<Camino de Santiago 第18日目> 

Samosから、Naronまで.。


 <第18日目>6月20日(水曜日) 804km

8:25 出発@804km @SAMOS アルベルゲ

 Villafranca到着以来、巡礼路にはこだわらずに国道を積極的に利用してスピードアップを図ってきていた。しかしここにきて旅の終わりを意識したためか、再び巡礼路へと入ってみたくなる。これが間違いの始まりであった。優柔不断ともとれる本人の弱い一面かも知れない。もっと割り切りが大切である。

 巡礼路を行くと、炎天下の中で日光の光を遮る樹木の存在という利点はあるものの、時間あたりの走行距離、すなわちスピードを低下させる要因はすごく多い。成長しきった雑草が入り組み、人一人がやっと通れる程の狭い路である。巡礼路を示す矢印は無い。それどころか、生い茂った草の路は最近人が通ったとは思えない程である。なんとか自転車を押さずに通れるものの、非常に心細くなってくる。

 草むらを抜けると光のある広い場所に出る。黄色い矢印が出てきた。路はあっているのであろう。あとで森田日記を読んでみても同じように、まさに牛の糞だらけ(足の踏み場もないほど)の路であった。もういやだ、国道を進みたいと思っていると、遙か向こうに国道と民家が見えた。それと同時に、はえの大群が雲のようにこちらへ向かって飛んでくる。あまりの数の多さに、九州の山のスズメバチ・ミツバチのような殺気を感じる。

 よく見ると、そのハエだけではなく雲の下には人間(青年)がいた。彼の帽子には、帽子の布材が解らなくなるほどに数百どころか数千匹のハエが真っ黒に群がっていた。映画で、火事の中から火だるまになって出てくる人のようにも見えた。こっちへ来るな!と叫びたくなる心境であった。しかし彼は親切にも、何やら私に注意をしてくれているようであった。「この先、急な何になっているために、自転車では無理だ!」と教えてくれると、更に親切なことには、来た路に戻るまで一緒に着いてきてくれた。たしかに単調な山道では、来た路はすぐ忘れてしまう。また、農道であるために脇道はいくらでもあるために簡単に迷ってしまうであろう。

 見覚えのある風景に戻ると、ロスタイムを後悔する気持ちよりもほっとする気持ちの方が大きかった。これは、ハエ男から逃れられて更にホッとした気持ちが大きな要因かも知れない。民家に停めてある車のナンバープレートが、LEから LOに変わっている。レオンからルゴ地方に入っているのである。もうすぐサンティアゴである。

 9:30 復帰  再び国道へ復帰する。1時間のロスタイムである。オランダ語のガイドブックを見て、「Melideで会おう」とマリーンとの昨日の約束も守れないであろう。マイペースで進もう。節目はもう近い。

10:05 BAR @SARIA @820km  朝の休憩を都会(サリア)のBARで朝食を兼ねてとるのはGoodである。カフェは、やはり専門店のがおいしい。日本でもそうであるが、品質は豆の新鮮さによるところが多いと思う。町中にあって、数多く売れているところのカフェが絶対のおいしい。朝食の後、カテドラルまでの登りはものすごく急である。朝の恐怖が既に筋肉を疲労させたのか、自転車を押しながら立ちくらみがする。数百メートル歩くたびに、ベンチに休み休み押す。トイレによろうとアルベルゲの門を叩くが閉まっている。また、カフェに入る。

 SARRIAを出るとすぐRio Celeiro。線路を渡り、山道へはいる。この先がすごい登りの登山道となる。スニーカーでは、やっと上れる登山道である。ずるずると滑る。

11:15 Fuente @823km  山道から少しは行ったところに、小さな湧き水がある。看板が大きな割には非常に小さな水量である。コップ一杯汲むのがやっとである。雨がしばらく降っていないせいかも知れない。ワインを冷やすのは無理であるが、ここで昼食とした。

13:20 山奥のBAR @831km  ほとんど、ヤブコギと沢登りに近い登山道の中間の山の中に、BARがある。まるで、日本の南アルプスの山小屋だ。冷蔵庫から取り出した一杯のビールは私を生き返らせた。看板を見ると、ここは一泊千ペセタで泊まれるらしい。食事はフルコースで900ペセタ。

14:00 Igrecia Romana @835km  お墓の隣りにある遺跡である。長居せずすぐに通過。ここまで遠回りした意味は無かったかな?

15:15 Port Marine アルベルゲ @844km  切り土の路を進み続けると坂道の下に大きな海、いや湖が見える。炎天下の風景に真っ青な湖面の色は、別天地を繰り広げる。シアトルのワシントン湖を思い出した。きれいな街である。橋は湖のど真ん中を通っている。橋を渡るときの冷たい風が気もちよかった。

 アルベルゲは橋を渡り終えたところにあった。公営らしく立派な建物であった。未だ開いていないが、自転車人たちが数人待っていた。ここで泊まるかどうかチョット迷ったが、先へ進もうと考えた。残りのワインをパンといっしょに飲みきると、坂を登り、Port Marineの街の中へと入って行きすぐ通り抜けた。

16:45 Gonzal @850km  国道の下に公園が見えたので休憩のために立ち寄る。水場を発見するが、一口飲んで変な味であったので吐き出す。見ると鉄錆びだらけの水である。雨が最近降っていないためであろう、水量が少なくなった配水管は鉄錆びを生じ、更には鉄バクテリアまで発生しているようである。

16:50 Gonzal アルベルゲ@850km  国道沿いにBARを発見。そろそろ今日の行程も終わりかなと思いビールを頼んでから席に着くと、また発見、あいつがいた。Mr.Animalと6度目の再会である。彼は今度は女連れで相当飲んだ後のようであった。店を出有ると、すぐ隣がアルベルゲであった。ホステラーは居ないが、入った瞬間にいやな雰囲気を感じる。一人前の巡礼者が、満員のためにギリギリ入れなくなったようである。彼の直前に入ることが出来た巡礼者は何かの責任を感じたのか、自分のガイドブックを見て近くの宿へ電話をかけて空きを確認して、スペイン語の出来ない彼に教えていた。自分も上に上がってベッドを見て回るが満室であった。居てもしょうがない、先へ進むべきである。Santiagoまで79kmの道路標識がある。

18:10 Naron アルベルゲ@855km  ホステラー不在のため受付でしばらく待つ。上に上がってみるが空きはたくさんある。アメリカ式コイン洗濯機もある。ホステラーはいつまでたっても来ないために記帳して寝床を確保。2つあるシャワーの一つは熱湯であった。どうやっても温くならない。日本人のしかも熱好きの私でさえ熱いと感じるのだから誰も入れない。あきらめて隣の部屋へ。

 最後の無洗米を調理しているところへ、ラファエロがやってきた。 自分はバスク人であり、スペイン人ではないと言う彼は、Vitoriaから6日間でここまで自転車で来たらしい。明日にはサンチャゴまで行き、その日の夜行バスでVitoriaまで帰るらしい。コールマンのガスバーナーでスパゲッティーを作っていた。彼の旅は今日で終わりと、予備食のインスタント焼きそば(中国製)をくれた。今回、ガスを持ってきている人を見たのは初めてである。Tienda de Montagna(山道具店)へ行けばガスカートリッジは売っているらしい。次回はストーブはこれにしよう。


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