2000年9月16日〜9月30日

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9月30日(土)

 いわゆる「最後の一撃」を有効に機能させるためには、読者に予備知識を与えない、というのがもっとも理想的ではあるのだが、現実問題としてそれは難しい。まったく別のタイプの作品として発表する、というのは確かに有効だろうが、万全とはいえない。あらかじめ予備知識のある読者を想定したうえで、「最後の一撃」を有効に機能させるためにはどうすればいいか。例えば綾辻行人の某短編のような方法がある。しかし、それでは明らかに「マニア向け」になってしまううえに、「最後の一撃」といよりは単なる「一発芸」で終わる可能性がある。
 具体的な対策としては、「最後の一撃」を二段構えにする、という方法がまず考えられる。一段目を読者に見切らせたうえで、それじたいを目くらましとして、もうひとつの「最後の一撃」を機能させるという方法。中西智明消失!はこれにあたる(と勝手に思っているだけなのだが)。アレンジとして、一段目を偽の解決とする方法もあるだろう。
 しかし、この方法の欠点は、手法じたいが陳腐であると、読者がその両者を想定したうえで読み進めてしまい、結局は「最後の一撃」として機能しないことが考えられる。

 ミステリ読者にとって本当の「最後の一撃」というのは、もしかしたら「最初の一撃」だけなのかもしれない。

9月29日(金)

 フレッド・カサック殺人交叉点』を読了(併録されている『連鎖反応』はまだ途中)。
 こういうタイプの作品を(作者の意図するとおりに)楽しめるかどうかは、予備知識の有無と、同系統の作品を読んだことがあるかどうかにかかっている。予備知識があって、同系統の作品をいくつか読んでいるものにとっては、真相はわりと早い時点で(具体的にいうと、プールの場面で)見当がついてしまうだろう。
 もちろん、それ以外の魅力もある作品なのだが、この作品を手にとったのは「最後の一撃」を期待してのことなので、それ以外については触れずにおく。

9月28日(木)

 TECMODEAD OR ALIVE 2』(DC)とENIXDRAGON QUEST 7』(PS)を購入。

DEAD OR ALIVE 2』は、まあ、当然といえば当然の話なのだが、PS2版と比較すると若干見劣りしてしまう。ゲーム中の処理落ち、霧などのエフェクトの省略(というか、正確にはPS2版ではエフェクトが「追加」されていただけなんだけど)、デモが秒間30フレームになっている、いくつかのステージがない、髪や布などの関節が少なく動きが若干やわらかさに欠ける、オープニングデモで音楽と映像が若干ずれる、など。その分、新コスチューム、隠しキャラなどの追加要素がある(らしい。自分では未確認)。アメリカでDC版を発売しながら、国内ではファンの罵倒を浴びつつPS2版を先行発売して、ようやく国内でもDC版が出たわけだが、さんざん待たせた結果がこれですか? 初回限定のピクチャーレーベル、あれは何のつもりだ? まあ、別にいいけど。
 ただし、『DEAD OR ALIVE 3』をNAOMI2で開発するならすべて許す

 で、今さらという感じの『DRAGON QUEST 7』ですが、さる事情により早急にクリアを目指さなくてはならない(理由は各自想像してください)。
 それにしても、やはり、このグラフィックは……。
 いや、文句は書くまいと思ってたんだけど、3Dにするならせめて『グランディア』並みのグラフィックにして欲しかった。いっそのこと2Dで作れば、それはそれで見上げたもんだと思ったかもしれないのに。まあ、ロード待ちなどのストレスが皆無なのがせめてもの救いか。

9月26日(火)

 森博嗣魔剣天翔』(★★★)読了。航空ショーのアクロバット演技中、搭乗者が射殺されるというメインの謎の処理が、いつものように捻りすぎておらず、シンプルで良かった。シリーズ冒頭の数作で敬遠している方も、一読の価値はあるかも(キャラと会話がダメ、という方にはやっぱりお薦めできないけど)。また、保呂草の事件へのかかわり方が、、サスペンスを演出するまでには至っていないにしろ、物語の見せ方を重層的にするために一役かっている。飛行機に対する記述に作者のストレートな愛情が感じられるのも好印象。練無と関根杏奈の関係や、スカイボルトと関根朔太の謎の処理などに若干不満があるけど、全体として非常に楽しめた(ただ、表4のあらすじはアンフェアですね。を書いてはいけない)。

 遅ればせながらaikoボーイフレンド」を購入。以前にも書いたけど、「カブトムシ」と「桜の時」には割と不満で、こういう曲を待ってたんです。
 この曲については、ぜひともNAUBOOさん「ボーイフレンド」評を参照してください。そらけいは音楽にかんする素養がないので、こういう形で明確に言葉にして音楽を語れる人に憧れてしまいます。

 あと、書店でフレッド・カサック殺人交叉点』、恩田陸光の帝国』(文庫版)、鎌田敏夫うしろのしょうめんだあれ』を購入。とりあえず、次は『殺人交叉点』かな?

