雲ひとつない青空の下で

ピーター・ライト卿という方がいらっしゃいます。
バレエの世界では、とっても高名な方らしいのですが、私達の間では別の認識があります。
現代日本文化の粋であるところの、萌え、の理解者。
そりゃもう、この方の振り付けや演出には、萌えが充満しています。素晴らしい。
そして、この方は吉田都を見い出し、育て上げた方なのです。

吉田都。ご存じない方が多いですよね。きっと。
この人は、前回もなにかと話題にした、英国ロイヤルバレエ団の女性プリンシパルです。
海外で活躍する日本人を自分の手柄のように話題にしたがるおやじ連中にも、あまり知られてはいないようです。
そして、これはバレエにはまって日の浅い自分の偏見かもしれないですが、
日本のバレエファンにも、冷めた扱いを受けているように思えてなりません。
もしかして、日本のバレエファンは金髪碧眼の美男美女が(自分は趣味じゃないのでよくわかりませんが)
見たいだけなのだろうか。そんな疑問が頭をかすめます。
日本を本拠地にしている容姿自慢のダンサーには、それはそれで、固定ファンが多いようですが。
彼女もそれなりに里帰り公演をしてくれているのに。なんかこう、騒がれ方が、小さいです。

吉田都は、バレエダンサーと言われて思い浮かべる容姿から、確かに程遠い外見をしています。
かなり小柄で、脚も長くも細くもないですし、美貌と言うのも、ためらわれる。
でも、彼女には、萌え、があるのです。
そんじょそこらの、安っぽい萌えじゃございません。ほんものです。
ほんとうの、現代日本文化の粋であるところの萌えが。
そんな彼女が、英国ロイヤルバレエ生粋の伝統を受け継ぐ舞姫と讃えられているとは。
世界は謎に満ちています。
都ちゃんは、若くて才能があるけれどちょっと生まれ育ったところにハンデのあるダンサーの登竜門として有名な
ローザンヌという大会で賞を取り、ロイヤルバレエスクールの最終学年に編入されます。
まさにそのクラスに、ヴィヴィアナがいたと知った時は、軽い衝撃を受けました。
正直に言うと、今でも心の傷になってます。何故かは、解りませんが。
都ちゃんは、かなり言葉には苦労したらしく、ある日周りの生徒たちが、妙に殺気だっているのを不思議に思いながら、
あの有名な「黒鳥」の回転を見事にやってのけました。
それを見た、ヴァロア女史というロイヤルの創設者の一人である方に
「こんなに詩情に満ちた回転は見たことがない」と言わしめ、あの萌えの理解者であるピーター・ライトが手ぐすねを引いて待つ
サトラーズウェルズバレエ団に入団が決まったのでした。
人生、みな縁なのでしょう。
都ちゃんはこうして、世界的なバレエダンサーになる道を踏み出したのです。
そして、ピーター・ライトは自分の理想を体現する素晴らしい踊り手を手にいれた訳です。
羨ましすぎです。ピーター・ライトってば。
ライト卿の訓練はそれはもう厳しかったらしいのですが、都ちゃんの書いた手記には、そのことには一切触れられていないのです。
ただ、大きなチャンスを与えられた彼女がケガをして踊れなくなった時期に、黙って待ってくれていてありがたかったと
感謝の言葉を述べるのみです。都ちゃん、器大きいです。
ライト卿の思い出話の中で知ったことなのですが、あまりのライト卿の要求の厳しさに
「ピーターは私を嫌っているのよ」と泣きながらレッスン場を飛び出したなんてこともあったそうなのにです。
嫌ってる筈はないよなあ。理想の萌えを持っているダンサーを。
でもまあ、そりゃ要求は厳しいでしょう。
萌えは、細部に宿り、一瞬のぶれで白けてしまう、微妙な魔法なのですから。

