人類の未来へ、地球から遠く離れた異星へ、旅立つ運命があなたを待っている。そこは、常に死と隣り合わせの世界。犯罪と戦うGEOマーシャル達や、深海にひそむ攻撃型潜水艦に乗り込んだサイバー傭兵達の世界。
その果てなき欲望ゆえに異星の生態系を脅かす人類は、ここで太古の遺産に直面し、やがて生存を賭けた戦いへと巻き込まれることになるだろう・・・。
ようやく『流体メカ』"Fluid Mechanics" −ブループラネット・テクニカルマ
ニュアルが出版されました。RPG.net のレビューには「”ストリートサムライ
・カタログ”と”シャドウテック”を合わせたようなソースブック」と書かれて
いますが、まあ要するにそういうものです。最初から最後まで、ほぼ100ペー
ジに渡ってひたすらアイテムや技術に関する紹介と解説が続いている本です。
なお『流体メカ』には乗物戦闘ルールも収録されています。これは第1版から
第2版に変わったときに基本ルールブックから落とされた唯一のルールですから、
これで「第1版ルールブック+アーキペラゴ(群島)」の内容が、全て第2版で
カバーされたということになりますね。
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さて、前回は「乗物」を構成する要素技術のうち、主に「エンジン」「燃料」
そして「推進装置」を解説しました。今回は、引き続き「操縦装置」について書
きましょう。
現在、我々はハンドル(ステアリング)やペダル(ブレーキ、アクセル)とい
った機械式インタフェースを使用して自動車を操縦(運転)しています。乗物の
種類によっては操舵やスティックが用いられますが、やはり機械式インタフェー
スであることに変わりありません。
機械式インタフェースの欠点の一つは、反応速度が遅いということです。あな
たが自動車を運転しているときに、目の前に子供が飛び出してきたとしましょう。
あなたの生体視覚センサ(眼)がそれを検知し、脳に情報を伝えます。脳は車を
止めるべきだと判断し、操縦インタフェースポート(足)に対して命令を下しま
す。命令は(電気信号に比べて)非常にゆっくりとした速度で神経繊維を伝わっ
てゆき、足の筋肉まで伝わります。筋肉が収縮伸長し、骨を動かします。この力
学的な運動が機械的インタフェース(ブレーキペダル)に伝えられ、ブレーキは
(電子に比べて)のろのろと移動します。そして、ようやくブレーキ機構がON
になり、タイヤの回転を止めるのです。ここまで来れば、後は路面摩擦が運動量
をどれだけ早く吸収できるかという問題に帰着するというわけです。
あなたの運動神経がどれほど発達していようとも、これら一連のシーケンスに
は数100ミリ秒かかります。その間に車は何メートルも、あるいは10何メー
トルも進みますから、子供をはねてしまうということは大いにあり得ます。(そ
して実際にそういう事故はいくらでも起こっています)
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なぜ、こんなに反応速度が遅いのでしょうか。主要な原因は、神経繊維をパル
ス列(ニューロン興奮状態)が伝わってゆく速度、そして機械式インタフェース
の動作速度の限界というところにあります。前者は生化学反応、後者は質量(慣
性)を持つ物質の移動を伴っており、電子的な処理に比べて格段に遅い速度でし
か実行できないのです。
このネック(律速段階)をスキップすることが出来れば、反応速度は劇的に向
上するはずです。つまり、脳から発せられた命令を、電子的な信号に変換し、そ
のまま自動車の操縦系に入力することが出来れば、神経/筋肉/機械を経由する
方式とは比べ物にならないほどの反応速度が得られるというわけです。
そんなことが可能なのでしょうか。今の技術では無理です。しかし、原理的に
不可能なことではありません。脳から発せられニューロン(神経繊維)を伝わっ
てゆくパルス列は、要するにデジタル信号です。ですから、それを測定して電子
的なデジタル信号にリアルタイムに変換することは可能です。電子的なデジタル
信号を光ファイバケーブル経由でコンピュータに入力することは簡単です。そし
て、そのコンピュータが自動車の操縦系を制御していれば、事実上、脳は操縦系
を”直接”制御できることになるでしょう。
逆はどうでしょうか。これは少し難しくなりますが、何とかなります。自動車
