2000年6月1日〜6月15日

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6月15日(木)

AppleWorks6』を思わず衝動買い。さっそくアップデータをダウンロードしてアップデート。とりあえず、ワープロが目的で買いました。

 さて、一昨日の日記の続き。
 まずは中西智明消失!』の真相をおさらい。この作品の叙述トリックのポイントは次の2点。1つは被害者が実は「赤毛の」犬だったということ。もう1つは、複数いると思われた被害者(=犬)が、すべて同一で1匹しか存在しないということ。
 あくまで個人的な見解だが、1つめの叙述トリックは、はじめから見破られることを想定して書かれているように思える。あまりに歯切れの悪い不自然な記述は、そこにトリックの存在を匂わせるに充分である。実際、第一のトリックを見破った読者は少なくないだろう。しかし、第二のトリックはどうだったか。第一のトリックがあまりに馬鹿馬鹿しく、あからさまなために、逆に第二のトリックには騙された読者は多いのではないだろうか(論証を欠いた感覚的な判断で申し訳ないが、あながち間違いではないだろう)。それが作者の狙いだった、と考えるのは穿ちすぎかもしれないが、少なくともこの作品においては叙述トリックの真相解明が二段階に分けられていることに意味がある。
 第一のトリックは、読者を騙すためというよりも、第二のトリックを成立させるための状況設定を行う布石として機能している。少なくとも、被害者が犬であることによって、地の文に呼び名で記されることがアンフェアではなくなる(とはいえ、『消失!』のナラティヴが一人称だったか三人称だったか思い出せないのだが)。……と、このへんは本当なら詳細に検討してみなければならないのだろうが、肝心の本が見つからないので、とりあえずそういうことにして話を先に進めよう。
 つまり、何が言いたいのかというと、叙述レベルの構造を明らかにすることと、物語レベルの謎の解明をあえて分離する場合には、やはり、それなりの効果が期待できなければ意味がないのではないか、ということなのだ。ちなみに、それらが一致している作品名をあげてみると、綾辻行人十角館の殺人』、貫井徳郎慟哭』、倉知淳星降り山荘の殺人』などが思い浮かぶ。
 ということで、いよいよ話は『ウェディング・ドレス』に戻るのだが、例によって続きはまた明日。 

6月14日(水)

 今朝、風呂から出たら一時間も経過していてびっくりした。どうやら気づかないうちに意識を失っていたらしい。遅刻はしなかったけど。

噂の真相』に掲載されている中森明夫のコラムで福田和也の『作家の値打ち』が取り上げられていた。文中、「福田和也の値打ち」と題して福田和也の著作に点数をつけるということをやっているのだが、なかなか辛辣でおもしろい。ちなみに最低点をつけられていたのは……興味のある方は実際にご覧ください。あと、ページの隅にある別枠のコラムが爆笑ものなので、そちらも必見。

 脈絡なく続いている叙述トリックがらみの話は、今日はお休み。すまん。て、別に誰も気にしちゃいないと思うけど。……眠い。

6月13日(火)

 というわけで、昨日の日記の続き。当然のことながら、『ウェディング・ドレス』のネタバレがあるので、未読の方はご注意ください。

 あの前振りからすると、『ウェディング・ドレス』を失敗作だと断じると思われるかもしれないが、そうではない。ただ、6月11日の日記に書いた感想があまりに抽象的なので、もう少しつっこんだ形で書いておこうと思ったのだ。
 で、この作品の叙述トリックのポイントは2つあって、ひとつは交互に異なる視点人物によって語られる物語が実は一年の時間差のある別々の出来事だった、ということ。もっとも、この点に関しては2つの記述が早い時点で食い違いはじめることもあって、作者としてもその時間差そのもので読者を驚かせようとしているわけではないと思われる。ここでサプライズを喚起するポイントとなるのは、視点人物のユウ君と、祥子の視点から語られるユウ君が別人であった(視点人物のユウ君=諸原祐司)、という真相だろう。
 そして、第二のポイントになるのが、第一のポイントから派生する形で問題となるもう一人のユウ君の正体が、三笠勇紀=五條茂だったという真相。
 では、どちらがより大きな驚きを読者に与えることができるだろうか。

