■2002年3月1日〜3月15日
□3月14日(木)
うわ。東浩紀が近況で佐藤友哉『水没ピアノ』を「傑作だと思う」なんて書いてるよ!(ネタ元:ミステリ板@2ちゃんねる「佐藤友哉スレッド」) しかも、「これは単純に感動的ないい話なのだ」だって。
まだ読む前だけど、絶対にそんなわけないと思う。
□3月13日(水)
鯨統一郎『タイムスリップ森鴎外』読了。感想を書く前に高橋源一郎の小説を拾い読みしておきたいので、詳細は後日。結論だけ先に書いてしまえば、髪を染めただけでなく日焼けサロンにかよい、AV男優までこなした高橋版鴎外の勝ち(←何が?)。
ところで、Mac OS Xはユニコードに対応しているので、「鴎外」という文字の正しい表記を表示できる(一部の対応アプリケーションのみ)。せっかくなので、スクリーンショットをGIFにしてはっておこう。ちなみに、フォントはヒラギノ角ゴシックW3。

あとは、こんなのも。

□3月12日(火)
北山猛邦『「クロック城」殺人事件』読了。次は同じく講談社ノベルスの新刊である鯨統一郎『タイムスリップ森鴎外』を読む予定。鯨統一郎の作品は今まで1冊も読んだことがないんだけど、森鴎外を現代社会に放り込むというシミュレーション的な設定が、高橋源一郎『日本文学盛衰史』、『ゴヂラ』、『官能小説家』あたりとかぶっているようなので、そのアプローチの手法の違いを読んでみるのも一興かと思って手に取ってみた。
●北山猛邦『「クロック城」殺人事件』★★
第24回メフィスト賞受賞作。
1999年に終わることが運命づけられた世界。世界を滅ぼす元凶であるとも世界を救う鍵であるともいわれる「真夜中の鍵」をめぐって対立する「SEEM」と「十一人委員会」。現在・過去・未来の時を刻む3つの大時計を外壁に戴く「クロック城」。壁に浮かびあがる人面。首なし死体。眠り続ける美女。といったガジェットは、結構そそる。おまけに、巻末は袋とじになっており、帯の惹句には「本文208頁の真相を他人に喋らないでください」とまで書かれている。実は結構期待していた。いや、まあ、踊らされているのはわかっているんだけど。
結論からいえば、期待はずれ。メインのトリックそのものは悪くないけど、もっと突拍子もないものを想像していたので(例えば乾くるみの某作品みたいな)、いささか肩すかしをくった気分。世界観は雰囲気づくりのレベルを上回る過剰さは最後まで見られず、主人公をはじめキャラクタも軒並み弱い(特に黒鴣琉華)。構想に力が及ばずといった印象。ユーモアの感覚が皆無なのも読んでいてつらいところ。
ところで、なぜタイトルの「クロック城」にわざわざ二重鉤括弧をつけているのだろうか。謎だ。
□3月10日(日)
●西尾維新『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』★★★
孤島。奇矯な客人たち。首を切り落とされた死体。密室。探偵役による推理。
何となく浦賀和宏とか佐藤友哉みたいな作風を想像していたんだけど、意外にもいわゆる「本格ミステリ」の形式をごくまっとうに踏襲していて驚いた。能力と属性によって色分けされたキャラクタはきちんと書き分けられていて、クローズド・サークルものにありがちな単に頭数を揃えるためだけにいるような印象が薄く物語的な機能を全く負わないキャラクタがいないのにも好感が持てる。くせのあるキャラクタ造形にかんしては好き嫌いがわかれそうだけど、個人的には嫌いじゃない。
しかし、清涼院流水が帯の推薦文で「新時代」とか「新世紀」といった言葉を添えてこの作品を推しているのは、戦略的な意図を無視すれば、どうかと思う。この小説は「本格ミステリ」と「(ある種の)キャラクタ小説」の形式を、的確な技術を用いて再現しているにすぎない。「本格ミステリ」としても、「(ある種の)キャラクタ小説」としても、そつなく無難にまとまっている、という点がこの作品の魅力でもあるし、同時に限界でもあると思う。
□3月6日(水)
●歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』★★★★
『ヴードゥー・チャイルド』を読んだ時にも思ったんだけど、歌野晶午ってローティーンの子供を描くのがうまいなぁ。いや、別に身近に子供がいるわけじゃないんで、あくまでも私の抱いているイメージに近いというだけの話なんだけど。
というわけで、玄人筋(吉野仁、福井健太)やWeb上の書評でも大絶賛されているこの作品。そろいもそろって「傑作」と評していのるが不気味な気もするけど、本当に作者はあの歌野晶午なのかと疑わしくなる(失礼)。
物語は自分の息子(小学六年生)が連続誘拐殺人犯ではないかという疑いを抱く父親の一人称で語られる。そういった「疑惑」を物語の原動力とする作品の例に漏れず、父親としての「葛藤」や「苦悩」がしつこいぐらいに描かれるのだが、その手法はかなりひねくれていて一筋縄ではいかない。いささか性急過ぎると感じるほどめまぐるしく展開する物語に翻弄されていると、突然、足下をすくわれる。スティーヴン・キング『ペット・セマタリー』でも似た趣向があったけど、何よりもそれだけでひとつの作品に仕立ててしまっているのがすごい。しかも、単なる趣向に終わっているのではなく、きちんと物語として機能しているうえに、(それぞれが単体のお話として)おもしろい。結末は、ケン・グリムウッド『リプレイ』を思い起こさせる。
歌野晶午の既刊作品を読んできた読者ほど、「よくぞここまで」という感慨を覚えること必至。まあ、そういった部分を抜きにしても、優れた作品であることは確かで、大絶賛の嵐も納得。
ところで、『安達ヶ原の鬼密室』もそうだったけど、基本となるトリック/プロットのバリエーションを1つの作品の中で展開するというのが歌野晶午の最近のテーマなのかな?
