<Camino de Santiago 第4日目> 

S.J.P.P.からロンセスバイエスまで. 、、。ようやく出発地点


 <第4日目> 6月6日(水曜日) 0 km

07:00 起床  

予想したとおり、5時頃から出発する人々の物音が聞こえてきた。Desayunoを8時から(9時に自転車屋に行くので)に予約していたので食堂に行ってみると、宿に残っているのはSan Franciscoから来ているアメリカ人サイクリスト(シュワルツネッガーにそっくり)と私だけであった。彼は今日、ロンセスバイエスを越えてパンプローナまで80kmを一気に下り、その後はバルセロナまで行くとのことであった。ほとんどの部分は彼にスペイン語へ通訳してもらい、老マダム夫婦と長い時間しゃべり続けた。しばらくするとマダムは、日本語が書いてあるというコーヒーカップを持ってきた。「美人如玉」と右から左に向かって横書きで書かれた茶碗であった。おそらく、ヨーロッパ人が真似て作ったのであろう、という台詞を彼が訳さないところは流石だと思った。

8:50 自転車屋さんに店に入る。店長と掃除婦だけが早く来て回転の準備をしていた。昨日、9:00に来いといったメカニックは、9:20頃に酒臭い体で出勤であった。昨日のうちに品定めをしていた荷台を早速付けてもらうが、なかなかうまく行かない。どうやらバスクの自転車には、金具を取り付けるための穴が一つしか開いていない。しかし、この荷台なる商品はいわゆるエンジニアリング商品であり、スパナとドライバーで部品を組み立てるだけにはなっていない。おそらくは茅ヶ崎のダイクマでも聞いた時に、「マウンテンバイクに付ける純正荷台はほとんど有りません」というのもこの理由の為なのであろう。しかし、チョットしたアイデアとビス、金板があれば簡単に作れるのである。この辺の作業を日本の自転車屋さんは現在ではしなくなったのであろうと思われた。

1時間近く作業をしてやっと付いた頃に、店長がやって来て、メカニックの仕事に文句を言っていた。「こんな付け方ではサンチアゴまで行けない!。」確かに無理をして付けているので、ぎこちなさは感じたが購入者としては納得の行ける仕上がりでは合ったが、、。別の荷台を持ってきて作業を初めからやり直しを命じた。店に貼ってある写真を見ると店長はかつて自転車の選手であったようである。メカニックは緊張して作業を初めからやり直しであった。先ほどまでは、「外で待っていろ」と言われたが、中に入っていっしょに手伝うことにした。  最後に、距離計を取り付けるときに、真正面では前に荷物を積んだときにじゃまになるので、縦のフレームに付けてくれと頼むと、「そんなところに付けたら俺はいいけど又、店長が何と言うか、、。」結局は帳面の水平バーとフレームの間に横に取り付けた。しかし、手袋、ゴム紐、メーター、荷台で合計6500円。工賃タダ。ちなみに日本では荷台単品だけで5000円である。

10:30 自転車屋さん出発  0 km  

<↑:SJPで購入した、自転車用グローブ、完走後:↑>   


11:10 St. Michale分岐  4 km   

森田日記とは異なり、"Ruta de los Puertos de Cize"を進む。決して森田日記に逆らった訳ではなく、インターネットからの出力を飛行機の中でスペイン語辞書を片手に読み続けること数時間、僅か2ページであるが、書いてあるスペイン語をほとんど暗記してしまっていた。出力を糊付けして作った本の見開きのページである。Arneguyを通る自動車道と、登山道の2つがあるが、「満足度においては前者に部がある。」の言葉に洗脳されてしまったのである。この時は誤った選択と思っていたが、1ヶ月過ぎた現在では、英断と己に感謝である。

 坂の多い住宅街を抜けると牧場。しばらくすると住宅、そして牛の連続である。標識に書かれている地名は、買った地図の名称とは違っていた。おそらく言葉が違うのであろう。あまり標識があてにはならない。いわゆるホタテのマークは未だ出てこなかった。水をもらおうと民家に入るが留守宅が多かった。森田さん日記のようには行かなかった。

<↑:羊と牛の群れが、道路を横切る:↑>

12:20 見晴らしの良い高台で昼食  

路は険しい登り坂が続く。曇り空の中、自転車を押し続ける。アメリカから初めてヨーロッパに来たと言う一人歩きの女子学生が道路をトラバースしていた。元気である。あっというまに追い越された。ようやく、fuenteなる水場を発見。これで安心。あとはカロリーメートがあるので生きて行ける。(しかし、何と情けない食事)

