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■2002年1月1日〜1月15日


1月15日(火)
 金井美恵子噂の娘』読了。「群像」の対談記事とあわせて、感想は後日。
 次は高橋源一郎ゴヂラ』の予定。

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1月14日(月)
群像」2月号購入。金井美恵子の対談を読むためだけに定価920円の雑誌を購入するのはためらわれたんですが、舞城王太郎「バット男」が掲載されていることを思い出したので。
 この価格の雑誌だと、読みたいものが2つ以上掲載されている、というのが私の場合、買う/買わないの分岐点になるようです。

舞城王太郎バット男
 金属バットをカゴに突っ込んで自転車を乗り回し、何か気に入らないことがあるとすぐにバットを振り回して喚き出す、臭くて汚くて髪の毛も髭もぼうぼうの、胸板の薄い情緒不安定で年齢不詳の危険人物、それがバット男。しかし、バットは威嚇用で本当に人を殴ったりはしないので、威嚇した相手に反撃を食らって殴られたり蹴られたり石をぶつけられたりしている。バット男は、そういう虐げられる存在だった。高校生の「僕」は、ひそかにバット男が相手を殴り倒す日を待ち望んでいる。しかし、ある日、バット男は誰かに殺されてしまう。
 暴力と歪な愛の物語を、饒舌な一人称の文体で語る、いつもの舞城王太郎のスタイル。例によって、ミステリっぽいガジェットを配置しながらもまったく違う方向に物語は展開していく。互いに愛し合っているにもかかわらず、それが噛み合わずに悲劇的とも喜劇的ともいえる状況を招いてしまう男女。これは、奈津川家の親子関係と相似形を描く。同じく「群像」に掲載された「熊の場所」は未読だけど、少なくともこの「バット男」にかんしては、予想を大きく超えるものではない。また、メロドラマとしては、全体的に書き込み不足で物足りない。いや、おもしろいのは確かなんだけど。

1月12日(土)
iPhoto』をダウンロードして使ってみました。サムネイルが無段階で拡大/縮小できるのがいかにもMac OS Xのアプリケーションらしくて良い感じです。しかし、画像ファイルの保存場所を自由にできないという致命的な欠点を抱えています。
 外付けのハードディスクに保存している今までに撮影したデジカメの画像をライブラリに登録したんですが、やたらと時間がかかると思ったら、画像ファイルそのものが起動ディスクのUser/ユーザー名/Picturesフォルダにコピーされていました。とんでもない仕様です。しかも、サムネイルが画像ファイル本体とは別に生成されています(Cocoaアプリだから?)。
 こんなのMacのアプリケーションじゃないよ!

 先日、必要に迫られて、デジカメで撮影した画像をプリントしてくれる富士フイルムのサービスを利用してみました。
 例えば、35mmのポジフィルムをスキャンした画像と比べると、300万画素クラスのデジカメでもその細部の再現力が圧倒的に劣ることは画面上で見て充分に認識していたはずなんですが、プリントされた写真を見て、改めてその解像感のなさに愕然としました。富士フイルムのデジカメで撮影したデータじゃなかったから? それとも、俺の腕が悪いのか? と一瞬考えましたが、明らかにそれ以前の問題です。
 いや、まあ、デジカメ画像をプリントすることなんて、今後、ほとんどないだろうから別にいいんですけどね。それに、デジカメを使う最大のメリットというのは、手軽に撮影できて、その場ですぐに確認できて、データとして簡単に加工できる点にあると思うんで、画質に多くを求めても仕方がないこともわかっているつもりです。しかし、ここまでひどいとは……。

1月11日(金)
 Xboxの価格・同時発売ソフトが発表。
 しばらく様子見のつもりだったんですが、『ジェットセットラジオフューチャー』(SEGAsmilebit)が同時発売とあっては買わざるを得ない(SEGA信者だから)。
 本体34,800円か……。

 しかし、その前に、1月31日に発売される『バーチャファイター4』(SEGASEGA-AM2)を買わねばならないのであった(SEGA信者だから)。
 アーケード版のほうは、出遅れてすっかり気後れしてしまい、ほとんどやっていない。しかし、こちらを読むと、無性にやりたくなってきて困る。PS2版で練習してアーケード再デビューだ! って、今はまると相当やばいことになりそうなんですけど。

 新しいiMacも欲しいなぁ(Mac信者だから)。とりあえず、G4-1GHz+SUPER DRIVE搭載機種が20万円以下になるまで待つつもりなんだけど。
 それにしても、ポート類の位置、もうちょっとどうにかならなかったのかなぁ。

