朝鮮民主主義人民共和国
+  中国国境地帯編

旅行第3日目 その1

市内観光へ

翌朝は7時半モーニングコール。昨日と同じように、そのすぐあとF氏と散歩に出かける。昨日はホテルのある中州のとったんまで行ったので、今日は逆方向に行く。
200mくらい歩いていくとホテルの門があり、そこに訳もなく新聞を立ち読みしているおじさんがいる。私たちはそこを出たあたりをうろちょろして、時間もないのでそのまま戻ってきたが、どうもそのおじさんに監視されているようで不気味であった。

8時から昨日と同じ場所で朝食。メニュー的には昨日とほとんど変わらない。

9時、車に乗ってホテルを出発。今日は1日平壌市内観光である。



毎朝だいたいこんなメニューでした

 

万景台

ホテルから15分くらい走り、市の西のはずれにある万景台というところへ行く。一帯が公園にないっていて、遊園地なんかもあって市民の憩いの場らしい。

で、ここに金日成の生家がある。もともとここは集落だったのだが、生家の周りを公園として整備するため、集団移転したとのこと。

ここでも専門の女性ガイドが付き、今度は張さんが通訳する。家そのものは小さいふつうの農家のような作りで(実際には「墓守」だったらしい)、要するにこれだけ偉大になっても家族の生活は質素でした、と言いたいようだ。



こういう家です
 

そこからその女性ガイドさんと一緒に「万景台」の地名の由来となった丘の上の展望台へ。今日も朝は霧がかかっていて、しかもこの時間帯はまともに逆光で、あまり景色は見えなかった。

 

拿捕船プエブロ号

万景台から市の中心部に戻る途中の道には、今日も人々が黙々と歩いている。それにしても今日は異常に人数が多い。みんなスコップと苗木を持っている。話によると今日は植樹祭らしい。この日の夜のニュースでも植樹祭のことを言っていた。
また別の話では、毎週金曜日(今日は金曜日)はみんなで
労働者の苦労を体験しましょうデー、土曜日はみんなで勉強しましょうデーだということも聞いた。



ひたすら歩く人々
 

その道に並行して流れる大同江に、小さい軍艦が停泊している。約30年前拿捕(だほ)された、アメリカの軍艦プエブロ号が、ここに曳航されて泊まっているのである。



プエブロ号
 

現在は人民軍の管理になっているようで、兵隊さんが内部を案内してくれる。最初に、かつての食堂のようなところで、この船について起こった事件についてのフィルム(英語版)を見る。かなり北朝鮮とアメリカの間で国際問題になったようなのだが、そんな事実があったこと自体初耳であった。

 

万寿台の金日成像

それから市内のほぼ中心部、人民大学習堂の横にある広場へ。このあと行く万寿台の金日成銅像に献花するための花をここで買う。2人で500円(また日本円)であった。で、しばらくその辺を散歩する。

とにかくこの国の中は、日本人だけでは怖くて1人で歩けない(というかヘタに歩くと当局に通報されて、場合によっては捕まってしまうこれは事実らしい。)雰囲気があるが、ガイドさんと一緒だと何でもあり。写真も撮り放題。というか、撮ってはいけないところは教えてくれる。そんなところはあまりなかったけど。



兵隊さんが写っているので、ホントはまずい写真だけど
ガイドさんといると何も言われない。
 

まあ、こちらも2人しかいないから大目に見てくれたんだろう。これが大人数の団体さんだったらそうはいかないと思う。

そこから再び車に乗り、いよいよ万寿台の金日成の銅像へ。北朝鮮というと必ず出てくる有名な場所である。その前に、銅像の後ろにある革命博物館にトイレだけ借りに入る。たぶん遠足で来たと思われる小学生くらいの子供たちが、たくさんいる。彼らにとっては神聖な行事なのだろう、入口の前で整列して中に入る順番を待っている。

そのあと銅像に向かい合う。張さん、洪さんと一緒に横一列に並び、代表してF氏が献花し、そのあと全員で一礼。平壌を訪れた人は要人だろうが一般人だろうが必ず行う「儀式」である。



ある意味有名な景色ですね。
 

で、その「儀式」が済んでしまえば、その周辺をわりと自由に歩き回れる。写真も自由。その横の方の「千里馬」(朝鮮戦争で壊滅してしまった国土を復興させる際のスローガンだったもの)の銅像の見えるあたりまで行ったら、たまたまそこにいた在日朝鮮人っぽい人たちに、「日本の方ですか」と話しかけられた。北朝鮮の街角で一般の人に話しかけられたのはこれが唯一である。

 

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