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■2001年9月1日〜9月15日


9月15日(土)
 スズキトモユさん@見下げ果てた日々の企て森博嗣評を読むたびに、自分がいかに杜撰な読み方をしているかを痛感します。『六人の超音波科学者』の事件の真相にかんする指摘を読むと、ああ、そういわれればそうだよなぁ、と納得するものの、自分で読んでいるときにはそのへんことがまったく気にならないのです。事件が物語で語られているような形である必然性といったものに、ほとんど目が向いていないのだと思います(あ、でも、今回に限っては「なんで暗号を絵にして飾ってあるの?」とか「なんでエレベータの中に詩が書いてあるの?」とは思いました。これは、作品の雰囲気と典型的なミステリ的ガジェットがそぐわないからだと思うんですけど)。
 そういった必然性よりも表層的な物語の装飾とか形式に目が向きがちなのは、我ながらいかんなぁ、とは思うのですが、そのへんは私の読み手としての資質の問題で、容易には変えがたい部分でもあると思うので、残念ながら(←誰が?)改善の努力は放棄しています。

 予告どおり、任天堂GAMECUBEを買ってきました。新宿のさくらやゲーム・ホビー館に午後6時ごろ行ったんですけど、余裕で買えました。レジ前に並んでいる人も少なかったし、店の周辺にもGAMECUBEらしきものを持っている人は皆無。あんまり売れていないのかなぁ?
 ハードの箱もソフトの箱も現物を見ると予想以上に小さくてびっくり。
 同時に購入したソフトは『ルイージマンション』のみ。さっそくプレイ。
 速っ! 読み込みがむちゃくちゃ速い。ROMカートリッジとほとんど遜色ないスピード。「NOW LOADING」なんて表示されることもなくさくさくプレイできる。これはすごい。
 ゲーム内容は、マリオの世界観+『BIOHAZARD』+映画『ゴーストバスターズ』といった感じ。マリオを追って不気味な洋館にやって来たルイージが、掃除機を持って次々と現れるおばけを吸い込みながら、部屋の仕掛けを解いて進んでいくというゲーム。アナログスティックを2本使う操作は複雑だけど、投げ出したくなるほどではないです。情報を表示するためそれぞれボタンを割り当てているものの、これはちょっと使いづらくて閉口。まあ、慣れの問題かもしれませんが。
 とりあえず、最初のブロックをクリアしたところまで。さて、続きをやるか。

9月14日(金)
 あ、GAMECUBEって今日発売だったんだ。うっかりしてた。明日でも買えるのかなぁ?

 NINTENDO64では結局『ゼルダの伝説 時のオカリナ』と『オウガバトル64』しか買ってなくて、どちらもクリアしていないのであった……。

 やはりSEGA信者としては、SEGAの分社化した各開発部署が、どのハードに対してソフトを供給するのかが一番気になるところ。GAMECUBEに供給が決定しているのは中裕司率いるSONIC TEAMと、名越稔洋率いるAMUSEMENT VISION。どちらも看板タイトル(SONIC TEAMは『SONIC ADVENTURE 2』と『PHANTASY STAR ONLINE』、AMUSEMENT VISIONは『VIRTUR STRIKER 3』)を持ってきており、力の入れようがうかがえる。個人的にはAMUSEMENT VISIONのゲームは守備範囲外なのでおいとくとして、SONIC TEAMからソフトが供給されるとあっては買わざるをえない。まずは移植で様子見といった印象だけど、おいおい新作が投入されることでしょう。『バーニングレンジャー』の続編を望む。『Nights』は……出るとしてもビジュアル・イメージが変わっちゃうだろうし微妙だなぁ。

