読書の記録(2001年 5月)

「誘拐症候群」 貫井 徳郎  2001.05.02 (1998.03.25 双葉社)

☆☆☆

 子供が誘拐され,身代金として500万円の要求が来た。警察には言うなと言う犯人の脅しもあったが,身代金が払える程度の額だった事もあって,親は犯人の指示通り金を振り込んだ。そして子供は無事に帰ってきた。その頃,托鉢僧の武藤はいつもの通り新宿西口に立っていた。武藤はその近くでティッシュ配りのアルバイトをしていた高梨と言う男と知り合う。その高梨の生まれたばかりの子供が誘拐された。そして犯人は武藤を身代金の運搬役に指名してきた。

 個人のホームページに掲載されている日記をもとに,誘拐する子供を探すと言うのは有り得ない事では無いですね。自分自身のプライバシーには敏感なつもりでも,結構個人の情報って漏れやすいものです。まあインターネットを利用した犯罪が報道される事って多いですけれど,便利な反面,危険もあると言う事はもっと認識する必要があるでしょうね。ところで作品の方ですが,高梨の息子の身代金略奪の場面はスリリングなんですが,全体的に都合良く行き過ぎていて,緊迫感に欠けている感じがしてしまいます。また視点がクルクル替り過ぎるのもどうでしょうか。また裏の組織みたいなものが出てきますが,必殺シリーズの様な痛快さも無いし,中途半端な感じです。

 

「闇の戦場」 鳴海 章  2001.05.07 (1994.08.25 集英社)

☆☆

 自分の家を自ら建てる事を想像しながら歩くハニー.ビー,夜中の見張り中に自陣に侵入しようとした敵兵を見つめるキュウシュウ,配属されたばかりのウェンズデイ,常に先頭を進むダンシング.ベア,衛生兵を兼ねるノーズ.マン,そして彼らの分隊を率いるサージ。皆本名などではなく愛称で呼び合っている。彼らが中隊を離れて行軍中,突然サージが撃たれた。ノーズ.マンの「妊娠中で無ければ大丈夫。」との励ましも空しく,サージは戦死する。

 ここに描かれているのはベトナム戦争でしょうか。サージが戦死する日を中心に,分隊の一人一人の視点で話が展開されていきます。何か息苦しくなる様な描写の連続です。でも戦場の緊迫感も,兵士達の狂気もちょっと希薄ですね。自分には戦争体験などありませんが,テレビでの報道や映画などから,やはりベトナム戦争が強く印象に残っています。その中でも一番は,コッポラ監督の「地獄の黙示録」でしょうか。あまりにも日常から掛け離れた世界が,リアルに描かれておりました。実際全ての価値観が引っくり返る世界でしょうから,余程の精神力が無いと気が狂ってしまうでしょうね。ですから最後のノーズ.マンの話は遣り切れなかったですね。

 

「死の人工呼吸」 川田 弥一郎  2001.05.08 (1994.06.25 講談社)

☆☆☆

@ 「炎天のランナー」 ... レース途中で苦しそうにしていた男性を見掛けた。レース後その男性が熱射病で亡くなったと知った。
A 「死の人工呼吸」 ... レースで知り合ったグループのパーティーに参加したら,グループの一人が肉を喉に詰まらせてしまった。
B 「眠りの恐怖」 ... レースの後自分が看護婦だと知って近付いてきた男性は,夜中に呼吸が止まると訴えてきた。
C 「墜落」 ... 生まれ故郷のクロスカントリー大会の参加したついでに,盆踊りと14年振りの同窓会に出席する予定だった。
D 「謎の食中毒」 ... レースで知り合った4人組。翌日のテレビで彼らがボツリヌス菌の食中毒になった事を知った。
E 「クリスマス.ランニング」 ... 癌を克服したと言うランナーと知り合った。彼女は何者かに殺されそうになった。