9月24日(日)

 以前の日記で触れた読売の拡張員がひどいんですー。スレッドなんですが、サーバの移転に伴って、スレッドが2つに分岐してしまっている模様。どうりでここしばらく発言が増えないと思っていた。というわけで、本流となっているスレッドはこちら

 古処誠二少年たちの密室』の感想は、できれば『UNKNOWN』を再読してから書きたいな、と思っているんですが、そんなことを言っていると、有栖川有栖幽霊刑事』の二の舞になるかも……(自覚はしてるんです)。

 眼鏡を壊してしまった。昨晩、酒を飲んで帰宅(実家に)して、迂闊にもそのまま(眼鏡をかけたまま)寝てしまったのだが、起きたら身体の下敷きになっており、右側の蔓が根本で折れていた。瞬間接着剤でつけようにも、接着面が小さすぎてうまく固定できない。濃いブルーのセルフレームの眼鏡で、すごく気に入ってたんだけど。仕方なく、以前使っていたメタルフレームの眼鏡を使用中。

9月21日(木)

 古泉迦十火蛾』読了(★★★)。
 とりあえず、「殺人」と「推理」の2語は作中で使用しないでほしかった。あくまで世界観を構築しているのは語り手による説明と登場人物の台詞で、細部の描写が絶対的に不足している。また、主人公であるアリーの過去については、解決における事件の意味づけを考えるなら、事態の推移だけではなくもっと物語として詳細に語るべきだったと思う。

 余談になるが、講談社ノベルスの(編集部による)キャッチコピーは読み終えてみると結構的確なことが多い気がする。例えばこの『火蛾』は「本格推理の美しさを極限まで追求した問題作」(強調引用者)で、古処誠二の『少年たちの密室』は「心ふるえる本格推理の傑作!」。前者は読者を選ぶ作品で、後者は比較的広範な読者の支持を得る作品だろうという編集者の判断がうかがえる。

 で、次は森博嗣魔剣天翔』を読む予定。ちなみにこの作品のコピーは「驚愕の空中密室!」、「シリーズ最高難度の謎」などで、完成度としてはシリーズ中、平均的なものであると予想できる。

9月19日(火)

 現在、古泉迦十火蛾』を読んでいる。おもしろいようなおもしろくないような微妙な感じ。

 引っ越したおかげで今まで5時半に起きていたのが7時まで寝ていられるようになった。
 これにはいくつか理由があって、ひとつは実家の自分の部屋にはクーラーがなく、夏場は寝ている間に汗まみれになってしまうので、朝に風呂に入るのが習慣になっていた(なぜか冬も)のだが、新しい部屋にはエアコンがあってその必要がなくなった、ということがある。
 朝に風呂に入っていた理由としてはもうひとつ、夜更かししている間に吸った煙草の匂いがあったのだが、これについても、少なくとも現在は部屋を汚すのを恐れてキッチンの換気扇の近くで吸うようにしているので、ネットに接続しながらくわえ煙草をしていた時と比べて本数が激減しており、自分的には気にならないレベルになった。
 そんなわけで、現在は寝る前に風呂を済ませてしまっている。
 さらに、以前は通勤電車で座るために実家の最寄り駅よりもひとつ下った始発駅にいったん戻って電車に乗っていたのだが、徒歩2分のところにある現在の最寄り駅そのものが(先の駅とは別の)始発駅で、しかも、実家よりもかなり新宿寄りなので、通勤そのものに時間がかからなくなった、ということもあって、起床時間にかなり余裕ができた。

 睡眠時間はずいぶんと増えたわけだが、やっぱり眠いのはなぜなんだろう。
 就寝時間も以前と比べると若干早くなっているくらいなのに……。

9月17日(日)

 古処誠二少年たちの密室』読了。前作もおもしろかったけど、今作はさらにそれを上回る完成度。前作がちょっと独特な作風だったので、そういう作家なのだと誤解している人は多いはず(自分もそうだった)。感想はもう少し時間をおいてから書くとして、とりあえず強くお薦めしておく。
 ★★★★

9月16日(土)

 いつも外出する時に講談社ノベルスの新刊を持つのを忘れてしまうので、もっぱら移動中は金井美恵子恋愛太平記』を読んでいる。この作家の(いわゆる)通俗小説での魅力は細部の描写ももちろんそうなのだが、絶対的な位置を占める登場人物が皆無であるということがあげられるだろう。誰もがそれなりに頭がよく(悪く)、誰もがそれなりに誰かを馬鹿にして(されて)おり、どの小説にも必ず一人は存在する(作者の分身であるような)すべてを見通している特権的な登場人物は(現実がそうであるように)存在しない。すべてを見通している、という表現が悪ければ、その小説世界を律する原理を体現している人物、と言い換えてもいい(余計にわかりづらいか?)。わかりやすい例をあげれば、京極夏彦妖怪シリーズ〉の中禅寺秋彦

 金井美恵子の場合、「その小説世界を律する原理を体現している人物」というのは、すべての登場人物がそうであるといえるかもしれない。これはどういうことかといえば、登場人物のキャラクタではなく、その関係(会話と感情的な反応)において小説が構成されているということだ(これは登場人物に魅力がないということを意味しない)。

 では、なぜそこが魅力なのか。
 絶対=中心の欠如という視点から、天皇制を引き合いに出して小説としての強度を語る、という手段も確かにあるのだろうが(暗黙のうちにやり過ごされた「昭和」の終わり……)、その手の議論には正直なところ興味がない。また、高橋源一郎金井美恵子本人に揶揄される結果となった、自分の語りたいことを語るために『恋愛太平記』を引き合いに出すという愚を犯すことも避けたい。
 となると、結論としていえるのは、おもしろいから読んでね、とうことだけなのだが、これじゃあ、結論でもなんでもないな。

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