読書の記録(2000年10月)

「宴の夏 鏡の冬」 香納 諒一  2000.10.02 (1998.09.20 新潮社)

☆☆☆

@ 「共犯」 ... 密告の手紙により自衛隊員の弟の自殺に疑問を持った姉。彼女は弟の上司だった男に手紙を出した。
A 「城ヶ崎へ」 ... 生まれ故郷に向かう為に新幹線に乗り込んだ二人の男。経営する会社の失敗から保険金殺人を企てていた。
B 「宴の夏」 ... 昭和最後の大スターが亡くなった。彼女の死を伝えるテレビを,二人のテレビマンが飲み屋で見ていた。
C 「鏡の冬」 ... 長野新幹線が出来たので故郷には簡単に帰る事が出来る様になった。今日は友人と小諸で飲む約束が。
D 「交錯の轍」 ... 友人の妻が,家に盗聴器が仕掛けられているのではないかと言う。調べてみたが,そんな物は無かった。
E 「ハミングで二番まで」 ... 子供の頃からの友人から「24年前の出来事がばれた」と告げられた。彼は病気で数ヶ月の命だった。

 内容に何の統一性の無い短編集って,感想書くのが難しいですね。サラリーマンの悲哀を描いた「宴の夏」が良かったですけど,ミステリー色の強い「共犯」「ハミングで二番まで」も面白かったですね。手紙だけで構成された「共犯」では,手紙の中に隠された嘘や罠,そして関係する人間のつながりが次第に判ってきます。「ハミングで二番まで」は,24年前に起こった出来事とは何なのかと言う謎で引っ張り,最後に登場人物の関係が一気に明らかにされます。短編ならではのキレが感じさせられました。だけど,本のタイトルは「宴の夏」だけでいいと思うのですが,何で「鏡の冬」まで入れたのでしょうか。

 

「アキハバラ」 今野 敏  2000.10.03 (1994.04.15 中央公論社)

☆☆

 スチュワーデスの身分で日本に入国したイランの諜報員。彼女を尾行するモサドの少佐。東京の大学入学の為上京した秋田の青年。一等地の地上げを企むヤクザ。パソコンメーカーから派遣されたコンパニオン。パソコンの在庫を奪おうとするロシアのマフィア。彼らに協力する在日朝鮮人。彼らが秋葉原の一軒の店に集まった。

 通勤途中に秋葉原のすぐそばを通りますが,興味がないのであまり行く事はありません。だけどたまに行ったりすると,人の多さや店の派手さと共に,外国人の多さに驚かされます。電気製品の安売りで有名だったのは過去の話で,今はパソコンを中心にしたハイテク関連製品の種類の豊富さが売りなのでしょう。まあ好きな人達にはたまらない場所なのでしょうか。私何かはどちらかと言うと,東急ハンズあたりをブラブラ見ている方が好きですけどね。何か雑多な登場人物がドタバタを繰り広げている感じで,ちょっと緊張感に欠けている様な気がしました。日本のヤクザはともかく,各国のスパイがあんな事するとは思えないのですが。

 

「光源」 桐野 夏生  2000.10.05 (2000.09.20 文藝春秋社)

☆☆☆

 映画カメラマンの有村秀樹は,かつての恋人であるプロデューサーの玉置優子から映画撮影の依頼を受ける。そして脚本を書いた新人監督の補佐役を頼まれる。映画は,妻を失った男が自殺する直前に撮影した24枚の写真をテーマにした「ポートレート24」と言う作品だ。低い製作予算ながら,主演には優子の知り合いの人気男優が引き受けてくれた。冬を迎える北海道でのロケ。理想に燃える若手監督と,プロを自認する俳優やスタッフ達との対立。そんな中で次第に自信を失って行く新人監督。

