りこちゃんは、とめ子っていうの、ほんとはね。    *キッチンペール  *ギャラリー  *インプラント日記  *メ モ  *掲示板  *HOME

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2003/10/31(金)

一体どうしたことか、顔の吹き出物?がすごい。
ここのところ急に出てきた。
少し前、インプラント日記に書いたけど、もっとひどくなってきた。
顎どころじゃなく、顔全体に広がって、耳の後ろにまで。
(唇の痺れはきっと関係なかったと思う)
もう湿疹って感じ。何かにかぶれたみたい。
今日、皮膚科に行きました。
あー、なんだってこう、次から次へと医者通い!
2週間、病院食で過ごしたのに、退院後、急にケーキ食べたりしたせいでしょうか?
と聞いたら、
うーん、でも、それでこんなにひどくはならないでしょうねえ。
ということでした。
電気治療で赤外線を顔に5分ほど当て、洗顔の手ほどきを受けました。
まず蒸しタオルを顔に当てて、毛穴を開いてから、
洗顔料は泡をしっかり泡立てて、泡を転がすように。
そうそう、ほんとは知ってるんだけどね。
ニキビができてると、逆にムキになって洗ってしまう。
ニキビ部分は、さらにその後、ガーゼ洗顔をすること。
ここまでひどいので抗生剤飲んだほうがいいでしょう、ということで
薬は、抗生剤(クラリス錠)とビタミン剤(フラビタン錠)を14日分と、
抗生剤のゲル(ダラシンTゲル)。
ニキビって、菌なのか。結局、抵抗力が落ちてるってことかなぁ。
綺麗に治りますように。

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2003/10/30(木)

あたしってカワイイものが好きなのー、という格好だなァ、今日は。
白地に水色の水玉の、後ろボタンのブラウス、
ウエストが赤とベージュのネル地でかがってあるデニムのギャザースカート、
赤い木の実の刺繍がたくさんついた紺色のバッグ、
昨日買ったばかりの水玉模様の色とりどりのボーダーの靴下、
黄色のふちどりがついた、こげ茶の先の丸い靴。
しかしながら、それらを身につけているのがあたしだってとこが問題だな。
しかしながら、そうしてまだ9時にならない街を歩くのは、とても気持ちがいい。
今日もいい天気だ!

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2003/10/29(水)

秋なのに初夏のような陽気。
お昼のお弁当はビルの屋上で食べました。
狭いんだけどね。恐くて下はのぞけないんだけどね。
同じ高さの目で遠くや近くを見ながら、
いずれにしてもあたし達の未来はそんなに明るくないって話をして(違ったっけ? 笑)、
それにしても、急に寒くなってあまり出番がなかったピュアルセシンの五分袖の服、
今日着られて嬉しいな、と思う。暑いね、今日は。
帰りに、プランタンで新しいコートを買いました。
グレーベージュの微妙な色が可愛い。
はやく寒くならないかな、と思う。

台所で片付けしながら、かーさん、キヨちゃんのこと好きー、って言ったら
「キヨちゃんは一緒に遊んでくれる人が好きなの」だって。
まあ ! なんて正直で、なんてごもっとも !
あたしもそうかなー。(一緒に遊びもしないで、何が好きよねえ)
はははー。そうだよ、そうだ ! (子供かなあ)
私はあまり一緒に遊んでるとは言えないから、キヨちゃんに
かーさんのことは好きじゃない? とドキドキしながら聞いたら、
キヨちゃんはもう別のことに夢中で、聞いちゃいませんでした。
I'm not a little girl any more …

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2003/10/28(火)

近所に待望のスーパーができて昨日オープン。しかも24時間営業。
専門店も入って、ジャスコとしては都内最大級って聞いてて、
さっそく夜、雨にも負けず(外に出たらやんでいた)いそいそと出かけていったのに、
全然最大級じゃないい~。これ、どこからの情報だったっけ? 駐車場が最大級?
品揃えもよくないし、専門店なんか飲食店がほんの少し。
「靴下屋」とか入るの期待してたんだけどな~。勝手に期待。勝手にがっかり。
うちは結局、木場のヨーカドー(深川ギャザリア)に行きそう。あそこけっこう好き。
でも24時間というのは一応便利。
やっぱり夜中の3時に冷蔵庫買いに来る人とか、いるのかな。
ちょっと楽しそうではある。

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2003/10/27(月)

入院時の癖で6時に目覚めたのなんか初日だけでした。
昨日なんか起きたの10時でしたから。元通り。
でも夜は早寝の習慣に。
病院では21時消灯で、でもすることないから、
20時にはもう寝る態勢とってました。1日中寝てたとも言えますが。
今でも0時前には寝るようにしています。それまでは2時が目安だった。
まあ、それだと、単に起きている時間だけ少なくなっちゃって、
できないじゃんー。こりゃあ会社でやるしかないかなーと思ったら
やはりそういうわけにはいかず(当たり前か)、
やっぱり土日に集中して、だねえ。デザフェスの話。

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2003/10/26(日)

昨日は天気が悪かったので、心置きなく1日家にいましたが
今日はいいお天気! さあ出かけなくちゃ!
と思ったのに、
PCの、昨日開いたはずの、デザフェス用に作ったカレンダーのファイルがなーい!!
ないないない。最近使ったファイルにもない。ごみ箱の中にもない。どこにもない。
保存しないで終了しちゃったんじゃないよ。
もとあったファイルを昨日は開いただけだもん。
ああ、なぜか往々にしてこういうことが起こる。
カレンダーの玉を手書きで1個1個描いてたのに。
やり直しだよう。おでかけやめやめ。
今日もヒッキー。
まぁ、2度目は早くできるのと、
結局は前より良くなったから良かったけど。
「あたし、デザフェス、がんばるね!」とおうちの人に言ったら
「頑張らなくていいよ!! 子育てしてよ!! (怒)」
と言われてしまいました。
はっはー。言われると思った。

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2003/10/25(土)

デザインフェスタに出ます。
11/16(日) 東京ビッグサイト ブース№B245
カレンダーと…、んー、今年はそんなところ、
っていうか、それだけ。かも。
一緒に出るお友達が、去年のバンビで手提げを作ってくれる(予定)。
入院したりして、時間なーい! 無理ー! と思ったけど、
今日は1日家にいて、少しやりました。
いや、けっこうやった。カエル描いた描いた。
今年はカエルシリーズよ。がんばれりこちゃん。

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2003/10/24(金)

会社は休みました。

りこちゃん医者運悪いね」と言われて思い出したんだけど
そういえば去年子宮癌検診に行ったときも、ひどい目にあったんでした。
思い出しても忌々しい。そうだった。
今後検診受けるぐらいだったら、私は子宮癌で死にます。

今回、このあとは絶対イイコトが待っている! ってほんとに思ってたけど、
なんかさ、どうも運の悪い人、何やっても間の悪い人、っているじゃん。
回り見てても、確かにいるじゃん。
人生の楽しい部分だけ味わって、うまくやってる人もいるじゃん。(いるの。目の前に)
あたしってもしかしたら、運の悪い人間なのかなぁ…。
私、医療ミスかなんかで死ぬ気がしてきた。
今度、病院に行くときが、私の死期だ。なんちて。
この次は月曜のSGB。変なとこにさしちゃって、意識戻らなくて?
「りこちゃん自分で、あと1回受ける意味あるのかな、なんて言ってたのにね」
「受けなきゃ良かったのにね」
って、なんかとってもありがち~。

