり、二本足で立っているミヨンがいたのです。
ぐっと鼻面を片手でこすり、身だしなみ整えて。キリリとした目元涼しい、顔つきをした。
あんた、なにもん。にせか? 
固まる飼い主をよそに、颯爽とちあに歩み寄るミヨン。
じっと、ちあはミヨンを見詰めています。こ、これって。
すっかり腰の引けた飼い主の前で、ちあにそっと片手を差し出したみよんちゃんは、見事な後ろ回し蹴りをくらって、
黒いふかふかの毛をごっそりと空中に舞わせていました。

思うにまかせない、それが人生というものなのでしょうか。

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