 光があるから闇がある。そして光も闇も全ての人の中,全ての場所に存在する。自分の光を過信する人,自分の闇が見えない人。そんな彼らが一本の映画撮影の過程でぶつかり合って行く。実際,映画作りなんて大変でしょうねえ。監督に圧倒的な実力があれば別なんでしょうが,多くの人達の力で一つの作品を作り上げて行く。そこには色々な葛藤が起こるんでしょうね。登場人物それぞれの光と闇が描かれていきますが,陰影の深い描写が印象的です。ただ話の中心が有村だったり玉置だったり監督や俳優になったりと,クルクル変るのが気になりました。私はあまり映画を見ないのですが,作る方の人は様々な事を考えて作っているんですね。当り前なんだろうけど,改めて感心しました。

 

「陽炎」 今野 敏  2000.10.06 (2000.09.08 角川春樹事務所)

☆☆☆

@ 「偽装」 ... レインボーブリッジの上に放置された車。社内には心中をほのめかす遺書が置かれており死体探しが始まった。
A 「待機寮」 ... 暴力団の組長が射殺された。逃亡した犯人探しの中,湾岸署の敷地内にある独身寮では問題が巻き起こる。
B 「アプローチ」 ... レイプされたと言う女性を保護した。親告罪なので事件になるかどうか判らなかったが,彼女は告訴すると言う。
C 「予知夢」 ... 少年の喧嘩の取り調べをした夜に見た不思議な夢。翌日夢で見たのと同じ様な事件が起こった。
D 「科学捜査」 ... 心理学を専門とする捜査官が捜査に参加する事に。殺人死体から色々な意見を述べるのだが。
E 「張り込み」 ... 麻薬取引きの現場で張り込み。ちょうどその時一組の老夫婦が通りかかった。彼らは今日,結婚記念日だった。
F 「トウキョウ.コネクション」 ... 東京に進出してきた香港のマフィア。トルエンの売買が行われるがその計画は知られていた。
G 「陽炎」 ... ひょんな事から女性を人質にとってビルに立て篭もる事になってしまった浪人生。安積が彼を説得する。

 東京のお台場地区を管下とする東京湾臨海署の安積と速水を主人公とするシリーズです。この東京湾臨海署は最近できたばかりの警察署なのですが,ここに警視庁直轄の交通機動隊が一緒に入っています。安積は臨海署で速水は交機の刑事です。以前読んだ「残照」では速水が目立っていましたが,今回は安積や須田,村雨と言った臨海署のメンバーが中心です。結婚したての頃(つまり20年近く前),何度かお台場に来た事があります。当時は船の科学館くらいしかない何も無い所だったんですが,最近のお台場は凄いですよね。職場が新橋で,仕事の都合で良く通るのですが,驚く事ばかりです。まあこれだけいろんな人が集まる所ですから,事件も多いんでしょうね。どの話もお台場らしさがふんだんに盛り込まれています。

 

「虹の谷の五月」 船戸 与一  2000.10.12 (2000.05.30 集英社) お勧め

☆☆☆☆☆

 フィリピンのセブ島に住むトシオ.マナハンは,日本人とフィリピン人の混血の13歳。父親の日本人は親子を捨てて日本に帰国。母親はその後エイズで亡くなった為,祖父に育てられた。祖父からは闘鶏の為の軍鶏の飼育を習っており,彼が初めて育てた軍鶏を連れて闘鶏のある町へと向かう。その頃彼が住む町に一人のフィリピン人女性がやってくると言う。彼女は20年前に金持ちの日本人画家と結婚し,横浜で暮らしていた女性だった。数日の滞在の為に家を新築し,道路の拡張まで行う,クイーンと呼ばれる女性。この女性の訪問によって,ギクシャクしだす村の住民。そしてトシオはクイーンに,虹の谷への案内を頼まれる。

 「ジャピーノ」と呼ばれるフィリピン人と日本人との混血少年の,13歳から15歳までの3年間を描いています。ですのでこの少年の成長のストーリーが中心となっております。まん丸の虹がかかると言われる虹の谷で一人で戦い続ける元新人民軍兵士のホセ.マンガハス,元抗日人民軍兵士の祖父,理想に燃え地区首長選挙に立候補するラモン。しかし少年を成長させるのは,そんな綺麗事ばかりではありません。日本人やアメリカ人のフィリピンでの振る舞い,賄賂などの不正が横行する政治家や警察,革命税と称して金品を掠め取って行く新人民軍。そしてどろどろとした欲望,異常な性愛,病,貧困,不条理な人間の死。それらがトシオの眼を通してリアルに描かれていきます。フィリピンと言う国は日本にも近く関係の深い国ですが,日本に居ては決して判るはずの無い部分の多さに驚かされます。圧倒的な迫力を持った作品です。