それにしても、入院している間に
東京デザイナーズウィークも東京デザイナーズブロックもすっかり終わってましたね。
そんなに見る気もなかったけど。
キンモクセイも終わってました。
そういえば、私は、1日の点滴の終わり、
管に残った液を注射器で血管に押し込むときのチューっという冷たい感触が、好きでした。
日によって、とても痛いこともあったけど。

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2003/10/23(木)

夕方、頭痛が出ました。
昨日から出社していて、今日は2日目。
お昼頃から軽く痛み出して、でも今回のことで、あまり頭痛薬を飲むのも…と
思っていたので、そのまま我慢していたら、
徐々に痛みが強くなり、帰る時間が近づく頃には気持ち悪くなるほどになってしまいました。
前からの頭痛とも違う、あの副作用の頭痛とも違う、
退院前後に第三の頭痛、といっていた頭痛に近いかも。疲れによる頭痛?
ボルタレンを飲んでみたけどよくなる気配はなく、退社時間まであと少しだったけど
我慢できず、帰らせてもらいました。
ガンガンする。気持ち悪い。駅の椅子に腰掛けて電車を待ちながら、
今ここに、かっこいい私の王子様が現れてデートに誘われても
「家に帰って寝ます」と断るだろうな、と思い、
健康じゃなくちゃ、何も始まらないのだ、と思いました。
(こういうこと言うからバカだと思われるのだろうか?)
家に着き、寝ていても一向に良くならず。
今までボルタレンだったらすぐに効いていたのに。かなりショック。
飲んでからあまり時間が経っていませんでしたが、
とりあえずご飯を食べ、今度は入院中にもらったカフェルゴットを飲みました。
入院中、あんなにいろいろ鎮痛剤を次々と使っていたんだもの、
効かないんだったら、時間を置くのなんか関係ないんだ、と思いました。
ていうか、痛くてどうしようもない。
入院中頭痛が続いたとき、これが癖になることを心配して何度か先生に聞きましたが、
麻酔が抜ければ頭痛は治まるが、ただ、普段頭痛持ちということなら
痛みを体が覚えていて、頭痛が起きたとき前よりも痛くなることはあるかもしれない、
と言っていました。よく分からなかったけど、
これって、そういうこと? とにかく今までの持病の頭痛より痛いし、
ボルタレンが効かない。どんどん薬が効かなくなっている。
私の体、なんだかすごく嫌なことになっている。
せっかくお母さんにもらった体なのに、ごめんなさい、と思ったらまた泣けてきてしまいまいした。
私の寿命までに、この世の頭痛薬の種類が足りればいいんだけど。
一度効かなくなった頭痛薬、飲まないでいたらまた効くようになったりしないかな。
新薬も開発されるだろうから、大丈夫かな。
と考えていたら、1時間後2時間後ぐらいかな、やっと薬、効いてきました。
今度盲腸の経過を診てもらいに行くとき、もっとカフェルゴットもらっておこう。
少しだるくて、早く寝ました。
この調子では、デザフェス、無理かも…。

頭痛薬について。なんかやっぱり飲みすぎはよくないみたい。
http://www3.ocn.ne.jp/~atamaita/okusuri.htm

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2003/10/22(水)

いろいろ話を聞いてみると
私が行った病院はあまりいい噂を聞かない。
「噂じゃなくて、実際、悪いんだってば」
「他の医学部2浪3浪した学生が最終的に金で入るところだよー」
「風邪以外で行っちゃダメだよー」
「むっちゃんのあの火傷の跡、あそこであんな風にされちゃったんだよ!」
うむむ。
私も、やっぱり盲腸じゃなかった気がする~。
やっぱり盲腸ってすごく痛いって言うし。
それか、いきなり切らなくても抗生剤投与で簡単に治った気がする。
私の盲腸、体の中にちゃんと残したまま、
あんな副作用に苦しめられることもなかったわ。
バレエだってこんなに休まずに済んだし。
まあ、もう取っちゃったからねー、どうしようもないけど。
だけど手術については、患者のほうでもしっかり考えた上で受けなくちゃいけない、
と思ったばかりだったのに。(インプラント日記にもそんなこと書いていた)
友達とも、手術のつい前日に、手術というものへの不信感について話し合ったところでした。
その翌日に私が手術を受けることになるなんて。
ほんとに「ますます手術に対する不信感が深くなりました」 だわ!
ただ病院として勉強不足の感じはあるけど(それって致命的か)
看護婦さんとか一生懸命働いていて居心地悪くはなかった。
病気で入院初めてだったから他は知らないけど。

夜、バレエ行ってきました。
入院中、友達に「あなたバレエの心配ばっかりしてるけど仕事のほうは大丈夫なの?」と
言われてました。ははは。
その後、先生から「発表会のメンバーからは外さないから安心してしっかり静養して」と
伝言をいただいていたので、すいぶん気が楽になっていました。
今日は見学のみ。いつも厳しい先生が、
「あなたはあそこまでできてるから大丈夫だから、とにかくあせらないで、体をしっかり戻してね」
と、優しく言ってくれました。
ああ、良かった。あそこまでできてるから。よっしゃあ!!
「とにかくあせらないで」って何度も言われたけど
見てたら、やりたくなっちゃった。土曜はまだ無理かな? 傷より体力のほう。

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2003/10/21(火)

[メモ]残り5日分を書き、前日の分まで全て書き終わる。
夕方、近所を散歩。というか保育園のお迎え。
退院してこのかた、視力がすごく落ちている。
テレビの文字は読めないし、
こうして外を歩いていても、こちらに向かって歩いてくる人の顔が分からない。
これは一時的なものだろうか?
でも、これで見たくないものを見なくてすむようになるかもしれないわ。
久しぶりの保育園。
担任の先生にご挨拶。
やっぱり体力落ちてるなぁ、と思う。声に力が入らない。一気に話せない。
そう、「メモ」は一気に書いたけど
こんなにたくさんは、今、とても喋れません。
だからこんなに書いたのかなあ。
唇、痺れてて動かしにくいのもあるしね。
頭痛から開放され、再び、このことが重くのしかかる。
でも、これでもう人から「うるさい」とか言われることなくなるかもしれないわ。
静かなりこちゃん。

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入退院により書いていなかった分、
まとめてアップし終わりました。↓↓(10/21)

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2003/10/20(月)

1日家にいて[メモ] 9日分書いた。

盲腸の傷、測ってみたら4.5cmありました。まだ少し盛り上がっています。
それから右腕の筋肉注射(入院中4本)のあとがまだ痛いです。固くなってるし。
左腕の点滴のあともなんか痛い。しこりになってるんだけど。
それにしても、入院の日々の頚椎・頭の痛みったら、もう。
今日、凶悪犯罪人に対する刑罰の内容を考えていて、
「腰椎麻酔太い針で3本打って、脳脊髄液漏れて、でも絶対横になっちゃいけない刑」
とか思ったら、キャー!! やだやだ!! すごい恐い!! すごい恐い!!
だったら死んだほうがマシ!! って思いました。マジで。 

