ネパール王国編
旅行第3日目 その1
早朝に空港へ
翌日は、早朝に出発するマウンテンフライトの飛行機に乗る予定である。前もって予約していた切符は前夜ホテルのフロントで手に入った。
かなり早起きして5:40にタクシーに乗り出発。やっと夜が明けたくらいでまだ薄暗いが、街はぼちぼち活動を始めている様子である。
6時前に空港の国内線ターミナルに着く。さすがに昨日着いた国際線ターミナルとは違い、こぢんまりとしかも洗練されていない建物である。6時に扉が開き、建物の中へ。入ってすぐの搭乗カウンターのあるスペースはガランと広いが、かなり暗い。理由は簡単で、ほとんどの照明が球切れしているからなのであった。
国内線ターミナル
このスペースに、各航空会社(ネパールには航空会社が5つぐらいあるようだ)のカウンターが並んでいて、私は「ブッダエアー」という航空会社のところに並ぶ。この航空会社だけでマウンテンフライトを5便くらい飛ばしているようである。
一角にある銀行のようなところで空港税100ルピーを払い、その領収書を持って待っていると、手続きが始まる。なぜかグループとか団体が優先され、私のような個人客は待たされる。
搭乗券と、パンフレットを受け取り搭乗待合室へ。その入口は搭乗カウンターのうしろ側にあり、カウンターのすき間を通り抜けていくような感じで妙である。また途中手荷物検査場があるのだが、ここでは男性用と女性用で分かれている。これは国際線でも同じであった。しかも国内線については検査はすべて手作業。金属探知器というものはない。
搭乗待合室にて
朝食は昨晩タメルで買っておいたパン2つ。閉店間際に定価の半額で買ったものである。
私の乗る飛行機の定刻は7時で、そろそろかなと思ったら、そんな気配はない。だいたい今日はどんより曇っていて、山なんか見えない。そういう事情かどうなのか出発が遅れるらしい。
マウンテンフライトは航空各社合わせると結構あるらしく、それだけではなくてふつうの国内便もあるので、広い搭乗待合室はけっこうにぎわっている。ネパール人もいるが、何よりも多いのは欧米人。日本人もぼちぼちといる。おかげで、放送がほとんどないのに、どれくらい遅れそうだという情報がそういう人たちから入ってくる。
マウンテンフライト
9時になってようやく飛行機が飛べる状態になったらしく、空港内外が動き出す。
そして搭乗も順次始まる。といっても放送があるわけではなく、搭乗口の近くへ行って、耳をすましていないとならない。
9:25ころ、私の乗るフライトの搭乗が始まったようである。バスに乗って飛行機のところへ行く。飛行機の定員は17人。窓がない席があるので乗客は16人。うち日本人は私を含め3人だった。小さいが、新しくてきれいなプロペラ機である。
10時前、実に定刻より3時間遅れて離陸。雲を突き抜けると目の前にヒマラヤの山々が現れる。雲の高さよりも、ヒマラヤの山々の方がぜんぜん高いのである。これなら天気に関係ない。晴れてるに越したことないけどね。
もらったパンフレットにはヒマラヤの鳥瞰図があり、スチュワーデスが機内を案内して回る。サービスとして1人1人コックピットの中を見せてくれる。飛行機はエベレストの近くまで行って折り返す。さすがはエベレストで、高い山が並ぶヒマラヤの中で、さらに頭1つ高かった。
今回ネパールの滞在中は、普段の行いがよっぽど悪かったのかずっと曇りで、まったく下界からヒマラヤの山並みを見ることができなかった。だから、結果的にはこのマウンテンフライトが唯一ヒマラヤを直に見る機会であった。
一番高いのがエベレスト
旅行会社のカトマンズ支店
カトマンズの空港に戻ってきて、一度タクシーでホテルに戻る。国内線ターミナルの方は、昨日の国際線のように混乱せず、すっと出発できる。
それからタメルの街の中にある今回の旅行の手配をお願いした旅行会社(風の旅行社)のカトマンズ支店に顔を出す。明日から向かうポカラへの往復のチケットを手に入れるためである。
そこで働いてる人はほとんど地元の人であった。そして対応してくれた人は日本語が上手で、この際だからいろいろ聞いておきたかった情報もついでに手に入れる。
例えば「市内を自転車を借りて見ようと思うんだけど」と聞いてみたら、「それは危ないからおすすめできない」と言われる。なるほどこの交通事情ならそうだろうな、と納得する。
カトマンズのFM
タメルから、タクシーに乗ってカトマンズの南側にあるパタンという町へ向かう。カトマンズと町並みがつながっているので、カトマンズの一部、と言ってもいいかも知れない。
このタクシーの運ちゃん(若い兄ちゃん)は、カーステレオでずっとFMを聞いていた。この兄ちゃん、曲が終わってしゃべりが入るとすぐ曲を流している他の局にチャンネルを替える。その繰り返し。数えてみたら、少なくとも6局はあった。東京並みである。
流れてくる曲だが、いずれもインドの民族音楽のような曲調であった。インドの影響を受けているのか、このあたりの国ではみんなこういう曲調なのか、ただ私が区別つかないだけなのかはわからない。確かなのは、それらの音楽を聞きながら兄ちゃんはノリノリだったので、それが今ネパールで流行っている曲らしいということである。