 

「蛙男」 清水 義範  2000.10.13 (1999.05.05 幻冬舎)

☆☆

 滝井通典は父親から,家が火事で焼けてしまったと言う連絡をもらった。滝井は現在マンションでの一人暮らしだったが,焼けたのは両親が二人きりで住んでいる家。滝井が生まれ育った家が無くなってしまった事にちょっとショックを受けた。そんな頃,滝井は自分の体の異変に気付く。手が緑っぽいのだ。そしてある日突然,自分の手が蛙の手の様になってしまう。時々ではあるのだが,この現象は彼に襲いかかる。しかし他人には気が付かないのだ。自分の眼の異常なのだろうか。それとも精神病の一種なのだろうか。

 自分の視覚はその人にとって全てだ。他人の視覚を共有する事は不可能だ。だから二人で同じ物を見たとしても,互いに同じ様に見えているかどうかを検証する事は出来ない。そもそも眼と言う物は単なるレンズであって,それを認識するのは脳である。見た物に対するイメージや過去の記憶何かと結び付けられて認識する訳だから,同じ物を見たとしても,皆同じ様には見えていないのだろうか。それはともかく,ここでは蛙になってしまった男の話。だけど本当に蛙になったのではなく,回りの人からは普通通りに見えてしまう。だから自分さえ気にしなければ,今まで通りの生活ができるはずだった。写真に写したらどうなるかとか理屈っぽい話が出てきますが,論理的に何ら解明されないし,不条理な世界での主人公の気持ちや行動も中途半端。ちょっと消化不良気味。

 

「秋と黄昏の殺人」 司城 志朗  2000.10.15 (2000.09.05 講談社)

☆☆☆

 放送作家の岩城の元に,2年前に別れた妻から突然の電話が入った。「人が殺された。今日は自分と一緒に居た事にして欲しい。」と言う。これから来ると言っていたが,いつまで待っても現れなかった。心配になって出掛けてみると,彼女の部屋には誰もおらず,突然岩城は何者かに後頭部を殴られる。気が付いた時は有楽町のガード下だった。そして彼女は行方不明に。彼女はどこに行ってしまったのか。殺人事件とは一体何の事なのだろうか。

 前に読んだ「ゲノム.ハザード」も唐突な始まりでした。本作もちょっと似た様な出足です。主人公に襲い掛かる謎の数々。別れた妻からの電話,岩城を襲った人物,無くなった原稿,昔の知り合いの自殺。それとともに,一気に物語の中に引き込まれていきます。主人公のサポート役である女性の登場。ですが中々事件の構図は見えてきません。事件自体そしてその真相はちょっと突飛な感じがしてしまいましたが,それよりもある事をきっかけにして人生が狂ってしまった男の悲哀の方に引かれました。それにしても手の指が6本有る人ってそんなにいるんだろうか。

 

「もう君を探さない」 新野 剛志  2000.10.16 (2000.08.25 講談社)

☆☆☆☆

 女子高校教師の高梨は,突然学校へ呼び出された。彼が担任するクラスの生徒が家出をしたと言う。彼女は学内でも評判の優等生で,家出の理由は全く判らなかった。そんな時,高梨の元教え子であり友人でもあるヤクザの本間が何者かに殺された。家出生徒を探すうちに,彼女が本間の殺人事件と係わりがある事が判ってくる。殺人犯人を追うヤクザよりも先に彼女を探し出そうとする高梨。彼には以前教え子が家出の末,自殺してしまったと言う負い目があった。