に各種センサ(光学センサ、感圧センサ、音響センサなど)を取り付け、その出
力をコンピュータで処理して脳が理解できるデジタル信号(パルス列)に変換し、
光ファイバで送って、それを感覚神経に対するパルス列として入力すればよいの
です。これが原理的に不可能である理由はどこにもありません。
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2199年には、NIC(Neural Interface Circuit)技術が完成の域に達していま
す。NICは、バイオテクノロジーにより合成された人工ニューロン束と、それ
に接合したマイクロプロセサチップ、電気的入出力(I/O)ポートにより構成
される小型デバイスです。マイクロプロセサは、神経パルスと電気信号をリアル
タイムに相互変換する機能を持っています。(なお、NICには体温と外気温の
温度差を利用して発電し、電力を超伝導コイルに蓄える自動充電式の極微バッテ
リーが内蔵されています。NICはこれを電源にして動作します)
NICの最も基本的な応用は、ニューラルジャック(Neural Jack) です。これ
は、外科手術により、ぼんのくぼ(うなじの中央、首の後ろと後頭部の間にある
くぼみ)に埋め込まれたNICで、人工ニューロン束は延髄に生化学的に接合さ
れます。一方、電気的I/Oポートは、ジャック差込み口として皮膚表面に露出
固定されます。
NIC埋め込み手術が完了すると、首の後ろにジャック差込み口がついた状態
になります。これがニューラルジャック、広く普及している汎用の神経系・電気
系変換インタフェースなのです。
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さあ、2199年の最新モデルに乗ってみましょう。前回にもお話した通り、燃料
電池で駆動されるために完全無公害であることを除けば、自動車の基本的デザイ
ンには大きな変化はありません。タイヤも今のタイヤと大差ないでしょう。しか
し、運転席の様子はかなり変わっているはずです。なぜなら、ハンドルやペダル
といった機械式操縦装置が姿を消しているからです。代わりに、ニューラル・イ
ンタフェースソケットがあり、光ファイバケーブルが伸びています。
ケーブル先端に付いている金属製のジャックを、首の後ろ、髪の生え際にある
差込み口につなぎます。自動車の操縦系コンピュータを始動させましょう。個人
認証と自己診断シーケンスが走り、それから操縦モードに入るか否かを問い合わ
せてきます。OKと入力した途端、あなたはジャックイン(没入)します。
NICを構成する人工ニューロン束が、あなたの延髄をインターラプトしたの
です。あなたの脳から運動神経を経由して身体に送られる神経パルスは、もはや
延髄より下には届きません。全てNICによりデジタル信号に変換され、光ファ
イバ経由で操縦系コンピュータに送られています。一方、自動車に装備された各
種センサの情報は、脳が理解できる神経パルス列に変換され、NIC経由で延髄
を走る感覚神経に入力されます。
あなたの脳は、この状態をどのように”解釈”するでしょうか。簡単なことで
す。自動車が(正確には自動車に装備された各種センサの集合体が)自分の身体
であると解釈するのです。自動車の動きを”自分の動き”と感じ、センサがとら
えた気流の情報を”風に吹かれている自分”だと感じるのです。要するに、今や
あなたは自動車を操縦しているのではなく、自動車があなたの身体になっている
のです。
これが、「ジャックイン」です。あなたは自動車にジャックインしたのです。
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もともと、あなたの脳は、頭蓋骨という暗い洞窟に閉じ込められた神経塊に過
ぎません。あなたが自分の身体を”自分自身である”と感じるのは、延髄を経由
して運動神経と感覚神経が全身に伸びているためです。あなたがどこにいて何を
していようとも、あなたの脳はいつも同じ暗い洞窟の中にいます。それが行って
いることは、感覚神経から送り込まれるパルスを解釈し、また運動神経に対して
適切なパルスを送ることだけです。それなのに、あなたは自分の身体を”操縦し
ている”とは感じないでしょう。身体それ自体が、「自分」であると感じます。
感覚神経のパルスを解読するのではなく、ただ「風を感じる」でしょう。筋肉を
