ペルー共和国とボリビア共和国編

旅行第1日目その1

成田空港第1ターミナル

そうしてやって来た出発日の9月20日。

私の場合、できるだけ箱崎で手続きを済ませてしまいたいという人種なので、本来なら事前に航空券その他を受け取れる旅行社を選ぶのだが、南米という特殊な地域になるとなかなかそうそう自由は利かず、今回は成田空港での航空券受け取りとなる。

自宅近くの駅をお昼前に出る電車に乗り、新宿から都営新宿線急行、本八幡(京成八幡)から京成線というふうに乗り継いで、14:22に成田空港駅に着いた。



成田空港
やっぱりすいてましたね
 

今回テロで狙われたのが航空機ということで、空港内でのチェックその他の警備が厳しくて時間がかかるのではないかと思い、なんと飛行機出発予定の3時間半も前の到着となった。ところが読みは外れた。たしかに警備はいつもより厳しかったが、それ以上に空港全体がすいていたのである。

今回旅行していてだんだんわかってくるのだが、ツアーのような団体旅行については、どこへ行くものも当分の間ほとんどがキャンセルになってしまったようである。予定通り出発するのは私のような個人客か、せいぜい数人のグループ客ぐらいで、これではすいてしまってもしょうがない。

チェックインカウンター(兼航空券受け取りカウンター)の手前にある手荷物チェック場にもまったく列がなかったため、あっさりと目的のカウンターへ行く。しかし早すぎて準備ができていないとのことで、外に出て1時間ほど時間つぶし。早く来た意味がなくなる。

15時半、再びそのカウンターへ。航空券の受け取りとチェックインをその場で行う。その後すぐ搭乗ロビーへ行くのも何なのでちょっとお茶したりしてさらに1時間ほど時間をつぶし、それから出国審査場へ。ものすごくすいていた。

 

まずは乗り継ぎ地ダラスへ

今回の旅行は往復ともアメリカン航空である。日本からペルーへは直行便がなく、現在のところ必ずアメリカ国内のどこかで乗り継ぎとなる。アメリカン航空の場合でもいくつかの空港で乗り継げるらしいのだが、私の場合はテキサス州のダラス乗り継ぎである。まあ、旅行社に勧められてそれに従っただけだけど。

そのダラス行きの飛行機の出る18番搭乗口へ行く。ふつうなら出発直前になると居場所に困るくらい混み合うものなのだが、今日は客が全員席に座ってもまだ空席があった。そこにあったテレビで大相撲中継を見ているうちに搭乗時間が来る。



アメリカン航空のダラス行き ボーイング777
 

アメリカン航空の太平洋路線に就航している飛行機はすべてボーイング777で、エコノミーシートも広くてかなり余裕がある。おまけにすいている。
まだ混乱が続くアメリカへあえて行く人が多いはずもなく、アメリカに帰る人たちばかりである。しかも席が5割くらいしか埋まっていない。

私は窓際の席で、これだけ空席が多いのに私の隣の席(つまり通路側の席)には客(アメリカ人のおじさん)がいた。スチュワーデスに「広いところへ移ってもいいですよ」と言われてもその人は動こうとしない。まったくついてない。

ほぼ定刻の17:56出発。約20分後に離陸。今日は成田空港への移動しかしていないのに、もう日の入りで暗くなってきた。

離陸約1時間後、機内食。メインはビーフシチューor竜田揚げ。寿司とパンとケーキが一同に並ぶという、日本路線らしいメニューである。

機内食が終わると、となりのアメリカ人は寝始めた。今日は機内全体がゆったりしているのに、このおじさんのせいで私だけ狭い思いをしているわけで、トイレに立ったついでに向こうのあいている列に移動した。

機内食の約4時間後(日本時間で夜11時頃)、日の出。その1時間半後、アメリカ大陸にかかる。場所的にはシアトルの近くで、当地のアメリカ西部時間で朝8時半頃、というところだろうか。
アメリカ大陸にかかったと言っても、この国はほとんど何にもない大地がひたすら続くばかりで、単調な景色が続く。

1度目の機内食の8時間後、2度目の機内食。到着地ダラス時間(アメリカ中部時間)にすると13時すぎになる。が、機内はやっと夜が明けたという雰囲気で、出された食事も朝食のようであった。

 

ダラス空港にて

アメリカ中部時間14:38、ダラス・フォートワース国際空港に着陸。日本との時差は14時間あるので、日本時間だと21日の午前4時半すぎである。

実は定刻ではダラスでの乗り継ぎ時間が55分しかない。これが本旅行最初の難関だったのだが、今日は非常に強い追い風に乗ったようで、なんと定刻よりも1時間も早い到着であった。

今回、ダラスではただ乗り継ぐためだけの滞在である。よって出発前に旅行社から受けた説明では、アメリカには入国せずにトランジットルームへ直行ということであった。しかしやはり事件の影響で、一旦入国→荷物ピックアップ→税関検査→再び荷物を預ける、という手順を踏むように変更になっていた。だから定刻より大幅に早く到着したことは幸いであった。

これらの手順を踏み、再び金属探知器を通って搭乗ロビーへ(アメリカには出国審査というものはない。昨年体験済み)。搭乗券にはリマ行きの搭乗口はA26と書かれていたが、そこにあったモニターを見るとA39に変更になっていた。

この空港では、搭乗口ごとに待合室がガラスで仕切られた部屋のようになっている。客層はやはり南米系の人が多い。欧米人もそれなりにいる。一方日本人、どころか東洋系の人は私以外見あたらなかった。さっきアメリカの入国審査を受けるとき、私の前に私と同じ「TRANSIT TO LIMA」と書かれた入国カードを持っていた日本人がいたので、その人はいたかも知れない。



A39搭乗口
搭乗を待つ人々

 

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