 生徒の為に命をかける教師と言うのがどうでしょうねえ。古くてすいませんが「これが青春だ!」じゃないんだから,そんな熱血教師何ている訳ないじゃん。7年前に起こった教え子の自殺や,同じく教師だった自分の父親の話を持ち出して動機付けしていますが,どうもしっくりこなかったですね。ヤクザ組織の中の人間関係や,ホームページを絡めたストーリー自体は凄く面白いんですけどねえ。ただ,場面が大きく変るところが判り辛い気がします。前作の「八月のマルクス」の時も思った事なのですが,「アレッ,どうなっちゃったんだ。」と思うところが結構ありました。まあじっくり読んでいない方が悪いのかも知れません。全然関係の無い話ですが,私の両親は教師だったんです。と言うより代々教育者の家系なんですよね。私は落ちこぼれだったので,教育者にはならなかったんですけど。

 

「六の宮の姫君」 北村 薫  2000.10.17 (1992.04.20 東京創元社)

 主人公の「私」は就職をひかえた大学4年生。卒論のテーマは「芥川龍之介」だ。ひょんな事からみさき書房と言う出版社でアルバイトする事になった「私」は,田崎と言う老作家と話をする機会を得た。その時,芥川龍之介の話になり,彼が自作である「六の宮の姫君」について語った一言に興味を覚えた。それは,「あれは玉突きだね...いや,というよりはキャッチボールだ」と言うものだった。芥川はどう言う意味でこんな事を言ったのだろうか。

 この作品は「円紫師匠と私」シリーズの4作目です。私は「朝霧」しか読んだ事はありませんが,このシリーズは女子大生(その後出版社の社員)の「私」が円紫師匠と言う落語家と,日常の謎に挑む話です。ですから殺人も強盗も誘拐も起こりません。ですけど芥川龍之介の語った言葉のどこが日常なんだろうか。何か文学論を読まされている気がしてしまいました。もっとも北村薫さんの芥川龍之介論,菊池寛論を登場人物達に語らせている部分が多いんでしょう。それはそうと,日常の中には謎が一杯あります。だけど普通それら一つ一つを解明しようとは思いませんよね。ですからミステリー小説における謎は,謎の大きさ(変な言い方ですが,謎としてのクオリティの高さ)が大きい方がいいのではないでしょうか。ですからミステリーと言うよりも,卒業を控えた女性の物語として読んだ方がいいのではないでしょうか。

 

「よめはんの人類学」 黒川 博行  2000.10.18 (1998.07.07 ブレーンセンター)

 奥さん,奥様,奥方,妻,嫁,夫人,女房,つれあい,と色々な呼び方がありますが,「よめはん」ていかにも関西と言う雰囲気ですよね。黒川さんの奥さんだったら,やっぱり「よめはん」と言う呼び方が一番合いそうですね。本当かどうかは知りませんが,面白そうな奥さんです。「麻雀放蕩記」に出てきた「ハニャコさん」そのものなんでしょう。作家の奥さんて,旦那の作品を読むものなのでしょうか。もし読むんだったら,あまり変な事も書けないでしょうし,だけどそのまま書いている様な気もするし。だけど普通自分の妻の話を他人にする時って言うのは,まず悪く言うものですよね。

 

「本格.結婚殺人事件」 辻 真先  2000.10.19 (1997.01.30 朝日ソノラマ)

 新しく創設された「ざ.ミステリー大賞」の選考会が開かれた。最終候補に残った作品は3作だったが,どれも出来は今一つ。3人の選考委員の評価もバラバラに別れてしまった。記念すべき第一回の受賞作となるだけに,何とか「該当作無し」と言う事態だけは避けたい担当編集者は,選考委員の調整に大忙し。そんな中,選考委員の一人が滞在先のホテルで殺された。そして二人目の委員は車を避けようとして崖から転落して重症。三人目に至っては謎の言葉を残して失踪してしまった。