 GAMECUBE関連のトピックというと、CAPCOMの〈BIO HAZARD〉がGAMECUBEへの独占供給という発表には意表をつかれた。『FINAL FANTASY VII』ほどの影響力は望めないとはいえ、子供向けというイメージの強い任天堂ハードに幅広い層に向けて訴求力があり、なおかつ大人が遊べるこのタイトルが加わったことで、いよいよ今後どのハードに転ぶかわからなくなってきた。
 個人的にはどのニュース記事にも姿が見えなかった岡本吉起常務(今もそうなのかな?)がどうしているのかが気になるところ。同一タイトルによるマルチプラットホーム戦略の推進者だっただけに、今回の発表によって明らかになったとおりCAPCOMのソフト供給戦略がハードをしぼる方向に転換するにともなって、なんだかたいへんなことになっていたらどうしようと人ごとながら心配である(←大きなお世話)。
(9/15追記)別にたいへんなことにはなっていないようです。Dreamcastを中心に見てるとCAPCOMのマルチプラットホーム戦略大失敗! みたいなイメージがあるけど、あれはハードホルダーとしてのSEGAがふがいなかっただけで、PS2のゲームはそこそこ売れているみたいだし。というわけで、(・∀・)モウソウデシタ!

 ここだけの話だけど、Dreamcastの発売日には会社をさぼって新宿に買いに行ったのだが(なにしろ『バーチャファイター3』が同時発売だったし)、今回はすっかり忘れていた。本体と同時発売のゲームではやはり『ルイージマンション』が買いか? 明日、時間があったら買いに行きます。

9月12日(水)
 SEGASEGA-AM2シェンムーII』。現在、DISC 2。
 今さら気づいたんですけど、このゲーム、どこでもセーブできる仕様になっているから、ギャンブルで損をせずに儲け続けられるんですね。いいのか、それで! まあ、金銭がたくさんあってもそんなに使い道がないから(自動販売機でジュースを買うとか、ゲームで遊ぶとか、賭け事とか、宿泊代くらいか?)、ゲームバランス云々は関係ないんだけど。

 それはともかく、ようやくレンが登場。ここまで長かった。萩原匠さんも喜んでいることでしょう。
 一方、ヒロインのシェンファは何枚目で出てくるんでしょうか? つーか、噂によるとほとんど出番なしでまた「続く」になっているというのは本当なんでしょうか?

 ここで、知らない人のために解説。このゲームでは、主役級の登場人物にはそれぞれ1人、声優兼モーション・アクター/アクトレスを担当する役者がいて、ゲームの制作発表当時(たしか1998年?)から、雑誌やらイベントやらに結構露出していたのですが、ゲームの発売は1999年の年末、しかも「第一章」ということで物語の序盤に過ぎず、上記に書いたレンとシェンファは結局出番なしだったんですね。ひどい話です。
 で、2001年の9月になってようやく彼らの仕事の成果が日の目を見ることになったわけです。そう考えると、感慨深いものがあります。

 余談ですけど、私、横浜のみなとみらいで行われた制作発表イベントをわざわざ見に行ったんですよ。当時は、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした……。

9月11日(火)
森博嗣六人の超音波科学者』★★★
『夢・出逢い・魔性』以降の〈Vシリーズ〉は結構好きだったりします(でも、★★★しかつけたことないけど)。

 というわけで、シリーズ7作目の本作。「そろそろ館ものが読みたい、とお待ちかねの諸兄に(笑)」という作者の言葉どおり、外部に通じる唯一の橋を爆破され、陸の孤島となった超音波研究所で起こった事件が語られる。とはいっても、冒頭に研究所の平面図が堂々と掲載されているわりには、建築物の構造とトリックが密接にかかわっているわけではないので、正確には「なんちゃって館もの」。
 ここ最近の作品では特に、事件の真相、犯人、およびその動機、トリックなどが非常にわかりやすい形で提示されていて、個人的には好印象を抱いています。本作も同様。とはいえ、多数のレギュラーメンバーとのバランスをとるためか、物語的に不要な登場人物が無駄に多いのが難点。

 恥ずかしながら人に指摘されるまでこの作品の
時代設定について疑問を抱いたことはなかったんですが、この作品はさすがにあからさますぎて厭でも理解できました。

 余談ですが、シリーズが終わるまでには、ぜひ一度、林警部に痛い目をみてもらいたいと思っているのは私だけでしょうか?

