読書の記録(1999年 1月)

「スキップ」 北村 薫  1999.01.04 (1995.08.20 新潮社)

☆☆☆☆

 高校2年生の一ノ瀬真理子は,学校の文化祭から疲れて家に帰りうたた寝をしてしまう。そして目が覚めると,そこは自分の知らない部屋であった。そしてその家に住む自分と同い年位の女の子に「お母さん」と呼ばれてしまう。真理子は25年後の自分にタイムスリップしてしまったのだ。こちらでは桜木真理子と言う名前で,娘である美也子の学校で国語の教師をしているらしい。夫も学校こそ違うが高校の教師である。真理子は娘と夫の協力を得て,42歳の高校教師を演じる事になってしまった。

 ミステリーに良く出てくる閉ざされた山荘や複雑怪奇なトリック等で,あまりに現実離れしている設定にはどうしても違和感を持ってしまう。しかしここまで非現実的な設定で物語りが始まると,あまりそれが気にならないから不思議だ。さて本当にこんな事になってしまったら大変だろうなあ。驚き,嘆き,怒り。自分だったらたぶん現実を受け入れられないだろうな,と思う。だから真理子が現実を受け入れて,前向きに生きようとするまでの過程に不満が残ってしまった。17歳の女の子が,そんなに立派かなあ。美也子だって凄く大人に描かれているし,そっちの方が現実離れしている様に思えて仕方なかった。

 

「鳥人計画」 東野 圭吾  1999.01.06 (1989.05.25 新潮社)

☆☆

 スキージャンプのホープである楡井選手が毒殺された。殺したのは彼が所属するチームのコーチである峰岸だった。彼は何故自分のチームの選手を殺さなくてはならなかったのか。そして峰岸の犯行を見破った何者かが,彼と警察に連絡してくる。密告者はどの様にして彼の犯行に気が付いたのだろうか。

 スポーツには金がかかると言うのは常識だけど,それはスポーツが金になるからだ。「参加する事に意義がある」だとか,アマチュア精神などと言うものは今や死語でしかない。だから選手は勝つためにあらゆる努力をするし,観客は勝利と言う結果を彼らに求める。高地トレーニングは問題ないが,ドーピングと言われる薬物使用は不可である。しかし高地トレーニングだって,練習環境を変える事によって選手の体質改善を行っている訳だから,ドーピングと根本的な違いは無い。どこまでがいいか悪いか何て言うのはその都度,選手以外の誰かが決めているに過ぎない。この作品の中に出てくる選手は勝つために当たり前の努力をしているにすぎず,殺人に結び付けるのはどうかと思った。犯人に殺す程の動機が感じられなかったし,練習方法を巡るスパイか何かをテーマにした方がすんなり読めると思ってしまった。

 

「火車」 宮部 みゆき  1999.01.07 (1992.07.15 双葉社) お勧め

☆☆☆☆☆

 怪我をして休職中の刑事本間俊介は,遠縁の男性から失踪した婚約者を探して欲しいとの依頼を受けた。彼女は関根彰子と言い,以前に自己破産した事を男性に知られた事をきっかけに失踪したらしい。本間は彼女の勤め先や住まい,自己破産の時の担当弁護士等をあたる中で,彼女は関根彰子とは全くの別人である事を知る。

 カード破産と言うテーマの重さ,次第に明らかになる真実,ENDマークが目に浮かぶ様な印象的なラストシーン等など,全てが素晴らしい傑作です。今年読んだ中では文句なく一番です(って言ってもまだ1週間しか経っていないか)。もう20年前の事だけど,自分が社会人になった頃は給料も賞与も現金支給だった。だからまとまったお金を目にする事が曲がりなりにもあったのだが,銀行振込みになって今はそんな機会が無くなってしまった。自分がいくら貰っているのか,使っているのか概念では判っていても確かに実感が無くなってしまっている。カード会社の広告が氾濫する中,自分を守るのは自分でしかない。恐い話だとは思うが,カード破産者には同情できない。溝口弁護士が言う様に公害みたいな物だとは思うが,少なくとも交通事故と同列にはできないと思う。もっとも新城喬子には何ら落ち度は無かったのだが。

 