 本筋の話を進める前に、もうひとつ別の作品について触れておく。中西智明の『消失!』である。この作品も、メインとなる叙述トリックによってサプライズを喚起するポイントが2つある、ということで、その効果を『ウェディング・ドレス』の場合と比較してみたいと思う。

 話が細切れになって申し訳ないが、まだ続くのだった……。

6月12日(月)

 叙述トリックにおいて、一番ポイントになるのは、いかに明解に、もっとも落差の大きい地点で真相を明かすか、ということに尽きるだろう。その手順を失敗したがゆえに凡作になってしまった作品というと、まず思い浮かぶのは綾辻行人の『黒猫館の殺人』で、これのどこが失敗だったかといえば、密室を作り出すために使用されたのが雪だと明かす前に、黒猫館の建っている場所がタスマニア島であるとばらしてしまった点であることは間違いない。
 この作品の叙述トリックのポイントというのは、夏だと思っていた情景が一瞬にして冬景色に転じてしまう、というところにあるわけで、そのことを読者に示すために、(真相を完全に見破っていた読者以外の)読者の想像外にあるが使用されていた、という事実を演出に利用しない手はないと思うのだ。恐らく、多くの読者は『黒猫館の殺人』のトリックが『神の灯』(であってるよね?)のバリエーションであることを予測できたはずで、そうである以上、その両者の建物の物理的な距離がいくら離れていようが、驚きには結びつかない。しかし、季節の錯誤までを予測できた読者はごく少数のはずで(いや、根拠はないけど)、その部分を前面に押し出せば、より多くの読者に驚きを与えることができたのではないだろうか。
 とはいえ、物語の構造上、そういった形での改稿も難しいわけで(手記を手がかりにしている以上、探偵役である鹿谷門実が密室のトリックを看破することは不可能に近い)、これはもう、はなから失敗することを運命づけられた作品だったとしか思えない……。

 で、話は黒田研二ウェディング・ドレス』につながるのだが、この続きはまた明日。

6月11日(日)

 上遠野浩平殺竜事件』、黒田研二ウェディング・ドレス』読了。

 で、まずは『殺竜事件』ですが、あのものすごい頭の構造をした竜のイラストはどうにかならないんでしょうか? いや、金子一馬の絵は好きなんだけど。ていうか、鱗ないじゃん
 まあ、それはさておき内容のほうは、結構おもしろかったです。キャラクタ、設定、プロットは例によってツボを押さえていてそつがない。難点をあげるとすれば、やっぱり改善されない描写の薄さですか。「強化鳥」とか単語で済ませちゃやっぱり駄目でしょう。まあ、ライトノベルと思えば腹も立ちませんが、それで終わられたらこっちが困る。いや、別に困らないか。
 真相は、凶器の出自について一部批判もあるようだけど、個人的には充分オッケー。次作『紫骸城事件』にも期待。

 お次は『ウェディング・ドレス』。これはもう、ラストで明かされる馬鹿トリックの素晴らしさに尽きるでしょう。いや、これだでも読む価値ありです。肝心のメイントリックについては、真相が明かす手順において、いまいち演出のポイントが絞りきれていない感じ。どこが一番のサプライズのポイントなのかが今ひとつよくわからない。構成するパーツをもうちょっとシンプルにしたほうがよかったのでは?

6月10日(土)

 BOOKOOFFブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』のハードカバーと津原やすみ星からきたボーイフレンド』を購入。あ〜、津原やすみの本が新刊書店に並んでいるのかは未チェック。やばいやばい。

 何となくだらだらと残していた掲示板を閉鎖。あわせて、トップページを簡略化する。いっそのことタイトルロゴもはずしてしまおうかと思ったのだが、とりあえず残しておく。

6月9日(金)

 ブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』上巻を読了。下巻は未だ入手できず。どこから読み始めてもどこで読み終えても構わないタイプの小説なので、どうしても続きが気になる、というわけではないが、やはり読んでおきたい。というわけで、奥の手を使うことに。

