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■2001年12月1日〜12月15日


12月15日(土)
 何となく久しぶりに聴きたくなったCDをiTunesでMP3にエンコードしてたんですけど、the brilliant greenの1st.アルバムのジャンルに「Metal」と入力してCDDBに送信したのは誰ですか?

佐藤友哉エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』★★★
 語り手(視点人物)は4人。人を食う少女。平凡なコスプレ少女。同級生の少女をいじめる少年。そして、依頼を受け少女を捜す男。しかし、女性は一人称、男性は三人称、という叙述のスタイルにどういう意味があるのかよくわからない(
男性の主観人物2人には隠された背景があるんだけど、一人称にしたところで問題があるとは思えない)。
 初期の浦賀和宏を思わせる作風で、SF的なガジェットを安易に物語に導入する手つきや、食人に代表される「過激」で「背徳的」なモチーフを好むところや、最終的に、何者かの隠された「計画」とか「意思」に物語が回収されてしまうところもよく似ている。あるいは、最近の『多重人格探偵サイコ』のはずれっぷりを想起してもらうのが的確かもしれない。そんな小説。
 割とおもしろく読めたんだけど、物語の先鋭化の方向が間違っている気がしなくもない。現状だと、あ〜、もしかしてこういう作風を「尖ってる」と思っちゃってるわけ? とむしろ微笑ましく感じてしまうのは私が年寄りだということなのかもしれないけど、総じて物語として微温的なレベルにとどまっているのが物足りない。
 しかし、最終ページの広告に書かれた「
戦慄の“鏡家サーガ”!」という一文には笑った。
 とりあえず、次に期待、かな?

12月13日(木)
 以下の文章のなかには、鏡の中は日曜日』『黒嗣の島』『メルキオールの惨劇』『模倣犯』のネタバレがあります。というわけで、未読の方は注意

 
恥ずかしながらアルツハイマー病が遺伝するということを知らなかった。
 昨日、私的ベストのリストをアップしたときに、そういえば『黒嗣の島』の真相って、殺人者が殺人者である原因を血筋に求めているように読めるという意味で「政治的に正しくない」小説だったなぁ、と思い出し、『鏡の中は日曜日』もプロットの要請とはいえ親子二代に渡ってアルツハイマー病を発病するという展開は「政治的に正しくない」のではないかと思って調べてみたら、優性遺伝する“家族性アルツハイマー病”
というものが存在することを初めて知った。ただ、こちらの記述によると、「全アルツハイマー病患者の0.1%程度しか説明することができません」とのことだけど……。
 で、話はいきなり逸れるが、こちらの「
コロンビアのある家系に属する4000人が、何世代にもわたり、早発型アルツハイマー病に冒されたという悲劇的な例もある」という記述を読んで、『メルキオールの惨劇』の鬼交家の血の呪いはこのへんを念頭において書かれたのかな、と思ったりもして、昨日の日記で、私的ベストとしてあげた6作品のうち、『煙か土か食い物』を含めた3作が「血」をめぐる物語だったことに気づいた(『模倣犯』にもそういった要素はあるものの、利用され捨て去られる部品としての位置づけなので、ここには含まない)。
 そもそも、私はそういった「血」をめぐる物語はあまり好きではなかったはずで、我ながらどういう心境の変化なんだろうか。まあ、おもしろければそれでいいんだけど。

12月12日(水)
 遅ればせながら「このミステリーがすごい!」と「本格ミステリ・ベスト10」を購入。相変わらず読んでいない書名がたくさん並んでいる。ただでさえ読書量が少ないのに、選り好みをして手に取ろうともしない作品が多すぎるんだよな。

 そんな偏った読書傾向のなかからではあるけれど、「このミス」のスタイルで私のベスト(国内のみ)をあげてみる。刊行時期の範囲も「このミス」通り。

 1 舞城王太郎『煙か土か食い物』
 2 津原泰水 『ペニス』
 3 宮部みゆき『模倣犯』
 4 乙一   『暗黒童話』
 5 平山夢明 『メルキオールの惨劇』
 6 小野不由美『黒嗣の島』

