<Camino de Santiago 第21日目> 

サンチャゴから、ポンテベドラまで.。


 <第21日目>6月23日(土曜日) 976km

 8:30 出発@976km @ 個人の家(集合住宅)@ Santiago

 緩やかな下りが長く続く。昨日の朝の登りの連続とは大違いであった。サンティアゴは高台にあるため、スペインから入る人にも、ポルトガルから入る人にとっても最期は急な上り坂なのである。今日からその逆を行く私は快適そのものである。しかも、ホタテ路ではなく、アスファルトの快適な車道を、、。そう思うのは、このときだけであることも知らずに、、。

9:20 休憩@983km

 カミーノ(ホタテ路) とは異なり、水飲み場やベンチなどは無い。

このあと幾ら待っても、バスが来るとは思えないような、屋根付き、ベンチ付きの古びたバス停で休息。道路のゴミで自転車がパンクしていないか点検。

9:45 休憩@Redin 中央公園 @985km  

サンチアゴの次の最初のアルベルゲは、見晴らしのよい石畳の高台にある。カテドラルの大きなステージ(街を見下ろす)のすぐ隣りにある。尚、自転車屋さんはカテドラルへ行く途中にある。土曜日なのでMercadoが出ている。野菜が豊富に売っている。カニも売っている。ガリシアに入ってからよく見かけるおいしいパイも売っている。(さて、あのパイの名前、何て言うんだろう?)本日の目的地、Pontevedraまで34km。ゆっくりしたいところであるが、、、。

11:40 レストラン探し @Cadidas Delay's @1005km

 いわゆるスペイン名物はもう食べ尽くした。晴れた土曜日の昼下がり、ゆっくりとテーブルのあるレストランで食事がしたい。エセ貧乏旅行はもういやだ。

 しかし、BARは数少ないものの、お店は開いていることは開いているが、トルティージャどころか、パンも無いようである。長距離トラックが路肩にはみ出して駐車している、さびれた小さなレストランを発見。何とか食事にありつく。ワイン(65Pts;これまでのグラス単価の最安値更新)を頼む。

 ガリシアに入ってからは、Tintoよりも白が飲みたくなってきていた。グラスでは無く、日本の湯飲み茶碗にそっくりの白い陶器に入っている。このようなワインー器は、このあともガリシアでは何軒かあった。江戸時代に東洋へ航海に出たスペイン人の気持ちを少し発見する気持ちにもなった。

「私の旅はサンチアゴでは終わらない」。

自分なりの旅行目的をまた一つ発見であった。

 

12:50 Albergue Provincia 標識 @1010km

 炎天下の国道沿い、雑草以外には何もない。一昔に、吉田拓郎が作曲して森進一が歌った、「えりも岬」の中にでてくる歌詞;「、、、えりぃーものぅー春ぅわぁー、何もぅー無いぃー春ぅですぅ、、。」、が過去のいろいろの思い出も混じって、何となく思い浮かんだ。アルベルゲと書いた標識を見つけては、住宅地の中を延々と探すが見つからない。三十数年前に、小学校の友達の家に呼ばれて、初めて出かけて家を探した頃の気持ちになる。

それほどまでに、何気ない田舎の風景であった。

14:15 Pontepedra @1029km

 町に差し掛かったところで、現在地を確認するために、駅を探す。Renfe と言ってもここでは通じない。Estation でかろうじて通じたようである。

とりあえず駅に到着。新しい建物で、デパートやゲームセンター、レストランとこの町の娯楽施設を一点で支えているかのような空間である。Cyber Cafeもある。インターネット利用サービスのコイン式の課金システムは、「払ったお金の分だけ」=「使った時間だけ」精算できるシステムとなっていて、言葉のわからない外国人には最適であると、この時は思った。

しかし、その後、このシステムは、マドリッドなどの都会では普通のシステムであったようである。

日本にメールを打つ。

17:30 Pontebedra アルベルゲ@1036km

 黄色い矢印はあるのだが、アルベルゲが見つからない。アルベルゲと看板(HOSTAL DE PERIGULINO)はでているが、建物は見つからない。XACOBEYO の看板も出ているし、場所は間違いなくここのはずである。もう無くなったのか?。

 明らかに、普通のホテルと思える建物が一件あった。まあ、ここでも良いか、とも思ったが時間があるので、公園で少し休もうと思い、工事中の標識をくぐって、その隣の丘を登ってみた。工事標識の内側、そこに掃除する管理人がいた。

「本日がオープンの日で、あなたが最初の宿泊者です」

 100人以上収容できる大部屋。きれいな2段ベッドが立ち並ぶ。一番奥の1階に荷物を置く。 エントランスはいわゆる、パブリックのアルベルゲに見るように、ガラスケースで本やTシャツを売るような広さがある。以下のような大きな地図があった。

 

<Pontepedraの街中の散策>

宿泊者は誰も居ない、アルベルゲに荷物を置いて、町へと繰り出す。

Catedralへ入ってみる。SAMOSの大聖堂を思わせるような造りである。入り口にもホタテ貝、ステンドグラスもホタテ貝、盾の印もホタテ貝である。INRIの文字は無く、マリア像と天井の天使の絵が象徴的であった。

レストランでは、この旅で初めて、遂にポルトガル料理を口にする。野菜の煮込み料理である。大変懐かしい味である。また、コレまでにも似たようなものは食べていたが、正式の名前をこの店で初めてしった、クロケテ(コロッケの語源である)を食べる。ホタテにえびのすり身など、Goodな味である。

 食べ物は、本当に疲れ(身も心も)を癒してくれる。これに似た感情は、アメリカ南部へしばらく出張していて、西海岸(シアトルがBest)に戻って、日本食レストランで食事をした時のような感じである。

「幸福とは、何か?」、について、自分なりの結論を見出したかのような心理状態である。別の言い方をするならば、単に、「満腹」、とでも言えば、それで説明は終わりかもしれない。


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