 看護婦をしている二人の市民ランナー。主人公の川本雅美は常に優勝を争うのですが,早田菜月の方は競馬中継のラジオを聴きながら走る様なランナーです。そして何がしかの事故が起こって,その真相を菜月が推理していくと言う展開です。私も何度かマラソン大会に出ているのですが,その場の雰囲気が良く伝わってきますね。作者の川田弥一郎さんは元々医者で,病院を舞台にした「白く長い廊下」江戸川乱歩賞を受賞しました。ここでも医学の知識を活かしたトリックを使っておりますが,ちょっと首を捻る様な部分が多い気がします。それにしても市民ランナーを対象にしたマラソン大会って多いですよね。まあそれだけ趣味で走る人が多いんだと思います。でも走ると言うのは一見健康的に思えますが,あんなに体に悪い事も無い様な気がします。足や腰や心臓にかなりの負担が掛かる訳ですから,充分自覚して気を付けて走りたいですね。

 

「閉ざされた夏」 若竹 七海  2001.05.09 (1993.01.29 講談社)

☆☆☆

 佐島才蔵の勤め先は,自宅近くにある,「新国市高岩青十記念館」だ。ここは新国市が生んだ,昭和初期の文学者である,高岩青十の資料を展示している記念館だ。三田課長,千佳,鶴子,夕貴らの同僚との仕事はのんびりしたものだったが,特別展を控えてそれなりに忙しい職場だった。そんな中に起こった放火騒ぎ。幸い大した火事にはならなかったが,その後も不思議な事件が立て続けに起こる。ミステリー作家をしている,才蔵の妹の楓はいろいろと推理を働かせるのだが。

 この本は,他の作品同様図書館で借りた本なのですが,かなり古く,紙も黄ばんでいて,ちょっと黴臭い匂いもします。舞台が舞台だけに,読んでいて臨場感がありましたねえ。それはともかく,若竹さんの作品は「火天風神」しか読んだ事が無かったのですが,かなり雰囲気が違いました。そちらがかなりバタバタした感じのパニック物だったのに対して,こちらはオーソドックスなミステリー。前半は学芸員達の日常を中心に淡々と進んでいくのですが,ある殺人事件を契機に物語は一気に急展開していきます。それまで能天気な感じで描かれていた彼等達の様々な想い,そして意外な人間関係。この前後半の対比がいいですね。最初の方のちょっと退屈な部分が,後になって利いてきます。だからこそ前半をもう少しうまく読ませて欲しかったと思いました。

 

「定年ゴジラ」 重松 清  2001.05.10 (1998.03.25 講談社) お勧め

☆☆☆☆☆

 新宿から私鉄の急行で1時間半のところにある「くぬぎ台ニュータウン」。山崎さんがここに一戸建ての家を購入したのは,30代の半ばだった。老後の生活には最適だとばかり思っていたが,勤めていた銀行を定年退職となった途端,この街の退屈さに驚くばかり。二人の娘は家を離れており,今は妻と二人暮し。毎朝の散歩が唯一の日課だった。そんな時に知り合った藤田さん。彼もつい最近定年退職したのだが,何とこのニュータウン開発の責任者だったと言う。そして定年退職の先輩である,町会長さんや野村さんとの楽しい付き合いの日々。

 当り前の事なのですが,私には定年退職の経験がありません。だけど凄くリアリティがあるんですよね。定期,名刺,手帳,そんな今は当り前の物が,一切必要無くなった日常。仕事で忙しかった時には見えなかった家庭の内側。故郷や幼馴染や母親への想い。そして娘や息子を通して実感する,男親の寂しさ。こりゃあ,余程の定年退職のプロが書いた作品なんだろうなと思い,作者のプロフィールを見てビックリ。何と35歳。私よりも10歳も年下じゃないですか。文章のプロとしての想像力や表現力に脱帽します。でも本当のところ,実際の定年退職者から見たら,どうなんでしょうか。興味ありますね。そしてもう一つ,ニュータウンと言う人工的な街のあり方を問う部分。理想の街としてのニュータウンの模型を,ゴジラの真似をして壊す藤田さん達が印象的でした。ところで退屈と暇の違いって何でしょう。同じ飽き飽きとした状態でも,する事があるか無いかの違いなんでしょうか。思わずニンマリしたり,ホロッとしてしまったりの充実した1冊です。

 

「死体の涙」 上野 正彦  2001.05.11 (2001.02.10 青春出版社)

