ペルー共和国とボリビア共和国編

旅行第8日目その2

リマへのフライト

空港に来て知ったのだが、私が乗るのはボリビアーノ航空のマイアミ始発サンタ・クルスおよびラ・パス経由のリマ行き。その最後の区間に搭乗するわけである。ボリビアの航空会社でありながら、自国を経由して第3国から第3国へ行くのである。

8:25搭乗開始。この空港にも飛行機に直接入れるアーム状の通路はなく、飛行機まで歩く。ちなみに機種はボーイング737。今回乗った飛行機で初めてほぼ満席であった。待合室で見た限り、東洋人らしき人物は私1人である。



ボリビアーノ航空(LAB)のボーイング737
 

8:54出発。9時離陸。この高度なので、過去に乗ったどのフライトよりも滑走距離が長かった。離陸した直後は茶色いエル・アルトの町が見えたが、あとは行けども行けども茶色い大地。そんな中、意外と湖が多い。ただ、チチカカ湖上空を飛んだかどうかは不明である。



離陸の直後、エル・アルトの町
 

アンデスはそういう乾いた大地ばかりで、雲もまったくないが、逆にペルーの海沿いは気流の関係でほぼ1年中曇っている。
機内に「まもなくリマに到着します」というアナウンスがあったころ、雲がべったりと広がってきて下界が何も見えなくなった。この辺はっきりしている。飛行機はその後、その分厚い雲を突き抜けて降りていった。

 

2度目のリマ到着

時計の針が1時間遅れ、9:37にリマのホルヘ・チャベス国際空港に着陸。飛行時間は約1時間40分であった。

飛行機のタラップを降りてから、入国までの手続きは、初日に日本から着いた時とまったく同じ(あたりまえ)。ペルーに2度目の入国となる。
到着ロビーには、早内さんと運転手さんのなつかしい顔があった。

前回と同じ車に乗り、宿に向かう。今日の深夜には再び出発してしまうのだが、それまでゆっくりしてくださいという旅行社の配慮らしい。結果的にはゆっくりしているヒマはなかったけど。

前回着いたときは深夜であまり印象になかったが、さすがに昼間は交通量も多い。大都市近郊、という感じのところである。ただ、坂がまったくないので、同じ大都市でもラ・パスとも雰囲気が違う。そもそも、久しぶりに空気の濃いところに戻ってきたわけである。
早内さんは「高山病大丈夫でした?」と聞いてくる。「やっぱり寝付きが悪くて食欲も減りますね」と答えたら、「私は逆に食欲が増えるんです。珍しいですよね」と言った。

しかしリマは今日も曇り。スコーンと抜けるような青空のアンデスの高地がなつかしいような気もする。

 

プエブロ・リブレ地区

なんとリマに着陸してから25分で宿着(国際線に乗ってきたにしては早すぎる)。

この宿には、現地の男性と結婚してリマに住んでいる日本人の女性たちが出入りしていて、彼女たちの小さい子供たちもいて保育園のような雰囲気でもある。今日の午後はそのうちの1人、俵さんという人が市内を案内してくれるらしい。
リマは新市街、旧市街、今いる宿とそれぞれがちょっと離れていて、半日で市内を全部見てまわるのはちょっとムリだな、と思っていたのでありがたい。

それまで、宿の周辺を散歩することにした。リマは失業者が多く、治安が悪いという先入観があったが、宿のおじさん曰く「このへんは全然大丈夫ですよ」とのこと。おじさんに周辺のくわしい地図をもらい宿を出る。



宿の前の道
リマ市の比較的郊外にあたる
 

宿は4車線の道路に面していて、その道を東の方に歩く。歩いてしばらく行ったところに「ラファエル・ラルコ・エレラ博物館」という、持参したガイドブックにも書いてある博物館があるので、とりあえずそこをめざす。
アンデスの高地から帰ってきて、たとえ早足になっても
全然息が切れないのがありがたい。

今いるのはリマ市のプエブロ・リブレ地区というところで、大通りから一歩中へ入れば閑静な住宅地である。
ただ、各家ともにセキュリティーの面では徹底していて、部外者が中に入れないように塀や門がしっかりした造りになっている。



大通りから一歩入ると閑静な住宅地である
 

ラファエル・ラルコ・エレラ博物館の内部はとにかく土器だらけで、その中をさまよい歩いていたような感じであった。
地元の小学生の団体が、なぜか
「新岐阜−名古屋空港」と書かれた岐阜バスのお古に乗って見学に来ていた。



ここは岐阜県か?
 

帰りは表通りではなく、1本入った住宅地の中を歩いて宿に戻った。

 

ペルー家庭料理

宿に帰ってきたのがちょうどお昼頃で、内部でおしゃべりをしていた俵さんと昼食を食べに行く。と言ってもそのレストランは宿のすぐ向かいにある。

そこは、地元の家庭料理の店であった。俵さんが店員さんにてきとうに注文して、セビッチェ、イカの唐揚げ、炒めしのようなものが出た。

特にセビッチェ。主に魚介類などをスパイスやレモンで和えたもので、マチュピチュ遺跡のふもとのバイキングレストラン以来口にするのは2度目だが、さっぱりしていてこれはうまい。今までレストランに入るたびにこれがないかなあと思っていたが、どこにもなかった。日本人にはあうけど、この土地で大多数を占める欧米人にはあわないのだろうか。

俵さんは広島の出身で、こちらの男性と結婚してペルーにやって来て3年目。こちらでは結婚しても別姓でもどうでもいいそうなので、そのまま「俵」と名乗っているとのことである。

 

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