 まず最初に辻さんの作品に対する折原一さんの書評が載っています。おっと,これは叙述トリックか?。そして後書きがあり,新聞の切り抜き記事があります。そして受賞者の喜びの場面が描写されて,選考の場面に移ります。ここでは最終候補に残った3作とそれに対する意見交換が行われていきます。1作目は鏡が見ていた泥棒の正体,2作目は仲のいい兄弟が兄の嫁を殺す話,そして3作目は夜行列車の中で起こったバラバラ殺人。わざとなのでしょうが,どれも稚拙な作品なんですよね。そしてそれに対する選考委員の意見が的を得ていて笑ってしまいます。前に読んだ「犯人」でも思ったのですが,ここでも作中作の必要性って感じられません。意外な犯人や意外な被害者を描く事を優先して,凝った構成にしただけの様な感じがしてしまいました。だけど犯人も被害者も意外ではなかったですよ。

 

「花盗人」 乃南 アサ  2000.10.20 (1998.04.01 新潮社)

☆☆☆

@ 「薬缶」 ... 「殺したいとは思わないけれど,夫が死んでくれたらな」。暑いキッチンの中で,そんな友人の一言がふと甦ってくる。
A 「寝言」 ... 妻は夫が寝言を言うという。夫は妻の歯軋りで目を覚ましてしまうと言う。お互いに仕事で疲れているんだろう。
B 「向日葵」 ... 子供の頃の怪我が元で匂いも味も全く判らなくなった男と,自分の体臭が気になってしょうがない女性の出会い。
C 「愛情弁当」 ... 東京に一人で暮らす義理の弟に,毎日毎日お弁当を宅配便で送りつづける田舎に住む料亭のおかみさん。
D 「今夜も笑ってる」 ... 近所の奥さんの笑い声が気になる。前の主人が亡くなったばかりなのに,何であんなに笑うんだろう。
E 「他人の背広」 ... 会社の研修を終えて帰宅途中,間違えて他人の背広を着てきた事に気が付いたのだが。
F 「留守番電話」 ... 会社の寮に入ったら,電話が通じていた。前の住人宛てにその電話に掛かってくる女性からの電話。
G 「脱出」 ... いきなり狭い部屋に閉じ込められた。隣から男女の話し声が聞こえてくる。女性の声は自分の妻の声だった。
H 「最後の花束」 ... 家出してきた東京で知り合った少女。ある事件の後,憧れのウェディングドレスを着る日に。
I 「花盗人」 ... 自分では何もしようとしない夫。食事は作れない,布団はひけない。夫を甘やかしすぎたのだろうか。

 乃南アサさんは「凍える牙」と言う長編で直木賞を取りましたが,短編も多く発表しております。私はこの人の場合,短編の方が断然好きです。はっとさせられる作品が多いんですよ。この短編集も短編ならではのまとまりのある作品が多いですね。まとまりと言うか,キレと言ったほうがいいでしょうか。特に最初の「薬缶」何か見事です。10ページ足らずの短い作品なんですが,妙子と瑞恵と言う二人の主婦の会話,そして夫に対する瑞恵の行動までが,目に見える様に描かれていきます。特にキッチンで汗だくになる瑞恵に同情してしまいましたし,汗で服が体に張りつく不快感が実に良く伝わってきました。

 

「ぼっけえ,きょうてえ」 岩井 志麻子  2000.10.23 (1999.10.30 角川書店)

☆☆☆☆

@ 「ぼっけえ,きょうてえ」 ... 遊女が眠れない客に語る身の上話。貧困の村の村八分の家に生まれ,母親は間引き専門の産婆。自分も生まれてすぐに川の中に捨てられたのだが,奇跡的に命が助かった。そして何故か口を濁す双子の姉の消息。
A 「密告函」 ... 虎列刺(コレラ)が流行し,患者を早期に隔離するために密告函が設けられた。投書に書かれた内容を確認する役を任された男。ここから彼の人生は狂い始める。よそ者の偽祈祷師の娘への想いと,自分に尽くす妻への引け目と不信感。
B 「あまぞわい」 ... 「そわい」とは潮が引いた時に現れる岩礁の事で,そこには「あま」が住むと言う。「あま」と言うのは「海女」と「尼」と言う二つの言い伝えがあった。亭主を守る為に海で死んだ海女と,亭主から逃げる為に海で死んだ尼の伝説。
C 「依って件の如し」 ... 村八分の家に生まれ,二人だけで暮らす兄弟。近くの百姓の手伝いをしてどうにか食べていたのだが,兄が徴兵で戦争に行ってしまった。残された妹のシズが預けられた家を惨劇が襲う。そして戦争も終わり兄が帰ってきた。

