<Camino de Santiago 第13日目> 

Carrionから、Reliegos まで.。


 <第13日目> 6月15日(金曜日) 456km

5:00 起床  時刻はちょうど5時頃であったと思う。ベットのきしむ音、ドアが時折バタンバタンと開く音、洗面所の水の音、遠慮しがちに周りの音が煩くなって来る。窓からは未だ光が射し込んでこないために、今起きた、部屋の隅の2段ベットの上段より、ペンライトの明かりで周りを確認する。昨夜は満室であった、50以上あるベッドの中で未だ寝ているのは数人だけである。ここは、自転車組と歩き組のベットを分けるようなことはしていなかった。古い建物のアルベルゲは総じてこのようなパターンで有るような気がする。枕も付いていない。食堂に水道はあるが、レンジや冷蔵庫は無い。500Ptsの全自動洗濯機(乾燥まで)が置いてあるが使っている人はあまりいない。

 昨日の懺悔の気持ちも未だ多少残っているせいもあるかと思うが、気を引き締めて、早期起床に努めた気もあった。生活のリズムをくずすと思わぬところに支障が出る事もあるので今日一日慎重に行動しよう。

5:30 出発準備完了  さて、出発しようと昨日自転車を止めた小屋に行ってみると、鍵がかかっていた。これまでの自転車小屋は、常時開の馬屋あるいは鍵の隠し場所を事前に教えてもらっていた。確かに、小屋に自転車を預ける以上は翌日の出発時刻を確認するべきであった。この教訓はこの先何度も役に立った。

 30分以上経ったであろうか、鍵をもったおじさんが現れた。彼はロバで旅しているスペイン人であった。自分のロバを小屋から出して出発して行くので、鍵を受付の机に座ってノートに日記を書いている、私に返していった。状況がつかめなかったが、「助かった!」と思い、暗がりの中に一転の光が射す思いがした。鍵には、PIEDAD(哀れみ)とシールが貼ってある。確かに、軽はずみで泥棒しようとした人が思いとどまるような効果は感じられた。日本に帰ったら私も真似しよう。鍵を持って自転車を預けたはずの小屋へ行ってみる。

しかし、、、。別の鍵であった。外は未だ真っ暗、どうしようもない。今度は別の意味で、PIEDADである。歩き組のPerigrinoがどんどんと出発して行く中で、私は入口の受け付けよう机に座りノートに向かう。まるで管理人のようである。

 朝焼けのローマ時代遺跡

7:30 出発@456km @ Carrionアルベルゲ  昨日私が自転車を預けた時点で既に4台の自転車が他にあったハズである。7時を過ぎた頃から、自転車組が2階のベッドルームから降りてきた。現在、小屋開待ちで残っているのは自転車組であった。誰も文句を言うものはいない。ようやく昨夜のマダム・ホステラーが、ガウン姿で鍵を持って現れた。昨日とは別人のように愛想が良かった。

8:55 通過@475km @Carsadilla dela cueza  遅れた出発時間を取り戻そうと思い、国道を脇目もせず突き進む。制服の白バイ警官が5人で取り締まりをやっていた。遠くから見ると物々しい雰囲気もあったのだが、近くで見るとAmigoになってしまう。Carrionの街を過ぎてすぐに、大きな巡礼路の標識が目に留まる。路は二つある。

 国道からようやく見えるところに、400mほど先であろうか、大きな並木道が国道とほぼ平行し、リュックサックを背負った旅行者が一本の線になって歩いているのが見えた。アスファルトの路を出て、土の路へ入る。ギヤは1速ダウン。宿を最後に出た、自転車のマリア(スペイン)と再会。その後来た二人組の中年スペイン人も加わり、しばらくは4人組の自転車隊となった。曇り空で寒い。風よけにカッパを着る。

9:45 通過@482km @Area de desca---------BAR無し  巡礼路は国道の路側帯に沿ったところ、あるいは盛り土の上を右あるいは左に走っている。ホタテ路は時折見失うが、またすぐ見つかる。あぜ道は、白・黄色・オレンジ草花の中央分離帯が出来ていた。4人組の自転車隊の内、坂道になると一人は自転車を降りて押して進む。それは私である。前方から「ドゥーロ、ドゥーロ」と歓声が上がるが、無理して漕ぐことはしない。次第次第に遅れ劣って行き、前を行く3人の自転車が姿が小さくなって行く。その姿は、曇り空のもと、ある日の初夏の思い出となって脳裏に焼き付いてゆく。BGMとして、何故か水戸黄門のテーマ曲が流れる。「あーとか〜ら来たの〜に、追い越され〜。」

