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■2001年9月16日〜9月30日


9月30日(日)
 GAMMA RAYというドイツのヘヴィメタル・バンドがいまして、例えば、同じドイツのヘヴィメタル・バンドであるBLIND GURDIANは中世ファンタジー世界を主なモチーフにした楽曲をつくっていて、トールキンやムアコック、あとはたまにキングの作品などから引用しまくるおたくっぷりを見せつけているわけですが(余談ですが、歌詞の対訳で「ストームブリンガー」が「嵐を呼ぶ男」と訳されていたのには笑いました。石原裕次郎ですか?)、一方のGAMMA RAYはといえば、SFというかファンタジーというかホラーというか、非現実的なフィクションをモチーフにしている点では同じといえるものの、その世界観がオリジナルというところが大きく違っています。オリジナルとはいっても、既成のフィクションを消化したうえで独自の世界観を構築しているわけではなくて、思いつきというか雰囲気というか、例えば「異星人」という単語ひとつとってみても、何となくそれらしいイメージをなぞっているに過ぎなくて、最新作である『NO WORLD ORDER』に収録されている「SOLID」という曲の歌詞(対訳)を引用してみると、

 
異星人の暴君が襲ってくるだろう
 理由を求めて
 さらに要求をつきつけやってくる
 ああ、そうとも
 会話もなく、合意もない
 ギラギラ光る目は捻くれ、おまえの運命を天秤で量る
 今こそ攻撃し返すときだ
 最終攻撃のためにすべてのシステムを整えろ


 と、まあ、こんな感じで、これは断言してもいいんですけど、この歌詞は決して何らかの現実の隠喩などではなくて、書かれている言葉どおりの意味しか持っていません。で、その新作の伊藤政則によるライナーノーツを見ると、また、すごいことが書かれていました。ちょっと長いんですけど、引用してみます。

(前略)
 また、コンセプト・アルバムではないが全体の背景にはコンセプトがあるという事実もファンの興味を呼ぶに違いない。事の発端は彼らのファンであるマーク・ブラウナイスが自分のアイディアを話し始めたことだった。マークという若者は元々HELLOWEEN引用者注:GAMMA RAYのリーダーであるカイ・ハンセンが以前に所属していたバンド)の名作「KEEPER OF THE SEVEN KEYS PART I & II」の歌詞に魅了され、GAMMA RAYに至っても共通したテーマが出てくることに気がつき、世界を本当に支配しているのは誰なのか、自由とは、人類の魅力はどこにあるのか等々をGAMMA RAYの連中に話し出した。ところがその内容があまりにも複雑で込み入っていたために、カイは「本としてまとめてみたらどうだ」と提言する。後日、マークは「TRUE WORLD ORDER」として仕上げバンドに手渡したが、それが様々な陰謀について書かれたもので、フリーメーソンの友愛会という形で存在していた“ILLUMINATI”という秘密結社についての歴史が綴られていたのである。この本の抜粋はファン・クラブの会報に掲載され、本そのものも今年中にドイツの出版社から発売される予定らしいが、カイはニュー・アルバムの歌詞作りにおけるコンセプトをこの本をヒントにして発展させていったという。
(後略)

 なんというか、つっこみどころが多すぎて困ります。しかし、カイも「本としてまとめてみたらどうだ」なんて最初は婉曲に拒絶しながら、最終的にすっかり巻き込まれてしまっているあたり、やっぱりこういうのが嫌いじゃないんでしょうね。
 で、何が一番の驚きかというと、こういういきさつがあったにもかかわらず、できあがったアルバムは歌詞も含めて今までと特に変わっているように見えない、ということだったりします。