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2003/10/19(日)

午後からちょっと銀座に出かけました。リハビリ。
今日から、銀座祭りをしていて、おうちの人によると、通りが花びらで埋め尽くされるんだよ、と言っていて
なんてロマンチック! と思っていたんだけど
違いました。えっと、華道の家元や、フラワースクールの先生が手がける、現代生け花作品、
それが各所に飾られ、今日はその生ける様子をライブで見られる、というみたいでしたね。
どこが花びらで埋め尽くされるんだ。
お昼はプランタンの中の「ル・デセール フォー タワワ」で食べたんだけど
ポトフの美味しかったことったら! 特にインゲン、病院で出ていたのと同じ野菜とは思えません。まったく。
ああ幸せだ。
それからアンリシャルパンティエ銀座本店でケーキを買いました。
ここはお店の雰囲気が素敵。一見、ケーキブティックには見えない。
(商品は各デパ地下にも入ってますけどね)
今度ぜひ地下の喫茶来よう。ここのシュークリームのクリーム、すごく美味しいです!
松屋1Fのイベントスペースにはお茶屋さんとケーキ屋さんが来ていて、
明日は絶対、エモーションズのモンブランを買う!
それから、緑茶&ミント、しそ緑茶、ラベンダーほうじ茶、その他めずらしめのお茶を買い込んで。
こういうの伊藤園からも出してて、ちょっとびっくりした。袋のデザインもけっこう素敵で。
まーなんてったって大手ですからねえ。金持ってるでしょうからねえ。そうなんですねえ。
伊藤園で買った完熟バナナティー、ミルクティーにして飲んで、とっても美味しかったです。
なんだかすっかりいつもの私ですね。
でも長時間歩いていると、やはり傷口が傷みます。早い時間におうちに帰りました。
でもこの際、甘いものは控えようと思っている私。少し。

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 2003/10/18(土)

この秋、乙女座の私は、「大幸運期」に加え「大金運期」だったのです。
それが、13万円の手術&入院費取られて、
さらに時給労働者である私は10月分の給料ほとんど無くて、
どこが大金運期じゃあ!! と思っていたものの、
はっ、そういえば入院前に買っていたオータムジャンボ、バラ5枚!
もしかして、あれが当たっているのではっっ。
さっそくインターネットで調べる私。
まず1枚目…「キャー!! 当たってるよ!! 6等3000円!!」
「りこちゃん、3000円で『当たってる』とは言わない」とおうちの人。
そ、そうだね、つい。でも幸先よくないですか?
さて残り4枚。
…。 全部ハズレ…。
どういうことだろう。
まさか3000円で「大」金運とか言わないよね、神様(怒)。
ゼロが足りないっつーの。あと5個足りない。
ゼロの数といえば、
3千万円と3億円は大違い、すごい差だけど
3億円と30億円はそんなに変わらないよね。使い道わかんないし。
300万円と3千万円も変わらないな。どっちもマンション買えないもん。
3千万円と3億円、ここが境目だ。やっぱりゼロあと5個足りない。
なんて、おうちの人と話しながら、
ああ、退院してきて、本当に楽しいなぁ、と思いました。

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2003/10/17(金)

病院のときの癖? 6:00に目が覚め、6:30には起きました。
わぁ、休みなのにこんなに早く起きるなんて!
ま、休みなのは私だけで、他の人は会社に小学校に保育園にそれぞれ出かけて行き、
残った私は布団干して、洗濯をして、積み上げられたリビングの洗濯物をしまって…
だけど起きていると背中や腰が痛くなります。頭も。
この頭痛は、私が普段持っていた頭痛ではなく、脊髄液漏れによる頭痛でもなく、
第三の頭痛。目の奥から頭の前のほうが痛くなる。疲れによる頭痛?
背中や腰は運動不足のせい?
今日は1日寝巻きを着て、時々布団で横になりながら過ごしました。
食べて寝てるだけの生活だったけど、体重落ちていました。40kgだ。
だけど思ったよ。太った人だと、介護するとき、殺意芽生えちゃうだろうなぁ、ってさ。
ね、うちのだんなさん、気をつけないとさ。

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2003/10/16(木)

朝、点滴も外し、朝食も起き上がって食べ、背筋を伸ばして歯も磨きました。
洗面所で「今日は随分すっきりされてますね」と、他の病室の方に声をかけられました。
ははは、今まで腰を曲げてヨロヨロと歩く姿を見られていたのでしょうね。

今日はウサミさんは午前中、胃カメラの検査があるのです。
ウサミさん、もう朝から不安でいっぱいです。
普段はそれほどわがまま言ったりしない人なんだけど
ナースコール押しては「娘に電話してちょうだい」「何時頃からかな?」「寒いけど何を着ていけばいいの?」
で、また「娘に電話してちょうだい」…
しまいには看護婦さんに「もう押しちゃだめ!!」と言われていました。
91歳にもなって胃カメラなんか飲むことになって可哀想。
思わず「胃カメラ不安ですよね」とウサミさんのそばへ行って声をかけました。
そしたら私の手を両手でぎゅーっと握って「心配してくれてありがとう、ありがとう」
話をしてみたら、どこか別の病院に移動して検査を受けるんだと思っていたんだそうです。
「この病院の中で検査して終わったらすぐに戻ってくるんですよ!」と言ったら
「なんだ、そうだったの」と安心していました。
それで娘を呼んでとか寝巻きがどうの、とか言ってたんですね。
ウサミさん、若いときも胃カメラを飲んだことがあるそうで、でもそのときは若かったから
そんなに恐い気持ちはなかったそうです。
「今のカメラはもっと小さくなってるだろうし、お医者さんも上手にしてくれるから、きっと大丈夫ですよ!」と言ったら
「あなたにもついてきて欲しい」と言われ、ははは、それは無理でしょうねえ。
「私は行けないけど、ここで応援して待ってますから!」と言ったら
「苦しくなったらあなたの顔を思い出して頑張るわ」だって。
ね、すごく可愛い方でしょう?
最後は「だいぶ気持ちが落ち着いた。覚悟ができてきた」と言ってて、良かった!
ちょっとしたことを心配して心を痛めていて、そういうのを聞いてあげられる人が、ほんと、
いればいいのになぁ。看護婦さんじゃ忙しくて、とても無理だしねぇ。
それにしても、
「あなたに心配してもらえて私は本当に幸せ」とか、ウサミさんはそういうことを口にしても
空々しくないのはなぜなんだろう。嘘付け! とは思わないんだよね。
ほんとにそう思っているような気がするし、またそうじゃなくても構わない。
素敵な方でした。私はウサミさんが大好きでした。
最後、私に「あなたは確かオダギリさんね?」とか言ってたけどね。
「あなたは優しいお顔をしているから、心も優しいのね」っても言われたけど
あはは、ほんとは私は意地悪かもしれないですよ☆

