<Camino de Santiago 第11日目> 

Burgosから、Boadillaまで.。


 <第11日目> 6月13日(水曜日) 352km

7:40 出発@352km@Burgos アルベルゲとりあえず出る  

きれいな宿ではあったが、あまり良い印象は無かった。自転車小屋は隣の工事している民家の倉庫を、100Ptsで貸してもらう。翌朝の出発が早い人のために、倉庫の鍵の隠し場所が教えられる。宿には自炊設備はない。BARまでは相当歩かねばならない。  午前中いっぱい、ブルゴスの観光。スペイン・ゴッシク建築の傑作であるブルゴス大聖堂をじっくりと見学。カテドラルの中はの朝空気にひんやりと冷たかった。BARが開くまでの時間、ベンチに座って日記と、実家に手紙を書く。(後に、この手紙のおかげで本人の捜索願が出されずに済んだ)ドイツ人サイクリスト(Daniel)の二人組に再会。しかし、今回の旅ではダニエルなる名前の人物に良く出くわす。

12:20 昼食後@361km @Burgos を出発  

Seikoさんのお勧めのモルシージャ(米をブタの血で炊く料理)も食べなければならない。昼飯を食べるレストランを探すだけに1時間近くの時間をかけた。何と贅沢な時間の使い方であろう。町中のレストランのカルタを読みながらじっくりと研究した。しかし、「ブルゴス名物」と言うわりには、メニューの中に無い店の方が多いような気もした。

 未だ正午前であるので、どこの店も人はあまりはいっていないが、ここぞと思う店に入った。  広いレストランの中では、ランチタイムのかき入れ時を前に従業員達がお食事中であった。日本で言う、「まかない料理」を食べているところであった。スープとモルシージャを注文する。ウェイトレスの叔母さんも、知っている限りの英語を使って私の接客に努めてくれた。ビールを飲みながら待っていると、お目当ての食事は出てきた。赤い血の色で染まったお粥のようなグロテスクな料理を想像していたが、外見はただの大きなサラミソーセージであった。米をブタの腸に詰めてからローストしたようである。色といい、切り口といい、油っこいソーセージであった。給仕のおばさんは、"typical Burgos"と何度もいっては、今自分が食べている食事は何か特別な料理であることを一生懸命に教えているようであった。しかし、何もそこまでしなくても良かろうに、「私も食べるのよ!」と言っては、自分もパンに挟んだモルシージャを持ってきて、私のテーブルの隣で食べて見せてくれた。  満腹感と炎天下の元、大都会を出発する。しばらくの間、都会の喧噪からは遠ざかる旅路となるであろう。

街を出てすぐ高台のホタテ路へ入る。所々にオレンジ色のひなげしの花が咲く、小麦畑の中の一本道及び、開かれたグランド(運動場)である。緩やかな上り下りが続く。ナバラで経験していたような、大きな木の日陰のような、太陽を私の皮膚から遮ってくれる有り難いものは無かった。 

14:00 休憩@378km@Puente de Oraorple 15:00 休憩@383km@Rervando Mayor Garcia

 この炎天下の中を良く無事に走れるものだ。自分でも感心する。「ゲテモノ」を食べた後のミラクルパワーがみなぎる感じもあった。あるいは、神仏の御利益か?とにかく、自転車は進んだ。

  ドイツ人サイクリスト(後に、自転車マガジンの編集長、Danielと判る。ブルゴスの街で既に会っていた。)と再会し、いろいろと今回のコースについて話す。  

16:40 宿泊@394km@Bobadilla del Camino アルベルゲ

 * BICI地図が間違っているのか、新しくできた同じ名前の宿なのかわ判らない。まだカストロヘリスの手前である。とにかくこの宿の名前は、Bobadilla del Camino アルベルゲである。新しく出来たのは見て判るし、パンフレットで宣伝もしてる。(500Pts)ある意味で、ここはこれまでのアルベルゲとは雰囲気が異なっていた。

 体力的には未だ余裕もあるがこのような、ど田舎の宿に泊まってみたかった。また暑い。昨日、San Juan de Ortegaで宿泊を断られた反動もあったのかも知れない。まわりにはレストランもBARも市場も無い。スナック類やオリーブの缶詰は自動販売機で買うことが出来た。夕食は有料(900Pts)で給仕してくれるようであるが食料を十分に持っていた私は断った。ほぼ全員の宿泊者は8時からの夕食を頼んでいた。何と、数日前のイタリア人の団体もいた。