 え〜と、念のために弁解しておきますが、私、間違いなくGAMMA RAYというバンドが好きです。いや、本当に。

9月29日(土)
 Mac OS X 10.1について。
 午前中は歯医者に行っていたので、新宿に到着したのは12時頃。無料のアップデートCD-ROMの配布は11時から。事前にネットで見た範囲では、そんなに配布数も多くないみたいだし、気合いの入っている人は開店前に行って並ぶと息巻いていたので、残っているか不安だったけど、東口のさくらやパソコンOA館で余裕で入手(ちなみにパブリック・ベータ版は高島屋に並んで買ったし、正規版も店頭で購入している。雑誌の付録CD-ROMによる供給、ネットでのダウンロード等の入手手段がない以上、本来なら、登録ユーザに無料で郵送すべきものだと思うが)。
 さっそく帰宅してインストールしてみた。Classic環境は、すでに9.2.1にアップデートしているので問題なし。ちなみに、私の環境は以下のとおり。

iMac DV(Slot loading)
 CPU:G3(400MHz) メモリ:512MB HDD:40GB(流体軸受)
iBook(Dual USB/CD-ROM)
 CPU:G3(500MHz) メモリ:320MB HDD:10GB

 とりあえず、個人的に重要なポイントは以下の通り。
・全体的な速度向上。特にアプリケーションの起動、メニュー表示の高速化が顕著。
・DVDの再生に対応(他の処理をしてもコマ落ち、音飛びなし。他の処理が著しく遅くなるけど)。
・iSubに対応(でも、音がやたらと小さい)。
・キーボードの輝度調整、音量調整に対応(iBook)。
・AirMacベースステーションの設定が可能に。

 メーラーはARENA2.1のCarbon版を使用。特に問題なし。
 ブラウザはInternet Explorer5.1.2。これはかなり速くなって使いやすくなっている。ただ、お気に入りのプルダウンメニューは速くなったとはいえ、まだ若干のもたつきが。
 もう1つブラウザ。OmniWeb4.0.5。フォントのベースラインがおかしくなって、文字の上部が欠けるようになってしまった。
 IMはATOK14。起動時に勝手に設定を切られているけど、地域情報のキーボードメニューで再度チェックを入れると使用可能になる。これも問題なし。
 Virtual PC TEST DRIVE。問題なし。若干、速度が向上している気がするけど、本当に気のせいかもしれない。
 Classic環境では、AdobeのGolive4.0(5も持っているんだけど、使っていない)、Photoshop Elementsは問題なし。ただ、特にGolive4.0は全体的に反応が鈍くて、これでサイトを更新する気にはならないなぁ。
 現時点で確認したのはそんなところ。
 かなり良くはなっているけど、まだメインで使うには不充分。特にiBookでは、Air H"Slipper Uが対応していないので、屋外ではやっぱりOS 9.2.1を使用しなくてはならないし。iMacのほうは、デジカメの画像を落とす手段がない(NIKONのCOOLPIX880とSANYOのDSC-SX550で、どちらもUSBのマスストレージクラスに対応していない。CFはLEXER社製で、カードリーダーは付属していたものを使用しているんだけど、これも対応していない)のと、前述したClassic環境でのGoLive4.0の重さがネック(Classicを起動するのも面倒だし)。めったに使わないいくつかの周辺機器(タブレットとかスキャナ)も現状ではきちんと対応していない。
 とりあえず、急ぎ足で検証した結果は、そんなところ。
 ただ、Dockとか、アプリケーション単位ではなくウィンドウ単位でのウィンドウの階層管理とか、カラム表示とか、慣れると結構使いやすくて、OS9.2.1に戻ると逆に使いづらいと感じてしまう点も結構あったりする。次のアップデートに期待、といったところか。

 新宿まで出たついでにMicrosoft Office2001:macのPersonal版(Word、Excel、Entourageのみ。PowerPointはなし)が安価で発売されたので買ってきたんだけど、ソフトをインストールするとMSゴシックとMS明朝のTrueTypeフォントもインストールされて(なぜかOS Xのシステムにも入ってしまう)、そのせいで、フォントが指定されているサイトの表示が変わって激しく違和感。なるほど、Windowsを使用している人はこれを見ているのか……。

