ペルー共和国とボリビア共和国編

旅行第8日目その3

リマ市の中心部へ

13時過ぎ、宿から車に乗ってリマ市内の観光に向かう。運転手さんはさっき空港から送ってくれたおじさん。と思ったら、途中で民家の前で止まって別の人と交代する。俵さん曰く、ここが運転手さんの自宅らしい。「See you tonight.」と言って運転手さんは家に入っていった。

それから市の中心、旧市街のセントロ地区に向かう。20分ほど走って、セントロ地区の中心にあるアルマス広場に着く。
今まで行ったペルーのどの町とも同じように、広場に面してカテドラルという教会がある。その他、広場には大統領府や市役所が面していて、にぎやかなところである。
ただし、治安は市内でも特に悪い場所らしい。俵さんは「デイバックは前に抱きかかえてください。腕時計もはずしておいた方がいいです」と言った。



セントロ地区の町の中
 



アルマス広場と、その向こうにあるペルー一古いカテドラル
 

まずは広場に面したカテドラルを見学する。ペルー国内に町の数だけあるカテドラルの中でも、最も古いものらしい。
このカテドラルでは、数年前の日本大使館人質事件の時調停にあたったシュプリアーニ司教がその後大司教に昇格して、毎週日曜日ミサを開いているそうである。
内部では専門の案内係の人がくわしく案内してくれた。通訳は俵さん。

それからしばらく周辺を散歩。
大統領府の前にはデモ隊が居座り、なにやらシュプレヒコールをしていた。ここでは毎日何かしらこういうデモとかが行われているそうだ。



上の写真の左側にある
大統領府の前でシュプレヒコールする人々 

 

太平洋の見える公園

今度は新市街(ミラフレース地区)に向かう。
セントロ地区を出るあたりの道沿いにシェラトン・ホテルがあって、俵さん曰く「日本から来た団体さんはだいたいこのホテルなんですよね。でも周辺はとっても治安が悪くて、一歩も外へ出られない場所なんです」とのこと。

そのあたりからミラフローレス地区へは市内を一直線につらぬく高速道路のような道になっている。10分も走るとミラフローレス地区の中に入る。
いかにも重厚な建物が並んでいたセントロ地区とは違い、開放的な町である。治安の悪いセントロ地区から、こちらの方に引っ越してくるオフィスや大使館も多いらしい。

その地区の中にある、太平洋を見渡せる公園に行った。アンデスの高地をひたすら進むのみだった本旅行において、久しぶりに見る海である。



太平洋です
本旅行記で唯一の海が写っている写真だったりします
 

ちなみにこの公園、「恋人たちの公園」と言う名前。今日はウィークデーだから閑散としているけど、週末はカップルだらけになるらしい。公園の中心には恋人同士が抱き合ってキスをするという、いかにもラテン系の国らしいモニュメントがあった。

 

天野博物館

そこからすぐのところにある天野博物館へ行く。ここを見学する場合は必ず博物館員のガイドが付き、予約制となっている。今日の日本語ガイドは15時半からとのことで、その時間に合わせて来たわけである。

その時間には日本人観光客が私を含めて8人集まった。考えてみれば、こちらに来てこれだけまとまって日本人を見るのははじめてである。

この博物館では、プレインカとインカの時代の土器や織物が時代を追って展示してある。そして案内してくれる博物館員(リマ在住の日本人)の説明がとってもわかりやすい。今までアンデスを旅していて「プレインカ」「インカ」という言葉がやたらと出てきたが、ここでやっと理解することができた。そしてここに展示してある物ひとつひとつの手の込んでいること。それが非常にいい状態で保存してある。

1時間以上かけて見学して、感想はひとこと「参りました」。ここを先に見学して、それからアンデス方面に行ったらまた見方が変わったのではないかと正直言って思った。この博物館はおすすめです。

ちなみにこの博物館は入場無料。ただし博物館維持の協力として、おみやげをいろいろ買う。
ここで買った創始者天野芳太郎の書いた文庫本が、帰りの飛行機の暇つぶしになった。

 

日本大使公邸跡地

ぼちぼち夕方になってきて、宿に戻る途中にある旧日本大使公邸の跡地に立ち寄る。あの4ヶ月にも及ぶ人質事件があって、日本でも有名になった場所である。



どこか見覚えのある景色ではないでしょうか。
戦車などが走っていた道路は左側の道です。
 

跡地は閑静な住宅地の中にあった。現在も白い壁で覆われ、内部へは入れない。しかしそれを除けば、あのときテレビでさんざん見た景色である。
周りの建物には、最後の銃撃戦での砲弾の跡が生々しくそのままになっていた。
ちなみに1ヶ所だけある木製の出入口にも砲弾の跡で穴が開いていていて中を覗けるのだが、内部は芝生が生えているのみの空き地であった。

それから、すぐ近くの現在の大使公邸に行った。
現在の大使公邸は大通りに面していて、頑丈な2重の塀、4隅には監視所、そして地下にも進入できないように鉄板が埋まっているらしい。頑強そうな正面玄関には銃を持った監視兵が立っていて、撮影禁止。なにもここまでしなくても、というような警戒ぶりではっきり言って周囲の景観から浮いていた。

 

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