 そもそも、この小説に再チャレンジしたいと思ったきっかけは2つあって、5/27の日記で触れた佐藤亜紀の「壊れた世界の幸福な死――アメリカン・ビューティ」と題された文章で名前があがっていたことが1つと、以前にBOOKOFFでハードカバーの『アメリカン・サイコ』を見かけたというのがもう1つの理由で、たぶん、まだ残っているだろうから、明日買いに行こうと思っている。

6月8日(木)

 故障中(管理者が)につき、今週は更新をさぼります。

6月7日(水)

アメリカン・サイコ』を読んでいると、狂気は物語を必要としない、というより、物語の排除こそが現代的な狂気へアプローチする唯一の手段なのではないか、という気がする。

6月6日(火)

 6/3の日記で触れた性同一性障害の話題からの文章の展開はもしかしたら誤解を与えるかも、とは思ったのだが、面倒なのでそのままアップしたら、やっぱり深読み(ていうか、逆に素直に読んだってこと?)した方が約一名いました。
 自分がそうだ、という意味で書いたのではないんだけどね。
 もしかして、他にもそう思った方いますか?
 いや、別にそう解釈されたからといって困るわけではないのだが、一応、弁解しておきます。

 上遠野浩平殺竜事件』、黒田研二ウェディング・ドレス』、ジム・トンプスンポップ1280』を購入。が、引き続き『アメリカン・サイコ』を読書中。……て、おい、もう上巻の半分が過ぎたのに、主人公が誰一人殺してないじゃないか! 相変わらず下巻は見つからない。

6月5日(月)

 再校ですか〜?
 再校で〜す!
 というネタは思いきり時期をはずしているうえに、きっとすでに誰かが言っているに違いない。
 しかもわかりづらいし。失礼

 ブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』はまだ序盤。一章は視点の主体を把握するまでが結構つらいのだが(前回はそこで挫折してしまった)、そこを過ぎれば、どっぷりと陶酔できる。「朝」と題された章のブランド名と商品名の羅列ぶりは感動的。

 昨晩、久々にRead Me!日記猿人日記圏に更新報告をしてみたのだが、まったくアクセス数に影響なし。なんか虚しいね。

6月4日(日)

 昨日、少しだけ感想を書いた金城一紀GO』だけど、『バトルロワイアル』の高見広春にちょっと印象が似ているかな、と思ったことをつけくわえておく。
 そういえば、大森望氏が5/29の日記傑作と書いている。そこまで褒めますか?

 トマス・ハリスハンニバル』におけるレクターのトラウマはなぜOKなのか、についてちょっと考えてみる。以前の日記をお読みの方はご存じかと思うが、そらけいは小説において登場人物の造形の根拠としてトラウマを持ち出すことに否定的である。
 では、なぜレクターの場合は気にならないのかといえば、あのエピソードが一見すべてを説明しているかのように見えて、実は何も説明していないから、ということになるだろうか。
 う〜ん、でも、断片的に拾い読みしてみたのだが、もしかしたら誤読しているのかもしれない、という気もする。機会があれば、再読して判断したいと思う。

 浅田彰20世紀文化の臨界』、ジム・トンプスン残酷な夜』を購入。少しずつ翻訳ものに復帰してみようかと思っている。
 それにしても、『アメリカン・サイコ』の下巻が見つからない。上巻が読み終わる前に見つかるといいんだけど。

 別コンテンツとして設けてある「読書感想」はしばらくお休み。きちんとした感想文を仕上げる気力がない、というのが正直なところ。簡単な感想はこちらに書くつもり。

6月3日(土)

 2ちゃんねるのあちこちの板に点在している浅田彰スレッドを読む。「憂国放談」って、今は「GQ」でやってるんですね。立ち読みしてみよう。
 あ、まったくの余談なんですが、「批評空間」の共同討議を読んでいると、ときどき浅田彰柄谷行人の保護者に思えてしまう瞬間があるんですが気のせいでしょうか? あと、柄谷行人っていつも「それは俺が昔言ったことだ」という趣旨の発言ばかりしているような気がするんですけど、これも気のせいでしょうか?