 自分は監察医として2万体の死体を見てきた。蛆がわいた腐乱死体もあったし,食べ物を与えられないで餓死した幼児の死体,全く原型をとどめない轢死体もあった。人からは平気かと聞かれる事があるが,死体自体はどんな状態であれ平気だ。だけどどうしても嫌なものは,幼児の死体の場合だ。死体が嫌なのではなく,自分の子供の死を受け容れられない母親の存在があるからだ。

 副題として「監察医が書いた」とあります。作者は元東京都監察医務院長をしていた方ですから,さぞいろいろな死体と死の場面を見てきたのでしょう。普通我々は死体を見る事なんて無いですよね。肉親が亡くなった時くらいで,私は全くの他人の死体を見た事はありません。見る機会の多い職業と言えば,医者か警察官ぐらいでしょうか。監察医を辞めた直後に書いた「死体は語る」がベストセラーになった方ですが,この本はその二番,三番煎じなのでしょうか。そちらの方を先に読んだ方が良かったですかね。

 

「厳かなる終焉」 結城 五郎  2001.05.14 (2000.02.10 文藝春秋社)

☆☆☆

 千葉県にある福原病院の内科部長をしている桜井雅則は,知り合いの矢田から一人の女性を紹介された。佐倉玲子と言うその女性は,夫が植物人間となって福原病院に入院していると言う。5年前に亡くなった桜井の妻に,何処と無く似ている玲子に引かれていく桜井。ある日玲子は桜井に,夫の安楽死を持ち掛けてきた。深夜一人で彼の病室を訪ねた桜井は,病室から院長の斉田が出て来るのを見かけた。そして病室では,玲子の夫は亡くなっていた。

 まず最初に,部屋の中で男女の心中死体が発見され,離れでは老婆が毒殺されているのが見つかります。いかにしてこの様な結末になったのか,と言うのが本題です。でも途中は安楽死を巡る話が中心になっていきます。安楽死を積極的に肯定する斉田と,彼を信奉する夏目。そして安楽死を否定し,院長の犯罪を暴こうとする今川。主人公である桜井はそれ程の信念を持っている訳ではないのですが,多くの医者はこうなんでしょう。でもアル中って言う設定は無いよなあ。安楽死に対する議論が重い中,桜井の存在がちょっとアヤフヤに思えてしまいます。ストーリー自体は面白いんですが,玲子に対する桜井の気持ちの移り変わりなど,何か不自然な部分もあって,イマイチ話の中に引き込まれなかったですね。でもその分,安楽死の是非に関する部分は迫力がありました。

 

「サンタクロースのせいにしよう」 若竹 七海  2001.05.15 (1995.08.30 集英社)

☆☆

@ 「あなただけをみつめる」 ... 失恋の痛手から引越を決意。友人の知り合いとの共同生活をおくる事になったのだが。
A 「サンタクロースのせいにしよう」 ... 二軒隣の奥さんはゴミ出しルールにうるさい。今日も朝早くから見張っていたらしい。
B 「死を言うなかれ」 ... 知り合いの家の庭には花が一杯。ある日チューリップが植わっていた所が何も無くなっていた。
C 「犬の足跡」 ... 玄関の下駄箱の上にいる老婆の幽霊。この幽霊の正体を探ろうと,この家に前住んでいた人を調べたら。
D 「虚構通信」 ... 知り合いだと名乗った電話の主は,自分が殺されかけたと言う。香港旅行中に車に轢かれそうになったらしい。
E 「空飛ぶマコト」 ... 近所に住む中国人の誘いで台湾へ。行きの飛行機の中で騒々しいカップルと一緒になった。
F 「子どものけんか」 ... 同居人の父親が倒れた事によって,この風変わりな同居生活も終わりを告げる日がやってきた。

 27歳の岡村柊子(しゅうこ)は失恋をきっかけに引越す事に決めた。ちょうどその時友人である彦坂夏見から電話が掛かってきて,友人の松江銀子が一緒に生活する相手を探していると言う。ただ夏見が言うには,この銀子はちょっと変わっていると言う。さて有名俳優の娘でちょっと浮世離れした銀子さんとの共同生活の中で,次々と起こる不思議な出来事。と言っても殺人やら誘拐やらではなく,いわゆる日常の謎です。でも幽霊が出て来たりして,ちょっと日常と掛け離れている感は否めません。北村薫さんの作品の様に,明確な探偵役がいないので,皆でワイワイやっている内に解決していくと言うパターンです。銀子さんの変わりっぷりを始め,全体的に印象の薄い作品でした。