お昼、最後の病院食を食べて、午後、めでたく退院の運びとなりました。
なんかシミジミって感じですね。長引いたし。
お部屋の人に挨拶をし、ウサミさんに「どうか長生きしてくださいね!」と言って、さようなら。
久しぶりの外。
久しぶりの我が家。
「せ、狭い…」 廊下とか天井、こんなに狭くて低かったっけ?
昨日病室で読んでいた「うたかたの日々」(岡崎京子の)を思い出す。
洗った洗濯物はしまわれず全てリビングに積まれていましたが、部屋の中は、まあまあ綺麗になってました。
久しぶりに緑茶を入れてもらって飲み(病院で出るのはまずいほうじ茶だった)、
いくつか退院の連絡をし、
やっぱり起きてると疲れてきて、頭痛もあったので、寝室で横になりました。
ああ、ふかふかの羽根布団!
心配してくださって、退院を喜んでくださった皆様、本当にありがとう。
感謝の気持ちで胸がいっぱい。私が言うと嘘くさいかなぁ。(笑)

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2003/10/15(水)

今日は朝からわりと調子がいい感じです。
髪も洗いました。ところが髪を乾かすのに長時間立ってたら、やっぱり頭が痛くなってきてしまいました。
でも、あの頚椎が動かせなくなる激しい頭痛じゃなくて、また違う前頭部の痛み。
たぶん、脊髄液漏れの頭痛とは違うんだと思う。思いたい。
今日は、お隣のハヤシさんが「タオルを取って!」と騒いでいるときもベッドから降りて取ってあげられたし、
オダギリさんが歯ブラシを落としたときも、拾って洗って渡せました。
ウサミさんともちょっとお話したいなあ、と思っていたので、
ベッドに寄って、ちょっと声をかけたら、あの調子ですっごい喜んでくれて、
「あなたにお会いできてとっても嬉しい。ありがとう、ありがとう」と言われ
「綺麗なお顔されてる」とまで言われ、あははははー、って感じ。
でも片目はほとんど見えてなくて、残りの目も、あまりよくないんだそうです。
耳も遠くなっていて、耳元で大きな声で話さないと聞こえないの。
でも話すことはとてもしっかりしている。

他の患者さん達も足や腰を悪くしているから、ちょっと物を落としただけでも
看護婦さんを呼ばなくちゃいけなくて、でも看護婦さんも忙しいし、
そんなことぐらいで呼ばれるのを見てると、大変だなぁと思います。
簡単なお世話ぐらいは、看護婦さんじゃなくても誰かがいればいいのに。
よく知らないけど、それがヘルパーさんなのかな? 
でも病室には殆ど入ってこないから、患者さんはやっぱりコールで看護婦さんを呼ぶことになる。
ヘルパーさんのお仕事は何なんだろう。
患者さん達が訴えていることも、ずっと一緒の部屋で見てるとちゃんと辻褄が合っていることなんだけど、
呼んだときに来る看護婦さんは毎回違うし、看護婦さん側から見ると、
わけの分からないことを言ってるようにしか見えなくて、
やっぱり忙しいから、適当に返事しちゃったり、それは本当に仕方ないんだけど
それでますます患者さん達が混乱していたりして、見てると、可哀想だなぁ、と思う。
長くいると、やっぱりボケちゃったりするんじゃないかな。
最初、威勢の良かったハヤシさんも、すっかりおとなしくなって今日あたりはもうふさぎこんでいるし。
今までずっとベッドから出られなかったけど、私も今日ぐらい元気だったら
もっとお手伝いできたのになぁ、なんて、それだったらとっくに退院してるか(笑)。
夕方、S先生が来て、今日1日大丈夫だったので、様子を見て明日退院ですね、とのお話でした。

ところで、整形外科の看護婦さん達は、みんな口調が似かよっています。
声だけだと、みんな同じに聞こえて、誰なのか分かりません。
そうだ、幼稚園や保育園の先生が園児に話すときに似ているかもしれない。
お年寄りが相手だから、はっきりと、語尾に全部「!」が付く感じ。
「看護婦さん今行くからね! 待っててね!」 (お年寄り相手のときは自分のことを「看護婦さん」と言う)
こういう話し方、癖になったりしないのかな、とちょっと思ったけど
私と話すときはいつも普通でした。
耳の遠い方に対しては、紙コップでメガホンを作って怒鳴ってたり、
ほんと、よくやってる、よく働いている、と思います。
夜勤は2人だけで、導尿された尿を集めて回って、ナースコールに駆けつけて。
でも医師の指示なしでは薬ひとつ出せなくて、
ほんと看護婦さんの立場も、これじゃあ「使いっぱ」って感じかも…。

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2003/10/14(火)

とにかく今日は注射の穴が塞がるよう、安静にしました。
原因が分かっただけでも気が楽。
資料によると、だから最近は細い針を使う、とか、プロポフォール麻酔(点滴麻酔)を使う、
とか書いてあるじゃないの。
しかも若い女の人に多い、とまで書いてあるのに。そんな私に太い針で3本も打ちやがって…。
これって医療ミスじゃないのぉ~? という気までしてきちゃうわ。
麻酔をするときも思ったけど、虫垂炎ぐらいじゃ、わざわざ麻酔医を呼んだりしないんでしょうかねぇ。
ちなみに一昨年おうちの人が、腎不全で手術を受けたときは、麻酔医による点滴の麻酔で、
様子を見ながら入れていったそうです。全然痛くなかった、と言っていました。(別の病院です)

あと、なぜ麻酔が効かなかったか、今日、人に言われて気がついたんですが
私が前の日まで19回に渡って受けていたSGB(星状神経節ブロック注射)、関係ないでしょうか。
なんてったって、麻酔薬毎日打ってたんだもん。どうなんだろう。
主治医の外科のS先生が来たときに、麻酔が効かなかったことについて、
SGBは関係あるかどうか聞いてみました。
(脳脊髄液が漏れているという話はしませんでした)
外来の診察時話したときはよく知らないみたいだったので、
ここの神経に毎日キシロカインを打っていたんですが、と説明して。
「うーん、どうでしょう」と言っていましたが「そうですか、キシロカインを…」とちょっと考えていました。
いずれにしてもSGBの最中に虫垂炎になるなんて、まったく不運としかいいようがないわ。
しかも残り1回。最高に麻酔薬たまってたんじゃないでしょうかねぇ!
S先生は「とにかく今後、うちで手術するときは、全身麻酔にしますから」と言いました。
「そうですね…。お願いします」と言ったものの、もう来ねーよ!! でございます。
「まあ盲腸取ったら、あとは、そうそう無いですよ」と言ってましたが、
そうですね。そう願うよ。(涙)

マンションのお友達がFLOのプリンを持って登場! Thanks!
やっぱりここのプリンは1等賞です。
あと、近くにできるマンションのモデルルームが出来上がって、お友達の一人がさっそく行ってきたそう。
何より、この辺の今後の開発予定が魅力的。何でも2006年には
都内最大級のショッピングセンターができるそう。ほんと、ほんと~?
だから、引っ越してもいいけど、近所にしてよ! と言ってくれて、そうだねえ。
そういえば、隣のビル、そうとう建ち上がって来てるんだろうなあ。ちぇ。

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2003/10/13(月)