9月10日(月)
 ちょっと思いついたので、忘れないうちに書いておきます。
 舞城王太郎暗闇の中で子供』の終幕近くで登場する謎の人物の正体は
宇宙人では?
 一応、伏線もあるし……。


 今週の浦沢直樹20世紀少年』。
 一部で物議をかもしだしていた第一話冒頭シーンの真相がついにあきらかに!
 って、そのまんまです。がっかり。
 いや、まあ、確かに浦沢直樹は平然と無意味な顔隠しをやるのは承知していたから、過度な期待はしないようにしていたつもりだったんだけど。激しく萎え。
 となると、「ともだち」の正体についても、あんまり期待しないほうが良さそうだなぁ。

9月9日(日)
舞城王太郎暗闇の中で子供』★★★
 
ネタバレしているので、未読の方は注意してください。

 前作『煙か土か食い物』の直接の続編。今回は奈津川家の三男・三郎が語り手。
 読んでいる間は確かにやたらとおもしろかった。
章の間の記述の齟齬もその意図するところは明確にはわからないけど許せる。というか、むしろそういう手法は好きだったりする。だけど、結末に至って、これはやりすぎだと思った。
 物語内の
真実/虚偽が曖昧なのはいいとして、それが完全に語り手の恣意であることをここまであからさまにしてしまっては、読者としては正直なところ、物語なんてどうでもよくなってしまう。少なくとも、この作品内の記述は冒頭から結末に至るまでまったく真実/虚偽を確定することは不可能で、次作で別の語り手によって改めて語り直されるまでは、何ひとつ信じることはできない(例えば、次作で三郎が五体満足な状態で登場したとしても驚かない)。いや、まあ、次作の記述が「真実」だとする根拠はやはり同様にないんだけど。
 はっきりいって、こういう手法は作家の自己満足に過ぎないと思う。
小説は何を書いてもいい、とか、すべての謎に答えがあるとは限らない、とか、そういった言説は確かに正しいんだけど、それを臆面もなく作中で明言して、愚直に実践してみせるのは単なる手抜きでしかない。

 とはいえ、このへんの読者サイドからの反応は当然、作者の予想の範疇なんだろうな、とも思う。こういう典型的な読者の「
読解力のなさ」に対する作家側の苛立ちは竹本健治〈ウロボロス〉シリーズの中で書いていたけれども、少なくとも『ウロボロスの偽書』と『ウロボロスの基礎論』は自分的には許容範囲内で楽しめた。でも、この作品は許容範囲外。期待が大きかっただけに、そして実際に途中まではおもしろく読んでいただけに、かわいさあまって憎さ100倍、みたいな側面があることは否定できないんだけど。

 結局のところ、これは
手続きの問題なのかな、という気がする。同じことをやるにしても、もうちょっと丁寧にやってほしかった、というのがとりあえずの結論。
 新作に期待する作家であることは変わらず。

 あ、この作品にはトマス・ハリス作品のネタバレが多数あるので、未読の方はご注意。
 それから、前作から気になっていたんだけど、「?」の後には全角アキを入れたほうがいいんじゃないでしょうか。以上。


▼『煙か土か食い物』の感想はこちら

9月8日(土)
 舞城王太郎暗闇の中で子供』読了。この作品の感想については、もうちょっと考えてから書きたいので、また後日。

9月7日(金)
 SEGASEGA-AM2シェンムーII』(DC)ファースト・インプレッション。
 そもそも『シェンムー』とはどういうゲームなのか、ということについては、こちらを参照してください。阿部広樹(ABC)氏の『シェンムー』体験版のレビューですが、だいたいのことはわかっていただけるかと思います。というだけではアレなんで、ポイントをピックアップして引用してみます。

 
セガの誇る最新鋭家庭用ゲーム機ドリームキャストのスーパー表現能力と、セガの全てを犠牲にしたスーパー人海戦術の果てに実現したのが80年代のスーパー小汚い横浜の商店街の風景なわけだヨ!