 大きな調理場と、お皿の数は十分すぎるぐらいに何十枚と整っていた。しかし、7時過ぎに米と野菜を持って再び調理場に入ってみると、ほとんどのお皿が無くなっていて、先程とは空気が異なっているのが感じられた。これから地下の食堂で、50人以上の宿泊者の為の食事を作るための調理人達の暑い戦いが始まっていたのであった。食堂のメニューは、スープに目玉焼き、レタス、モルシージャであった。いかにも、長旅の旅行者が家庭の味を恋い焦がれる時期に来ているのを見抜いたようなメニューである。が、、私が昼に食べたモルシージャを除いては、何と本日の私の食事と同じである。まるで、食堂の材料を私が盗んで食事を作ろうとしていると思われてはまずいと思った。自分の持ってきた食材は炎天下の中を苦労して運んだものであることを証明するかのように、レタスは切ってから(宿泊者用料理はそうしてあった)ではなく、玉のままにコッヘルの水に浸けておく。

 プロの調理人の仕事の邪魔をしてはいけないと、自分の料理を作ることはせず、調理場でビールを飲みながら、彼らの仕事ぶりを観察することとした。大鍋の中のスープは、煮詰めるだけ煮詰め吹きこぼれている。メニュー全体の中で、目玉焼きを作るのが律速と思える調理は、殻割から炒め、盛りつけと最新の注意を払ってスピーディーに流れていた。皿は食堂から使い終わったものを次々に運んできて来ては手際よくローテーションを行っていた。この運び役には普通のおじさんがかり出されていた。そしてこれもあたかも普通のように、客の残したワイン(スーパーでは1本200Pts以下)をつまみ食い(飲み)していた。

 8時を過ぎて、客へ出す食事の準備を峠を越えた頃に、調理場を使って良いとのお許しが出たので米を炊き始める。ちなみに、電気コンロによる、底がでこぼこのコッヘルでの炊飯は大変に難しい。私はアメリカ長期滞在での最初の1ヶ月を、この調理技術の習得のために費やした経験があった。ガスレンジによる炊飯と大きく異なるのは、火力を落とす時のタイミングである。電気ではスイッチを小さくしても温度が下がるのに時間がかかるのである。(もっとも、電気であれガスであれ温度変化は一時遅れ要素であるが、これにさらに電面がでこぼこで熱が伝わりにくい要素も加わり、現象の解析をさらに難しくしている。)

 ここでスキルを簡単に説明するなれば、

@まずはガスの炎が小さくなるような輻射・対流熱源のカーブを予測して、電気コンロのスイッチの調節で行うのである。この時、人間の手の操作と熱源調整の感度を良くチューニングするためには、電気コンロスイッチの操作は、ゼロと最大のオン・オフ操作で行うのがよい。スイッチのダイヤル操作では感度が鈍く、ミートするのに時間がかかりおいしいご飯が炊けない。

A次に大事なのは調理完了のセンサーである。シーケンシャルに変わり行く、音・匂い・蓋の手触り、まさに五感を全ておいしいご飯の為だけに使うのである。ここで山の調理との相違は、まわりにも調理人がいるため音や匂いについてはノイズを誤認識しないことも大切である。

B最後に電気コンロの最大の弱点が一つある。長時間大きな火力で調理し続けた場合、事故防止のためのサーモスタットが働いて、電力カットになってしまうことである。今回も、間一髪のところで切れてしまったが、余熱を最大限に使っておいしいご飯は炊けた。

 9時過ぎ、夕食を終えて宿の外に出てみる。空はまだ真昼のように明るい。宿の前のオールドローズ(climbing)が壁一面につるを広げ中輪花をつけきれいである。隣の物置ゴヤは、人が住んでいないのであろう、ツバメの巣になっているようである。先程まで調理場で戦っていたおばさん達が家の中へ入って行く。なんだ、隣の家の人がアルバイトしていたのか、、。と考えたが、数秒後に全然別の事が解った!ツバメの巣になっているのは、物置ゴヤだけでは無い。宿以外、このまわりは全部空き家である。バラがきれいに咲いている家は、まるで2階の窓を誰かがさっき開けたばかりのような風景に見えるが、そうではない。おそらく何年も開きっぱなしなのであろう。料理人は隣の住人では無く、単に道具を空き家に置いて、そこから車で遠くの自分の家まで帰って行くのであろう。すなわち、ここは廃村の中にアルベルゲだけが新しく作られたのである。商売、産業の為である。


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