「りこちゃん、脳脊髄液漏れだよ!」
前日、おうちの人にインターネットで「麻酔後 頭痛」で検索かけてみて、とお願いしていたのですが、
今日お昼に、その結果をプリントアウトして持ってきてくれました。
ほんとはもっと前から、ネット環境があればすぐに調べるのになあと思っていて、
でも夕方おうちの人が来ると、持ち帰ってもらうものとか持ってきてもらうものとかの話で忘れちゃって、
やっと昨日忘れずにお願いしたのです。
おうちの人も掲示板にurlを載せてくれましたが、再掲↓
http://health.nifty.com/i-idai/qa.jsp?QANO=3545
http://www.city.kyoto.jp/hokenfukushi/siritubyoin/shujutsu/masui/youma.html
麻酔の注射時にあいた硬膜の穴から脳脊髄液が外部に漏れ、そのせいで脳の内圧が低下し、
頭痛や吐き気を引き起こすというもの。
起きると漏れが大きくなり頭痛が起き、横になると痛みが軽減される、まさにこれです!!
そうか、注射針の穴なんですね。
たぶん、ここの外科の先生は知らないんだと思う。そんなこと一言も言わなかった。
麻酔が抜ければ、という話しかしなかったし。
あたし麻酔3本も打ってて針穴3個じゃん。人の3倍漏れるじゃんよー。そりゃあ内圧下がるだろうよ!!
ああ、だけど原因が分かってホッとした。
2週間ぐらいで後遺症はない、とあったし、普段の頭痛持ちとも関係ないってあったし。
外科の先生は普段から頭痛持ちの人はなりやすいなんて、
私にも責任があるみたいなこと言ってたんだよ! プンプン。
とにかく針穴が塞がればいいんですね。
まだ起きると頭痛がひどかったし、ほんとはこの「硬膜外自家血パッチ」という方法を取ってもらいたいと思ったけど
ここの病院では漏れも知らないのに、そんなことできるわけはないだろうし、
書いてある通り安静にして早く穴を塞いで退院に努めよう、と思いました。
治療としては脳の内圧を下げないために「頭を低くし」とありますが、
外科病棟でこの頚椎に響く頭痛が出たとき、そのときベッドの頭のほうを高くしてあったので
「なんとなく、水平にしたほうがいいような気がするので、戻してもらえますか?」って看護婦さんに聞いたんです。
そしたら「麻酔を頭まで行かないためにしているので…」と言われ、
「そうですか。気のせいかもしれないので、じゃあいいです」ってそのまま我慢したんですけど
もう手術から2日も経った後でしたからねえ。
頭に行っちゃうほど麻酔は残ってないんじゃないでしょうか。どうなんでしょう。
頭高くしたまま、かわいそうな私だったわ。
だけど、今の時代、わざわざ専門書をめくるまでもなく、
こうして数秒から数分ですぐにしかるべき情報を得ることができるのに、
ここのお医者さんは、ちょっと検索かけてみることはしないのかなあ。それがちょっと疑問。
お医者さんだったら、インターネットしないってことないよねえ。
ネット上の情報は信用しない、ってこと?

とにかくおうちの人も脳脊髄液漏れと知り、ちょっとびびったみたいで、
昨日は食事の箸を洗うのをお願いしたら「自分で洗え!」と言っていたんですが、
今日は黙って洗ってきてくれました。
硬膜の穴から脳脊髄液がタラ~、ズキン! タラ~、ズキン! ですからね。カワイソウでしょ。

あと直接関係はありませんが、脊椎麻酔の問題についても一緒にプリントしてくれて、
なかなか興味深い内容だったので、これも載せておきます。
「一般の方々はこんなレベルの医療機関が日本には多数あって、
 そこで手術を受けるには決死の覚悟が必要なことも承知して欲しい」ですって!
http://higashi.org/suwasab.htm

夜、はるるんがお見舞いに来てくれました。感謝感謝です。ぜひ今度ゆっくりね。
♪話したいことがたくさんあるんだ~

-*-s
2003/10/12(日)

トイレに行く以外は1日中病室のベッドで横になっているので、聞くとはなしに、
他の患者さんのお見舞い客との会話も耳に入ってきます。
私が気に入っているのは91歳のウサミさん。右足を悪くして、動けないんだけど
91歳ながら頭はしっかりしています。
そのウサミさん、看護婦さんが何かしてくれるたび「ありがとう、ありがとう…」と大感謝。
「あなた達がいなかったら、私はどうなっているか、分からない」
「あなた達のおかげで、私は生きているの。あなた達がいなかったら、私は、じ、自殺…!」
「こんなに優しくしてもらって、感謝、感謝の気持ちで胸がいっぱい」
こういうのがもう口癖になっていて、とっても可愛いの。
食事のとき、ベッドを起こすたびに「痛いから上げないで! もう上げないで!」と大騒ぎ。
最後には「起こさないと食べられないでしょ!」 と上げられちゃうんだけど、毎回繰り返してる。
リハビリの器械をつけるのも大嫌いで「昨日は30分やったから今日は20分…」とか言って「ダメ!! 今日は1時間!!」と怒られて。
お子さんは4人いらして、長男のアツオさんは築地のがんセンターで手術を受けたばかり。
船橋在住の長女のユキちゃん、世田谷在住の次女のカツコさん(カコちゃん)、三鷹在住の次男のカズタカさん(カズちゃん)。
入院中のアツオさんを除く3人と、カズちゃんのお嫁さんのハツコさんの4人の誰かかしらは毎日お見舞いに来ていました。
でもちょっと来るのが遅れたりすると、すぐ「私のところにはここ2、3日誰も来ていない」と言い出して。
看護婦さんの前では感謝の嵐なのに、娘さんたちの前だと「ここの看護婦は…」と愚痴をこぼし始めるのも可愛い。
そしていつも「おかあさんはすぐにそういうことを言う! そんなこと言ってると誰も面倒見てくれなくなるよ!」と怒られてるの。
実際は、ウサミさんは看護婦さんにも人気なんだけどね。
いつも「もう知らない! もう来ないからね!」と怒りながら、一番やってくるユキちゃん。
話し方も静かで上品なカコちゃん。「お母さんはしょうがないなあ」と言いながら優しいカズちゃん。
お嫁さんのハツコさんにはやっぱり少し気を使うようで、
ハツコさんが帰った後「ハツコさんはなかなか帰らないから疲れた」と文句を言い、
カコちゃんに「そんなこと言うもんじゃないわ」と怒られていました。
私は寝たきりだったので、声しか聞こえていなかったから、声から勝手に顔を想像していて、
後でたまたまお顔を拝見することがあったとき、みんなお年寄りだったのでびっくりしました。(考えてみれば、そうですよね)
こうして見ていると、子供がたくさんいるっていいなあ、と思う。
そしてみんな言ってるのが「娘がいて良かった」。ほんとにそうだな。見ててそう思う。
うちはケイタ君ととカイちゃんしかいないのがちょっと不安になったよ。
あと、家族って、やっぱり、独特の絆があるなあ、って思いました。
恋人同士の「好き」とは違う、ね。そこには他人は入っていけない何かがあるような。
入院する少し前、たまたま、友達と「家族の絆なんて…」って話をしていたんだけど
少ーし見方、変わったかも。まあ、少しだけね。

入院してからずーっと点滴を入れていましたが、夜、点滴が入りにくくなり、腕も痛くなってきました。
1週間経って詰まっちゃったようですね。夜いったん針を抜いて、明日、針を入れなおすことになりました。
ああ! 久しぶりの自由な左手!!