 上記の「横浜」を「香港」に置き換えるとそのまま『シェンムーII』の説明になります。

 
そんな物凄い表現能力を使って再現した街中を歩くオヤジの顔も超ドメスティック! 町並みの小汚さにこれっぽっちも負けてないネ!
 根本敬の提唱するイイ顔オヤジみたいな味のあり過ぎる風貌揃いだぁ!


 具体例はこちらを参照。

 
そんなこんなで、社内の全員がいま止めれば赤字の拡大を防げることが分かっていながら、プロジェクトの失敗を認めたり責任を取ったりしたくないがために誰にも止められなくなって、そのまま暴走プロジェクトは行き着くところまでゴー ストレイト トゥ ザ ヘルしてしまうということをコンコルド錯誤と呼ぶようになったそうでス。

 1999年に発売された『シェンムー 第一章』の時点で開発費が70億円というのは有名な話ですね。
 まあ、そういうゲームです。

 このままレビューを終わらせてしまってもいい気がするんですけど、まあ、それもどうかと思うんで続けます。このゲームの欠点をあげていけばきりがありません。「アタイ」という一人称で喋るちょっとワルっぽいけど本当は気のいい女の子、というような登場人物を平然と採用してしまう素敵なセンスとか。父親を殺した男を追って香港までやってきた主人公がやっていることといえば、港での荷物運びのバイトとか、「落とし玉」という露店のゲームの店番をして客と勝負したりとか、ガチャガチャをやってシリーズ物のフィギュアをコンプリート目指したりとか、賭アームレスリングで小銭を稼いだり有り金つぎこんじゃったりとか。台詞に鸚鵡返しが多すぎるとか(おまけにフルボイス!)。

 そんなゲームをなぜ買ったのか。自分にもよくわかりません。これが愛ってやつ?←違う。
 しかし、このゲームをプレイしないことは人生の大きな損失だ、なんてことは本気で考えていませんけど、歴史に名を残し、語り継がれるゲームであることは間違いありません。
『FINAL FANTASY X』は途中で挫折したのに、このゲームは最後までプレイするであろう自分に「本当にそれでいいのか? 人として間違っていないか?」と自問自答する今日このごろですが、いいんです。きっと。

9月6日(木)
宮部みゆきR.P.G.』★★★
 宮部みゆきってこういう小説も書けるんだ、というのが正直な感想。
 いや、確かに扱っている主題そのものはいかにも宮部みゆきっぽいんだけど、物語の仕掛けとその演出が、どちらかというと新本格っぽい人工的な手触りを感じさせる。例えば、タイトルのダブル・ミーニングとか、限定された舞台設定とか、
見る側と見られる側が転倒する真相とか、「疑似家族を演じる人々」を演じる警官という入れ子構造とか。それでも、あとがきに書かれているように厳密にフェアな記述にこだわっていなかったり、人工的とはいえあくまで常識的な範囲でおさまっているから、まあ、いわゆる「宮部みゆき作品」のイメージを大きく外れることはない。コンパクトにまとまっているので、最近の大長編に辟易している方にもお薦め。

 以下はこの作品に限った話ではないんだけど。
 宮部みゆきの「悪役」の造形について感じるのは、それが「悪役」であるがゆえに作中で作者の意見を代弁するような登場人物の批判の矛先を向けやすい都合のよい「仮想敵」となることを、様々な形で回避しようとしているのではないだろうか、ということ。
 倫理的な主題を扱った作品を書くとき、宮部みゆきはその善悪よりもまず全体としてのバランスをとることを重視しているように思える(実際に作中では直接的に善悪を語っているように見えるけど)。そのため、同じことについて複数の視点から語らざるをえなくなる。それが、悪役の造形にかんしては「凄みがない。物足りない」とか、作品の長さにかんしては「無駄が多い。冗長」といった批判を招く原因になっているのかな、という気がする。

