<Camino de Santiago 第9日目> 

Azofraから、Santo Domingoまで.。


 <第9日目> 6月11日(月曜日) 231 km

7:50 出発@231km@Azofra アルベルゲ  曇り空のもと、静かな出発である。朝の空気が肌寒い。本日ビルバオへ帰るダニエルに別れを告げて出発。

9:30 @249km@Santo Domindo de la Calzada パラドール 到着  

街へ到着と同時に、天気は夏空に変わった。街のBARで朝食とする。Santo Domingo の鶏は、出発前から非常に興味のある風景の一つであった。ゆっくりと観光したい気持ちもあった。また、森田日記の中でも、「40日間のAlbergueの中でも1番綺麗なシングルベッドであった。」と、記載がある。このさきの長旅を考えるに、十分な休養も必要であった。そんなにきれいな宿なら泊まってみたいとの考えもあった。郵便局から、サブザックと、MSR(石油コンロ)、バスクの地図、フィルムを船便で(por barco)日本へ送り返す。

 「Albergueはカテドラルの右横に有り、カテドラルの前にはパラドール」確かに、こんなに分かりやすい立地条件は他には無い。ただ、森田日記にある、「1番綺麗なシングルベッド」については、それほどでもない、とコメントしたい。「二段・三段ベッドになっていないのと、ベッドカバーが掛かっているところはきれいに見える。」と注釈したい。なんと、その後ブルゴスで出会ったカナダ人のおばさんによると、「サントドミンゴは不衛生な宿」と噂に聞いていたので、無理して次まで歩き泊まらなかった、とのことである。まあ人の噂や、評価とはこんなものである。  サントドミンゴの「生き返ったローストチキン」の話は、ものすごく良くできている。深く言うならば、「十字架と復活及び、それらを信じる態度」にまで掘り下げられる。また、巡礼活動に照らし合わせるならば、「宿と旅行者と裁判、教会、信仰、アピール」、「噂と妬み・復讐」など、テーマはどこにでもあるものを見事にシナリオしている。  尚、サント・ドミンゴの街の名の由来は、弟子のファン・デ・オルテガとともに巡礼路の整備(石畳)に生涯を捧げた聖人による。  

夕食は、調理場でカジキマグロのハーブ・ステーキにレタスサラダ。昨日のアイリッシュの黄門様御一行も一緒である。再び料理バトルとなる。レタスは遠くのスーパーまで行かないと売っていなかったので、材料調達の点でまず、一歩リードした。しかし、昨日私が米を炊いているのを見て、米料理が食べたくなったと言うシモベのオランダ人叔母さんは、スペイン米を使っての、赤ピーマン入りジャンバラヤ(彼女達にはこの名前は分からないが、なじみのあるケジャン料理そっくり)。これには負けた、降参である。正直に話して、食べさせてもらった。ヨーロッパの米と言えば、バサミティー・ライス(細いインド米)が一般的であると思っていたが、、、。スペイン米は小粒のカリフォルニア米(アメリカでは、ニコニコライス)に似ている。ベストではないが、十分おいしい。本日の食堂は、大きいので昨夜のような独占会話は無かったが、まわりの自炊者たちは、缶詰やスパゲッティーだけの質素な食事であった。我々はチョット浮いていた。


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