-*-
2003/10/11(土)

朝、トイレに起きたとき、頭痛がありました…。やな予感。
でも、大丈夫だよね、と思っていたけど、朝食の頃はすっかりダメ。
いつもの頚椎まで響く頭痛になっていました。
ベッド脇にすっかり外出の準備をしていたけど、自分でも、もう無理だと思いました。
頭痛と、がっかりした気持ちで、朝食は全然食べられず。
これで明日の退院もなくなった、と思いました。
9時になって、カイちゃんの保育園ではないけど、隣の幼稚園から運動会の声が
聞こえてきて、ものすごく悲しくなり、また泣いてしまいました。

昨日のナボール錠の他に、痛いときに飲むカフェルゴット錠というのも処方されていました。
今日はそれを飲んだのですが、やっぱり効きませんでした。
午後、ティッシュを持ってメソメソしてるところを看護婦さんに見られ、
「薬…、効かなかった…」とだけやっと言ったら、「後で先生呼びますね」と言われました。
しばらくしてから外科のI先生が気の毒そうに「頭痛、辛いねぇ…」と言いながら
私の布団を叩いてきました。
今まで、こういう麻酔後の頭痛が取れるのに2週間かかった患者さんがいたそうです。
あまりあることではありませんが、何かのミスでこうなったわけではなく、
これが後遺症として残ることはありませんので、と言われました。
最初、1週間と言われていたので、それなのにまだこんなにガンガン痛くて、絶望していましたが
あともう1週間みればいいんですね。そうか。
ああ、もう、私、何で入院していたんでしたっけ、って感じ。
頭が痛くて、盲腸の傷口なんかほとんど気になりません。
先生も、傷口はまったく問題ない、と言っていました。
今日まで傷口には透明なシート(トクダームというらしい)が貼られていましたが
今日、大きな絆創膏のようなものに変えました。

お隣のベッドに他の部屋から新しいお年寄りの患者さん・ハヤシさんが移動してきました。
看護婦さんが事前に「今度の人もちょっとウルサイ人なんだけど、ごめんなさいね」と言っていました。
確かにちょっと態度が横柄。
少しのことですぐナースコールして、来てくれた看護婦さんに「水!」とか言うし。
この夜がすごかったです。夜中に導尿の管を自分で抜いちゃって、看護婦さんに怒られて、
またつけようとする看護婦さんにすごく抵抗して、
「こんなものつけて! 冗談じゃないよ!! あんたたち痴漢だよ!! エロだよ!!」と大騒ぎでした。
やっぱりここがどこだかちょっと分からなくなってるみたい。
看護婦さんに「病院だから!」と言われ、最後はおとなしくなりました。
前のオダギリさんもそうですが、別にボケてきているわけではなくて、
お年寄りが急に入院したりすると、夜、混乱することはよくあるそうです。
オダギリさんも、昼間はとてもしっかりしていました。
でも夜になると「ああ、すっかり遅くなった。早く帰らなくちゃ! タクシーを呼んでちょうだい」と言い出して
看護婦さんに「ここは病院だから家には帰らないのよ」と言われ
「じゃあトシオに電話してちょうだい」
「はいはい、なんて言えばいいの?」
「おかあさん、カラオケをしていて帰れなく…」
「カラオケ!? オダギリさんカラオケしてたの?(笑)」
と、私も聞いててふきだしちゃうような会話をしていました。
他にも「ちょうちん柄のはんてんを来たおかっぱの人にお金を借りたので、見かけたら教えて欲しい」
とか言ったりしていて、面白かったですねえ。ちょうちん柄のはんてん(笑)。

夕方、新幹線でシスター様到着。てきぱきと家事をこなし、ご飯を作り、
ケイタの部屋まで掃除してくれ、翌日のお昼にはあわただしく帰っていきました。ごめんね、どうもありがとう!!

-*-
2003/10/10(金)

麻酔の副作用は1週間ぐらい、と言われていましたが、今日で1週間。
まだ、しっかり痛いです。しかも、今日はなんだか横になっていても痛い。どうしよう。
こんなのがいつまで続くのか、だんだん不安になってきて、
悲しくなってきて、お昼過ぎ、ベッドの中でしくしくしくしく泣いてしまいました。
1回こういう気持ちになると、もうダメ。
ベッドのわきにかけてあるウサギの刺繍のタオルも、横に置いてあるティッシュの箱も、丸めた靴下も、
目に映るもの何もかもが悲しい。
あ、嘔吐用にいつでも枕元に用意してある膿盆だけは悲しくなかった。しかしこの形は秀逸ですね!
そうして泣いたら、少しすっきりして、ほんとに、午後から頭痛が良くなっていました。
髪も洗っちゃったぐらい。いやぁ、泣くと頭痛にいいのか? と思ったけど
ううん、今度こそ、麻酔が抜けたのだろう、と思いました。
先生にも、午後からすっかり良くなったことを伝え、さっそく明日の様子を見て、
あさって退院、ということにしました。
明日は、カイちゃんの保育園の運動会。
そうだ、すっかり諦めていたけど、看護婦さんに言って、外出許可をもらうことにしました。
(ほんとはこの日までに退院しているはずだったのにね)
夕食は完食。

このときは全部食べましたが、ここの病院の食事はほんとまずかったです。
塩分を控えている、という問題ではなく、
おかゆは美味しかった気がするんだけど、ご飯になってからは、ぼそぼそしていたり
魚はいつもパサパサだし、何より、付け合せのブロッコリーやカリフラワーが水っぽくてベシャベシャ。
いつもゆで過ぎだし、ゆでた後、水に通しちゃってるんじゃないかなぁ。
私は食べ物を残すのが嫌いなんですが、さすがにここの食事は随分残していました。
ベッドに寝たきり状態だったので、お腹が空かなくなっていた、というのもある。
しかも寝ながら食べてるせいか、胃がもたれちゃって。

-*-
2003/10/9(木)