(9/8追記)と思いつきを書いてみたんだけど、よく考えてみると、必ずしもすべての作品にあてはまるというわけではないように思えてきたので、いったん打ち消し線を入れておきます。あと、「ダブル・ミーニング」という言葉の使い方もちょっと違う気がする(こちらはとりあえずそのままにしておきます)。

 SEGASEGA-AM2シェンムーII』(DC)をコンビニで購入。詳細は明日

9月5日(水)
 荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』8巻
 というか、7巻も買ってませんでした。ついでに、少し前の巻から読み直してみたら、どうやら6巻もちゃんと読んでいなかった模様。

 というわけで、6巻以降の感想です。
 相変わらず絵にするのが難しい状況を好んで描いてるなぁ(例:
無重力+真空。目に見えないゾンビ)。たまについていけなくなります。あと、8巻で登場したケンゾーって能力もキャラクタもあんまり荒木飛呂彦っぽくない気がした。アナスイは良い感じ。レギュラーキャラはあと1人くらい増えるのかな?

 正直なところ、第4部以降の『ジョジョ』はあまり燃えないのです……。
 第7部宇宙編(勝手に命名)で「我々はこの隕石を知っているッ!」というナレーションつきでカーズの復活希望(使い古されたネタですみません)。

9月4日(火)
スティーヴン・キングリチャード・バックマン)『死のロングウォーク』(再読)
 というわけで、バックマン再読シリーズの本命(なにが?)、『死のロングウォーク』です。

 ゲームのルールは以下の通り。100人の少年が道を歩く。速度が時速4マイル以下になると警告を受ける。警告は3回まで。1時間警告を受けずに歩けば、警告が1つ解除される。しかし、警告を3回受けている状態で速度が時速4マイル以下になるとゲームオーバー。警告なく射殺される。そうやって、最後の1人になるまで歩き続ける。

 個人的な話で恐縮ですが、私、こういう設定の話に非常に弱いです。ツボです。だから、『死のロングウォーク』はもちろん、高見広春バトル・ロワイアル』も大好きです。
 ついでに言うと、クローズド・サークル・テーマの次々と登場人物が殺されていくタイプの話も好きだったりします。できれば犯人と探偵役以外の登場人物のほとんど死に絶えることが望ましい。そういう意味で、綾辻行人の『十角館の殺人』と『時計館の殺人』は素晴らしいと思っています。

 場は外部(デス・ゲーム小説の場合は「国家」、ミステリの場合は「犯人」)によって規定された独自のルールによって支配されており、その場から脱出することは原則として不可能、状況の進行にともない、場を支配しているルールに従って「参加者」は次々と殺されていく、という構造が両者に共通しています(ちょっと強引かも?)。

 さて、話を『死のロングウォーク』に戻します。改めて読み直しても、やっぱりおもしろいです。デスゲームのルールが持つ恐ろしさと作品世界に満ちる不条理な空気は、『バトル・ロワイアル』を読んだ後でもなお際だっています。また、『バトル・ロワイアル』が物語の初期において外部/内部を完全に切断してしまっている(そのため、不自然なくらい人間関係がクラス内で完結している)のに対し、『死のロングウォーク』では外部の存在が物語として有効に活用されています。
 ただ、ロングウォークの参加者が初対面であるという設定のため、それぞれ語られる過去がキャラクタの肉付け以上の意味を持ちづらいとか(そういう意味で、『バトル・ロワイアル』の参加者が全員同じクラスという設定は、先に書いた欠点をふまえてもなお秀逸だと思います)、やっぱり参加者が100人は多すぎじゃないの? とか(実際、残り10人をきった状況でもほとんど作中で語られていない人物が半分くらいいる)、不満な点もいくつかあるけど、やっぱり好きな小説であることには変わりなく、そのうちにまた読み返すことでしょう。

9月3日(月)
 スキャンした下描きのトレースではなく、ペンツールのベジェ曲線だけでどれくらい絵が描けるかチャレンジしてみる。で、まだ途中なんですが、とりあえずこんな感じ。


▲397×482(28K)