 安彦良和韃靼タイフーン』1・2巻
 なぜ安彦良和の漫画を今までほとんど読まなかったかというと、いわゆる「歴史もの」全般が個人的に苦手だからで、いや、まあ、単なる食わず嫌いだというのは自分でもよくわかっているんですが、何となく敬遠していたのです。
 で、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を読んで、他の作品も読みたいな、と思った時に、この『韃靼タイフーン』を選んだのは、現代(というか近未来?)の函館が舞台で読みやすそうだったからというのが最大の理由だったりします。
 ロシアのタンカーが爆発炎上、「積荷から猛毒ガスが発生の恐れあり」と発表され、地域住民に避難命令が出される。無人の街となった函館で、謎のロシア人少女をめぐって、様々な思惑が入り乱れた戦いが繰り広げられる……というのが大まかなストーリー。
 これはおもしろかったです。まず、「モーション・コミック」といわれる安彦良和独特のコマ運び抑えられていて、普通の漫画の手法に近い形で描かれているので非常に読みやすかった、というのがあります。冒頭のタンカー炎上からめまぐるしく事態が進行し、非日常的な空間が作り出される導入部から、次第に政治的な陰謀であることがあきらかにされ、それぞれの立場が明確になって拡大していく「戦争」を描く中盤以降まで、物語が非常にテンポよく進みます。それでいて過剰にシリアスにならないところが、またいい感じです(終盤の寝たふりをする刑事とか)。
 個人的には、デコという主人公の幼なじみのキャラクタ(メガネ)がツボだったんで、それだけで満足だったりします。

9月28日(金)
アントニイ・バークリー(高橋泰邦訳)『毒入りチョコレート事件』★★★
 小学生のころ、子供向けのミステリクイズ本でこの作品の原型である「偶然の審判」をそのままぱくったクイズ(今になって思い返すに、あの問題編を読んで正解を出せるのは元ネタを知っている人だけだと思う)を読んだことがあった。というか、正確には巻末の解説を読むまで「偶然の審判」の存在を知らなくて、そのクイズは『毒入りチョコレート事件』をぱくったのだと未読ゆえに思い込んでいた。だから、その「真相」のさらに先があったのは個人的にはうれしい誤算だった。
 もっとも、そこで明かされる真相は、鮮やか、というよりは蛇足めいた印象。さらにいえば、第1〜3の推理にしても、これは『最上階の殺人』の感想でも書いたけど、推理の穴が恣意的すぎて、物語の構造としては周知のこととしても、どう考えても正解とは思えない推理を読まされるのは退屈だった。
 加えて、これはここ数日MAQさんが論じていることだけれども、いわゆる「人間性の謎」というものがロジックの一部として扱われることに激しく違和感を覚えた。それを犯人であることの証明として提示されても、容易には納得できない。
 推理合戦というモチーフや、意外な犯人のバリエーション、探偵役に対するシニカルな視線など、確かに今でも楽しめる要素は多いものの、やっぱり後の作品のほうが先鋭的で語り口としても洗練されている分、この作品は全体的に物足りなかった。

9月27日(木)
 昨日は『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』しか読めなかったので、「ガンダムエース」の他の掲載漫画/記事も読んでみました。北爪宏幸若き彗星の肖像』の第2話は明らかに出力線数を間違えてますね。しかし、このハマーン・カーンは……。どういう目にあったらこの女の子が229〜231ページのように成長するのか想像もつきません。安彦良和と寺田克也の対談はノンブルはあっているのに記事内容が見開きページごと入れ違っているという信じられない間違いをやっています。季刊なんだから、もっと編集をちゃんとやってくれ〜。

 それはさておき、安彦良和と羽仁未央(肩書きはメディアプロデューサー。寡聞にして何をやっている方なのか知りません)との対談から、安彦良和の発言で個人的に共感した部分を引用してみます。