朝からあまり具合がよくなく、朝食が来ても起き上がる気にならない。
でも相変わらず食欲はあることを伝えると、寄りかかれば楽かもしれないから、と
ベッドを上げてくれました。
ところが、ダメ。みるみるうちに頭がガンガンしてきて、急いでナースコール。
ベッドを下ろしてもらって、やっと、一息つく…、という感じでした。
だんだん分かってきたんだけど、どうも頭を起こすと激痛が走り、
こうして横になって頭を水平にしていれば、わりと軽減される。「頭垂直ガンガン病」です。
食事は、ベッドに横になりながら取ることにしました。すごいお行儀悪い格好。
この日の朝食はパンだったので、なんとか大丈夫でした。汁物は断念しました。
看護婦さんが、寝ながらでも食べやすいように、おかずは全部ひとつのお皿に盛って
ご飯はおにぎりにしてくれるよう、頼んでくれました。
ところが、この頃はまだおかゆだったので、おにぎりは無理だったのです。
やっぱり腸のほうメインなので、まだおかゆじゃないとダメなんだそうです。
おかげで、おかゆの間は、ほとんど食べられませんでした。
頭を起こすとダメ、ということが分かったので、1日中ベッドの上で横になり
トイレに行くときは、腰から上を水平に曲げ、点滴台を支えにして下を向きながら、
ゆっくり移動することにしました。すごい格好。
廊下にいたヘルパーさんに「あらまあ! 大変! すぐ看護婦さん呼ぶわね!」と言われたり、
痛みが引くまで廊下でその格好でじっとしてると「何か探してるの?」と聞かれたり(笑)。
そういう格好をとっても、やっぱり動くと頭が痛くなる。
トイレに入っているうちどんどん痛みが強くなり、毎回、ウォシュレットのボタン押すのも一苦労でした。
斜め下が向けないの。トイレに行って帰ってくるだけで、もう限界。
急いでベッドに横になり、はぁ、はぁ…、って感じでした。痛みが引くまでしばらく横になっていないと。
なんだか病棟の中で私がいちばん若かったけどいちばん弱々しかったかも。
いつも点滴台引きながらヨロヨロと。
ここは整形外科病棟なので、車椅子の人はわりといたけど、はぁはぁ言ってる人はいなかった(笑)。

1人で外科の術後回復室にいるときは知らなかったけど、ここに来て、1日のスケジュールが決まっていることを知りました。
6:00起床で、検温、血圧、洗面(蒸しタオルが渡される)、7:30朝食、体拭き(蒸しタオルが渡される)、
検温、血圧、12:00昼食、18:30夕食、洗面(蒸しタオル)、検温、血圧、21:00消灯。
血圧は手術後からずーっと上が90前後、下が45前後と、低血圧が続いていました。
熱も36.7~37.0℃の微妙に微熱が続いていた。
それからナースコールのメロディー、外科病棟は「エリーゼのために」だったけど
整形外科は「乙女の祈り」。ピアノ曲で揃えてるのかなぁ。他の病棟は何だろう?

新しい頭痛薬が処方されました。この頃にはしっかり、ロキソニンは効かない、と言ってあったので
ナボール錠。朝食後に1回飲むことになっていましたが、これも効きませんでした。
やっぱり頭を起こすと、痛かった。

-*-
2003/10/8(水)

朝から具合が悪い。頭痛と吐き気がある。
朝食もほとんど食べられない。
外科の先生は1日1回は来てくれるのですが、結局、頭痛と吐き気は麻酔が原因で、
麻酔が抜けるまで「凌ぐしかない」とのこと。1回症状が出ると、1週間ぐらいは続くかもしれない、とのこと。
こんなに頭痛が続いて、後で癖みたいに残ったりすると恐い、と思いましたが
それはありません、とのことでした。
頭痛がだんだんひどくなって少し吐いたので、座薬を入れましたが、良くならず、
ますます吐き気がひどくなり、息苦しくなってきたので、筋肉注射を打ちました。
「少しボーっとしますよ」と言われ、しばらくして、ガンガンしていた頭の痛みは少しとれてきましたが
ほんとにボーっとして、体がものすごくだるくなりました。
お昼が運ばれてきましたが、起き上がる気にならず、横になっていたら、看護婦さんが来て、
「食事したい気持ちはあります」と言ったら、ベッドを起こしてくれました。
「今日はうどんと、あとデザートもあるから」とババロアを見せてくれました。うどんを一口。
すぐに吐き気がこみ上げ、あらかじめそばに置いていた膿盆に吐いてしまう。
とてもダメだ。ナースコール、と思ったんだけど、ババロア!
今日は珍しくデザートがついている。しかも手作りっぽい。
すごくムカムカしてるのに、どうしても味見だけしたくて、箸で少しだけ、口に入れました。
あたしって、ほんと、甘いもの好きなんだなあ、って自分でも感心した。
ほんのりレモン風味。けっこう美味しい…、と思ったのもつかの間、
またすぐにオエーっと吐いてしまいました。
今度はナースコール。
ベッドを横にしてもらって、この日は、それからずーっと、吐き気が止まりませんでした。
同室の患者さんたちがリハビリの指導を受けている横で、「オエーッ! オエーッ!」うるさかったと思う。
昨夜私に「どこの宗教!?」と騒いでいたオダギリさんも
「こちらの方、具合悪そうねえ。かわいそうに」と看護婦さんに言っているのが聞こえました。
看護婦さんが「ご主人に連絡しますか?」と聞いてきたけど
来てもらっても、どうしようもないし、膿盆を抱えたまま首を横に振りました。
それより効くお薬が欲しいです。
この日はトイレにも歩いて行けず、車椅子を使いました。
夕方、トイレから車椅子を押されて戻ってくると、まだ早い時間なのにおうちの人が来ていました。
看護婦さんが「良かった! 今日とても具合が悪くて、連絡しようと思っていたんです」
だけど聞いたらおうちの人も風邪を引いてしまい、昨日から会社を休んでいるとのこと。あらまあ…。
ほんと、いてもらっても仕方ないので、すぐに帰ってもらいました。
さすがに夜も何も食べられず、この日は、吐き疲れて膿盆を抱えながら寝た、という感じでした。

-*-
2003/10/7(火)

夕べのひどい頭痛は、良くなっていました。
ベッドのそばに置いたポータブルトイレも片付けてもらいました。
予定通り、お昼、待望の食事が運ばれてきました。
お箸を用意して、いただきまーす! とどんぶりのふたとお吸い物のふたを開けてびっくり!
ご飯粒の全然入っていないおかゆ…の上澄み? と具の無いお吸い物。
私、お産でしか入院したことなかったから。お産の場合は、すぐに豪華な食事がたっぷり出ますからね。
あまりの違いにびっくり。
お箸、いらないじゃん…。両手でどんぶりを持って、それでも久しぶりに口から食べるのが嬉しくて、
こんなに急いで飲んじゃいけない、と思いつつ、一気飲み。お吸い物一気飲み。1分で終わり。
それからヤクルトミルミル。うーこんなんでも嬉しい、美味しい。やっと人間の生活だ。
午後から髪も洗いました。シャンプー洗面台があったので自分で洗うつもりでいましたが
ヘルパーさんが洗ってくれました。

この日、看護婦さんから、申し訳ないけど部屋を移って欲しいとの話がありました。
今まで私がいたのは3階・外科病棟の「術後回復室」で、病室に空きがなかったため、
ずっとここを一人で使わせてもらっていたのですが、今日、重症の患者さんがここに入ることになったそうです。
整形外科病棟の女性の病室が空いているとのことで、そちらに移ることになりました。
吐くたびにナースコールを押し、外科病棟の看護婦さんには、お世話になりました。

5階・整形外科病棟の7人部屋。お部屋の人はお年寄りばかり! 91歳という方もいました。
看護婦さんもお年寄り相手に大声できびきびとしていて、外科病棟とはちょっと違う雰囲気。
この日は本当に調子が良かったので、初めて8階の売店と食堂にも行ってみました。
ここは喫煙室も兼ねていて、非常にタバコ臭く、病室に戻っても病衣に臭いが染み付いてるほどだったので
これきり行くことはありませんでした。
入院してから初めて本も読む気になって。おうちの人がちゃんと、読みかけだった「アンの愛の家庭」を
持ってきてくれていました。この日最後まで読んでしまいました。
やっと麻酔が抜けて、副作用も治まったのだと思いました。

