離島シリーズ
奄美諸島の島々

 

●奄美大島(あまみおおしま)

奄美諸島のなかで一番北側に位置し、かつ一番大きな島。
東から笠利町、龍郷町、名瀬市、住用村、大和村、宇検村、瀬戸内町という1市3町3村からなっている。
島の最東端といえる場所(笠利町)に奄美空港があり、名瀬港と瀬戸内町の古仁屋港に本土からのフェリーが発着する。
地理的にも経済的にも名瀬市がこの島の中心地と思われる。

徳之島から、飛行機の欠航により急きょフェリーに乗った私は、約4時間弱かかって奄美大島の名瀬港に着いた。もうすでに夜9時半を過ぎていた。沖縄の那覇から、奄美諸島の各島に立ち寄って鹿児島に向かうこの船が最後に寄港する名瀬港では、乗り降りする客が非常に多い。
この日泊まった宿の部屋からは港が一望でき、部屋に入って一段落した頃、乗ってきた船が汽笛を鳴らして港を出ていった。




宿の部屋から見た名瀬港
 

喜界島行きがキャンセルになってしまったせいで、逆に奄美大島ではほぼ丸2日時間ができた。
そこで、レンタカーを借りて翌日は島の北東側、翌々日はその反対の南西側を走った。

奄美大島は全島的に非常に起伏が多い。山が海にせまっているところがほとんどで、道もかなりくねっている。
そこをほぼ1周するように走った。

ただし1日目まわった北東側は、幹線の国道58号線だけの1本道、という箇所がある。



途中立ち寄った大島紬観光センター
 

朝9時過ぎに名瀬市を出発して、島の最北端笠利崎に着いたのは、途中寄り道したせいもあってお昼近かった。この笠利崎は、東シナ海から太平洋まで一望できる場所で、天気もいいしどこかで弁当買ってきて食べたい気分だが、このあたり人が住んでなくて店というものがない。
笠利崎から約30分ほど南下して奄美空港に着く。4日前羽田から飛んできて沖永良部島に乗り継いでいったところで、一方今回は陸路を走ってきたので同じ場所という感じがしないが、ビル内部に入るとたしかに4日前のあの場所である。

空港から名瀬市街まではまっすぐ帰ったが、それでも車で45分近くかかる。郷土博物館へ行ったり、ハブセンターといういかにも南国らしい場所へ行ったり、市内をぶらぶら散歩しているうちに日が暮れてきた。
この日の夕食は、市内のメシ屋で鶏飯(けいはん)なる郷土料理を食べる。まあ要するにぶっかけご飯なのだが、口当たりがよくて食が進んだ。


2日目は引き続き島の南西側を反時計回りに1周した。こちらの方が距離が長く、特に北西側半分は村道みたいなくねくね道が延々続き、たまに漁村のような集落が現れる、ということを繰り返す。基本的に海沿いなので、景色もよく、たまに休憩して海を眺めた。

3時間近く走って、お昼過ぎにようやく島の南端・瀬戸内町の古仁屋に着く。ここの港の対岸には、加計呂島というそれなりに大きな島があり、フェリーが比較的頻繁にある(時間がなくて行けない)。



古仁屋の町の背後にある油井岳から見る加計呂島
手前が古仁屋の町
 

ここから名瀬市までは幹線の国道58号線である。こちら側は午前中の北西側の海岸線よりさらに入り組んでいるので、あまり海沿いには近づかず、山の中を走ることが多い。幹線なのだが車通りは多くない。
古仁屋から名瀬までのほぼ中間、住用村というところに、マングローブの群生林がある。住用湾の一番奥にあたり、満潮の時だけ海水に浸かる場所なので、マングローブが群生するらしい。国道沿いの駐車場はガケの上にあり、そこから下りていって遊歩道を歩いてみた。いかにも南の島らしい光景であった。



住用村のマングローブ群生林
南の島っぽい光景ですね
 


名瀬の市街を通り過ぎ、奄美空港に着い頃にはすでに夕方であった。これで全行程を終え、自宅に帰る。
現在もそうだが奄美大島からの羽田行きは夕方遅い時間に設定されていて、東京側から見れば1日を有効に使えるようにできている。待合室で待っている頃には日が暮れる。こういうところで日暮れを迎えて、その日のうちに自宅に帰れるという経験は何度かしたことがあるが、特に奄美にいるとなんだか不思議な気分である。

 

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