<Camino de Santiago 第22日目> 

ポンテベドラから、Tui まで.:今回の旅で最大の危機発生!。


 <第22日目>6月24日(日曜日) 1041km

8:25 出発@1041km @Pontevedra アルベルゲ

 快晴であるが、放射冷却のためか少し肌寒い。昨日の夜は、このアルベルゲの開館祝いで、ホステラーが地元の知人を招いて夜遅くまで庭でパーティーをやっていたようである。どうりで、昨日はやたらと親切にしてくれたのかも知れないと思った。本来は、泊り客ゼロのつもりだったのだろう。

門限通りにおとなしく寝た、タダ一人の宿泊者である私は、誰もいないドアを閉める。鍵は。Locked-Out方式になっていて、出ることは出来るが一度閉めると入れなくなっている。 未だ朝早く、しかも日曜日、誰もいない駅(Estacionであり、 RENFEでは通じない、ガリシアだから。)を再び訪れる。

大きな荷物を持ったカップルが、となりのバスターミナルへと急ぐ姿がみえる。新婚旅行か、あるいは、婚前旅行なのであろう。Good Luckである。

 まっすぐ行けばポルトガルのハズだが、未だ私の持っている地図に路は入っていなかった。照りつける光の元、ひたすらと高速道路脇を巡航するが、路肩が狭い。多分ガリシアは貧乏県なので、道路をつくる予算も少ないのであろう。積雪期に、北海道から津軽海峡を渡って、東北地方へ入ったときのように、一人で納得しながら、路肩のガラスを踏まないように気を付けて走り続ける。車が自転車に情け容赦なく飛ばして行く。チョット怖い。一般道へと降りる標識が見えてきた。そろそろ休憩しよう。

10:00 Redondela @1063km

 小さな繁華街である。未だ閉まっているが、100円ショップ(スペイン語でもガリシア語でもCIEN-???)がある。河に沿って奥の町へ行くと小さなホテルもあった。子供達がたむろしている。少し喉が乾いた。昨日買った、ワインを瓶から水筒へ移し飲む。高速道路での緊張が少し和らぐ感じがした。

ああ、揚げパンが食べたい。昨日の朝市で見た、パイの中に肉の入った、こってりしたのが食べたい。ピロシキのようではあるが違う。何というのか名前は分からないがうまい。ほとんどのお店は開いていなくとも、パンやさんは開いているかも知れない。Panadelia(パン屋)という言葉は、ガリシアでも同じであろうか?次の角の店に人が入って行くのが見える。あそこで聴いてみよう。

 食べたいときに店はあるものである。そこがパンやさんであった。テーブルがあって、買ったパンをそこで食べられるようにはなっている。「パイを3個ください。」、と言ったと思う。しかし、何を思ったのか、レジの女の子は、何か心配そうに隣の同僚に質問をしていた。少ない数では売ってもらえないのであろうか?、ここですぐ食べないと傷んでしまう、と言っているのであろうか? 何でも良いから売ってくれ、と心で願った。(こういうときは下手にものを言わずに、指だけで会話するに限る) 店の外の公園で、ワインを飲みながら、とりあえず今買ったパンを1個食べる。うまーい!

11:35 Porinho @1078km

 本日の目的地、スペイン最後の国境の町、TUIはもうすぐそこである。国道へ戻らずに、下の路をゆっくりと進んでも今日中には着くであろう。のんびりと行こう。すると、ムコウから大きなリュックを背負った若者が二人と一人が路の両側に見える。サンチアゴを出て以来、初めてみる巡礼者である。「あなた方はサンチアゴへ?」と尋ねると同時に、自分の進んでいる道が、TUIへ行く路であること、すなわち、Camino de Portogalであることを質問する。

11:50 @1082km P.K. 101.562の石碑発見

 大きな赤い鉄橋の麓、Camino de Portogalを示す石碑を発見。私の心の中で早くも忘れかけていた、その道、「これからは車道を走ろう」と決めていたのも、またもや方針転換。

 アスファルトの路から、雑草や茨の生えるあぜ道へと吸い込まれて行く。、、。住宅街とあぜ道の連続、Caminoである。

これが、再び、悪夢の始まりとなった。

 高速道路(AUTOPIA)の下を、地下道を潜ったり、アンダーパスを潜ったりしながら、農家や畑を通り過ぎる。あまりにもまわりに人がいないために、通りかかったおばさんに聴いてみた。

「この路は、TUIには通じているが、Catedralも遺跡も何もないよ。」、と適切なアドバイスであった。

 今から思えば、ここで引き返すべきであった。再び野心が頭をよぎったのであろう。今回の旅の3つ目のステージである、「Camino de Port」の開拓を繰り広げようと言う、大人げない私の野心、時間の許す限り、ホタテ路を突き進もう。このような、「もう一歩、もう一歩」の気持ちのために、これまでの人生で何度も失敗してきているのは十分経験済みである。

「山を登る勇気を持つものは、ここで留まる勇気を経験から持っている。」と、偉そうに、これまで何度言って来たことか、また書いてきたことか。しかし、、、、。

 今歩いている道は、草だらけの山道ではあるが、すぐ上のフェンスを越えたところには、高速道路(AUTOPIA)が走っている。車の音も聞こえる。自分が進む方向は、少なくともTUIには向かっているようである。しかし、何故にこのような路を自分は進むのか?