10:08 Cafe@486km @ Terradillos de los Templariosアルベルゲ  小さな宿。到着と同時に、先程の3人自転車組は出発していった。もう会わないであろう。子連れのホステラーはシーツの洗濯中であった。BARでの休憩なしでここまで来た。朝から5時間近く食べていない。暖かい飲み物が欲しい。アルベルゲで手製のCafe(grande)を頼む。値段は専門店と変わらない。歩きの二人ベルギーより来ている学生が休んでいた。曇り空は、晴天に変わった。もうカッパは要らない。

11:20 写真@494km @レオン県・パレンシアの道路標識  国道沿いのあぜ道(ホタテ路)をしばらく進むと、赤土の台地より、前方下方に大きな街が見えた。県境の標識の前で撮影。

12:00 昼食@499km @ Sahagun municipalアルベルゲ  ちょうど昼時にSahagunの街に着いた。アルベルゲは街のど真ん中にある。都会ではあるがブルゴスのようには大きくない。宿泊地としては最適の街である。しかも、豪華な感じの建物である。Municipalアルベルゲは概して立派な設備である。レストランを数軒回ったが、あまり食べたいメニューは見あたらなかった。野菜とワインとムール貝の缶詰でアルベルゲの前の日陰で昼食とする。観光バスの団体に見られる。  自転車の距離計は500kmを越えている。そろそろメンテが必要な時期に来ている。タイヤが古い割にはここまでパンクは一度も無かった。ダートを走り続けているので、チェーンの油も切れている。街の外れに自転車屋さんを発見。チェーン用の油(280Pts)を購入。ついでに、ヘルメットと小物入れも購入。

15:00 Rest@513km @Bercianos del real Camino  ど田舎の宿である。小さなスーパーが村に1軒あった。受付には誰もいないが中に入ってみる。こぢんまりとした山小屋風の建物である。ホステラーは大いびきで窓を開けてシエスタの最中であった。起こすのも悪いと思い、先へ進んだ。

16:20 通過@522km @El Burgo Raneroアルベルゲ  これまで国道のすぐそばを走っているのだが、BARが無い。朝の内は曇りであった天気も、10時からは立派な炎天下となっていた。自動車は時折通だけで、夏の空には陽炎がたっていた。幻覚を呼び起こすほどに私の喉は乾ききっていた。道路標識ではあと5kmでEl Burgoとある。自転車の距離計を見ながら、カウントダウンを始める。路は緩やかな上り坂が続く並木道。あと2km、あの坂を越えたところに、本当に街があるのだろうか?標識はあっているのだろうか?外からの情報インプットに対して、自らの筋肉をおだてては本日の締めくくりを考える。ようやく小さな手書き標識が見えた。宿はあれだ!本日の走行距離66km、疲れた、と手帳に書いた。

 今日は酔ってはいないが体力疲労と喉の乾きのために、またしても僅かばかりの意識の中で、受付のおじいさんと接する。感じの良いおじいさんであり、初めスペイン語であったが英語に変わった。しかし、今日は満員であった。既に入口の通路に宿泊予定者が2名。同じく自転車て到着のフランス青年は外で自分のテント宿泊。ホステラーのおじいさんは、巡礼ガイドブックをみて、「この先12km」のところにアルベルゲがある、と教えてくれた。私のBICI地図には載っていない。宿には自動販売機もないので、近くのスーパーを教えてもらい生き返る。しかし、未だ2時間近く走らねばならないのか?しかも、この炎天下で。

17:50 到着@537km @Reliegos buenアルベルゲ  ホステラーはいなかった。快適そうな宿であった。食堂も広く、レンジもあり、冷蔵庫もある。まわりにレストランは無い。イタリア人のおじさんがチーズを切ってくれた。有り難い。まもなくするとホステラーのおばさんはやってきた。

 夕食の山盛りサラダを食べていると、ブラジルから来ている、カルロスとマイアミから来ている、フェルナンドとその知り合いのブラジル人(おばさんは旧日本人?)の4人組が隣にいた。彼らは両親がスペイン人らしく、連絡を取り合いながら巡礼路を来ているらしい。出発前に自転車にするか歩きにするかインターネットで情報を探していたらしい。パンプローナからサンチアゴ乗り捨てのレンタサイクルが廉価であるとの事である。  また、巡礼路においては自転車組が歩き組に比べて冷遇されていると聞いているが本当か、とたずねられる。確かに、私の感じている通りのことが書いてあるHPがおそらくは何処かにあるのであろう。


 【Schedule】 <第14日目> <Special Thanks> <Arriba BICI> <Reference>【Packing List】