<Camino al Santiago 第23日目> 

Tui から、ポルトガル入国Viana Do Castelloまで。なんと時差1時間!。


 <第23日目>6月25日(月曜日)  1118km

8:25 出発@1118km @Tui HOSTAL

 Tui HOSTAL を出てから15分。昨日夕食をした、まだ人通りの少ない繁華街を抜ける。上り坂であるのに、頭をよぎる風が心持ち強く感じられる。自転車のヘルメットを忘れた事に気がついた。荷台へのパッキングを終えて、フロントにチェックアウトしに行く時に、ドアのところにヘルメットを置いた気がする。これからポルトガル入国にあたり、ホタテ路ではなく国道を走るために、ヘルメットは必需品となろう。ホテルのレストランは閑散とした街とは対照的に朝から多くの人でいっぱいであった。POLICIA車を降りた制服警官が何人かいた記憶もある。

 5分で坂を下りホテルにもどるが、置いたはずのドアのところにヘルメットは見あたらない。やはり駄目か?、と諦めかけたが、先ほど宿泊料を払った青年に聞いてみた。「これか〜?」と頭を指さして、奥から私のヘルメットを出してくれた。無事に保護されていたようである。

 30分も走り続けると、朝靄が晴れない空は、今にも雨が降り出しそうで、カーブを左に曲がるところに鉄橋が見えた。イベリア半島内の戦国時代、幾たびの時代も、このような重苦しい空気の中でこの鉄橋を見た人々もいるはずである。

国境である。

 切り立った高台には、物々しい要塞が大砲を見せている。これまで晴れ続きだった天気も2週間ぶりに曇りとなり、国境越えの緊張感を演出するには充分であった、、。映画、屋根の上のバイオリン弾きの中の場面で、家財道具一式をリヤカーに積んでアナテフカ村を最後にするおじいさんの姿を何故か連想する。自転車に山登り道具の自分の姿は絵にならない事など全然気にしない。この風景をカメラに収めたい。しかしこの光量では、リバーサルフィルム(KR64)では写らない。

しかし、シャッターを切らなかったこのような風景こそが、心に残る風景である。

 鉄橋は工事中のため、臨時信号によりコントロールされる片側通行となっている。しかし信号のインターバルは当然ながら自動車の走行速度を元に設定されている。橋には歩行者用の通路もあるのだが、荷物を満載した私の自転車の荷台の幅は、通れないのである。また、橋の端では工事中につき、後ろから来る車に道を空けることはできない。ここまで考えたところで、信号を見切り発車して車道の真ん中を行く。自動車の運転手から見ればこのようなSlow Vehicleは迷惑であろうが、ここは少し弱者をかばう精神を美徳と見なすことでまけてもらいたいものである。

 自転車の時計で9:00を過ぎる。両替の事を考えて、ポルトガル入国の曜日を月曜日と決めていた。JAPONEの換算レートを表示した銀行を3件ほど見つけた。恐らく国境の町の中心なのであろう。ザックの底に入れてあるパスポートと日本円を取り出すのに、銀行の前でフリマーのように荷物を広げる。しかし、MULTI BANCOの機械は稼働しているものの、銀行のドアが開かない。スペインの銀行でもたまにあったが、銀行のドアは中から侵入者を確認してから店員が自動ロックをはずす所があったが、ポルトガルのはもっと厳しいのか?。

 いくら時間に多少ルーズなお国柄と入っても、「せめて銀行ぐらい!」、と思うのはいつもの私の悪い癖;「思いこみ」であろうか?。それとも、この土地柄を認識していないからであろうか?とりあえずこれまで3週間、ただの荷物であった、ポルトガル旅行ガイドブックを出して読んでみる。「キャッシュディスペンサーが壊れていることはあると書いてあるが、ポルトガルの銀行は時間にルーズであるとは書いてない」。もう、9:30近い、しかも月曜日。パスポートを見せなくとも国境は通過できたと入っても、ここはスペインではない。外国である。一文無しでは困る。この先、地図の上に大都市は無く、銀行がいくつもある保証はない。

 いらいらしながら、銀行のドアの前をうろつく。両替したいという目的意識が通じなければ、どう見ても挙動不審者である。遂に中から女性がでてきた。自分の目的を伝えると、たどたどしい英語で、「ここは、8:30に開きます」、と聞き取れた。ここで、まず感謝!;英語が通じる。しかし、そうは言ったってもう1時間も過ぎてるのでは、、??。再びガイドブックを読み発見。ポルトガルはヨーロッパ諸国に比べて1時間の時差があります。けさ起きて、自転車で鉄橋を越えて国境を通過しただけなのに、、。「ガイドブックの表紙に書いてよ!」。やっぱり、外国だ!。せっかく、カスティージャ語にもなれてきていたのに、、。

 と、このように、私の気持ちは、普段とは違った視点からモノを見る弱者の気持ちを経験するところから始まったのですが、時間の経過とともに違った視点に慣れも生じ、だんだんとわがままになって行き、スタート時の気持ちのよりどころからは基準がずれて来ていました。

このような現象を、「貴重な体験」とも呼びます。

 トイレ休憩のためBARに入る。”We speak English, trully.”とある看板は、外国を意識した旅行者には目に飛びつく言葉である。しかし、英語など通じない。銀行で両替した時もそうであった。日本円のお札が信じてもらえない。

 「まだ同僚が出社していないので、私には見たこともないこのお札が本物かどうかわかりません」、とやっとの英語で語る銀行女性店員の言葉は真実であろう。

対して、3週間もイベリア半島に生活して、本人の気迫も少しは貫禄が付いたのかもしれない。

 店員の言葉に対してはこう切り出した。「それでは銀行の外にある、電子表示のJAPONE換算レートは何だ!お札の漢字は読めなくとも、English表示もあるでしょ!パスポート番号と換金した金額さえ記録しておけば、仮に私が偽札を使ったとしても、あなたの間違いに対する責任は問われ無いはずだ!」。

とここまで言わなければ両替はできないのか?。

 成田からバスに乗るための現金5000円を残してすべての円=6万円を両替した。何か知らないけれども、大きなお札でゼロがたくさん表示されているのが何枚も交換してくれた。しかもコインや小銭はほとんどなかった。半ば女性銀行員の強姦に近い、換金の風景である。

 銀行で両替を終えた後で、いつもの感覚でBARに立ち寄りトイレ休憩。BARでコーヒー1杯のお金を払おうとしても、1万円札に相当するお札は受け入れられなかった。しかたがないので、スペイン100Ptsを出すと、お釣りをくれた。物価は明らかにスペインよりも安いようである。

 11:30 どこかのバス停に到着 1144km

13:10 海辺のレストラン到着 1160km。

RUA DOS BARREIROS 

レストランで、何を頼んだかは、忘れたが、明らかに場違いな高級料理を食べて、それなりの支払いをしたような気がする。いずれにせよ、本人は、満足の塊であった。

N-13道路、国道の脇から、海沿いの舗装道路に出る。十字架や、キリスト像などが間隔を置いて現れる。国道には、”ワインの道”との標識はあるが、ホタテ貝は見当たらない。

16:15 Viana Do Castro 到着 1179km

街中の路地裏の安宿に宿泊。3500Pts


 【Schedule】 <第24日目> <Special Thanks> <Arriba BICI> <Reference>【Packing List】