 海外はほとんど読んでいないので何ともいえないけど、とりあえずバークリーとケッチャムが読めたのが良かった。両者とも、なんで今まで読まなかったんだろうと思うくらい好みの作家。あと、長いこと待っていたスティーヴン・キング『ザ・スタンド』が読めたので感無量。
 刊行時期を無視して今年読んだ本から選ぶということであれば、フランシス・アイルズ『レディに捧げる殺人物語』が一番おもしろかった。これ、最強。

 非ミステリ作品では、高橋源一郎『日本文学盛衰史』と佐藤哲也『ぬかるんでから』。前者は、タカハシさん、まだまだいけるじゃん、と思わせるに充分な入魂の一作。後者は文体に惚れた。他の作品も読みたい。

12月9日(日)
 更新頻度が落ちています。恐らく来年の3月まではこのくらいのペースになりそうです。

 携帯電話の電源が頻繁に落ちるようになって、メモリの内容もすべて消えてしまい、とうとう電源が入らなくなった。バッテリをはずしてみたら、なんとネジが1本なかった。半年くらい前、ポケットから落としてバッテリやフラップがはずれてしまったことがあったから、もしかしたらそのときにすでになくなっていたのかもしれない。まあ、すでに1年半以上同じものを使っていて、そろそろ新しい機種に交換しようと思っていたのでよしとしよう。量販店では電源の入らないものは機種変更できないといわれ、仕方なくDoCoMoショップで購入。今度は、N503i。今まで使っていたノキアのNM502iのボタンはひどく押しづらくて短いメールを書くのもえらく面倒だし、着信音は和音じゃないし、液晶はモノクロ2階調だし……と書きながら、なんでそんな機種を買ったんだろうと我ながら不思議に思ったのだが、Visorと赤外線通信がやりたかったのだと思い出した。すぐに飽きたけど。

 携帯購入費用にあてようと思っていたさくらやポイントカードのポイントでゲームを買う。SCEICO』(PS2)とバンダイカプコン機動戦士ガンダム 連邦 VS ジオン DX』(PS2)。しかし、やる時間がない……なら、買うなよ。

 貞本義行+GAINAX新世紀エヴァンゲリオン』7巻
 なんか少し絵が荒れてきている気がする。気のせいかな?
 今回、コミック版のオリジナル要素として加持の過去が語られるわけだけど、行動の原動力として考えると説得力の弱さが否めず、いかにも「つけたし」めいた印象が拭えない。「セカンド・インパクトさえなければ/弟は死なずにすんだんじゃないかってね」という思考の展開はいくらなんでも飛躍しすぎ。

殊能将之鏡の中は日曜日』★★★
 おもしろい……んだけど、なんか、ほどほどの力の入れ具合で書いているような印象。これは『黒い仏』を読んだときにも不満に思ったことで、14年前の事件が
厳密には本筋ではないとはいえちょっと貧相というか、明らかに「作中作」レベル止まりなのがもったいない。まあ、最低限必要な分量は書いてあるわけだから、これ以上は「過剰」ということになるのかもしれないけど、その「効果」を考えてもそれ単体で作品として成立するだけの「作品」を書いてほしかったというのは、贅沢な望みなのかな。例えば、「名探偵」という存在にしたところで、この作品の「名探偵」が魅力的でないとはいわないけど、事件を解決する機能としての優秀さを充分にアピールしているとは言い難いと思うし(確かに「普通、わからんだろう」という真相をあっさりと看破していまうわけだが、それゆえに「解決」のカリカチュアにしかなっていない。意図的なんだろうけど)、「偶像」としての「名探偵」のイメージの大半を、作中の記述ではなく読者がそれまでの読書体験の中で構築してきた「名探偵」像に依存しているあたりが弱いと思う。
 これは、もっとすごい作品になったはずだと思うなぁ。