ライト卿は演出家ですから、萌えに溶けてはいられませんが、パートナーの男性ダンサーともなれば話は別です。
イレク・ムハメドフ。この名を知っていらっしゃる方は更に少ないことでしょう。
意外なことに、この方は日本で手に入るバレエの映像での出演率ではダントツのトップなのです。
なにしろ、ボリショイバレエ団に所属し活躍した後、ロイヤルバレエ団に移籍したという派手な経歴の持ち主の上、
ボリショイ時代の映像をNHKがしこたま撮影していて、ロイヤル移籍後すぐの頃、映像化のブームがこちらは海外ですがあったらしく、
それの日本語版も数本販売されているからです。
その中に、日本で手に入る都ちゃんの映像二本のうちの一方があり、当然ながらパートナーを務めています。
「くるみ割り人形」と言えば皆さんストーリーはご存じでしょう。
この作品、バレエ化されていて、チャイコフスキーの音楽と相俟って、名作として知られています。
このバレエでの最大の見せ場は、金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥです。
当然、これを二人で踊ってるわけですが。
ストーリー上の主人公であるクララの理想の姿が金平糖の精とされています。
そのパートナーとなる王子は、はっきりいって、添え物です。
女の子の夢見る王子様の薄っぺらさには、皆様も覚えがあるでしょう。王子様ってだけで十分です。
いや、つまり、ただただ女の子に恭しくかしづいて踊ればいいという立場です。
そんで、この時このムハメドフのおっさんは何をしていたかと申しますと。
萌えてました。
ていうか、溶けてるよ、おっさん。いや、そこまでこんな役に、入れ込まなくとも。
さすがに、世界的ダンサーは違うと言うべきなのでしょうか? 
このおやじは舞台で踊っている最中に何をしてやがったかというとですね。
都ちゃんを見てたのです。
普通さあ、少しは観客に向いてるだろうよ。視線は。舞台上のダンサーなんだから。
それがもう、一瞬たりとも目を離すのが惜しいとありありと判る態度で、都ちゃんをサポートしているのです。
客席からは、というか、映像には横顔しか写っていません。
最後の見せ場となるリフトの時など、舞台左方で待つおっさんの広げた腕に、
右手方から、まさに音楽の化身と言った風情の素晴らしいステップを刻んで来た都ちゃんが、
寸分違わず見事に飛び乗った瞬間の、あの嬉しいというか溶けてるというか、
にじみでる誇らしげな表情に、おっさん、カメラ追ってるんすけどと、つい他人事ながら気をもんでしまいました。
撮影慣れされている方はそんなことで自分をセーブなさったりはしないのでしょう。ええ、大物ですから。
離れ際の都ちゃんに、何やら囁いていらっしゃる姿にも、わざとらしさや気障ったらしさなどかけらもありません。
おっさんのソロに移る間際に、舞台を去る都ちゃんの手を放すタイミングが二秒ばかり遅れたのも、
ただ素直に萌えが高じたゆえなのでしょう。
や、気持ちは判ります。痛いほど。判るが、しかし。
自分の見せ場であるヴァリエーションを、まるっきり集中力を欠いたまま(ご本人の実力を思えば)
へなちょこにこなす男性ダンサーの映像を、これ以外で見たことがありません。
そんなに都ちゃんのいない舞台には魅力ありませんか。まあ、拍手はもらってましたけどね。
そして、都ちゃんと締めのコーダを踊るため舞台に現れたおっさんは、素晴らしいジャンプをのりのりでばしばし決めていました。
そんなに、これから都ちゃんの手を取って踊れるのがうれしいですか。
それとも直前の萌え満載だった都ちゃんのヴァリエーションに、湧き上る気持ちがおさえられなかったのでしょうか。
観客の都ちゃんへの賞賛こそがこの日のおっさんの誇りだったのでしょう。
萌えの求道者の人生は、ちょっと見は間抜けですが、やはり茨の道なのかもしれません。
本人は幸せに溶けているのですから、他人がとやかく言うのはそれこそ無粋ではありましょうが。
観客席に向けて優雅に挨拶する瞬間にすら、都ちゃんから視線を外さない。
なんという強靭な精神力なのでしょう。