 

「二重生活」 折原 一新津きよみ  2001.05.16 (1996.10.25 双葉社)

☆☆☆

 探偵事務所を構える佐久間竜太郎の元に,一人の依頼人が訪れた。その女性は埼玉県で医者をしている藤森亜紀と言う女性で,医薬品会社に勤務している夫の藤森正宏の浮気調査の依頼だった。正宏は長野県諏訪市に単身赴任しており,平日は長野で生活しており,土日は埼玉に帰って来ると言う。佐久間は唯一の社員である,姪の横田あゆみとともに,この調査を開始する。

 新津きよみさんは折原一さんの奥さんで,この作品は夫婦による合作となっています。例によって地の文以外に,探偵の報告書や看護婦の日記がふんだんに出てきます。夫婦揃ってどんな風に騙してくれるんでしょうか。当然,叙述トリックを疑いますので,最初に描かれる殺された主婦は誰なのか,実習日誌を書いているのは誰なのか,そしてそれらは何時の出来事なのか,等を考えながら読んでしまいます。でも私ごときの推理など,全く及ばない結末になります。プロローグで語られた二つの出来事の関係なんか,うまいですよねえ。ところで合作と言う事なのですが,どこらへんが新津さんの出番だったんでしょうか。折原さん単独の作品との違いは感じられませんでしたが,若干ドロドロした感じが少ないのと,女性心理が強く出されていた部分なんでしょうか。

 

「ミステリなふたり」 太田 忠司  2001.05.17 (2001.04.10 幻冬舎)

☆☆☆

@ 「ミステリなふたり」 ... 社長婦人の妹の家を訪ねた姉。部屋の中で殺されている妹を見つけたが,密室だった。
A 「じっくりコトコト殺人事件」 ... お風呂の中で死んでいた男。お風呂がつけっぱなしになっていた為,死体は骨だけに。
B 「エプロン殺人事件」 ... エプロンをつけてキッチンで殺された女。彼女は料理を全くしなかったはずなのに。
C 「お部屋ピカピカ殺人事件」 ... あまり片付けられているとは言えない部屋での殺人事件。リビングだけは綺麗だった。
D 「カタログ殺人事件」 ... 殺された男の手には通販のカタログが握られていた。ダイイングメッセージなのだろうか。
E 「ひとを呪わば殺人事件」 ... 殺人事件の犯人は逮捕された。しかし被害者は東京にいるはずなのに,現場は名古屋だった。
F 「リモコン殺人事件」 ... ベッドの上で殺された女。服と布団の一部が濡れていたのと,壊れたリモコンが残されていた。
G 「トランク殺人事件」 ... 追突された車のトランクには男の死体が隠されていた。運転していた妻には覚えが無かった。
H 「虎の尾を踏む殺人事件」 ... 若く綺麗な女性が次々と殺された。彼女らに共通していたのは携帯のストラップだった。
I 「ミステリなふたり Happy Lucky Mix」 ... スキーに出かけたペンションが雪に閉じ込められた。そして殺人が。

 愛知県警の刑事である京堂景子は鉄女,氷の女と怖れられる29歳の女性刑事。彼女の夫は21歳のイラストレーターである新太郎。妻が担当する難事件を,主夫している新太郎が鮮やかな推理で解決すると言う,良くあるパターン。事件全てが殺人で統一されていますが,殺人方法,動機,謎を解くきっかけ等,バラエティーに富んでいます。全体的にコミカルに描かれていますが,推理は冴え渡っています。最後の「ミステリなふたり」がいいですね。景子と新太郎の出会いの場面を,あの様に描くとは,意表を突かれました。

 

「江戸の検屍官」 川田 弥一郎  2001.05.18 (1997.01.20 祥伝社)