「天国までの百マイル」 浅田 次郎  1999.01.10 (1998.12.01 朝日新聞社) お勧め

☆☆☆☆☆

 主人公の城戸安男は経営していた不動産会社を潰し,妻には逃げられ不遇な生活を送っていた。そんな中母親が心臓病で入院してしまった。手術ができないほど悪いらしい。安男の兄と姉は裕福な暮らしをしているのだが,安男には冷たく母親の病気は諦めている。主治医の藤本医師が言うには,千葉県にあるサンマルコ記念病院の曽我医師ならもしかしたら直せるかも知れない,との事だった。安男は自らの力で母親を100マイル(160km)離れた病院まで運ぶ決意をする。

 いやはや泣かせてくれます。お涙頂戴と言うあざとさが鼻に付かないでも無いのですが,読んでいる間はそんな事を考える事無く,物語の中に引き込まれてしまいました。単純な話なんだけどねえ。子供を育てあげた母親と母を思う安男の気持ち,二人の医師,マリと英子,そしてまわりの様々な人たちの気持ちの温かさが伝わってきます。「500マイル」の歌詞がいい味付けになってます。とにかく何も言う事が無いくらい,いい作品です。

 

「ダレカガナカイニル...」 井上 夢人  1999.01.11 (1992.01.20 新潮社)

☆☆☆☆

 警備会社に勤める西岡悟郎は,山梨県にある新興宗教の建物の警備を担当する事になった。しかし最初の晩に道場の火事で何と教祖が焼死してしまい,その責任を取らされる形で会社をクビになってしまった。そしてその時から西岡の体に異変が起こる。彼の意識の中にもう一人の意識が入り込み,その意識は火事で焼け死んだ教祖の意識だと主張する。そして火事は事故ではなく,教祖を殺そうとした何者かの犯行だと。

 山梨県,新興宗教の道場,ポアとくれば,どうしたってオ○ム真理教を連想してしまうが,この作品が書かれたのは,オ○ム真理教の事件以前だと言う事がまず驚きだ。西岡と彼の中に入り込んだ別の意識との会話が中心となって話は進む。しかし教祖の娘である晶子との出会い,教団を敵対視する住民と信者の家族,西岡の言葉を信じて彼を診察する医師,火事の原因を調べる警察の動き等が絡まって行く。他人の意識が入り込むと言うSF小説,教祖殺しの犯人探しとトリック解明の推理小説,西岡と晶子の恋愛小説,と盛り込み過ぎな感じがしてしまった。その為教団施設でのラストシーンが中途半端に思えてならなかったけど,大変面白いストーリーだった。

 

「奇跡の人」 真保 裕一  1999.01.13 (1997.05.25 角川書店)

 交通事故により植物人間一歩手前まで行った相馬克巳は奇跡的な回復を遂げ,「奇跡の人」と呼ばれるようになる。しかし今までの記憶はおろか,知識も何も無い状態となってしまっていた。幼い頃父親を亡くした為,母が一人でまるで赤ん坊に接する様に彼を一から育て直していく。母の病死の後も病院の医師らにより彼は成長と回復を成し遂げ,中学生の教科書を手にする頃,8年間の入院生活を終え退院する。一人暮らしを始めた相馬は自分が起こした事故とそれ以前の自分について何も知らない事に疑問を持つ。母がそれまでの痕跡を全て消し去っていたからだ。

 九死に一生を得た主人公を取り巻く人たちの愛と感動の物語,そして僕好みの自分探しのストーリー。ちょっと真保さんらしくないが面白そうだなあと思っていたのだが,後半は違和感が残った。一旦リセットされた人生が,実はそうではなかったと言う結末への伏線なのだろうが,これじゃ単なるストーカーだ。もっとも知識的には中学生なのだから,正常な判断行動が取れないのも仕方がないのだろうか。母親があれほどまでにして隠していた事実が,こういう形で明らかになると言う終わり方,何よりエピローグの部分の不自然さはどうかと思う。あまり美化したくなかったのかも知れないが,前後半でガラッと変わり過ぎてしまい,ちょっとついていけないなあ。

 

「異人たちの館」 折原 一  1999.01.18 (1993.01.20 新潮社) お勧め

☆☆☆☆☆

 富士山の樹海で行方不明になっている息子「小松原淳」の伝記小説を書いて欲しい,とライターの島崎は彼の母親から依頼される。小説家を目指していた淳の部屋に残されていた資料や,彼の周りに居た人達へのインタビューにより淳の生い立ちを調べ始める。彼が子供の頃から何度も現れる謎の異人,連続幼女殺人事件,友達の謎の死,美しい妹のユキとの関係,と不思議な事が次々と判ってくる。また島崎以外にも淳の事を調べている人物の存在。そして謎の異人は,何と小松原家の洋館の地下室に居た。