この映像がムハメドフさんとの出会いだったために、この方は今でも私達の間では、萌え萌えのおっさん、と呼ばれています。
すみません。ごめんなさい。素晴らしいダンサーなんです。
人柄もよく、パートナーのサポートの上手さに定評があり。(だからここで笑うな、自分)ファンにもスタッフにも愛されている方なんです。
前回書かせていただいたあのヴィヴィアナに、お兄さんと踊っているような安心感があります、とまで言わしめた方なのです。
そうです。たとえ、吉田都の写真集に収められた、練習風景中のおっさんが、
演目には何の関係も無く、どれほど喜びに満ちあふれ溶けていようとも。
本の最後に載せられた、都ちゃんに贈る言葉など、
萌えを表現するこれ以上に的確なものは、この世にまたと在るまいと思われるほどの名文です。
ええ。ぜひ、原文を読んでください。そして、都ちゃんの素晴らしさをご想像ください。
ちょびっとだけ引用させていただきます。
「ミヤコと踊ること、それは雲ひとつない青空の下で踊るのに似ています」
「私は三幕をとおしてずっと彼女をリフトしたとしても疲れないでしょう」
「多くのパートナーが(中略)誰かがとりわけ優れているというわけではありません。ミヤコとならば、誰でもうまく
踊れるからです」 
踊りにすべてを捧げている方の、雲ひとつない青空の下で踊る喜びが、どれほどのものか想像もつかないのですが。
そして、三幕ずっとリフトを続けることがどれほどの苦行なのかも、かすかに思いやれる程度ではあるのですが。
そして、他の男性パートナーに嫉妬する気持ちは判りますが、
その表現も結局は、都ちゃんがどんなに素晴らしいかという結論を導く前フリに使ってしまうという、
いい人の巧まずして醸し出す香ばしさも、素敵すぎて、自分どこにも突っ込む余地なしです。
生の舞台で、二人の踊りを一度は見たかった。
現在、ムハメドフさんは体力的限界を理由に、ロイヤルを退団してしまっているので、都ちゃんと踊る機会はそうは無いでしょう。
それを生で見る機会など、自分の人生に訪れることは無さそうです。
ほんとうに惜しいです。それを思えば、失業の恐怖など、大したことは無いと思います。いや、まじで。

最近都ちゃんの対談形式のインタビュー記事を読んだのですが、そして、悲しいほど小さい扱いだったのですが。
それはまあそれとして、インタビュアーに新しい演目に挑戦する予定は無いのですか? 
と尋ねられた都ちゃんは、その予定は無い。自分はクラシックを踊ることで手一杯だ、と答えます。
その前フリの言葉は、これでした。
イレクのような周りの人達は、何でも踊れて羨ましい。
イレクのような、周りの人たち。
よかったな、おっさん。ロイヤルを退団してもまだ、このおっさんは周りの人たち扱いなんですね。
当然ファーストネームで呼ばれていますし。羨ましいぞ。
おっさん今でも、一緒に食事をしたり買い物に付き合ったり、してやがるのでしょうか。
そしてそんな時も、あの萌えっぷりを発揮しているのでしょうか。
きっと、そうに違いないと、固く信じてはおりますが。