MACLIFE」廃刊。う〜む。悲しい……(Mac信者だから)。
 雑誌内雑誌の「apeX」とラショウ氏の連載だけでもどこかで引き取ってくれないだろうか。

 現在、金井美恵子噂の娘』を読書中。冒頭からしばらく『柔らかい土をふんで、』(金井美恵子の小説で唯一途中で読むのを挫折した)みたいな描写がえんえんと続くのでどうしようかと思ったんだけど、読み進むにつれ、「目白四部作」っぽい「通俗小説」になってきたので、ほっと胸をなで下ろす。やっぱり、おもしろいなぁ(金井美恵子信者だから?)。

1月8日(火)
古川日出男アラビアの夜の種族』★★★★
 永遠。そうです。永遠という言葉は夢にふさわしい。夢が(その夢を見る者にとって)物語の一種だとしたら、その物語は永遠の未完です。はじまりもなければ終わりもない、そうではありませんか? けっして起承転結をめざさない、発展し破綻しつづける物語であって、これもまた夢の本質なのです。(P.139)

 昨年の年末。町の本屋としては店舗の面積はそれなり大きいけれど、都心の大型書店に比べれば当然のことながら文芸書の品揃えが貧弱な地元の書店に立ち寄り、店内をぐるりと一周して、最後にレジの近くにある「○日発売の新刊」という手書きの札のついた日付ごとに並べられた新刊書籍の棚を見ると、この本が1冊だけ置いてあった。古川日出男の小説は、以前に大森望の書評を読んで『13』と『沈黙』の2冊を購入していたものの、恐らく他の好きな作家の新刊と重なったのだろう、棚に並べたまま読みそびれていた。これはまったく根拠のない確信なのだが、もしこの本を大型書店で平積みにされている状態で見つけたとしたら、手に取らなかっただろうと思う。そもそも、いつもならエジプトを舞台にした小説など読もうとは思わなかったはずなのだ。
 しかし、なぜか私はこの小説を購入した。

 エジプトに迫りくるナポレオン艦隊。無知ゆえにその力を侮るベイ(知事)たちをよそに、正確に近代的軍隊の驚異を察知している人物がいた。二十三人からなるベイたちの三番手、イスマイール・ベイの側近中の側近として仕える若き奴隷(マムルーク)、アイユーヴであった。フランス軍を退ける秘策として、アイユーヴがイスマイール・ベイに語ったのは、読む者を狂気に導くという『災厄(わざわい)の書』の存在……。

 この小説は、いくつもの「語り」の階層を往還しつつ語られる。まず、この小説そのものが、『The Arabian Nightbreeds』という書物の翻訳であるという体裁をとっている。そして、原作の著者によって語られる、フランス軍の脅威が迫るカイロを舞台にした作中の「現在」が存在する。さらに、登場人物の語り部によって聞き手に向かって語られる物語が内包されている。このような語りの多重構造によって、この小説は驚くほど自由で躍動感にあふれる語り口を獲得している。
 小説は、「何を」「どのように」語っても構わない、というのは確かにそのとおり。しかし、少なくともこの小説の作者は、その語り口に必然性と強度をあたえるための手間を惜しんでいない。

 何よりも感心したのは、その結末のつけ方。こういう「物語についての物語」は、どうしても大文字のエンドマークを回避しようとするあまり、わざとらしい破綻に陥りがちなんだけど、この作者は大文字のエンドマークを恐れていない。
 それでも、物語は続くのだから。
 あざとすぎず、安直でもない、ぎりぎりのバランス感覚が好ましい。

 以下、余談。というか、むしろこちらが本題かも。
 作中の語り部によって語られる物語の設定は、そのままファンタジーRPG風の世界観で、個人的には非常におもしろかった。「魔王」と「地下迷宮」と「冒険者」と「剣士」と「魔術師」の物語。通常、当たり前のように存在している「地下迷宮」の生成の過程が詳細に語られていたり、いわゆる「冒険者」の存在が説得力を持って語られていたり、超絶的な力を持つ「魔術師」の生い立ちが語られていたり、そのまま『Wizardly』的な世界観のノヴェライズとしても読めるようになっている。
 あと、サフィアーンとファラーの関係は、まあ、パターンといえばそうなんだけど、マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマンの傑作RPG小説『ドラゴンランス戦記』『ドラゴンランス伝説』のキャラモンとレイストリンを思い出させる。
 このへんの単語に反応した人は、必読。