操縦しているのではなく、「自分は走っている」と感じるのです。
実のところ、脳がどうやって各種神経の入出力を統合して「自分」という首尾
一貫した幻想(モデル、と言った方が適切でしょうか)を維持しているのかにつ
いては、ほとんど何も分かっていません。ですが、脳にはそれが可能であること
は確かです。
あなたが自動車にジャックインするとき、あなたの首から下は完全に麻痺して
います。その代わり、あなたは自分が自動車になったように感じます。前進しよ
うと思えば、足の筋肉を動かして歩くのと同じように、無意識に前進できます。
向きを変えるのも、スピード調整も、何でもそれこそ「自分の手足を操るがごと
く」簡単なことです。
子供が飛び出してきました。あなたの脳は、反射的に止まれという命令を出し
ます。そのパルスは極めて短い距離(脳から延髄まで)を流れたところで電気光
信号に変換され、瞬時に(光子や電子の速度で)処理され、ブレーキがかかりま
す。反応速度は劇的に向上しています。
2199年の乗物には、たいていニューラルインタフェースが装備されており、ジ
ャックインして操縦することが出来ます。あなたが航空機にジャックインすれば、
あなたは自分が自由自在に空を飛んでいると感じるでしょう。潜水艦にジャック
インすれば、あなたは水圧を、水流を、冷たい水の感触を感じつつ、自分が深海
を突き進んでいるように感じるはずです。宇宙船にジャックインすれば、きっと
自分が電磁場や太陽風やプラズマの中を無限の彼方に向かって飛翔しているよう
に感じることでしょう。(自由に歌って下さい)
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ところで、考えてみれば、ある乗物をニューラルインタフェースによって操縦
するのであれば、そもそも自分の本来の身体がその乗物に乗っている必要はあり
ません。遠隔地から、無線で操縦すればよいのです。衛星を経由するなど極端に
遅延時間が大きくなれば別ですが、そうでない限り、無線でジャックインしても
同じことです。あなたは、その乗物になったように感じるのです。これがいわゆ
る「テレプレゼンス技術」ということになります。
人間の身体にはかなりの重量があります。それを乗せなくて済むのであれば、
乗物を徹底的に小型化することが可能です。というか、それは乗物ではなくて、
遠隔操縦ロボットのようなものになるでしょう。これが「リモート」と呼ばれる
テレプレゼンス・ロボットです。
形状や用途の異なる様々なリモートが開発されています。手のひらに乗るよう
な偵察用小型ヘリや、スパイ用の昆虫型リモート、デジタル盗聴(タッピング)
を防ぐために物理的に情報を輸送する伝書鳩リモートなどなど。いずれも各種の
小型センサを内蔵しており、あなたはリモート自体になったように、あるいは乗
り移ったような感覚で操縦することが出来ます。(大きさわずか数ミリの昆虫型
リモートに乗り移る、というのはちょっと楽しそうな感覚ですね)
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では、ジャックインできるのは、乗物やリモートだけでしょうか。いえいえ。
コンピュータとニューラルインタフェースを装備している装置であれば、ほとん
ど何にでもジャックインできます。身体の一部だけジャックインすることも出来
ます。
例えば、拳銃に右手の先だけジャックインしてみましょう。もちろん2199年の
拳銃にはマイクロチップが埋め込まれており、トリガーを制御しています。今や、
感覚的には、あなたの右手の先には手のひらではなく拳銃が生えています。あな
たは文字通り、指を動かすよりも早くトリガーを引くことが出来ます。(指を動
かすためには神経パルスが脳から右手の人指し指の筋肉まで流れる必要がありま
すが、ジャックインした拳銃を撃つときは脳はトリガーと光ファイバで接続され
ているのです)
むろん、コンピュータ自体にジャックインすることも、ネットワーク経由でジ
ャックインすることも可能です。そう、サイバースペース(電脳空間)にジャッ
クイン(没入)する、というアレです。
では、次回は、NIC技術のその他の応用、ニューラルジャックの代替技術等
をざっと見た後、2199年のコンピュータネットワークと通信技術について解説す
ることにしましょう。どうか、ご期待下さい。
馬場秀和
(続く)