離島シリーズ
奄美諸島の島々

 

●徳之島(とくのしま)

奄美大島と沖永良部島の間にある、ひょうたんのような形をした島。徳之島、天城、伊仙の3つの町からなっている。
空港が天城町にあり、また鹿児島〜奄美を結ぶフェリーが天城町の平土名港、鹿児島〜那覇を結ぶフェリーが徳之島町の亀徳港を発着する。


与論空港から、徳之島経由奄美大島行きの小型飛行機に乗る。奄美諸島訪問に際しては、この便を利用したのがミソで、順序が今回のようになったのである。
ちなみに現在はこういう経路の飛行便はなく、与論発沖永良部経由奄美大島行きというのがある。

私が搭乗した日、与論からこの飛行機に乗った客はたったの4人であった(定員は19人)。
あんまり天気は良くないが視界は良く、上空に上がると与論島が一望でき、その後前日までいた沖永良部島も見えてくる。続いて徳之島が見えてくる。距離的には100kmくらいしかないので早くも下降を始め、25分くらいのフライトで徳之島空港に着陸。
徳之島で降りたのは4人中私だけであった。そもそも、この便は与論島と徳之島の人を奄美大島に送るための便で、与論島から徳之島に行くという人は皆無なのであろう。

徳之島は比較的大きな島なので、車を借りようと思っている。さっき与論空港から電話で予約していたレンタカーの営業所(実は空港横のガソリンスタンド)で車を借りて、出発。

到着した日は島の北側をまわってみた。こちらの方は1周道路も比較的カーブと坂が多くて、海の近くを通っていると思うのだが海を見ることは少なかった。
北端に近いところにある金見というところに金見崎ソテツトンネルというのがあって、ガイドブックにも書かれているので立ち寄ってみる。ここは集落の中にあって車の停め場所がなく、表通りに車を停めてそこから集落の中を歩いていった。地元の生活道路にたまたまソテツが覆いかぶさったという感じで、道の終点は見晴らしのいい展望台になっていた。



ソテツのトンネル
金見の集落内にある
 

この日の宿は空港から車で10分くらいの、天城町の中心平土名の港に面した民宿である。着いてから日没まで時間があるので、また町の中を散歩したりした。

翌日は強風が吹き荒れていた。そんな中、引き続きで島の南側をまわってみる。
平土名から20分も走ると伊仙町に入る。しばらく行ったところにある犬田布岬に立ち寄る。しかし、駐車場に車を停めると車体が揺れるくらいの強風で、岬の先に戦艦大和のでっかい慰霊碑があるのだが、荒れた海から潮が飛んでくるため近寄れなかった。



戦艦大和の慰霊碑
ご覧の通り波が荒くて近寄れない・・・
 

その先の泉重千代の家(この人、私ぐらいの年代以上じゃないとわからないかなあ)があったので立ち寄る。入口に看板があるくらいだったのに、行ってみたらただの一軒家だった。近くに銅像があった。



知る人ぞ知る泉重千代の銅像
 

伊仙町からさらに進むと徳之島町になる。この町の中心、亀津は徳之島の中でも一番大きな町だと思われる。
亀津の少し先にある町が亀徳と言うところで、ここに大きな港がある。参考までにフェリーターミナルに立ち寄るだけ立ち寄ってみた。
そのさらに10分くらい行ったところの小さな集落に、「横綱朝潮生誕の地」という看板をたまたま見つけ、車を停めて行ってみる。しかしただの小さな集落で、生家らしき家は見つからなかった。


これでだいたい島を一周したことになる。空港横のレンタカーの営業所に帰ってくる。
ここからの予定は、徳之島空港から飛行機を乗り継いで喜界島に行くことになっていた。しかし、依然強風は吹き荒れていて、乗り継ぎ地の奄美大島に行く飛行機は欠航になってしまった。
日程の余裕が全くない私は、これで喜界島に行けないことになった

そこで、船に乗ってとりあえず奄美大島に向かうことにした。船が出航するのはさっき立ち寄った亀徳港である。
こんなこともあると思って、飛行機が欠航した場合の行動予定も常に頭の中に入れてあった。

飛行機は欠航になっても、飛行機に連絡しているバスは普通の路線バスなので、定刻通り動いている。幸い空港発亀徳経由亀津行きのバスがあったので、それに乗った。
結果論から言って、いままで立ち寄った各島の路線バスに乗ったことになる。
バスは今まで走ってきたところをなぞるようにのんびり走り、50分ほどで亀徳バス停に着いた。バス停からフェリーターミナルまでは少し離れていたが、さっき立ち寄っていたので道順を覚えていた。こんなところで役立つとは。

ちなみに、この日奄美大島ではさらに強い風が吹いていたそうで、奄美大島空港を発着する飛行機はジェット便を含めて全滅だったそうである。



亀徳港を出航
奄美大島へ向かう。

 

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