朝鮮民主主義人民共和国
+  中国国境地帯編

旅行第1日目 その3

市内のホテルへ

そこを出たところに、これからF氏と私が滞在中お世話になる2人のガイドさんが待っている。どちらも平壌市内にある旅行社の日本語係の人で、1人は張さん。もう1人は洪さん。どちらも流暢な日本語をしゃべる

とりあえず旅行社のマイクロバスに乗ってホテルに向かう。空港は平壌市の順安(スアン)地区というところにあり、道沿いには高層のアパートなんかも建ち並んでいる。道路に照明灯はあるが、電気はついていなくて暗い。張さんの話によれば5年前深刻なエネルギー危機があって、それ以来照明はつけていないとのこと。家々から明かりは漏れてはくるが、とにかく暗い。しかし、そんな中家路を急ぐ人たちが黙々と歩いている。車も自転車もほとんどない。荷台にたくさんの人が乗ったトラックを1台追い抜いた。

20分ほど走って、市の中心部に入ってくるが暗さは変わらない。しかし、所々にモニュメントがあり、これはきれいにライトアップされている。まわりが暗いから余計目立つ。もっと違うところにエネルギーを使えばいいのにと思わずにいられない。

空港から30分くらいで、私たちが宿泊する47階建ての「羊角島国際ホテル」に着く。今まで私が泊まったことのあるどのホテルよりも立派なホテルであった。

 

最初の食事

ホテルにチェックインすると、さっそく2階のレストランで夕食となる。2人のガイドは、その間別行動となる。レストランではすでにO氏とI氏の2人が食事をとっていた。
メニュー的には、キムチ、もやし炒め、ポテトサラダ、朝鮮海苔のスープ、ごはん、等々と比較的量も味もふつうの食事であった。関空から大連に向かう飛行機内での機内食以来の食事で、かなり腹が減っていたのでおいしく食べる。
羽田を出発してやっとゆっくりできた時間で、4人で北朝鮮ビールを飲みながら、自己紹介かたがた談笑した。北朝鮮ビールは、なんというか麦本来の味がするような気がした。



これが最初の食事。
 

しばらくしてO氏I氏の方のガイドが、「お味はどうですか」と言いながらやってきた。「朝鮮の人たちは、食事の量は日本の人より多いです。でも中国の人たちはもっと多いです」とのことであった。ふつうの人たちは普段満足できるくらい食事できるんですか、とは聞けなかった。

それからロビーで張さん洪さんとスケジュールの打ち合わせ。当初の予定ではあした平壌市内観光であさって板門店とのことであったが、予定がひっくり返ってあした板門店ということになった。

そして各自部屋へ。張さんと洪さんも案内中はこのホテルに泊まる。2人とも市内に住んでいるので別に帰宅してもいいそうなのだが、朝が早いので泊まるのだそうだ。

 

北朝鮮のテレビ

部屋に戻ると、さっそくテレビのスイッチを入れてみた。今やこのような国際ホテルではCNNやBBCなんかが見られるのが常識であるが、さすがこの国ではチャンネルは1つしか映らない。ガイドさんの話では週末はチャンネルが3つに増えるそうである。興味津々で、ベットでゴロゴロしながらずっと見ていた。

部屋に戻ったのは21時ごろで、その時はドラマをやっていた。まあふつうのドラマである。
21時半になると、今度は士気高揚をあおるような報道番組。「うちの工場ではこんなことをやっています」というようなもの。ときどき金正日が「指導」している写真が登場する。

22:10
頃から国際ニュース。映像は全くなく、ただアナウンサーがしゃべっているのが映っているだけ。
5分後、今度は国内ニュース。映像はあるが、内容的には「今日こんなすごい事業が行われました」というものばかり。

  

22:20からは天気予報。天気図は出て来ずに、ただ淡々と都市ごとに天気と気温を言うだけ。でも、天気マークと数字が出てくるので、朝鮮語がわからなくても理解できる。順番で言うと、平壌の次が白頭山であった。日本で言えば、東京の次に富士山の天気を言うようなものである。白頭山は、朝鮮解放戦争の聖地、とされているようなので、このような扱いなのだろう。

 


22:25から歌の番組。たぶん流行歌なんだろうな。

22:30からは創作ダンスの番組。これが長い。私はここで眠くなって寝てしまった。翌日I氏に聞いたところ延々1時間もやっていたそうである。

いやー、話には聞いていたけど、この国の人たちの公の情報源はこれだけなのである。

 

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