ペルー共和国とボリビア共和国編

プロローグ

出発までの一部始終

今年度で私も入社満10年がたち、リフレッシュ休暇を取れることになった。

例年9月には1週間ぶっ通しの休みをとって長距離旅行に行っているのだが、今年はこの制度を使い、いつもよりさらに長めの休みをとってどこかに行くことにした。

そういうことで候補に上がったのが南米ペルーであった。単純に1度は行ってみたかった国であり、また鉄道ファン的に見ても、ここには標高4,000m以上のところを走る高原列車などがあり、これにも大いに興味がある。また、南半球に行ったこともないので、要するにぜひ行ってみたい。

以前、ネパールに行ったときお世話になった旅行社が南米も扱っていて、6月中旬頃から資料請求などの活動を始めた。実はこれは7月初めに行った韓国旅行の手配開始より数日早かったりする。

ちょうどこのころ、ペルー南部のアレキパ周辺で大きな地震があった。が、その旅行社に問い合わせたところ、その周辺を除けば特に影響はないとのことで、手配を続けた。

出発は、9月20日にした。特に理由はなかったが、何となく9月最後の10日間にしてみた。後で考えれば、これが功を奏すことになる。

私の希望としては、マチュピチュに行くアウトバゴン、クスコからプーノへの高原列車、チチカカ湖、国境を越えボリビアの首都ラ・パスへ、という感じであったが、こういうコースを考える人は多いのか、まさにその通りのモデルコースがあった。よって、結果的にはそのモデルコースのアレンジということになった。

その後話はトントンと進み、出発10日前の9月10日には、旅行社から「ご希望のすべての手配がとれました」という連絡が来て、あとは行くだけという状態となった。

 

ところがその翌日の11日、思わぬ事態が発生した。アメリカで起きた同時多発テロ事件である。
私にとってなんと言っても深刻だったのは、アメリカ国内どころか太平洋上を飛ぶ飛行機の運航がすべて停止してしまったことであった。

この事件によって国外へ旅行するのを中止する人がかなりいたようだが、私としてはそんなことは全く考えなかった。
だが飛行機が飛ばないことには行きたくても行けなくなる。

しかし、出発まであと10日あったのは幸いであった。
やがて飛行機も運航を再開し、事件5日後にはほぼ平常に戻りつつあったので「行ける」と判断し、保留していた「海外渡航届」を会社に提出した。これは普段ならば事務的に社内決裁が回り、事務的に処理される書類なのであるが、今回ばかりは総務から呼び出しがあり、事情聴取を受けた。

まあとにかく今回の旅行の出発直前は、いつにも増していろいろあったのであった。

 

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