ペルー共和国とボリビア共和国編

旅行第2日目その3

オリャンタイタンボ

ウルバンバから、さらに先に進む。ここからは、貨物線が平行している。しかしすでに廃線になっているようで、レールは錆びているし、線路の敷地が資材置場と化しているところもあった。

20分ほど走ると、道が突然石畳になり、走り心地が悪くなる。フェリペさん曰く、昔から舗装されている道はこうなっているとのこと。
そうやって入ってきた村がオリャンタイタンボで、村の入口で通行料まで取られる。

その村の外れにオリャンタイタンボ遺跡がある。ウルバンバ渓谷沿いの数ある遺跡の中でもかなり大きなもので、世界各国どころかペルー国内からも観光客が大勢来ていた。



オリャンタイタンボ遺跡
 

インカの遺跡といえば段々畑。だいたい「アンデス」の語源が段々畑である。この遺跡もご多分に漏れず山の急斜面に石積みされて段々になっている。その段々に沿った階段を登る。このあたりで標高2,700m、クスコよりもだいぶ下りてきたとは言え、この登りはかなりきつい。
登り切ったところが少し広場になっている。巨大な岩のような石があっちこっちに転がっている。何かの作りかけらしいのだが、それらの石は谷の向こう側で採取され、川を越え、この斜面を上げて来たらしい。何でわざわざこんなことをするのかなしかし、というのが正直な感想である。

そのあと村の中を少し歩く。ここはインカ時代の様式を残しているとのこと。インカ時代に作られ、いまだに使われているという上下水道が、あっちこっちに張り巡らされている。大きな道をまたぐところでは、なんとサイフォンの原理まで使われていた。



オリャンタイタンボの村の中

 

ウルバンバ

今日の宿はさっき昼食をとったウルバンバという村にあるコテージのような宿。かつて国賓用に使われていたらしく、敷地内はゆったりとしていて、プールまである。私の部屋なんか、ダイニングとベットルームが別にあるという、贅沢なつくりである。

ところで何でアンデスでの1泊目がクスコではなくこのウルバンバなのかというと、一度一気に高いところにあるクスコまで行って、そのあと標高で約500m下りたところにあるウルバンバで1泊することによって早く高度に体を慣らすという、登山でよく用いる方法なのだそうである。
予定をたてる際、そんなことを旅行社から理論的に説明され、特にこだわりもないので言われる通りにしただけの話である。

部屋に落ち着いたのは夕方5時頃であった。
宿に着いたら高度に体を慣らす一環として散歩すること、とも言われていたので、さっそく宿の周りを散歩する。宿のあるあたりは道沿いの村はずれであったが、そこからすこし入っていくとにぎやかな市場があった。さらに行くとアルマス広場があって、ここもにぎわっていた。道沿いからはわからなかったが、かなり大きな村のようだ。

  

というと、積極的に歩いたような感じだが、実際には牛歩のごとく、ゆっくりゆっくり歩いていた。1時間近く歩いたが、行動範囲はかなり狭かったように思う。6時頃には日が暮れてしまい、宿に戻る頃には暗くなっていた。

夕食は宿の敷地内にあるレストランでとった。ここでフェリペさんとはじめてゆっくり話をする。
フェリペさんはもともとはトレッキングのガイドさんで、その後どういうわけか来日し、東大阪で5年ほど働いていたそうで、そのとき日本語を覚えたらしい。どおりで時々関西弁が混じる。3年前、再びクスコに戻ってきて、トレッキングを扱う旅行会社を始め、そのかたわらで今回のような日本語ガイドもやっていて、なかなか多忙な人のようだ。

21時、部屋に戻る。今のところ高山病らしき症状は出ていない。なんとか第1の難関は突破したようである。

 

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