ペルー共和国とボリビア共和国編

旅行第6日目その3

今日の宿泊地ラ・パスへ

船に同乗していたフランス人の団体は別の観光バスに乗っていき、再び定期観光ツアーの8人だけになった。ツアーガイドのエルネストさんとともにワゴン車に乗る。今日4台目の車である。この車の屋根の上にはここまでどうやって運んできたのか、いつの間にか私たちの荷物が積まれていた。

18:05、ウアタハタを出発。ペルーとは時差があるが距離的には近いので、この時間でもまだ日が出ているが、ぼちぼち日の入りの時刻である。



ラ・パスまで80kmと書いてあります
 

車は昨日列車で見たような草原とも何ともつかないところを延々と走る。
18:30頃、日没。暗くなると、何も見えなくなる。ただ、車通りが意外と多く、寂しいという感じはしない。

途中に料金所があった。これはペルーにもあったのだが、聞いたところ町の境目に必ずあるとのこと。幹線道路はいちおう有料のようである。

沿道には時々町があるのだが、19:20頃そのどれよりも大きくてにぎやかな町に出る。首都ラ・パスの郊外、エル・アルトという町で、人口がボリビアで3番目に多いのだそうだ。ラ・パスの国際空港も実はここにある。
ところがこの町、なんと標高が4,100mもある。エル・アルトとは「高い」という意味なのだそうで、まさにそのまんまの名前である。しかしこんな高所にこんな町があるとは。

 

ラ・パス市内に入る

ラ・パスの標高は平均で3,650m。「平均で」というのは、実はこの町、谷の底のような地形をしている場所にあって、坂ばかりで平地がほとんどなく、場所によって標高がまるで異なるのである。しかしいずれにしても「首都」としては世界最高所にある。

ただし、「首都」という言い方は正式には正しくない。ボリビアの憲法上の首都はクスレという町である。しかし行政の面でも経済の面でもこの国の中心はラ・パスで、実質首都のようになっている。

エル・アルトの方から走ってくると、ラ・パスの町がある谷の、上の方に出る。
その地点が近づくと、エルネストさんは「目をつぶってください。10数えますから、そうしたら目を開けてください」と言ってカウントダウンを始めた。言われた通り目をつぶり、10カウントのあと目を開けると、ラ・パスの見事な夜景が目に入って思わずうなった。宅地化が谷の上部まで進み、そこまで建物が並んでいるので、上から見るとすばらしい夜景になるのである。



そこで停めてもらって撮った、ラ・パスの夜景
 

その地点から車はひたすら坂道を下っていき、だんだん首都らしい街の中に入っていった。そして、客それぞれが泊まるホテルにひとつひとつ立ち寄るようで、最初に着いたホテルが私とフェリペさんが泊まるホテルであった。他の6人がなぜかみんな日本語のあいさつを知っていて、一同の「サヨナラ」の声に送られて車を降りた。

 

夜のラ・パス市内を徘徊

実はフェリペさんに案内してもらうのは今日までである。フェリペさんは明日の朝にはクスコに帰る。そこで、感謝の意味を込めて今日の夕食はまた私がおごることにした。ラ・パスのうまい料理店を紹介してもらおうという魂胆もあったりする。

ホテルに着いたのが夜8時頃。チェックインして、部屋に荷物を置いてすぐにロビーで待ち合わせして、ホテルを出る。



ホテルの窓から撮った夜景
町が谷の上の方まで続いていることがわかると思います
 

ホテルは町の中心、サン・フランシスコ広場のすぐ近くで、この時間でも大変なにぎわいであった。まだボリビアの通貨に両替していないので、両替屋を探す。しかし、すでにどこも閉まっていた。なぜかホテルでの両替時間も終わっている。仕方なしに、ホテルのとなりにキャッシングコーナーがあることを聞き出し、そこへ行く。ところがなかなかうまく動かずに、3回目にしてやっとお金が出てきた。

ちなみにボリビアの通貨は「ボリビアーノ(Bs.)」ボリビアーノの100分の1が「センターボ」1ボリビアーノは約17.5円くらいであった。

その後、「どういう店に行きます?」「地元料理が食べたいですね」「選ぶのむずかしいなあ」という会話があって、フェリペさんは財布の中からメモをいくつか取り出し、流していたタクシーをつかまえて運ちゃんと長いこと話をしていたが、要領を得ないような顔をして見送った。それを2回繰り返した。フェリペさんは、「ペルーのタクシーは商売熱心だからとにかく『どうぞどうぞ』だけど、ボリビアではわからないと考え込んじゃうんだよね。やる気あるのかな」とぼやいていた。

結局3台目のタクシーに乗った。この運ちゃんもなんだか要領を得ていないような感じだった。しかも目的地には3分くらいで着いてしまったようだ。

 

ペーニャで夕食

フェリペさんと入ったのは、とあるビルの地下にある、ペーニャと呼ばれるフォルクローレのライブハウスとレストランが一緒になったような店であった。スペイン語があいさつぐらいしかできない私にとっては1人では入りにくい店である。

メニューは当然スペイン語のみ。それどころか、メニューにはフェリペさんも知らない料理ばかり並んでいるようで、店員さんに1つ1つどんな料理か聞いていた。

結局、私は「ピカンテ・デ・レンク」という、牛タンをからく焼いたやつを注文する。こういう店なので、料理が出てくるのに時間がかかるのだが、出てきた料理にはライスと「干しイモ」がついていた。この「干しイモ」というやつ、かつてはインカの保存食だったそうで、紫色をしていて、しゃきしゃきした食感で、薄く塩味がした。

食べている途中、9時半からフォルクローレのショーが始まった。ひと言にフォルクローレといってもいろいろあるようで、「アンデス」というと思い浮かぶような音楽の合奏から、ギターのような楽器の独奏から、民族舞踊から、いろいろある。それらを結構趣向を凝らして組み合わせていた。
今回の旅行に来る前はこういうものを見る予定はなかったが、思いがけず見る機会となった。

ショーは延々と続くようだし、おおよそ堪能したので、料理を食べ終えてしばらくすると店を出た。「ショーを最後まで見なかった」ということでフェリペさんがうまいこと交渉してくれて、結局払ったのは飲食代だけであった。

店からホテルまでは歩けるほどの距離だったので、帰りは深夜のラ・パスの町(それでも車通りは多かった)をブラブラ散歩しながら11時前ホテルに戻った。

 

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