12月5日(水)
 私の部屋では脚が折り畳める卓袱台というか小さいテーブルの上にMacを置いていて、私はいつもクッションの上に胡座をかいたり、体育座り(正確にいうと、重心が脚にかかっているので体育座りではない。尻を床につけたヤンキー座りというか。ちょうど膝が腕のつけねあたりにくる。これが一番楽な姿勢なのだ。よくこの恰好で床に雑誌を置いて読んだりする。他人には見せられない恰好だと思う)でモニタに向かっているんだけど、サイトを更新しようと思ってちょっとしたことを書いたり消したりを繰り返しているうちに行き詰まり、ひと休みするつもりで仰向けになって、背中に感じるホットカーペットの暖かさにうっかりそのまま寝てしまう、ということを昨日、一昨日と二日続けてやってしまった。目覚めたのはどちらも午前4〜5時ごろで、エアコンも明かりもMacもつけっぱなし、もちろんホットカーペットもつけたままで、電気代はもったいないし、空気が乾燥して喉は痛いし、カーペットが敷いてあるとはいえ硬い床の上で寝ていたので背中も痛いし、結局、サイトの更新もできなかった。いつも6時半に起床するのでもう少し眠れると思い、書きかけの文章を保存せずに破棄して、Macと暖房と明かりを消してベッドにもぐりこんでしまう。今日こそはそんなことにならないようにしようと心に誓い、つまり、この文章をあなたが読んでいるということは、私が居眠りせずに無事サイトを更新したということだ。

小川勝己彼岸の奴隷』★★★
 う〜ん、これは感想を書くのが難しい……。
 というのも、客観的に見てすごい作品だとは思うし、実際、一気に通読してしまったんだけど、素直に「おもしろかった」「すごい」と思えないのはなぜなのか、自分でも理由がよくわからないのだ。

 例えば作風としては割と近い位置にいると思われる戸梶圭太の作品と比べてみると、特に登場人物が集合して大乱戦を繰り広げるクライマックスを読むと明らかなように、キャラクタ同士のからませ方や視点の処理など技術的な面では断然うまい。まあ、戸梶圭太の場合はその破綻ぶりが魅力といえないこともないので、必ずしもそれだけを理由に作品の優劣が決められるわけではないんだけど、それまで描かれていた人間関係をきちんと精算しながら物語を進めており、張った伏線もきちんと回収されているので、「お話」としての完成度は『彼岸の奴隷』のほうが高いといえる。まあ、これは好みの問題ではあるけども、個人的には戸梶圭太の破綻ゆえのおもしろさよりも小川勝己の構成力を買う。
 登場人物のちょっとした造形などにも惹かれるものがある。例えば、

「じゃあ、あれかい。あんた、親父さんみたいになりたいとか、親父さんの遺志を継ぎたいとか、そういうんでデカになったってわけかい」
「そうじゃないですね。なんだろう……子どものころ、『太陽にほえろ!』とか『大都会』とかよく見ていたからかな……」
(P.116)

 もっとも、逆に狙いすぎだと感じる登場人物もなかにはいる。その筆頭が、一見、大学生のようにみえるヤクザの若頭。この人物は、いわばこの物語を支配する「真理」を体現する預言者のような役割を負っているんだけど、その「狂気」の表現はどこか一本調子で平坦に感じる。というのも、その「狂気の論理」の構造があまりにも明確でわりやすく図式的なのだ。「愛している相手を愛しているがゆえに食べる」という「狂気の論理」。これは「食人」という行為そのものを取り出して見れば確かに「狂気」であるかもしれないけど、感情的な帰結としてあまりにもわかりやすい。だから、そこには理解を超越したものなど何もなく、当然、驚きも恐ろしさも感じない。

 その「狂気の論理」に目覚めたある登場人物の独白。

 ──顔も知らないヤクザを殺してもつまらない。好きでもなんでもないやつをいくら殺してもつまらない。好きな相手じゃないとだめだ。大切な人じゃないとだめだ。かけがいのない人を殺したときの喪失感が最高なんだ。それではじめてぼくの心は満たされるんだ──(P.361) 

 これは、次のように読み替えることができる。
 そうなんだ。殺されるために出てきたような登場人物が死んでもつまらない。好きでもなんでもない登場人物がいくら死んでもつまらない。好きな登場人物じゃないとだめだ。大切な登場人物じゃないとだめだ。かけがいのない登場人物が死んだときの喪失感が最高なんだ。それではじめて「読者」の心は満たされるんだ。
 さて、これはどういう意味にとるべきだろうか。死の物語を求める読者に対する皮肉とも読める。あるいは、無意味に過激な暴力と死が横溢する物語に対するアンチテーゼとも読める。

 ……というようなことを考えつつ、結局、一貫した文章にまとめることができなかった。思いつきの羅列で申し訳ないが、これでいったん終わる。

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