☆☆☆☆

@ 「嘲笑う女」 ... 家の中で死んでいた女。瑕は無かったが彼女のお腹には殴られた様な後が浮かび上がってきた。
A 「井戸の底」 ... 井戸の中に身を投げた女。彼女のお腹の中から出てきた水には,髪の毛が入っていた。
B 「紫色の顔」 ... 若い女が出合茶屋で首を吊った。縊死の屍には二通りあると言うが,その顔は紫色に腫れていた。
C 「口中の毒」 ... 問屋の旦那が亡くなった次の日,次男の嫁が亡くなった。毒の入った団子を食べたらしい。
D 「襲撃の刃」 ... 祝言を前にした娘が誘拐された。そして彼女の用心棒を勤めていた男が,刺し殺されて見つかった。
E 「雪の足跡」 ... 雪の上に残された,その家に入っていった足跡は二人だったが,出て行った足跡は一人の物だった。

 北町奉行所の同心である北沢彦太郎のもとには,様々な検死の依頼が持ち込まれる。普通は死んだ人間を見るのを嫌がるのに,彼は別だった。そして彦太郎は友人で医者の古谷玄海とともに,様々な遺体の謎に取り組む。作者の川田さんはもともと医者で,「白く長い廊下」江戸川乱歩賞を受賞した方です。当然のごとく医者としての知識をふんだんに使った作品を書いておりますが,この作品は何と江戸時代の法医学です。現在の様な医学も無く,解剖すらする事ができない中で,二人は様々な方法で死体の鑑定に取り組みます。最新の医学知識を前面に押し出されると,付いて行けない場合がほとんどですが,この様な設定にした為,リアリティーがありますね。

 

「国語入試問題必勝法」 清水 義範  2001.05.19 (1987.10.20 講談社)

☆☆

 大学受験を控えた浅香一郎は,国語が大の苦手だった。数学と英語には自信があるのだが,国語だけはどうしても点数が上がらない。そんな一郎の元にやってきた家庭教師の月坂。彼は一郎にある問題を解かせた。それは「次の文章を読んで,後の設問に答えよ。」と言う形式の問題だった。最初に提示された文章を理解しようとする一郎に,そんなものを理解する必要は無いと言う月坂。彼は選択肢を見ただけで答えが判る,長短除外の法則やら,正論除外の法則など,様々な必勝法を伝授する。

 後書きで作者も述べておりますが,間違っても受験生はこの本を受験に活かそうとしない様に。国語の入試問題や受験自体をおちょくったものです。実は私には大学受験勉強の経験がありません。高校が大学の付属だったもんで,受験しなくても推薦で入れてしまったからです。だから受験でどんな問題が出されるのかも判らないのですが,どっちにしろ受験生自体の頭の良さを正確に反映するものではないでしょう。受験生がどれだけ努力してきたかが判ればいいだけなのでしょうね。この作品以外にも,猿蟹合戦の話や評論家長嶋茂雄の話などもありますが,イマイチ,「キレ」が感じられませんでした。

 

「バールのようなもの」 清水 義範  2001.05.21 (1995.09.20 文藝春秋社)

☆☆

 宝石店に強盗が入り,宝石が盗まれたと言うニュースをアナウンサーが読み上げていた。シャッターは下ろされていたそうだが,バールのようなものでこじ開けられたと言う。それを聞いて,「バールのようなもの」って何なんだろうと思った。

 「バールのようなもの」もそうですが,日頃当り前の様に使っている言葉って,真剣に考えると結構可笑しな言葉ってありますよね。ちょっと例えは違いますが,「雨が降る」や「お湯が沸く」何て言うのも,理屈に合わない言葉でしょう。だけど言葉って言うのは,通じれば問題無いんでしょうか。そんな事を何かと屁理屈まじりに真剣な分析をしているのが笑えます。これ以外にも,街頭インタビューの話や,みどりの窓口の前での出来事など,フムフムと妙に納得してしまいます。新聞に連載されている小説って,私も読みませんが,誰も読まないんですかねえ。

 

「M(エム)」 馳 星周  2001.05.22 (1999.11.20 文藝春秋社)