 ストーリーは大変に面白い。淳の伝記を書く為に彼の過去を調べるだけなのだが,例によって本文の他に,様々な人の証言や,淳の作った小説,樹海で書かれた手記やらが入り乱れて,話が複雑になっていく。最後の方に書かれた「小松原淳の肖像」を読んで,やっと全体像が判る始末。逆に言えば,簡潔にまとめてくれないと判りづらい。作者が悪いのか,読者が悪いのか。相変わらず登場人物全員が異常で,そのあたりも小説世界に入って行き辛い部分だ。それでも本当によく組み立てられた話です。

 

「今夜は眠れない」 宮部 みゆき  1999.01.19 (1992.02.20 中央公論社)

☆☆

 平凡な一家に突然降って湧いた様な5億円の贈与。妻が若い頃親切にしてあげた男が,金持ちになった後亡くなり,身寄りのないその男の遺言によるものらしい。世間から好奇の目で見られる一家。主人公である中学1年生の僕は友人の島崎君と一緒に真相の確認を行うのだが,とんでもない事件に巻き込まれてしまう。

 突然の出来事によって引き起こされる夫婦の不和,いわれなき誹謗中傷等などというドロドロした内容なのだが,中学生の主人公の目で語られるので,結構明るい感じで読めてしまう。誰だって突然大金持になったら冷静ではいられないだろうから,宝くじ当てた様な人はさぞかし大変だろう。まあ,こんな事が自分の身の上に起こればいいなあ,と思っている位がいいんだろうけど。探偵役の島崎君とともに真実を突き止めるのだとばかり思っていたので,後半の事件はちょっと唐突な気がしてしまった。

 

「スナーク狩り」 宮部 みゆき  1999.01.20 (1992.06.10 光文社)

☆☆☆☆

 釣り具店に勤める織口は他の店員から「お父さん」と呼ばれ慕われていた。関沼恵子が趣味である射撃用に使う散弾銃の改造の為,この店に鉛板を買いにきた事により,織口はある計画を思い立つ。彼女の銃を奪い自分の妻と娘を惨殺した犯人を襲う事を。そしてその実行の日,織口の計画に気づいた店員の佐倉修治と,関沼恵子の元恋人の妹である国分範子は織口の後を追う。

 関沼恵子と国分慎介の話,佐倉修治と野川裕美の話,神谷尚之一家の話など様々な話が徐々に一つに繋がっていき,北陸を目指すメインストーリーとなっていく。連続テレビドラマを一気に見ている様な構成だ。話は外れるが,実際の犯罪やその裁判結果を聞いて納得がいかない事が多い。どうみても量刑が甘いし,被告の人権ばかり主張する弁護側やマスコミの姿勢にも腹が立つ。関係ない人間でもそうなのだから,被害者の関係者なら尚更だろう。必殺仕事人は居ない,西部劇の世界でもない,目には目をの○ス○ム教の世界でもない。文明社会だからある程度は仕方無いとしても,何の罪もない人達が不当に扱われる社会はおかしいと思う。その様な主張が込められているのだろうが,スリルとサスペンスに傾き過ぎたのではないだろうか。読んでるぶんには面白かったが,そこら辺が気になった。

 

「朽ちた樹々の枝の下で」 真保 裕一  1999.01.25 (1996.03.25 角川書店)

☆☆☆

 事故で妻を失った尾高健夫は服飾関係の職を辞め,森林組合員となる。ある朝,森の中である女性と偶然出会うが,彼女は彼を見て逃げ出してしまう。彼女の行動に疑問を持った彼は妻に対する自責の念もあって,彼女の助けとなるべく彼女の正体を探ろうとする。彼女を見つけたのは自衛隊の演習場の近くだった事もあり,その方面から調べるのだが,ある自衛官の事故死,不発弾の不法持ち出し等の事実が次々と浮かびあがってくる。

 「ホワイトアウト」に似た進行なのだが,全体的に地味だし,主人公にしろヒロインにしろ事件に関わる動機がはっきりと伝わってこない。森林組合理事の犯罪や自然保護団体の行動やら,いろんな事を詰め込み過ぎた様な気がする。それでも富良野岳付近における追跡のシーンなどは面白かったけどね。病院の栗原医師や組合員達の多彩な人物描写に比べて,ヒロインの表情が貧弱すぎるのも気になった。だけど一番判らなかったのがタイトルかも知れん。