    安彦 ただ、つくり手としては禁句なんですよね、規制があったほうがいいというのは。同業者に対しても非常に無責任な発言になっちゃうしね。でも僕は、はっきり言って規制はあったほうがいいって思う。映画でも漫画でも写真でもそうだけど、裸がどうだとか殺人がどうだとかいうときに、「それをなくしてください」注1というだけだったら、「それはばかですよ」というのが持論で。こういう「規制の中でもがんばるぞー」注2というシュプレヒコールが大事ということなんでね。なくなったらどうなるか。商業的な論理がまかり通って、やはり裸は出したほうが売れるみたいな。(以下略)

    注1】文脈から判断すると、「規制をなくしてください」という意味だと思います。
    注2】「こういう規制の中でもがんばるぞー」が鉤括弧の位置としては正しいのでは?
    言うまでもなく、【】の解釈は私(そらけい)によるものです。

「商業的な論理」と並列して「作家の自我」を加えれば、ほぼ全面的に同意です。以前に綾辻行人どんどん橋落ちた』に収録された作品の表現について「差別ではないか」という指摘があった時に、関連して私自身の立場として「少なくとも個人的には、小説の表現にはどのような制限も加えるべきではない、という意見には与しない」と書きましたが、基本的にそれは変わっていません(ちなみに元の記述はこちら。なお、文中の外部サイトへのリンクはほとんどリンク切れとなっています)。
 表現に対する外部からの抑圧は不可避だし、そもそも表現に必要なことだと考えているからです(外部から完全に独立した表現というのはあり得ない)。とはいえ、(個別の)規制の是非を問うこと自体に意味がないといっているわけではありません。

 ……具体的な対象をともなわない一般論は、このサイトではできるだけ扱わない方針でやっているので、この話題についてはこのへんでやめておきます。


9月26日(水)
ガンダムエース」第1号と第2号を購入。目的はもちろん安彦良和機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。とはいえ、私は〈漫画家〉安彦良和のよい読者ではありません。ちゃんと読んでいるのは『アリオン』と『クルドの星』くらい。アニメのほうも、初代『ガンダム』は恐らく全話は網羅していません。リアルタイムでちゃんと観ていたのは『Zガンダム』と『ガンダムZZ』、あとは『逆襲のシャア』くらいでしょうか。
 で、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。今回初読なので2話分一気読みしたわけですが、安彦良和独特の、普通の漫画の文法とは異なるコマ運びは、慣れないとちょっと読みづらくて疲れます。読む、というより、観る、に近い感じなんですよね、個人的に安彦良和の漫画は。この文章を書きながら、手元に置いてある「ガンダムエース」をぱらぱらめくっては眺めています。あまりかっちりしていなくてメカっぽくないモビルスーツの躍動感も良いんですが、やっぱり人物の表情や身体の線、動きが素晴らしいです。
 この雑誌自体がいつまで続くのか先が見えませんが(漫画の完結まで雑誌が続く、ということはまずないと思います。別にこれといった根拠があるわけじゃないですけど。そのうちに別の媒体に移るんじゃないでしょうか)、ぜひともがんばってほしいと思います。次号も買います。

 以下、個人的な思い出話。
 通っていた県立高校の近くに小さな画材屋があって、高校時代、そこでよくスクリーントーンやペン先を購入していたんですが、ある日、店に入るとスクリーントーンを大量に買おうとしている先客がいて、棚を見ると、欲しいと思っていた番号がごっそりなくなっていました。それに気づいたその先客が、必要なものがあれば戻すと申し出てくれたのですが、別に大したこだわりがあるわけではなく、大丈夫です、と断り、先客が会計を済ませて店を出た後、残っているものの中から適当に選んでレジに持っていくと、今の安彦良和さんだよ、と店主に教えられてびっくりしたのでした。
 まあ、それだけの話です。その後、二度と遭遇することはありませんでした。残念。