☆☆☆

@ 「眩暈」 ... 妻の加奈の妹の奈緒が,派遣社員として児玉の職場にやってきた。若い男性社員から人気の奈緒だった。
A 「人形」 ... 就職活動がうまく行かない裕美。かつて家族ぐるみの付き合いをしていた男性に,ばったり出会った。
B 「声」 ... 伝言ダイヤルを使った不倫のスリルを楽しむ主婦。彼女が出会った男はトンでもない男だった。
C 「M」 ... まゆみは汗をかかない。まゆみはいつも乾いている。乾きに耐えられなくなると,まゆみは懇願する。

 まず表紙をあけると,やたらと扇情的な写真が出てきます。思わず見とれてしまいます。うーん,見方によっては「M」の文字の形に見えなくはないが,「M」の形だったら向きが逆だよなあ。だけどタイトルになっている「M」の意味は違います。おそらく皆さんが想像する通りの「エム」の意味です。それはそうと,どの話も強烈ですね。電車の中で読んでいたのですが,何か隣に座っている人から覗かれていないかな,と気になったりしてしまいました。強烈なのは性描写だけではなくて,性を通して描かれる欲望,快楽,疑惑,絶望,そして狂気。インパクトは強いと思うんですが,主人公の心の動きがイマイチ判らない部分がありました。

 

「半パン.デイズ」 重松 清  2001.05.23 (1999.11.11 講談社)

☆☆☆☆

 薄茶色の空が広がり,太陽の形がくっきりと見える。ヒロシが生まれて初めて見る黄砂だった。父親が胃潰瘍の手術を受け,それまで勤めていた東京の会社を辞める事になった。そして生まれ故郷の役所に勤める事になった為,ヒロシにとっては見知らぬ土地に引っ越してきたばかりだった。1週間後に迫った小学校入学。誰も友達のいないヒロシにとっては不安ばかりだった。

 私は東京生まれですが,結構田舎の方でした。幼稚園で一緒に遊んだ近所の友達ばかりが,同じ小学校に行ったので,何の違和感も感じませんでした。でもしばらくして大きな変化が訪れました。近くに大きな団地が出来たんです。一人二人と転校生が入って来ました。そしてどんどん増え続け,クラスの半分位が団地の子になってしまいました。別に元から住んでいた子供と,団地の子供がいがみ合う何て言う事はありませんでしたが,多分もっと都会から引っ越してきたであろう団地の子供は,何となく自分達とは違う様に思えました。少なくとも,女の子は団地の子供の方が,ずっと可愛かったのは覚えてます。この作品では東京に暮らしていた子供が,中国地方に引っ越してきたところから始まります。子供がいくら順応力があるからと言って,新しい土地での暮らしは大変でしょうね。でもそんな中で,土地の子供達とその土地ならではの遊びを覚え,方言を喋るようになり,育っていく姿は,思わず「頑張れ」と声を掛けたくなってしまいます。大阪万博やアポロの月着陸など,自分の子供の頃とダブっている事もあり懐かしいですね。また子供の目から見た世界,耳に入る大人の会話など,とても納得がいきます。何か読んでいてホッとする1作です。

 

「草津.赤倉殺人紀行」 辻 真先  2001.05.24 (1989.09.30 立風書房)

☆☆

 昭和の文豪,田山花袋が昭和3年に書いたと言う「温泉周遊」と言う雑誌。60年後の現在との比較を含めた旅行記を書く事になった,ミステリー作家の辻真先。「温泉ジャーナル」編集長の机の上に置かれた「温泉周遊」に付箋が貼られていた,草津,渋,赤倉,浅間の4つの温泉を取り上げる事にして,早速取材旅行。モデルの大石夏樹と編集者の小野裕の3人で旅行が始まったが,不思議な事が次々起こる。

 温泉が嫌いだと言う人はあまりいないのではないでしょうか。温泉に関する本,温泉を紹介するテレビ番組って多いですよね。ここに取り上げられた4つの温泉は,東京から近い事もあって,私も行った事があります。どちらかと言うと,立派なホテルが立ち並ぶ温泉よりも,静かなところが好きなんですけどね。さて作品の方は温泉地の紹介や田山花袋の作品などを紹介しばがら進んでいきます。途中に温泉街で撮った写真何かをはさみながら,のんびりとした感じなのですが,彼ら3人をつけている謎の男が出て来たり,石が投げつけたれたり,霧の中から急に車が飛び出してきたりします。作者である辻真先本人を主人公としているのですが,何か緊迫感が無くて,ダラダラした感じがしてしまいました。