”「この路は、TUIには通じているが、Catedralも遺跡も何もないよ。」、と適切なアドバイス”、を振り切ってまで何故進むのか?かつての自分の記憶が微かに頭をよぎる。

情景@ 南スイスのBULL(首都ベルンの近く)のアルプでの友人と霧の中に見た山ヤギ

情景A シアトル近郊のオリンピック半島の山奥へと通じる、今は山ヤギが絶滅した尾根路。上には広い駐車場があり、到着した時に山の反対側に長いアスファルトの国道を見て、がっかりとした。

情景B 正月に、奥秩父の金峰・瑞ガキ山から、山梨の人口スキー場のライトが犯罪行為に見えた

 所々に四輪駆動車の古い轍(わだち)が見られるが、最近人が入った形跡は全く見られなかった。雑草の高さがどんどんと高くなって行き、自分の背丈を超えるようになった。足下のナタメだけを頼りに進むようになる。昔は南アルプスで慣らした、ヤブコギである。

しばらくすると、草を通して見る前が明るくなってきた。光が射すかのように路が開かれていた。「ヤッタ、道は合っていた!」と思ったが、このような己のうぬぼれが消滅するのには1分とかからなかった。広く開かれた場所は、高い送電線の鉄塔と保護柵があるばかりであった。民家と違い、このような建築物には、路を期待してはいけないのは十分分かっている。

山の中で発見する、国土地理院の残した三角点と同じである。

要するに私は道に迷ったのである。

緊張の連続の後に現れる、一瞬の安堵、そして再び緊張の現実に戻るとき、私は初めて気温を正確に感じた。摂氏30度を超える炎天下である。そして、これまでの間違った選択をもたらした周りの空気について考えてみた。今こそ、冷静な判断が必要である。

 自転車に取り付けている残り少ないボトルの水は、もう、体温程に暖まっている。100cc程を残して、一気に飲み込む。この後の取りうる行動の選択枝を考える。最悪でも、自転車と荷物をここに残して、高いフェンスをよじ登り、高速道路まで出れば、走る車に助けを求めることは出きる。

 しかし、ここで荷物を捨てて旅にピリオドを打つのは口惜しかった。

「サンチアゴまで行ければ十分。あとは只の観光旅行に切り替えよう。」と考えるのも、日本を出る前に考えたオプションではあった。しかし、巡礼路を歩き続ける中で、ダニエルにも、マリーンにも、ラファエロにも、「ポルトガルまで行く。」と言ってしまった、1週間前の自分を思いだしていた。

デルフォイ神話にも似ている。

Wer A sagt, auch B ,,,,,。いつもこの考えに私は後悔してきていた。

チョット、やりすぎてしまうのである。テレビのクイズ番組のハイライトシーンでもある、ここで辞めれば50万円、しかし次も正解なら100万円、ダメならゼロ。「さあ、あなたはチャレンジしますか?」みのもんた、かあぁ?

 熱さのもたらした一瞬の妄想は、喉を熱い水が通り過ぎた後、すぐに消えた。帽子をかぶり、意識を正常に戻し、再び進みだす。 登山では、右か左か迷ったら、「疑わしきは登れ!」、の鉄則に従い、草ぼうぼうの中を、荷物を満載した自転車を押し続けた。時間切れを心配し、自転車の距離計についている時計を頻繁に見るようになる。

ああ疲れた、と思い時計を見るが5分と経っていない、の連続であった。30分程登ったであろうか、草むらの高さが低くなった。車が一台通れるほどの道に出た。これまで草と泥しか見ていなかったが、その道には、赤や緑色のプラスチック製のゴミが散乱していた。ハイキングのゴミかとも思った。そのゴミの端に、金色に光る真鍮が見えた。

ハンターの薬莢である。「撃たれる!」との予感が頭をよぎった。

 北米や北海道での知識しかないが、一般的に5月の繁殖期から8月までは、禁猟期間のハズである。シアトルやカナダで冬にテレマークで山に入る場合には、目立つようにオレンジ色の帽子をかぶることが義務づけられている。

 しかし、スペインの場合、このような禁猟期間はあるのだろうか?あったとしても、守られているのだろうか?国道を走るようになってから、かなりの数の見捨てられた動物の死骸を路肩に見てきた。兎、牛、犬、雀、鳩。ふと自分がハンターに射殺されて、同じ様な死骸になる姿を想像した。送電線の鉄塔まで戻ろう、そして、TUYではなく、スペイン側へ戻ろう。柵のムコウに自動車が走るのを見ながら、ポルトガルとは反対の方向へ、来た道を戻ることとした。

 14:15 Tui BAR @1100km

 国道へ戻った後、再び自動車に跳ねられる恐怖と戦いながら、遂にTUIまで来た。以外に大きな街である。宿探しなど忘れて、BARへ飛び込む。満腹の後は、店の前の日陰のベンチで寝る。日差しは相変わらず、ジリジリとしている。疲れた、もう起きたくない。

17:50 Tui HOSTAL  

 サンチアゴでもらったリストによると、アルベルゲが何処かにあるはずなのだが見つからない。大通りを右から左へ、そして左から右へとひたすら自転車で走り続ける。日の沈まないこの土地で、日曜日の中心街は若者で賑わっている。

一人寂しい自分を感じた。

 今回の旅で初めて感傷に浸る。大通りにあるホテルに入る。すぐ隣りにスーパーがあり、野菜や果物でビタミンを補給する。大勢の買い物客でごった返している。特売日のようである。レジでは、スペインペセタだけでなく、エスクードも使えるようである。値札の表示が、ペセタかエスクードかで、レジと客がもめている。何でも良いから早くしてくれ。そうか、私は日本人?どうりで気が短い。

この日は8時前に爆睡。やはり、ベッドはシュラフよりも快適である。


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