<マクトゥープ;人生どう転んでも、なるようになる。> 

<巻頭言> スペイン・ポルトガル 1500km巡礼路 旅日誌  Camino de Francis y Camino do Portgal


 プロローグ  【2001年5月:横浜市のある会社の歯科診療所にて】

 まさか、好き好んで歯医者に通うものはいないであろう。仮にどんなに魅力的な歯医者サンや、面白い歯科衛生士がそこに待っていたとしても、決して喜んでは足を運ぶ場所であるはずがなかった。わずか数十分以内の歯医者での治療の中の格闘について語る前に、まず歯医者への入り口受付で順番を待つところだけでも、実際には短いながらも、永い長い歴史が私にはある。

 幼年期以来、ほとんど病気を経験したことのなかった私にとって、はじめて歯医者の、「あの音」を聞いたのは大学に入ってからのことであった。体育会の器械体操に懲り出していたころ、骨折や捻挫を専門に扱う学内の保険管理センターに、授業に出るよりももっとまじめに、毎週のように通っているころであった。専門医である、整形外科の待合室のベンチに座って待っていると、隣の歯科診療所からはいつも、キーンと言うあの甲高い金属音が、冷たい廊下に響き渡っていた。まだ、歯医者そのものには行ったことがなかったあの当時、聞こえてくるあの音の下では、歯科医と患者が、いったいどんな場面が繰り広げられているのであろうかと想像すらできなかった。まるで、ひなびた村に毎年の夏祭りの期間だけどこからともなくやってくる、サーカス一座の見せ物小屋の中から漏れてくる、薄明かりのテントに映し出されるあの影のような光景であった。それが私の歯医者についての初めの記憶である。

 サラリーマンになって海外旅行をするようになって、あるときロンドンの博物館で、中世の拷問の道具や牢屋を専門に展示している博物館を暇つぶしに、何故か見学した事があった。鉄の鎖や首輪といっしょに、人間を痛めつけるためのさまざまの道具を見た。また、このころ読んでいた本に、中世の魔女狩を紹介する本や、遠藤周作の「沈黙」とか、武田泰淳の「ひかりごけ」とか、長渕剛の?残酷テレビ映画があった。鎖国時代のキリシタン迫害の様子を描いた記録や小説も読んだりしていた。このようなときに、間接的に自分が感じ取れる風景とは、まだ、行ったことの無い歯医者の中の、「あの音」がする診療の風景であった。

 20代の後半にアメリカに長い間住んでいたときに、ビーフジャーキーを噛んでいたら、生まれて初めて歯が痛くなった。もともと、病院との付き合いをほとんど経験したことの無かった私にとって、すぐに治療に走る気はしなかった。しかし、興味半分も手伝って、いつでも歯医者に行けるようにと、いろいろと調べていた。アメリカでは、日本の歯医者のシステムが細分化(今は日本でもそうかもしれない)されていて、口腔外科(歯槽膿漏などを扱う)と歯医者は異なる。また、BLUE CROSS(日本で言う健康保険)のシステムも複雑であった。まわりの人に聞くと、なるべくなら日本人の歯医者にかかるのが良いとの事であった。ようやくのことで、日系人の歯医者サンを見つけた。しかし、歯医者に通うことは無く、日本に帰国することとなった。

 私の新たな日本での生活の始まりは歯医者であった。会社生活10年を過ぎての新たな旅立ちには、初めて歯医者へ通うことであった。顎が外れそうになるまで口を開け続け、よだれをバキュームで吸い取ってもらう自分の情けない姿を、想像ではなく現実に体験することとなったのである。初めて経験する麻酔注射。古くインカの人々は、麻薬でもあるコカの葉をかみ締めることで、麻酔の代わりに古代の手術を受けたらしい。確かに、注射を打たれた後の自分は、実際には痛くは無いのではあるが、拷問されている。目を閉じればそこには、インカの古代人が経験した痛みも浮かんでくる。チョット変わった意味でのトランス状態を意識する。また、そんな逃げ腰の私の態度をあざ笑うかのような歯科衛生士さんの態度に怒りは無いが、別の人間、太古の誰かを感じてしまうのである。

 初めて歯医者の門をくぐって以来5年の歳月が過ぎた。あれから私はいったい何をしてきたのであろうか?会社の部署も何度か変わった。確かに忙しい会社生活であった。無駄遣いもいろいろやった。家も買ったし、借金もできた。30歳を過ぎてから初めて経験する、電車通勤にも少し慣れてきた。昨今のリストラ騒ぎのご多忙に漏れず、多くの知り合いが会社を去っていった。町内会活動も始めた。新車で買った、車も自転車も錆びだらけになってきた。家でインターネットも使うようになった。気になることはあるが、怖いものなど、もう無くなった?。そう言えば、今年は、リフレッシュ休暇の対象者である。世界一周でもしようか?、そして、、。

 私は会社の歯医者の診療所の門をくぐった。5年前に一度直した歯が痛くなった訳ではない。定期点検と、歯石をとってもらおうとしただけであった。昔は混んでいて順番が回ってこないという噂のあった会社の歯医者も、いまでは空いていた。「Marco。さんは、歯がきれいですが、一度治した歯が痛んでいますねえ!」。「ばれちゃーショウガナイ!」治療台の上で再び顎の外れるまで口をあけさせられる日々がやってきた。何故か戦いの日々と思ってしまう。そして歯医者を出た自分は、痛めつけられた戦士として、麻酔の効いた口元を押さえながら、静かに満員電車の中を揺られ、家に帰っては、長期休暇の準備を始めるのであった。そうだ、新たな戦いの準備である。どこに行こうかなあ?

「門は開け放たれている、誰人にも。カソリックにも、異教徒にも、貧者、愚者であろうとも 兄弟のように抱きしめよう、国も、政治もへだたりなく・・」  

  (スペイン最初の巡礼地ロンセスバイエス修道院 叙情詩)  



<↑:1500km走行後の自転車用グローブ:↑>
 

 「サンチアゴ゙の道」に心をひかれたという上記の詩を京都のおじさんが、WEBで紹介しているのが検索で引っ掛かりました。サラリーマンになって15年目のリフレッシュ休暇を目の前に、あるHPが目に留まりました。別のコースで、かなりの綿密な計画も立てていたのですが、出発の1週間前に突然、change mind しました。これは、得意の「気まぐれ」ではなく、心身の奥底からの見えざる渇望の現れ、別の表現をするならば、神の思し召し、「自らの3大奇跡」に登録されうる出来事でした。以下、「自らの3大奇跡」についての証明と宣伝、伝承を含めて本文を綴ります。

 尚、この文章、巻頭言は大事なところなので、このあと何回か推敲を重ねて変更の予定です。ご容赦あれ。  


 【星の巡礼】 
<まえがき> 
<第1日目> <Special Thanks> <Arriba BICI> 【Packing List】