 変ったタイトルですが,これは岡山地方の言葉で,「とても,怖い」と言う意味だそうです。第6回日本ホラー小説大賞の受賞作で,いわゆる怖い話なんです。この賞は瀬名秀明さんの「パラサイト.イブ」や,貴志佑介さんの「黒い家」も受賞していますが,それらに較べて正統的な怪談話です。まず表紙の絵に見入ってしまいました。着物姿の女性の絵なんですが,不気味な感じはしないものの,妙に引き込まれてしまいそうな絵です。それはそうと作品の方ですが,表題作の「ぼっけえ,きょうてえ」が特にいいです。この作品は一人の女が男に語りかける形をとっています。その話というのが非常におぞましい話なんですよね。こんな話を聞かされたら何も喋らないはずは無いのですが,ここでは男の方は一言も喋りません。ですから実際に男はいないか死んでいるかしていて,女が独り言を言っているような雰囲気です。それともここにいるはずの男って読者なんでしょうか。結末自体は怖いと思えないのですが,この語り口が怖いですねえ。これは他の作品も同様です。

 

「Twelve Y.O.」 福井 晴敏  2000.10.25 (1998.09.10 講談社)

☆☆☆

 自衛隊の特殊部隊である海兵旅団でヘリコプターのパイロットをしていた平曹長は,今は新規隊員の募集が仕事だった。そんなある日,かつての同僚だった東馬修一と出会った。彼は理沙と言う少女を連れていた。そしてその直後,平は防衛庁情報局の夏生由梨に拉致される。夏生が言うには,東馬は情報局から理沙を連れ出し,コンピュータ.ウィルスを武器にアメリカと日本の政府にテロを仕掛けているらしい。そしてある事情により,誰も東馬を捕まえる事も殺す事もできないのだと言う。

 第44回江戸川乱歩賞の受賞作です。題名の意味は12歳(12Years Old)で,かつてマッカーサーが言った「日本人は12歳の子供。」と言う言葉から付けられています。勿論この言葉は知っていますし,日頃その通りだなと感じる場面も多々あります。まあそれらに対する厳しい指摘にも納得がいきますし,波瀾に富んだストーリー展開,戦闘シーン等のアクション場面での臨場感溢れる描写もなかなかです。充分に楽しめる作品なのですが,何となく読み辛い部分も多いんですよね。作品の中に占める大きな謎が最後の方で解き明かされるのは当たり前の事ですが,それが東馬の行動の動機等に密接に結びついているせいで,前半何故こいつ等こんな事してるんだろう,と思ってしまいました。それに過去のヘリコプター事故の真相など,中途半端な真実の披露が多すぎてイライラさせられました。だからなかなか物語りの中にのめり込めないんですよね。ちょっと荒唐無稽だとは思いますが,物語としては文句無く面白いと思います。

 

「逃げ切る」 今野 敏  2000.10.26 (1993.07.20 祥伝社)

☆☆

 工藤兵悟の元に水木亜希子と名乗る女性がやってきた。彼女はグリーン.アークと言う環境保護団体の人間で,3日間ボディガードを頼みたいと言う。工藤の事は戦闘インストラクターのエドから聞いたと言う。工藤もまたエドから戦闘の手ほどきを受けている。その直後3人の白人が二人に襲い掛かってきた。何とか切り抜けたが,彼等の身のこなしや拳銃の扱い方からCIAの人間だと思われた。とんでもない相手を敵に回した事に驚くとともに,彼女を守る決意をする工藤。