1月7日(月)
 最近、新刊のチェック漏れが多い。いかんなぁ。
 高橋源一郎ゴヂラ』と三浦俊彦サプリメント戦争』の奥付は両者とも昨年の日付。う〜む。全然、知らなかった。とりあえず購入して雑誌売り場を流していると、「群像」の表紙に金井美恵子の名前を発見。『噂の娘』の連載終了記念対談(?)が掲載されており、巻末には単行本『噂の娘』の広告も掲載されている。しかし、発売日の記載はない。あわてて書籍売り場に戻って棚をチェックするが、見つからない。基本的に店員に訊ねるということはしないので、まだ発売されていないのだろうと結論づけて店を出る(帰宅後、ネットでチェックすると、発行日は1月7日。しかし、この表紙では見落とした可能性があるかもしれない。いつもの金井久美子とは違う雰囲気のデザインだなぁ。ちなみに、金井久美子は美恵子の姉でデザイナー)。
 帰宅途中の電車で、いよいよ佳境の古川日出男アラビアの夜の種族』を読む。誤解を恐れずに書けば、ゲームのノヴェライズみたいな雰囲気がある。テーブルトークRPGや『Wizardly』が好きな人は必読。この作者の商業デビュー作が『Wizardly』のノヴェライズだというのは偶然ではないんだろうな。
 今日中に読了できると思ったのだが、帰宅してネットをチェックしていると、日本時間の8日午前2時に発表されるはずの新型iMacの画像がカナダの「TIME」誌のサイトにアップされていたという。お祭りは深夜だと思っていたら、とっくにはじまっていたのだ。
 というわけで、『アラビアの夜の種族』の読了&感想は明日以降になります。

1月4日(金)
 めったに開けないキッチン横の窓を掃除のときに開けたのをすっかり忘れていて、今日になってそのことに気づきました。どうりでここ数日、帰宅すると部屋の中が異常に寒いと思った。
 もっとも、その窓はアパートの通路に面しているんですが、私の部屋は通路の一番奥で、窓の外には金属の格子がはまっているし、内側にはカーテンがかかっているので泥棒が入ったり覗かれたりといった心配はありませんでした。まあ、いわゆる正月ボケってやつでしょうか。

 古川日出男アラビアの夜の種族』はのんびりと読み進めています。「語り部」が物語を聞き手に語り聞かせる、という、読んだこともないのに『千夜一夜物語』を思い浮かべてしまうような(実際、帯の背の部分には「現代に甦る、千夜一夜物語」と書かれている)、恐らく「古典的」といえるであろう形式を採用した小説なんですが、逆にすごく新鮮に感じられます。何というか、口述特有のまわりくどさや省略のアンバランスといった適当さ加減が非常に心地よいのです。そのうえ、「実在する書物の翻訳」という形を模しているため、ところどころに訳者(=著者)の訳注が入ったりするんですが、この作品においては(少なくとも現時点で読み進んでいるところまでは)叙述の形式と物語内容の齟齬がないため、うっとうしく感じることもありません。
 個人的には、例えば「一人称の小説の最後で語り手が死ぬのはおかしい」というような叙述形式に現実的なルールを持ち込む読者に対してどちらかというと批判的な立場だったんですが、最近になって、叙述形式の必然性とか叙述形式と物語内容の一致といったことに以前よりこだわるようになっており、どうやら、小説の叙述形式における自由、という点にかんして懐疑的になりつつあることを自覚しています。

1月2日(水)
 あけましておめでとうございます。

 このサイトをはじめてから3回目の正月なんですが、上記のように、新年のあいさつを書くのははじめてだったりします。今まであえて書かなかったのはその効果のほどはさておき一種の自己演出を意図していたからで、逆に今年はじめてそういったことを書くようになったのは、形式を回避することが面倒くさくなったからです。まあ、「時事ネタ」については迂闊なことを書いて恥をかくのが厭なので、今後も触れないと思いますけど。

 昨年の前半はすでに何度も書いているように『ファンタシースター・オンライン』にはまっていてあまり本を読めなかったので、今年はもうちょっと多くの本を読みたいと思っています。現在は、古川日出男アラビアの夜の種族』を読んでいます。この作家の小説は『13』と『沈黙』を持っているにもかかわらず、まだ1作も読んだことがなかったんですが、『アラビアの夜の種族』がなかなかおもしろいので、遅ればせながら既刊も順次読んでいこうと思っています。

 というわけで、今年もよろしくお願いします。

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