日本列島縦断バスの旅

 

【3日目】 福岡→広島→松山

今日最初に乗るのは、福岡発広島行きの西鉄バス「ミリオン」号。現在は廃止されてしまっている。
実はこの路線、この旅行に出発する直前にダイヤ改正があって、朝1番の便がなくなってしまった。それで今日の出発は9:30という、かなりのゆっくりした朝になった。

ということでのんびりと天神のバスセンターへ行く。このバスは博多駅の交通センター始発で、そこから天神にやってきたのだが、博多駅からの客は0。天神からも5人しか乗らなかった。まあ、これだけ需要が少ないんじゃあ廃止になるのもしょうがない。



 ミリオン号(湯田S.A.にて)
 

バスはすぐ近くの天神北ランプから福岡都市高速に乗り、貝塚で降りて一般道を走り、福岡I.C.から九州自動車道に乗った。
10:55、関門橋通過。九州を脱出し、ひとまず本州に入る。
11:40、山口市の湯田S.A.に立ち寄り、休憩となる。ここで運ちゃん交代。今乗っている便は今日の初便だから、乗り込んできた運ちゃんはここにある詰所兼宿泊所で1泊して今まで待っていたようである。なんともまあのんびりした運用である。
現在であれば広島に行くとなればここから山陽自動車道を行ったであろう。ところが当時はひたすら中国自動車道を進み、広島北JCTで広島自動車道に入るルートだった。
広島I.C.で降り、新交通システム(アストラムライン)が工事中だった祇園新道(この直後その橋桁が落ちて大騒ぎになったところ)を走り、バスセンターを経由して広島駅の南口に14:15着。

ここから船に乗って松山に渡る。しまなみ海道なんて影すらなかった時代である。
さっき書いたとおり福岡からの第1便が廃止になってしまった関係で広島での時間に余裕がなく、駅から仕方なくタクシーで宇品港へ向かった。広島駅から宇品港なんてバスや路面電車がいっぱい走っているのに・・・。

広島から松山へはジェットフォイルと普通のフェリーがあり、もちろんフェリーに乗る(これが時間に余裕のない理由だけど)。15:00出航。

このフェリーは乗っていて飽きが来なかった。もともと島の多い瀬戸内海。特に呉の先にある倉橋島と本州の間にある「音戸の瀬戸」なんか、海と言うより川のようであった。

17:46、松山観光港到着。すぐに連絡している道後温泉行きの伊予鉄の路線バスに乗り、今日は松山駅近くに泊まる。

 

【4日目】 松山→高知→大阪

今日まずのるのは松山発高知行き、JR四国バスの「なんごく」号。現在は1時間ヘッドのきれいなダイヤになっているが、当時は「ビジネス特急」とか「急行」とか「普通」とか入り交じり、複雑なダイヤだった。で、私の乗った8時発のは「急行」であった。



なんごく号(久万バス停にて)
 なんかバスの形に時代を感じますね・・・
 

8時、松山駅前を発車。市内をこちゃこちゃ走って国道33号線に入ると、あとは基本的にこの道を走ることになる。松山市のとなりの砥部町を過ぎると突然すごい山道になり、ループ線まである。その先の久万町からは、山間をずーっと走っていく。途中、3回くらい休憩があるところが、昔からある路線らしい。
山から抜けて、佐川からは土讃線と平行して走り、11:27に高知駅着。

高知からは一気に大阪に向かう。普通これだけの長距離路線になると夜行バスになるのが常なのだが、なぜかこの路線には昼間便もあり、それを利用する。四国から関西方面に行くバス路線があまりなかったという当時の事情もある。

そのバスは、高知営業所発はりまや橋経由、となっていた。さてその「高知営業所」とはどこか。この路線は大阪の阪急バス、高知の高知県交通、土佐電鉄バスの共同運用で、どの高知営業所かわからない。案内所で聞いても「はりまや橋も通るよ」としか教えてくれない。まあ、普通の人ならその説明で十分なんだけど・・・。
結局めんどくさくなって、はりまや橋のバス停で待つことにした。あとで知ったけど、「土佐電鉄バス桟橋車庫」だったらしい。

14:05、はりまや橋バス停から、高知発大阪行き、「よさこい」号発車。私が乗ったのは阪急バスだった。
現在なら、高知から大阪まで高速道路網が完全に整備されている。ところが当時は惨憺たる状態であった。

まず南国I.C.から高知自動車道で次の大豊I.C.まで。そこから国道32号線。ちょうどそのあたりは大歩危、小歩危の景色の良いところである。そのあと道沿いに池田町、猪ノ鼻峠、琴平町を通り、善通寺市内で国道11号と合流、坂出I.C.で瀬戸中央自動車道、いわゆる瀬戸大橋に乗る。
瀬戸大橋を渡りきったところの鴻ノ池S.A.で唯一の休憩。夜行バスのように運ちゃんが2人乗っていて、ここで交代。
瀬戸中央自動車道は当時次の早島I.C.止まりで、そこから国道2号線→岡山ブルーライン→備前I.C.から部分開通していた山陽自動車道で当時終点の竜野西I.C.→播但連絡道路→福崎I.C.から中国自動車道という、猛烈に複雑なルートで進む(いちいちメモっていた私もどうかしているが)。そして中国池田I.C.から新御堂筋を大阪市内に入ってくる。

現在なら1行か2行の説明で済むところを、それだけ複雑に走って20:33に(定刻より約35分早く)阪急梅田駅下のバスセンターに到着。ちなみに高速道路が整備された現在では、所要時間が約2時間も短縮されている。

この日は西宮市内にある親戚の家に泊まる。こんなに金のかかりそうな旅行をしていても、所詮貧乏な学生の身だったので、出費が抑えられるところは抑えるのであった。

 

5日目へ   目次に戻る