離島シリーズ
小笠原諸島

小笠原諸島父島 後半戦

滞在3日目は、宿のおじさんの手配で父島の周辺にある無人島に行くことになった。
朝食後、集落内に唯一の弁当屋さんでお昼を買い、港に行く。コースは南島兄島→帰るというのが一般的で、そういう船だけで5隻はあったと思われる。

9時頃出航。船によってトランペットを吹いたり、ホラ貝を吹いたりしてにぎやかである。湾から出て海岸沿いに進むと、やがてめざす南島が見えてくる。島をほぼ半周して、唯一の入り江であるサメ池というところに入るが、この入口が2〜3mくらいしか幅のない狭さで、すこしでも白波がたつともう上陸できないそうである。
入り江と言っても周りはゴツゴツの岩の壁で、その一番奥の岩に船の先端をぶつけて、岩に飛び移るような上陸である。



南島の内部
 

そこはサンゴ礁が隆起してできたようなゴツゴツの岩場で、少し進むと赤土になり、その先が砂漠のようになっている。その先に扇池がある。
この扇池は完全な池ではなく海とつながっているのだが、その部分が岩のトンネルのようになっていて海はあまり見えない。ただしトンネルから波が入ってきて海岸のようではあるという不思議な光景である。色は青とも何ともいえない澄んだ色で、日差しが強く暑かったので、泳いでいる人も結構いた(しつこいようですが2月上旬)。私はその辺りで脳ミソがとろけるまでぼーっとしていた。



扇池と海を隔てる岩のトンネル。ここから波が入ってくる。
それにしてもこの水の色ったら‥
 

南島を出ると一転して北上して、父島の北側にある兄島に向かう。他の船は兄島の砂浜に上陸し昼食、だったが、この船だけ島の近くの浅瀬に錨を降ろして昼食。この辺りの水深は5mほどだが、よほど水が澄んでいるようで海底までよく見える。そこに色とりどりの魚が泳いでいた。
昼食中、船のおじさんは何やらの魚のみそ汁を作っていた。食べてみるとこれがうまかった!

最後に境浦という湾の中にある沈船を見に行った。戦争中座礁した貨物船だそうで、ガイドブックにものっている。台風が来るたびにどんどん朽ちていくらしく、ガイドブックの写真よりもだいぶ朽ちていた。辛うじて船だったのかなあ、というのがわかる程度である。



私が訪れたときはこういう状態でした
 

そして宿に戻る。滞在は明日の昼までなので、最後にレンタバイクを借りて、もう1回島を1周した。
昨日は登らなかった島で一番高い中央山に登ってみた。山頂の展望台から海を見ると、本日のホエールウオッチングの船があっちこっちに走っているのが見えた。ちなみにこの日はものすごかったそうである。宿泊客の中にこの日ホエールウオッチングに行った人がいて、その人から後日写真が送られてきたのを見てうらやましかった。

私は翌日の船で東京に帰る。しかし宿泊客のうちの半分はそのまま居残り、そのうちの多くの人は明日母島に行くとのこと。今回1週間休みを取るのも四苦八苦だった社会人の私が「学生時代に来ればよかった」と強く後悔した瞬間である。

 

滞在最終日
この日の母島行きの船は朝6時出航で、朝起きた頃には母島行きチームはとっくにいなくなっていた。朝食をとる人数もだいぶ減った。

今日は朝から早くも気温が20℃を越え、天気もとりわけ良くて暑さを感じる。そんな中、昨日から借りっぱなしになっているレンタバイクで島内を走り回っていた。



大村集落を上から撮ったところです
 

いつもそうらしいのだが、宿のおじさんが持っている船で「おがさわら丸」を見送るという。滞在の最後に、ロープで固定してあったその船を引きずり出す作業を手伝った。

11:30、いよいよ宿の車に乗って「おがさわら丸」の停泊している二見桟橋に行く。桟橋には、来たとき以上の見送りの人たちが来ていて、雑然としていた。乗船手続きして船に乗り込む。自分の部屋に荷物を置くと、同じ宿の帰宅組同士で示し合わせた甲板の場所へ。宿の残留組も全員桟橋に全員集まっていた。

12:05、ほぼ定刻通り出航(現在は14:00発)。宿の残留組は素早くさっきの船に乗ってついてきた。その他、数隻の船がついてくる。特にそのうちの南星丸は、でかい旗ははためかすわ、軍艦マーチは流すわ、トランペットを吹くわで、周りの客にだいぶ受けていた。



手前がその南星丸
向こう側が泊まった宿の船

 

夕方頃から、船がだいぶ揺れ始めた。だいたい今日は、小笠原と本土の間に前線があって、これは揺れるだろうなという予想はついていた。船はその荒波の区域を早く抜け出そうと全速力で進んでいるようであった。
ただ、ここのところ毎日小さい船に乗り、揺れには慣れてしまっていたので、何ともなかった。

翌朝くらいになると、八丈島や三宅島などの島影が見えた。昨夜の全速力のせいか、だいぶ定刻より早い様子である。
お昼過ぎには東京湾に入った。行き交う船も多く、船はスピードを落とす。気温もだいぶ下がってきて、2月上旬らしくなってきた。

15:50、竹芝桟橋の、出航したときと同じところに着岸。ただ行って帰ってきただけなのに、竹芝を出航してからすでに6日が過ぎていた。

 

〈余談〉
後日、同じ宿に泊まっていた人たちから手紙や写真がいろいろ送られてきた。
それによると、次の父島発の船は、荒天のため1日早く出航したとのこと。なにしろほぼ唯一の公共機関だけに、欠航にはさせず、しかも折り返しの父島行きに影響が出ないように、1日早めたと思われる。父島発の乗船客は、全員父島か母島という狭い地域にいて連絡がすぐつくので、可能な話なのであろう。
現在は船(新「おがさわら丸」)が大幅に大きくなったので、そういうことはないのかなあ。

 

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