そんな私達は、ボリショイ時代のムハメドフさんの代表作と言われる「スパルタカス」の映像も、
都ちゃんいないんだよなあ、などと、気乗り薄で見始めました。
そして、すぐさま深く反省しました。
おっさんの萌えっぷりのみを目にして、しょうがないおやじだなとあきれていたことをです。
すまん。イレク。
そこには人間にやらせていいことじゃないからと、座っていたにもかかわらず膝から力が抜けていくのが判るような、
苦行を強いられているムハメドフさんがいました。
ジャンプ、回転、リフトとも人間業じゃありません。
そして、これを言ってはいかんとは思いますが、相手役の方はムハメドフさんの母親でもおかしくはないお年です。
ムハメドフさんがよちよち歩きもできなかったころから、舞台で喝采を浴びていたに違いないと、思われる大先輩です。
そんな方々に対し、もし練習中にあの荒業のようなリフトを失敗しようものなら、いったいどんな熾烈な非難を浴びたんだろう。
色々と想像してしまいます。
いや女性ダンサーも、身体というより、命を張ってます。
どれほどの罵詈雑言を吐いたとしても、責められません。
いや、にっこり笑って、次は気をつけてちょうだいねと、氷のような視線を送っていたのかも知れませんが。
って見てきたような予断を書いてはいかんですね、自分。
こんな苛酷な過去があったら、都ちゃんが、リフトの練習時に、自分がこう直しましょうかと提案したのに
「僕が合わせるから大丈夫」と嬉しそうに言ってしまうのは、ごく当然なのでしょう。
都ちゃんの失敗を、僕がこうすればよかったねと、すまなそうにフォローしてしまうのも無理はないのでしょう。
こんなに、小さくて軽くて若いバレリーナが、この世には存在したんだ。
きっと世界の色が激変するような衝撃だったに違いありません。
ここで少し補足致しますと、ボリショイのバレリーナは、年齢はともかくとして、みなスタイルがいかにもバレリーナな方々ばかりです。
背が高く、手足が長く、二重関節で、容貌もそりゃもう恵まれた方達のみ。
特に脚の美しさときたら、選抜する側のフェチさえ感じてしまいます。
これでは重いでしょう。確実に。
人間、脂肪の重さなぞ、たかが知れてます。
あんだけ背が高く、手足が長けりゃ、どんなに細身に見えたって関係ありません。
ロイヤルは、他のバレエ団に比べて、容姿に対する基準が甘く、小柄なダンサーも沢山いますし、人種も、当然さまざまです。
中でも特に小柄な都ちゃんとヴィヴィアナに、ボリショイ時代の映像を見るまでは、まったくの無駄な筋肉と思えた
マッチョな体型ながら、決して背は高くはないムハメドフさんが、夢中になったのも無理はないと、
不憫な気持ちが湧き上がってきたのでした。
今は来春日本に公演にくるアダム・クーパー(映画リトル・ダンサーで話題になったのでご存知の方も多いかと)
主演のミュージカルに、ムハメドフさんが出演してくれているといいのになあ、と素直に思います。
そして、まあ、やりはしないとは思いますが、ちょぼい申し訳程度の花束を持って出待ちをし、サインなどもらってみたりして、
人の良さげな笑顔を間近で確認するってのも、いいかも。
などと想像して、ちょっと、自分の笑いを取ってしまっていたりします。
当然、サインは都ちゃんの写真集の、二人の練習風景を写したページにして頂くのが筋というもの。
・・・・本気で、やりたくなってきました。

ところで、都ちゃんは熊哲のことを「熊川くん」と呼んでいます。
さすがにテディとは呼んじゃいないと、思ってましたが。熊川くん。
体育会系の臭いが、ぷんぷんしています。
いやきっと、あの小生意気な熊哲も、都ちゃんのことは「先輩」として立てているに違いないと睨んではいました。
あいつが、都ちゃんのことを「吉田先輩」と呼んでたって驚かんぞ、私は。
都ちゃんと熊哲の踊りを、生で見る機会を持った私は、更にその確信を深くしました。
いつもの熊哲は、カーテンコールの際に、ものすごく俺様な顔をします。
おまえ、ホンマンかよ。と、あいつの記録映像を見る毎に、個人的突っ込みをいれてしまいます。
しかしです。
この日、都ちゃんとともに客席に向かって挨拶に現れた熊哲は、いや、先輩のおかげっす。と深々とお辞儀をする都ちゃんに
目線を落としたまま、礼をしてたんでございます。ほう?
日本の体育会系の伝統に忠実なわけですね。いや、無理もないけどさ。
ほんとうに都ちゃんのお陰でしたから。この日の舞台の成功は。
といいながら肝心の都ちゃんの踊りは、あまりに凄すぎて、夢幻のように記憶から抜け落ちてしまっているのです。
まさに神秘体験と呼ぶしかないです。
この日のプログラム「ライモンダ」は、都ちゃん得意の演目の一つと言われている踊りですから、無理もないのでしょうか。
舞台を滑るような足取りで移動している都ちゃんとか、
婚約者(熊哲が踊った)を舞台端で待つ輝かしい表情をした都ちゃんとか、
特に見せ場でも何でもないところを断片的に思い出せるくらいなのです。
それと、都ちゃんの可愛さだけが、記憶の全てなのです。
いやもう、ほんとに可愛かった。
すまん、おっさん。あれを目の当たりにして溶けるなというのは、人に対する要求のレベルをはるかに越えてるよね。
修行を積めば、いつか、自分にも都ちゃんの踊りを堪能し尽くすことのできる日がくるのでしょうか。
無理と思いつつ生涯の目標を前に、今、燃え盛っている私です。

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