 すぐそこで、雨具を干して、リンゴの皮をむいている女性が休んでいた。オランダから一人で着ているらしかった。サンチャゴから出発して、逆向きに進み今日でサン・ジーンへ下り終了らしかった。しばらくすると、イングランドから来ている歩きの男性が来た。彼もサンチアゴから逆向きに歩いているらしかった。これまでこの二人が一度も会わなかったというのもお互い不思議がっていた。彼は未だこの先、バルセロナまで行くらしい。途中、日本人女性の団体らしい人々に出会ったが、みんなブラジル人だったので驚いたと言っていた。

 

尚、このような逆向きに歩く方々には、この先も何度か出会ったが、出会う方々はどことなく、素人ではなく、玄人(苦労徒?)に見えた。「何故逆向きに歩くんですか?」、と何時も疑問に思ってはいたが、理由を聞くことは無かった。 あれから、5年経って、今更ながら冷静にその理由を考えて見る。恐らくは、行きは飛行機で帰りは電車となると、格安チケットがとり易い出発は飛行機で、帰りの電車はなるべく家に近いところから乗る。単に、それだけの理由ではなかろうか?。

 

15:10 ARNEGUY分岐  15 km  

昼食後1時間ほどすると、雲行きが怪しくなり雨が降り出した。天候と言うよりは、高所地域特有の局所雨なのであろう。時期にやむと思い、大きな木の下で雨宿り。一応登山用カッパを上だけ着るが、しばらくすると雨はあがった。この時の雲の動きがとても印象に残っている。まさに写真に撮りたい風景であったが、このような風景こそ写真が無くても忘れない風景なのである。

 牧草地が続く。柵のムコウには牛が草をはんでいる。一般的に動物はひたすら食べ続けるものである。動物写真を撮ろうと思っても、草を食べ続けている姿しか見えず、シャッターを切るときにこちらを向いてくれることはまず無いであろう。しかし、ここの牛は何十頭とこちらを一斉に向いている。何故だろう?ひょっとすると、私の着ている赤い色のカッパのせいであろうか?マタドールの衣装が頭に浮かんだ。いくら家畜といえ、400kgクラスの牛が何十頭もこちらへ襲いかかってきたら大変なことである。すぐさま、カッパをザックへしまい、少し無理してでも坂道を自転車で登り続けた。

 続いては、羊の群のお出ましである。こちらは小さいのであまり恐怖感は無いものの、完全に道路をふさがれてしまったので、待つしかない。雨が降った後なので、近くで見ると毛が濡れていて汚らしい。 この先は強烈な山道、しかも大岩が続く。数歩歩いては立ち止まり呼吸を整えた。また、下りの路においても自転車に乗って降りるのは困難な程の急な下りばかりであった。今から思えば、自動車道路をなるべく走るべきであった。ロンセスバイエス到着予定時刻はどんどんと遅くなっていった。15時には付くだろう:→17時について食事:→飯抜きでもいいから19時のミサには何とか間に合いたい。

18:20 ロンセスバイエス到着  27 km

 この時刻にたどり着けたのは奇跡と思えるぐらいに、私の体は疲れ切っていた。食事をする気力もない。ロンセスバイエス到着時に非常に不思議だったのは、これまでいっしょにあるいていた、私を含めたビリ尻組の方々は、以外にもアルベルゲにはとまるつもりがないと言うことであった。アメリカ人が多かったが、Refugioなる言葉に何か特別な雰囲気を感じているのが十分に伝わってきた。また、逆方向を歩いている人々からも、この先の安宿の情報を仕入れていた。何か、森田日記とはちがうものを私は感じ取っていた。

 Albergeに荷物を置いて、水分だけは補給しようと近くに2軒だけのBARへ入る。スペインのようである。しかし、フランも使える。ここは完全な山小屋である。メルカードなどどこにも無い。昨日から粗食が続いているので何か食べなければと思うのだが、レストランは開いていない。何か変だ。今日も夕食にありつけなかった場合の事を考えて、BARでスナック・パンを2個買っておいた。(不要であった)

19:00 ロンセスバイエスでミサ

 グレゴリオ聖歌が流れる。集まった巡礼者の数、ざっと数百人。それぞれの国が読み上げられる。JAPONEは私だけであったが名前が挙がった。何をいっているかは聞き取れないが、感動だけはどんどんと湧き起こってくる。巡礼路導入部分のクライマックスである。

20:00 ミサのあとで食事

 やっぱりここはスペインであった。夕食は8時くらいからなのである。近くのホテル兼レストランで食事をする。何をおいてもナバラ・ワインである。それほど食欲はないので、スープとサラダだけであるが、パンがありがたいほどにうまい。ナバラ風サラダと称するので期待していたが、白菜にアンチョスがのっただけのものだったが、野菜を食べられるだけでこの時は有り難かった。この時からである、1本全部は飲めなくても、余った文を持って返って水筒に入れて、翌朝の朝食に残りのワインを飲む習慣が付いてしまった。

<↑:Credential del Peregrino:↑>


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