カウントダウン   
九階建てのマンションは、人を棲まわす前にあきあきした空気をゆっくりと
行き来させていた。ここで休む体の吐く息は、ざらりとした風になって部屋を
めぐる。久しぶりに偽の木目に現れた懐かしい横顔を、笑って迎えるなんて。
どこへ行こうと食い気の減らない折れた歯に、甘いご褒美を押し込む。急に現
れる西日だけが光源のすり傷のついた高い壁が囲う部屋に、バラの匂いをかぎ
土のない窓の外を雨が被う。この体が歩きつづけて行き着くはずの場所には、
あの雲が身をくねらせて待っている。息が落ちる音を聞きつづけている限り。
体から零れ落ちて惜しいものはない。今日も埃を吸い取る音を立てる。
秋風
久しぶりの雨の音。もう熱気は問題じゃない。湿度計をもがく
ような気配で眺めていた頃は、消えてしまった。お湯を注ぐ音に
悲鳴を上げる生き物。床の湿り気。ほんとうにいたい場所には、
途切れても消えない痛みのある体がある。非常階段を降りる朝に
壁がかがんで吐きだした歌が追ってくるかと振り向いた。ドアの
閉まるうれしげな唸り声。ほんとうにいたい場所には、戻ってき
てしまうのに。
結露
あの高架の下で触った紐につながれた子猫のほこりっぽい甘え声を聞きに来た
冬にも夏の花が咲くのに花の匂いを浴びない旅。椿の花が覆う打ち放しのコン
クリートの階段を空に浮かんで歯軋りしてみた。夏の日が消えていく時の血に
混じるあがきがまだここには残っている。高い塚の下を足を汚しながら廻り、
ここに葬られる資格がない自分に、安堵した夢の中。聞こえた甘え声にうずく
まって土をなでた。

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