「何故山に登るのか。」と言う問い掛けに対して,「そこに山があるからだ。」と答えたのは,イギリスの登山家マロリーです。彼は世界最高峰であるエベレスト(最近は中国側の呼び名であるチョモランマと呼ばれる事も多いのですが)の初登頂を目指しておりました。1924年,頂上目指して登る彼の姿を同僚が確認しておりますが,ガスに隠れて見えなくなりました。そしてそのまま彼は帰ってきませんでした。初登頂に成功したのか,頂上手前で遭難したのか未だに謎のままです。
結局エベレスト初登頂は,1953年のヒラリーとテンジンと言う事になっております。ですがマロリーは愛用のカメラを持って行きましたので,もし初登頂に成功していたら,その事実を写真に収めていたでしょう。もしマロリーの遺体とともに彼のカメラが発見されたら,この歴史が塗り替えられる可能性があります。ここら辺の話は夢枕獏さんの「神々の山嶺」に詳しいですから,興味がある人は読んで見てください。ちなみにこの作品の中に登場する羽生と言う登山者は,同じ問いに対して「ここに俺がいるからだ。」と言っております。格好いいですね。
まあそれはともかく,彼らの様に登山と言う行為を一つのスポーツとして捉える考え方があります。これは一般的にアルピニズムと呼ばれるものです。より高い山へ,より厳しい山へ,無雪期から積雪期へ,そしてさらに厳しいコースを求めて前人未踏のルートを目指します。ですが登山者全てがこの様な考え方で山に登っているのかと言えば,そうではありません。と言うより社会人の山岳会や大学の山岳部に所属する一部の登山者を除いて,私もそうですが大多数の登山者は,登山を旅の一環として楽しんでいるのではないでしょうか。いわゆる山旅と言う考え方です。
アルピニズムと山旅,どちらがどうとか言うつもりは毛頭ありません。これは山に登る登山者一人一人が,山に何を求めるのかと言う違いでしかありません。もともと山に登ると言う行為は,これら両者のどちらでもありませんでした。それは狩猟の為であったり,山の反対側にある村への交通の為であったり,また山自体を信仰の対象とした宗教上の行為でしかありませんでした。スポーツにしろ,旅にしろ,趣味として山に登ると言う行為が普及したのは,それほど昔の事ではありません。
さてここからが本題なのですが,何故私は山に登るのかと言う事です。実は判らないんですよね。少なくとも「そこに山があるから。」でも「ここに俺がいるから。」でも無い事だけは確かなんです。気が付いたら高校でも大学でも山のクラブに入っていましたし,第一「何故山に登るのか。」何て真剣に考えた事なんて無かったですもん。父が山好きで子供の頃から近くの山に何度か連れて行ってもらっていたので,自然に山好きになったのかも知れません。
また生まれ育った立川の実家からは山が良く見えるんですよ。南の方には大山から始まって丹沢の主稜線が塔の岳から蛭ヶ岳そして大室山へと続きます。その右には大きな富士山。そして西の方には奥多摩の山々が連なっています。とりわけ大岳山が特徴ある形で印象深いですね。夕方になると富士山の方角に日が沈むんですが,その時の空の色の美しさを良く覚えています。オレンジ色の空をバックにした山のシルエット。そして上に行くに連れて青く黒くなって行く空。空が真っ暗になるまで,見入っていた事がありました。子供の頃に見たそんな景色が山への憧れの気持ちにつながって行ったんでしょう。
さて「何で山に登るかは判らない。」と言いましたが,山登りをするきっかけだけは覚えています。それは中学2年の時の事なのですが,近所の同級生と奥多摩の山に出掛けました。山の事なんかロクスッポ知らない子供4人組ですから,今から考えるとメチャクチャです。のんびりと立川を出発して国鉄青梅線の氷川駅(今ではJR青梅線の奥多摩駅と言います)まで行き,大岳山を目指しました。どれだけ時間が掛かるかも判らないのに,休み休み登ったものですから,頂上に着いたのは夕方でした。
下りは五日市までの長い下りを進んだので,すぐに真っ暗になってしまいました。もちろん懐中電灯なんて持っているはずもありません。不安になるやら怖くなるやらで,こんな所に来た事を呪ったもんです。まあ遭難騒ぎにもならず何とか無事に下りられたから良いような物なのですが,恐い事をしたもんだとは思います。だけどこれに懲りたかと言うと,全然そんな事はありませんでした。と言うより,これがきっかけになって次々と山に出掛ける様になりました。
そして高校生になり,迷わず山のクラブに入りました。今まで奥多摩の低山くらいしか知らなかった自分にとって,八ヶ岳や北アルプスは圧倒的な迫力を持って迎えてくれました。硫黄岳から見た赤岳や阿弥陀岳,燕岳からの槍ヶ岳,そして涸沢から仰ぐ穂高岳。もう山は生活の一部になってしまいました。大学に入ってからはさらに道の無い山,雪山,沢登り,山スキーと活動の場は広がっていきましたし,行く回数も飛躍的に増えました。一つ行くと,次に行きたいと思うところが二つ以上出てくる様な感じでしたから,「何故山に登る」のか何て考える暇は無かったですよね。
まあ好きな物に理由なんて何の意味も無いんだとは思います。マロリーの言葉でさえも,「そこに山があるから」と言う名セリフがあったからこそ,その問い掛けもあるんだと思います。最近なかなか山に出掛ける機会は少なくなってしまったのですが,山に行きたい気持ちは変わりません。実は昨晩も,この夏はどこに登ろうかなと思いながら,山の本を見ていました。ちなみに1999年にマロリーの遺体はアメリカの捜索隊によって発見されました。しかし彼のカメラは見つかりませんでした。