9月24日(月)
 遠藤浩輝EDEN』6巻
 なんだかここにきて、急にこの作者の描く中年男性の顔が昔の安永航一郎の絵(というか、最近は読んでいないので知らないだけなんですけど)に似ているような気がしてきたのは私だけでしょうか? ……私だけですね、きっと。でも、いったんそう思ってしまうとシリアスな漫画なのに笑えて困る。
 それはさておき、以前の話をすっかり忘れているんで、1巻から読み直してみました。疫病により人口が激減した世界でのサバイバルもの、といった趣向の序盤の展開から、局地的な戦闘と登場人物の過去を平行して描いた2巻〜5巻、そして、売春宿で働く主人公(男。ボーイとして働いている。念のため)が1人の売春婦をめぐって起こった犯罪組織の抗争に巻き込まれる6巻、といった感じで書いてしまうと、どういう物語なのかよくわかりませんね。
 で、今回の6巻ですが、今までのアクション重視の路線からするといささか地味な印象ですが、この作者らしい容赦ないハードな展開は健在です。掲載の号数をカウントしてみると、早々に次の巻が出そうな感じなんですが、さて、どうなんでしょう?
 そういえば、短編集が同時発売予定だったのに、どこにも売っていないのはなぜ?

 昨日の富沢ひとしプロペラ天国』の感想は2回読んでから書いたんですけど、その後、もう1回読んでみたら、物語の構造がようやく把握できました。つまり、プロペラが物語の構造の隠喩でもある、と(正確には螺旋状なんだろうけど)。いや、でも、評価自体は変わりません。
 ところで、
物語の結末で子鐘が3年生ということは、1歳年上である子糸は同じ学校にはいないということで、つまり、子糸の存在はシナリオから完全に排除されてしまっているということなのかな? しかし、ああいう結末にならなくても、設定上、どのみち子鐘と子糸が同じ学校にいられなくなるのは不可避なわけで、その場合のシナリオがどうなっていたのかがちょっと気になる。

9月23日(日)
 昨日は書けなかったので、今週号の「スピリッツ」の感想を。浦沢直樹20世紀少年』。最近の話の流れからして今週の見開きページは予想どおりの展開。とはいえ、かなり物語初期の段階からきちんと矛盾をきたさないよう描いていた(2巻の95〜96ページとか)ので、漫画という表現におけるちょっとした叙述トリックの作例としておもしろい。サプライズの演出に注力してくれればもっと良かったのに。曽田正人』。ひどく意味ありげに登場しながらのちの物語にまったくかかわってこない登場人物が多いので、プリシラもその1人、というほうに1票。次の展開はザックの過去がらみかな? もりやまつる疾風迅雷』。なにげにおもしろい。現代の京都にタイムスリップしてきた新撰組の4人が主人公で、とりあえず問題がおきたら暴力で解決する姿勢は安直だが、このまま勢いで突き進んでもらいたい。高橋しん最終兵器彼女』。こっこ、こっこ、って、おまえはにわとりかっ!(同ネタ多数) 佐々木倫子Heaven?』。「トンボ」「秋だから」には笑った。しかし、続く? 次は1カ月後。いつものように、意味ありげなオーナーの行動も実は意味なし→周囲脱力、というオチなのでは? 盛田賢司電光石火』。恐ろしく投げやりな最終回。ある意味泣ける。新人・佐藤一彦の読み切り『不滅園話』。新味のないSF的ガジェットとどこかで見たような物語。絵も魅力的とは思えない。企画として新人作品を掲載する場で、これを載せるのはどうかと思うなぁ。

 富沢ひとしプロペラ天国
 とりあえず表4のあらすじは激しくネタバレしていますが、わかりやすい物語の説明になっています。う〜ん、これはあまりおもしろくないです。「シナリオ」というキーワードを配して模倣と反復という要素を導入した物語(大雑把にいってしまえば、『エヴァンゲリオン』の「死海文書」風の思わせぶりな使い方。まあ『プロペラ天国』の場合は必ずしも雰囲気づくりにとどまっているわけではないんですが)に個人的に飽きているということもあるし、富沢作品を特徴づけているガジェットがあまりに似通っていて、また同じじゃん、と思えてしまうのです。ビジュアル的にも『エイリアン9』のボウグ/ドリル族のシルエットの美しさからは退化する一方だと思います。『ミルククローゼット』の最終巻も雑誌で最終回だけ先に読んだ限りでは期待できそうもないし、そろそろ新しい表現を目指してほしいな、と思うんですけど、駄目かな、やっぱり。

