<星の巡礼:パウロ・コエーリョ> 

本の紹介:ブラジルの有名作家(山川さんの訳)


 <読んだきっかけ>:10月14日:<本人とこの本との関わり>

 市民会館での、夕べのコンサートに出演するために、控え室で退屈な時間を過ごしていると、仲間のブラジル出身の子が、本を貸してくれた。この夏に、サンチアゴ・デ・コンポステラまで自転車で行ったと話したら貸してくれた。ブラジルでは有名な本らしい。とりあえず、出演までは暇なので、秋晴れの空のもと、市民会館の公園で読んでみた。次の日から出張で、新幹線の中でも読みつづけた。はじめ、オカルト小説かとも思ったが、登場する地名は、まさに巡礼路そのものであり、更に、主な場所は、有名な場所ではないのに、自分が体験した中でも印象に残っている場所ばかりであった、、、。

 この本を読んでから、スペインの山道に出かけたわけではない。しかし、この夏の自分のイベリア半島旅行は、この本の主人公のきっかけに類似する部分が多く見られたのは単なる偶然か、気まぐれな運命の必然かは、神(紙または髪)のみぞ知る事かも知れない。小説の中に出てくる、サン・ジーンのマダム・ルルドは、今回泊まったメゾンのおばあさんと酷似していた。「この先どちらへ曲がろうか?」と立ち止まって考えるときに、「山が高いかどうかを知るために、山に登る必要はない。」、と叫ぶ真のメッセンジャーの声は、旅行の途中で出会う全世界からの巡礼者であり、そしてまた、休憩の為に立ち寄るBARでの店員や地元客との語らいの中にもあった。旅行の前半に、雨のために短い距離しか進めずに宿泊したアゾフラの小さなアルベルゲでの夜の談話風景は、はまるでこの本の中身のようであった。また、主人公の探し求める「剣」とは、私にとっては自転車であり、巡礼カードとコンポステラ(終了証明書)であり、そして最後に手に入れたポルトガル・ギターであったのかも知れない。

 また、後半に出てくる、野良犬にかまれて大けがをするシーンは、今回のサンチアゴ到着の前日に、噛みつかれはしなかったものの、追いかけられて恐怖を感じた。また、アメリカに長いこと住んでいて、日本に帰る途中に立ち寄ったハワイのカウアイ島の浜辺で、山登りから帰って疲れ果てて寝ているときに犬にかまれた思い出がある。野良犬の叫び声とは、私にとって、メッセンジャーとしての記憶が生々しい。

<あらすじ>

 ブラジルのサラリーマンが、ある時突然、スペインの山道を、「自分の剣を探す」目的で旅することに物語は始まる。巡礼路を歩く中で、ペドラスという名前の相棒(この世界ではメッセンジャーと分類されるようである)との対話を通して、自らの心境が語られるところに全体を通しての小説の面白さがある。身近な日本の少年少女文庫で言うならば、宮沢賢治のオッペルと像の雰囲気がある。また、シェークスピアで言うならば、ベニスの商人のシャイロック。モーツアルトで言うならば、魔笛の中のパパゲーノ。ワーグナーで言うならば、マイスタージンガーの中のハンス・ザックスである。伝七捕り物長では、勧善懲悪の精神の中における悪人の独白。なんてところに物語のおもしろさが出てくるものである。

 

 ただ、この小説のハイライトを上げるならば、各セクションの区切りとも取れる、次の修行の場面がある。自分的には、このような修行の癖は全くないのであるが、この夏に行ったスペイン巡礼路での体験に照らし合わせると、今から思えばここに示されるような修行は何故かやってしまっていた。旅行中にも、リストラに遭ったカナダ人のオジサンが、中国の気孔的修行を行っているのを見ただけに、不思議に気持ちで納得している現在の自分がいる。この本の中で出てくる修行(実習)とは以下のとおりである。

@ 種子の実習

A スピードの実習

B 冷酷さを知る実習

C メッセンジャーの儀式

D 直感力を養う(水の実習)

E 青い天空の実習

F 生きたまま葬られる実習

G RAMの呼吸法

H 影の実習

I 音を聞く実習

J ダンスの実習

本の中で述べられているこれらの実習について、私はこれまでの人生において、誰からも教わったわけではないが、

昔の山登りにおいて、そして今年の夏のスペイン巡礼路でも、知らず知らずの内に行っていた経験がある。


その他のBOOK REVIEW 
<巻頭言> <アルケミスト> <Special Thanks>  <Reference>