 金城一紀GO』読了。日本で生まれ日本で育ったコリアン・ジャパニーズの主人公と日本人の女の子の恋愛を軸に、いわれなき差別とか父親との対決とか友人の死といったエピソードを織り交ぜつつ語られる青春小説(?)。アタリかハズレか、ということでいえば、「大当たり」ではなかったという意味でハズレではあるが、まあ、おもしろかった。恋愛部分がなければもっとよかったのに
 ちなみに帯の惹句は「Non-Stop、既視感Zero、新時代の扉をケリとばす革命的在日ポップ・ノベルの大傑作、GO!!」というもの。まあ、宣伝文句を真に受けるのもどうかとは思うが、どこが「既視感Zero」なのか教えてほしい。「文藝」あたりに載っていそうな作風だな、と「文藝」をろくに読んだことがないにもかかわらず思ってしまうような作風(まだるっこしい表現で申し訳ない)。
 ちょっと笑えるくさい話が好きな方にはおすすめ。

 ふと疑問に思ったことがあるので「性同一性障害」で検索してみる。
 疑問というのはつまり、「性同一性障害でなおかつ同性愛者」と、「性同一性障害を持たない異性愛者」(あるいは「性同一性障害で異性愛者」と「性同一性障害を持たない同性愛者」)は厳密に区別できるのか、ということで、とりあえず、こちらにその疑問に対するそのままの回答があった。
 ポイントは「性自認」(自分をどちらの性と思うか/引用)にある、ということらしい。
 まあ、確かに、恋愛対象の性別によって相対的に自己の性別を規定するってのもおかしな話だし、当然といえば当然か。

 小学生のころ、そらけいは髪が長くて(といっても、肩にかかるくらいだが)、そのうえ声が高かったので、Tシャツに半ズボンという恰好にもかかわらず女の子に間違えられることがたびたびあった。自分でもそのことを楽しんでいたように思う。といっても、これは女の子として見られることに喜びを感じていたわけではなくて、探偵が変装して正体を隠し他人を欺くように、相手に事実を誤認させていた、ということを単純におもしろがっていたのだろう(ご多分に漏れず、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズにはまっていたのだ)。

 もっとも、第二次性徴は比較的遅いほうだったし、髭を頻繁に剃ることが必要になったのもここ二、三年の話だったりする。そういう意味では、自分が男性であるということに今までまったく違和感を覚えなかったかといえば嘘になる。

6月2日(金)

 トマス・ハリスハンニバル』読了。いや、おもしろかった。
 特にレクターの嗜好について語られる場面──買い物や料理や演奏──の描写は熱っぽく官能的で、単なる物語の細部にとどまらない過剰さを孕んでいる。
 なお、この作品におけるトラウマの扱いについては、後日、改めて言及する予定。結論だけ先にいってしまえば、少なくともレクターに関しては個人的にオッケーです。

 読了後、見るのを楽しみにしていた2ちゃんねるの『ハンニバルスレッドがどういうわけか見られない。がっかり。(追記)その後、見られました。

 小畑健ほったゆみヒカルの碁』7巻を購入。これから読みます。

6月1日(木)

 トマス・ハリスハンニバル』はいよいよ下巻に突入。

 早く帰れたら、ばりばりサイトの更新をするぞ、と忙しい時は思うのだが、実際に早い時間に帰宅しても、なかなかそんな気にはならないのだった。

 サイトの全面的なリニューアルを目論んでいる。この日記のページなんて、最初にAdobe PageMillでフォーマットを作ったものを、未だに使い回しているのだ。ずっと作り直したいと思いつつ、今まで放置してきた。サイトをはじめて7カ月。このへんで気合いを入れて、コンテンツの内容を含めてサイト全体を見直そうと思っている。
 しかし、例によって目論むだけで終わる、という可能性は否定できない。

 まったくの余談だが、「デジカメ」がSANYOの登録商標であるという事実は、「R.P.G.」がバンダイの登録商標であるということと同じくらい謎である。

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