 環境保護団体と言えば,まず思い浮かべるのはグリーン.ピースでしょう。あまり詳しく知りませんが,かなり過激な団体ですよね。ここでは環境保護団体が,アメリカの諜報機関であるCIAと結託して,と言う話なのですが,こんな事ってあるんでしょうか。冷戦終結によって高まったCIA内部の危機感を持ち出していますが,却って冷戦終結以後の方がCIAの活躍の場が増えた様な気がしていたんですが。作品の方はスリル溢れる展開なのですが,ちょっと軽め。最初の方で出てくる伏線が目立ち過ぎていたので,結末は予測ついてしまいました。でもさらに一ひねりあって良かったですね。

 

「呼人」 野沢 尚  2000.10.30 (1999.07.30 講談社)

☆☆☆☆

 呼人(よひと)は母親に捨てられ,母の妹夫婦に育てられた。今小学校の6年生で12歳の夏休み。友人の厚介と潤の3人で,森の中に作られた隠れ家で遊ぶ毎日だった。夏休みも後1日となった日に,3人の憧れの的だった小春が家出した。夏休みの前に小春が呼人らに残した手掛かりを元に,彼女が多摩川の水源へ向かったであろうと推理する。3人は彼等の住む町田から電車とバスを乗り継ぎ,山の奥へと小春を探しに出掛ける。1泊の野宿の後,彼等は小春を見つけ出す。こうして彼等の夏休みは終わった。そして次の年,呼人は13歳になるはずだったのだが。

 子供の頃って必ず「チビ」とあだ名される子がいますよね。教室では一番前の席に座り,朝礼などで並ぶといつも一番前。だけどそんな子に限って突如大きくなって驚いてしまうんですよね。ここに出てくる呼人も145cmしかないチビなのですが,彼はいつまで経っても大きくなりません。12歳のまま成長が止まってしまったんです。まわりの友達はどんどん大人になっていくのに,呼人は何時までも子供のまま。有り得ない話なんですけど,呼人と厚介,潤,小春達との会話を聞いていると,凄くリアリティがあるんです。子供の頃の記憶を共有している友人は,そのまま大人になって子供の頃の感性を失っていくのが普通です。でも一人だけ子供の時のままだったら,不思議でしょうね。基本的には呼人の母親探しを通じた自分自身の存在探しの話なのでしょうが,子供のままの呼人と大人になった彼の友達の関係がとても魅力的に描かれています。また話の所々にその当時の話題が出てきますが,時が流れて行くと言うのはどう言う事なんだろうか,と思っちゃいました。

 

「恋する男たち」 アンソロジー  2000.10.31 (1999.02.01 朝日新聞社)

☆☆

@ 篠田 節子 「密会」 ... 毎週水曜日に実家に帰る夫。実家に帰っていると妻に言えなかった為に,浮気の疑いを掛けられる。
A 小池 真理子 「彼方へ」 ... 仙台の予備校に通うため母の知り合いの家に下宿。そこの娘に一目ボレしてしまったが。
B 唯川 恵 「終の季節」 ... リストラに遇った男。かつて自分が辞めさせた男の娘が援助交際をしている事を知った。
C 松尾 由美 「マンホールより愛をこめて」 ... 編集者の家に彼が担当する小説に登場するヒロインがやってきたと言う。
D 湯本 香樹実 「マジック.フルート」 ... 育てられた祖父の家にはいろいろな物があった。他人にはガラクタとしか思えなかった。
E 森 まゆみ 「谷中おぼろ町」 ... 福島から上京して谷中に住み職人を目指す男。近所に住む娘に恋をして。

 この作品は6人の女性作家によるアンソロジーなのですが,少々屈折した家族の中における男の気持ちをテーマにしているんでしょうか。「密会」での妻に踏み込まれたくない,母親のいる実家。何となくこの気持ち判ります。私はあまり実家から離れて生活していますが,自分が生まれ育った実家に妻がいると言う一種の異様さって感じる時ありますよね。別に自分の両親や妻に対して何ら問題のある事では無いのは判っていても,不思議な気持ちがする時あります。また「終の季節」がいいですねえ。リストラされて妻にも娘にも見捨てられたにも関わらず,かつて自分がリストラした男の娘を思う気持ち。何か切なくなってきます。