 髪の毛の処理をどうしたらいいのか途方に暮れています。
 完成したらまたアップするつもりですが、例によって行き当たりばったりで描き始めてしまったので、最終的にどんな絵になるのか見当もつきません。

 え〜と、察しのいい方はお気づきかと思いますが、私、首から下を描くのが苦手です。

9月2日(日)
 諸般の事情によりデジタルビデオカメラについて調べることになった。予想していたよりも発売しているメーカーは少なくて、SONY松下VICTORCanonSHARPの5社と、8cmのDVD-RAMに記録するタイプを発売している日立で全て。こういう時に意外と役立つのが2ちゃんねるの各種専門板で、さっそくデジタルモノ板で情報収集。おあつらえ向きに「デジタルビデオカメラはどれがお勧め?」というスレッドが立っている。煽りや信者や信者を装ったアンチも皆無で、非常に有益でした。いくつか候補を絞ってから、次に価格.COMの口コミ掲示板をチェック。
 3CCDの機種は高いし大きい、松下はホワイトバランスに難あり、VICTORSHARPは画質が落ちる、ということで残ったのが次の3機種。

SONYDCR-PC9
 長所/小さい・バッテリが長持ち
 短所/下の2点と比較すると絵が落ちる・暗所での撮影に弱い
CanonPV-130
 長所/絵がきれい・光学手ぶれ補正付き
 短所/やや大きい・ズーム、フォーカスが遅い
CanonIXY DV
 長所/小さい・絵がきれい・原色フィルタのCCDを採用
 短所/バッテリが持たない

 長所・短所は目的と自分に好みで重要な点のみピックアップ。価格差などは無視しています。「絵がきれい」というのは、当然、「該当クラスの中では」という但し書きつき。
 当面の目的は屋内で行われる某イベントでの撮影なので、自然光のないところでもある程度きれいに撮れるというのが重要。その点で「DCR-PC9」はちょっと心配。「IXY DV」は後継機である「IXY DV2」が発表されたこともあって、軒並み店頭から姿を消しており、「2」は発売前で具体的な情報に乏しいのが難点。現時点では「PV-130」が第一候補なんですが、バッテリの持続時間についての情報が皆無で(言うまでもなくメーカーの公称値はあてにならないので)、そこが唯一の気がかり。実際に量販店に行って「DCR-PC9」と「PV-130」を手にとってみたところ、「DCR-PC9」の小ささは確かに魅力的なものの、「PV-130」の大きさも、まあ、許容できる範囲。

 それにしても、静止画の撮影とかネットワーク機能とか、どこのメーカーもいろいろと余計な付加価値をつけたがる傾向にあるのはどうにかならないのか。

9月1日(土)
  昨日一昨日の日記で浦沢直樹MONSTER』と大塚英志×田島昭宇多重人格探偵サイコ』の新刊についてふれましたが、今回、この2作品が以下の特徴的な部分で類似していることに初めて気づきました。

 ・複数の連続殺人鬼をコントロールする黒幕が存在する。
 ・組織だった計画に基づいてつくられた子供たちが登場する。
 ・つくれらた子供たちに対する教育の規範を生み出したアーティストが登場する。
 
 そして、奇しくも2作品とも最新刊においてそのアーティストが現実の存在として姿をあらわしました。それらの処理、アプローチの方法の違いを比較してみるのもおもしろいかもしれません(それぞれ次の新刊が出たらもうちょっと詳細に比較してみます)。

 ついでに作画家としての浦沢直樹田島昭宇を比較してみると、浦沢直樹はカメラ位置に非常に気を配っている(いわゆる「映画的」?)のに対して、田島昭宇は割と無頓着(例えば、『多重人格探偵サイコ』7巻109ページの切り返し)。というか、もちろん多少の流れは意識しているんだろうけど、基本的に1コマ1コマ自分の描きたい構図で描いている気がします。
 まあ、どちらも魅力的な絵を描く漫画家なので、こんな比較はナンセンスだとは思いますけど。

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