 

「新妻は二度ずつ,だまされる!」 辻 真先  2001.05.25 (1990.08.25 新潮社)

☆☆

 クーラーも無いボロアパートに住む可能克郎,智佐子夫婦の所に,美味しい話が舞い込んだ。克郎の友人である布施がアメリカに住む事になったので,布施が住んでいる箱根の豪邸をタダで貸してくれると言うのだ。喜んで引越した可能夫妻。そして最初の日,小田急ロマンスカーで帰宅する克郎は,社内で知り合った由佳と名乗る女性から勧められたお酒に酔っ払ってしまう。気が付いたら家の前で寝込んでおり,目の前には由佳の絞殺死体が転がっていた。

 昔,小田急沿線に5年ほど住んでいた事がありました。すぐ近くを小田急線が通っていたので,ロマンスカーは良く見ましたが,私は一度も乗った事がありません。それはともかく一つ前に読んだ作品では,辻真先さん自体が主人公となっておりましたが,今度はこの作品を書いている辻真先さんを,女性編集者である三室嬢が覗き込んでいると言う設定です。これらに限らずこの人,作家をいろいろな形で作品の中に取り入れる事が多いですね。どんな効果を狙っているのか知りませんが,作者の考え方なり,編集者としての意見,つまりミステリー作品のあり方みたいな部分を解説されている様な気がして,余計なお世話な感じがしてしまいます。さて事件の方は,突然死体が現れたり,その死体が動き出したり,死体が消えてしまったりと,波瀾の展開です。辻褄は合っているんでしょうが,何か現実離れしてしまっている様な気がしてまりません。

 

「窓辺の蛾」 小池 真理子  2001.05.28 (1989.11.10 実業之日本社)

☆☆☆

@ 「窓辺の蛾」 ... 妻が出産の為に入院中,自宅に一人の女が訪ねてきたと言う。会ったのは義理の母だった。
A 「悪者は誰?」 ... 札幌に単身赴任中の夫の殺害計画。風呂釜に細工して一酸化炭素中毒を起す計画を立てたのだが。
B 「追いつめられて」 ... 万引き常習のOLが,思いがけずに高価な宝石を手に入れた。その後誰かに追いかけられる。
C 「泣かない女」 ... 彼は泣きじゃくる女が好きだった。自分を裏切った彼女を泣かせようと,箱根の別荘に誘い出した。
D 「隣の女」 ... 新興住宅地の隣に住む奥さんは何かとうっとうしかった。そんなある日,突然の雷雨で停電が起こった。
E 「予告された罠」 ... 再婚してヨーロッパに新婚旅行に出掛けた友人の娘を預かることに。彼女はとてもいい子だった。

 スズメ蛾って,あの大きな蛾の事ですよね。あんなのが庭に大量発生したら不気味でしょう。最近ではあまり見かけませんが,窓や壁にべったり張り付いた姿を見ると,ドキッとしてしまいますよねえ。さてそんな気持ちの悪い家に住んでいる主人公が,浮気の発覚やら浮気相手からの脅迫に追い詰められていくだろう事は予想できますが,蛾があんな形で係わるとは思ってもみませんでした。何となく有り得る光景ではあるのですが。他の作品もそうなのですが,小池さんの心理サスペンスにしては,主人公の心の動きが突飛な感じがしてしまって,ちょっと納得できない部分がありました。

 

「GO」 金城 一紀  2001.05.29 (2000.03.30 講談社)

☆☆☆☆

 在日朝鮮人である杉原の父親は,ハワイに行きたいと言う理由で国籍を朝鮮から韓国に移した。父親は共産主義者で,以前だったら「堕落した資本主義の象徴」と言っていたハワイだったのだが。しかし中学生だった杉原はハワイには一緒に行かなかった。その代わり,その分のお金で日本の高校に行く事にした。日本の学生から見た朝鮮学校生は排他的で暴力的なイメージがある。案の定入学すると杉原に喧嘩を吹っ掛けて来る連中が後を絶たなかった。かつてそんな内の一人だった,加藤の誕生パーティーで知り合った一人の少女。杉原はその桜井と言う女の子に恋をした。