□3月4日(月)
とうとう完結した浦沢直樹『MONSTER』。結局、この漫画の評価のポイントというのは、「人間は、食事をうまいと思わなければならない……」「休日のピクニックを楽しみにしなければならない……」「仕事が終わったあとのビールをうまいと思わなきゃいけない……」「子供が死んだ時、心の底から悲しいと思わなければならない……」(18巻・P.20〜21)といった、素朴とも単純ともいえる二元論的な世界観(人生観?)を許容できるかという点と、「所詮はみえすいた結論を『謎』に仕立てて、ラッキョウの皮むきみたいに小出しにする」(注1)ストーリーテリングを楽しめるかという2点に集約される気がする。
私は基本的には肯定派。近いうちに1巻から通して再読する予定。
(注1)「群像」2月号収録の金井美恵子・城殿智行による対談「映画・小説・批評」より、城殿智行の発言(P.144)を引用。当然、『MONSTER』について語られた言葉ではない。対談のこの部分では、物語における「謎」と「秘密」の違いについて語られていて興味深い。以前にこの対談について書いたとき、触れたいと思いつつ書きそびれていた。機会があれば、アイルズ『レディに捧げる殺人物語』あたりとからめて、改めて書きたいと思っている。
□3月3日(日)
●津原泰水『少年トレチア』★★★★
トレチア。その含意や由来については作中で説明されているのでここでは改めて触れないが、この奇妙な一語を「発見」した時点でこの作品の成功は半ば約束されていたといっても過言ではない。もっとも、それはあくまで「トレチア」を物語の中心にすえていたとしたらの話だ。
う〜ん。こういう小説に『少年トレチア』というタイトルをつけるというのはどうなんだろうか。例えばデビュー作の『妖都』というタイトルであれば、物語の拡散や分断を包括し、「まとまりのなさ」そのものを作品の魅力とすることも可能だろう。しかし、『少年トレチア』の場合はどうかといえば、タイトルに冠するにはいささか中途半端な扱いで、作品世界を象徴する隠喩として機能しているわけでもなく、かといって、物語内においてほどほどに重要な位置づけであるために、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』のようなひねくれた効果をあげてるとも言い難い。
もっと簡単にいってしまえば、「期待していたものと違う」という一言に尽きる。帯に記された「都市のまどろみは怪物を育む」「みんなが云う。/悪いのはトレチア。殺したのはトレチア」という惹句から想像される物語は、全体のおよそ半分でしかない。帯に名前の記されている4人の登場人物のうち、「トレチア」にかんする物語に深くかかわるのは2人に過ぎない。残る2人はそれとは異なる様相を示す物語に身をおいている。これが例えば『サテライト』というようなタイトルだったとしたら(あくまで例。実際にこんなタイトルだったら萎える)、ここまで不満に感じることはなかったのだろうけど。ライオンを見に動物園に行って、「ライオン」と書かれた檻の中を見たらグリフォンが入っていた、というような感じだろうか(我ながら意味不明な例えだ。実際にそんなことがあったら喜ぶかもしれない)。(3/4追記・比喩のうえに仮定を重ねて申し訳ないが、仮に「ライオン」ではなく「鷲」と書かれた檻の中にグリフォンが入っていたとしたら、たぶん、文句は言わないと思うのだ)
それでも、全体的な構成はともかくとして、やっぱりこの作者の小説を書く技術は非常に高いと思う。例えば、次の一文。
澄絵に聴かせるとしたら、例の自作曲の完成形こそ相応しかろうとかれは思い、念のため、思いついた橋渡しの部分を頭の中で再生して、ちゃんと記憶していることに安堵し、安堵しながら、もし不運な美の王族である自分が、トレチアという蛹を経て、これから音楽家に至るのだとしたら、それはなかなか痛快なことだと悦に入った。(P.301)
うまいなぁ、と思う。この一文から読み取ることのできる情報量の多さといったら。
そんなわけで、物語としては不満な点も多いけど、個々のエピソードや細部描写や文章は楽しめたのでこの点数。もしかしたら、初読よりも再読のほうがより楽しめるのかもしれない。
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