9月22日(土)
 アントニイ・バークリーの2作品の感想です。どちらも非常におもしろかったのですが、あえてどちらかを選ぶとすれば『ジャンピング・ジェニイ』を推します。

アントニイ・バークリー(大澤晶訳)『最上階の殺人』★★★★
 恥ずかしながらバークリーを読むのはこの作品が初めて。
 ネット上の書評をいくつか目にして手に取ってみた。なるほど、これはおもしろい。
 事件の謎そのものは非常にシンプル。「誰が殺したのか?」。その真相を求めて、探偵役であるシェリンガムの推理(というか妄想?)が展開される。ここに、被害者の姪である一筋縄ではいかない性格設定のステラが登場して、シェリンガムとのからみが物語進行のもうひとつの軸となる。とはいえ、真相が隠蔽されている推理小説において物語内のメインプロットとサブプロットは結末まで厳密に区別できないわけで、この作品においても
予想どおり結末において両者が有機的に結びつくのだが、その処理の手際が抜群にうまい。
 不満点は、最終的に
真相にたどり着くのが警察であるとはいえ、パターンを踏襲していると考えても警察の捜査の穴があまりに恣意的に見えてしまう点と、『ジャンピング・ジェニイ』と比較してしまうとシェリンガムの無軌道ぶりにもの足りなさを感じてしまう点だろうか。

アントニイ・バークリー(狩野一郎訳)『ジャンピング・ジェニイ』★★★★
 犯行シーンでいきなり犯人が明らかにされてしまうのだが、基本的には探偵役であるシェリンガムの三人称視点が採用されており、一応「犯人探し」の小説として物語は進む。しかし、同時に擬似的な倒叙ものとしても読めるようになっており、積極的に事件に介入してシェリンガムが信じるところの「真相」を隠蔽しようとする時、彼が口にする台詞はそれが犯人のものであっても違和感がない、というより、仮に、犯行シーンとシェリンガム自身の思考が読者の目から隠されて表面上の会話だけを見せられていたとしたら、ほとんどの読者がシェリンガムが犯人だと確信するようなことばかりを口にしている。事件の発生そのものはいわば偶発的なもので、犯人が誰であるのかという点はあまり重要ではない。だから、実行犯とそれを隠蔽する役割がそれぞれ別の人物に対して振り分けられていても、構造的には大きな影響はないのだ。これは、倒叙ものが謎とその解明というミステリにとって比較的重要で魅力的な要素を欠いてしまうことを回避するために「第2の犯人探し」を導入して犯人に探偵役を演じさせるタイプの作品の、ちょうど逆のパターンだといえるかもしれない。
 読者は、シェリンガムが最後まで知ることなく終わる犯行シーンを特権的に目撃することによって、シェリンガムの迷走ぶりを滑稽な道化として見ることになる。しかし、
結末においてその根拠は崩れ去り、読者はその滑稽さを笑っていたシェリンガムと同じ立場に身をおくことになる。意外性という点についてはいささか唐突で、蛇足にも見えるが、作者のシニカルな視線が探偵に対して向けられているのと同様に、探偵小説の読者に対しても向けられていることがわかるという意味で、ひねくれたこの作品にふさわしい結末だと思う。

 新宿の紀伊国屋書店でバークリー/アイルズの作品で売っていたものをひと通り買ってきました。『毒入りチョコレート事件』『試行錯誤』『第二の銃声』『地下室の殺人』『殺意』『レディに捧げる殺人物語』の計6冊。というわけで、しばらくバークリー漬けの日々になりそうです(まったくの余談ですが、文庫売り場に『試行錯誤』が1冊も置いてないのはどうかと思います>紀伊國屋書店。全部、1階文芸書売り場にあるミステリ棚のバークリーのところに並んでいました。2階の文庫売り場のほうを先に見に行ったので、最高傑作との呼び声も高い作品なのに、また版元品切れ重版未定なんてことになっているのかと思ってしまいました)。