 「何かを得るためには何かを捨てなきゃいけない」。元ボクサーだった,主人公の親父さんの言葉です。そして主人公である杉原の言葉,「俺は俺なんだ。いや、俺は俺であることからも開放されたいんだ」。在日韓国人である作者が書いた在日韓国人(朝鮮人)の話で,第123回直木賞の受賞作です。この作品と同時に受賞した船戸与一さんの「虹の谷の5月」は,フィリピン人と日本人の混血少年が主人公で,どちらの作品も主人公らのアイデンティティ−を描いているのが興味深いですね。さて主人公の杉原は朝鮮人でもなく,韓国人でもなく,ましてや日本人でもないと言う様な中で,日本で生まれ育っていきます。時には暴力で,そして時には知力で,自分の存在を確かめていきます。差別や偏見と言った暗くなりがちなテーマではありますが,登場人物の明るさもあって清々しく描かれて行きます。そう,主人公を初め,元ボクサーの父親,良く家出をする母親,そして暴力団の息子である加藤らの友人達がいいですねえ。桜井がちょっと弱いかな。一つ反論させて頂きたいのですが,作中「ニール.ヤングは唄が下手だから嫌いだ。」との話がありましたが,確かに声がいいとは言えませんが,あの独特な唄い方は,私は大好きです。

 

「ほのかな夜の幻想」 夢枕 獏  2001.05.30 (1995.06.15 コスミックインターナショナル)

☆☆☆

@ 「ほのかな夜の幻想 ... 山菜獲りから帰ってきて,一人でくつろぐ山小屋の夜。一人の少女が窓の外に立っていた。
A 「山奥の奇妙なやつ」 ... 山の中での一人の焚き火。立ち小便をしていたら,一匹のウサギがこちらを見ていた。
B 「二輪草の谷」 ... 白い二輪草が咲き乱れる森を抜け,崖の途中で拾った真っ赤なバンダナ。一人の少年が声を掛けてきた。
C 「キラキラ星のジッタ」 ... 空に輝く星を食べて見たいと思っていた野良猫のジッタ。それを叶える日がやってきた。
D 「風太郎の絵」 ... 旅の途中で知り合った風太郎。彼は林の中の家に一人で住み,いつも絵を画いていた。
E 「直径7センチのUFO」 ... 丹沢山中で友人が撮ったUFOの写真。それは思いがけず小さいものだった。
F 「自分ぼっこ」 ... 兄と二人のテントの中。夜中に突然起き上がった兄は,何かがテントの中で自分を見ていると言った。
G 「夢
蜉蝣 ... 試験の時,前の方に座っていた女性に引かれた。でも後ろの席の男は,彼女に関わるなと言う。
H 「妖精をつかまえた」 ... アルバイト探しの求人広告。「妖精をつかまえて下さい。」と言う広告が目に止まった。

 幻想譚=ファンタジーですね。最初,山の中の不思議な話が3作出てきます。私も山好きで山には良く行くので,結構不思議な体験をした事があります。勿論ここに出てくる様な内容ではありませんが,その一つを紹介します。あれは大学1年の時の11月でした。山の上の湿地帯にテントを張った時の事です。場所は尾瀬の西側の山で,雪が30cm程積っていたでしょうか。夕食も終わってくつろいでいた時,外を誰かが歩く音が聞こえてきました。そこは普通,人が来るような場所ではありませんでしたし,こんな真っ暗になってやってくるのは,さぞかし大変だったろうと思い,テントから外に出て見ました。でも真っ暗な中,誰も居ないんです。「誰か居るんですかー。」と呼びかけて見たのですが,シーンと静まり返ったままです。聞き違いかなと思い,テントに入ってしばらくすると,また聞こえてくるんです,人の歩く音が。ズシッ,ズシッと雪を踏みしめる音です。再びテントから出てみたのですが,やはり誰も居ませんでした。ちょっと怖かったですねえ。後から考えると,あれは雪が自らの重みで沈み込んで行く音だったのかも知れません。でも確かに人が歩く音でした。全然関係の無い事を書いてしまいましたが,そんな事を思い出させる一冊でした。表題作の「ほのかな夜の幻想譚」がいいです。