9月19日(水)
 とある恥ずかしい間違いを過去にさかのぼってすべて修正しました。誰も指摘してくれないんだもんなぁ。これって放置プレイ? もっとも、自分も他の人のサイトで間違いを見つけたとしてもわざわざ指摘しようとは思いませんけど。ちなみにGoogleで検索してみると、同じ間違いをしている方はほかにもちらほらと。幸い、このサイトは引っかかっていなかったので、キャッシュが残ってさらし者にされるのは免れました。ほ。
 あと、昨日の日記のリンクミスも修正。すみませんでした。
(9/20追記)上記の間違いというのは、舞城王太郎『煙か土か食い物』を、ずっと『土か煙か食い物』と書いていたことです。思わせぶりなのもどうかと思ったので、一応、明確にしておきます。

平山夢明メルキオールの惨劇』★★★★
 不幸で凄惨な死にまつわる品々の収集家である老人の依頼で、主人公は自分の子供を殺し首を切断した罪で服役していた女の住む町を訪れる。残された2人の子供とともに暮らす女の生活に強引に入り込んだ主人公は、巨大な体躯を持ちながら幼児並みの知能しか持たない兄・朔太郎と、早熟の天才である弟・礫の血に隠された秘密を知り、その渦中に巻き込まれていく……という物語。
 独特の文体で語られる、悪意も善意もひっくるめてすべてがグロテスクな形で表層にあらわれる世界観が非常に魅力的。そのグロテスクさというのは、典型的な残酷さや苦痛といった負の感情を呼び起こすものから、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまうようなもの、あるいは静謐な美しさを感じさせるものまでさまざまで、その露悪趣味的な作風に抵抗がなければ楽しめるはず。
 物語は、メインとなるプロットは割とまっとうな形で処理されており、個人的にはそれほど破綻しているとは感じなかった。むしろ、あまりに図式的すぎるといえるかもしれない。
 結末において、物語が自然/文明、無垢/老獪、聖/邪といったわかりやすい対立の図式におさまってしまうのが惜しまれる。もちろん、だからこその感動、だからこその叙情なのだとは思うけど。

9月18日(火)
 フレッシュアイから「暗闇の中で子供」「舞城王太郎」で検索してこのサイトを訪れる方が非常に多いので、感想を書いた日記にリンクをはっておきます。こちら。ちなみに『煙か土か食い物』の感想はこちら。やっぱり書名・著者名索引は作らないといけませんね。
 まあ、確かに、こういう賛否わかれそうなタイプの作品は他の人の評価が気になります。私もいろいろ検索してみましたけど、現時点では自分のサイトを含めた既知のサイトしか引っかかりません。

 というわけで、今日までに私が読んだ『暗闇の中で子供』の感想・書評を書いているサイトをあげてみます。
 まずは、昨日の日記でも触れたスズキトモユさんの見下げ果てた日々の企て書評)。
 OKさんのOK's Book Case書評)。ペインキラーさんのペインキラーの読書日記書評)。市川尚吾さんの錦通信書評)。
 あとはミステリー板@2ちゃんねる舞城王太郎スレッドくらいでしょうか。
 もっとも、どのサイトもここより有名なところばかりなので、あえてリンクをはる意味はあまりないのかもしれませんけど。


9月16日(日)
 平山夢明メルキオールの惨劇』読了。
 スズキトモユさん@見下げ果てた日々の企て昨日に引き続き、またこちらからネタを引っ張らせていただきました。すみません)の舞城王太郎『暗闇の中で子供』評で「似ている」と書かれていたので読んでみました。良かったです。詳細な感想はまた後日。

 アントニイ・バークリー最上階の殺人』読了。
 こちらについては、現在『ジャンピング・ジェニイ』を読んでいるので、感想はまとめてアップする予定です。恥ずかしながらアントニイ・バークリーを読んだのは『最上階の殺人』が初めてだったりします。

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