お年寄りに囲まれて寝る夜。
消灯時間を少し過ぎてトイレに起き、病室に帰ってきたところで、いきなり
隣のベッドの患者さんに「あなた誰!?」と大声を出されて、びっくり。
誰、と言われても、あの…と思っていたら
「人の家に勝手に入って来て!! どこの宗教よ!!」と私を恐い顔で睨んでる。
「宗教じゃなくて、私はあなたの隣のベッドで寝ている、入院患者です」と説明しても
「どうしてここにいるの!?」とか言われ、分かってないみたい。困ってたら
別の患者さんが「看護婦さん呼んだほうがいいよ。あ~恐っ」と言うので呼びに行こうと思ったら
看護婦さんのほうで「何騒いでるの?」と来てくれました。良かったぁ。
「あの、私を宗教の方と勘違いされてて…」
「オダギリさん!! ここは病院なの!! 眠れないの?」って看護婦さんが怒りながらオダギリさんを静めてくれました。
でもよくわかっていなかったみたい。
「さっきから知らない人が通ったりして、一体どうなってるのよ!」とまだ言っていて、
「ここは病院だから、他にも入院している患者さんや、看護婦さんがたくさんいるの!」と言われていました。
かと思ったら他の患者さんが歌を歌い始めて「ウサミさん、夜だから歌っちゃダメ!!」と怒られたり、
その後「おとうさん、私を守ってください。眠らせてください」とお祈りを始めたり(可愛い)、
一回おとなしくなったオダギリさんは、今度は「トシオ! トシオ! トシオなの!?」とおそらく息子さんの名前を呼び始めて
また看護婦さんに怒られたり、「だってトシオが帰ってきたのかと思ったのよ」
他の患者さんが「歳を取るとああなっちゃうのねえ。歳は取りたくないわねえ」と言っていたり、
私から見るとその方もおばあさんなんですけどね。
なんか、私、すごい可笑しくなってきちゃって、布団の中で笑いをこらえるのに必死でした。もう傷が痛いってば…。
看護婦さんも「オダギリさん、眠ってちょうだい!!」って、薬飲ませようとしたんだけど、
オダギリさんは断固飲もうとしなくて、看護婦さんも「もういい!」って怒って帰っちゃって
その後オダギリさんがベッドの中で「まったく今夜はおかしいわよ」と独り言を言っていたんだけど、
おかしいのはあんたでしょう、って、きっと部屋中の人が思ったに違いないわ。91歳のウサミさんを除いて。
腹に響くから笑わせないでぇ、と思いながら、整形外科病棟の初夜は更けていくのでした。
夜、少し頭痛が出た。

-*-
2003/10/6(月)

1日中、うつらうつらとしていた気がする。
点滴を交換するときとか、血圧を計るときに起こされる、という感じ。
頭痛も吐き気もありました。
私の血圧が低いので(最高90ぐらいの状態がずっと続いていた)、
痛み止めの座薬や注射は使えない、という話をされました。
使うと血圧が急激に下がってしまうことがあるそうです。
ということで、氷まくらとアイスノンを持ってきてくれました。
これでちょっと我慢してみてください、って。
とてもこんなものでは我慢できない、と思ったけど、少しは気持ち良かったです。
1日中頭痛が続いているわけではなく、様子を見て体を拭いてもらって、着替えもしました。
そのとき看護婦さんに言って、導尿の管を外してもらいました。
夕べも、不快でたまらなかったのです。引っ張られる感じがするんですもん。
これだったら頑張ってトイレに行きます。

夕方、点滴2つ下げてトイレに行ってふらふら帰ってくると、会社のkozuちゃんが来てくれていました。
よれよれの病衣で、髪も洗ってなくてぼさぼさで、弱っちい姿でしたね…。
導尿だけ外してもらってて、良かった(笑)。
でも来てくれてすごく嬉しかった。そのときは、けっこう、話して笑っていたよね?
そう、今日は、ほんとだったら、会社休んで、
マンションのお友達5人で、マキシム・ド・パリのケーキバイキングに行ってたはずだったんですよ!
(後でメールもらったら実はマキシムのじゃなくて、ソニービルの、だったらしい)
なのに、みんながケーキばくばく食べている間、私がやっと口にしていたのは、氷1個ですよ!?
そう、この日やっと氷1個だったら口に含んでいいと言われ、氷を1個だけもらったんでした。
カワイソウ過ぎる。なぜ私だけこんな目に。
まあでも、普段、私は甘いもの摂り過ぎによる肌荒れに悩まされているし、
入院している間、お肌だけは綺麗になるかもしれないわ、と気を取り直しました。
ところが、実際、お肌はあまり良くならなかったのです。
朝晩、蒸しタオルをもらい、それで拭いていたのですが、やっぱり洗顔フォームで洗わないと
ダメなようですね。なので、入院中、洗顔だけは無理してでも行くよう心がけました。
それからお腹が空いてどうにもダメ。今日も看護婦さんに聞いて、
やっと、明日のお昼から出る、ということになりました。やったー!!
私は嘔吐があったのでダメでしたが、ほんとだったら虫垂炎の場合は次の日から食事が出るそうです。
この日の夜、おうちのほうでは近所のお友達が2人、おかずを届けてくれたそうです。感謝!!

夜、10時ごろ、頭痛がひどく眠れそうにもなかったので、看護婦さんに薬をお願いしました。
やはり血圧が低く、座薬は使えない、とのことで、渡されたのが飲み薬のロキソニン。
うわー、絶対効かない、と思ったんだけど、そんなこと言ったら生意気かも、というのと
もしかしらたら、私の普段の頭痛とは違う、この頭痛にだったら効くのかもしれないと思い、
ロキソニンと胃薬を飲みました。
あまり眠れず、0時近く、体の向きを変えようと、いったんベッドの上に起き上がり、
そのとき、頭全体に激しい痛みに襲われました。こんな痛みは初めて! ベッドに倒れ込み、ナースコール。
それでも血圧が低いから座薬や注射は使えず、またロキソニン(涙)。
もう何かを言う元気もなく、黙ってロキソニンと胃薬を飲みました。
1時過ぎ、トイレに起きて、少し歩いたところで、また激痛。頭と頚椎。
首が動かせなくなるほどの痛みで、歩けなく、しばらく立ち止まる。
そろそろとトイレに行き、でもガンガンという激痛に気が遠くなるような感じになり、
トイレ脇のナースステーションで「頭が痛いです…」と言い、座り込んでしまいました。
看護婦さんが飛んできて、ぎゅーっと抱きしめてくれて、気持ち良かったのを覚えています。
近いんだけど車椅子に乗り(初体験)、病室まで戻り、ベッドに横になり、
看護婦さんの「薬、効かなかったね」という言葉に涙目で答える私。
看護婦さん同士で「○○使おうか…」と話していて、その後、「お薬、使いますからね」と、
点滴をされました。やっとロキソニン以外の薬がもらえた。
その後、やっと眠ったのだと思います。

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2003/10/5(日)

昨夜からか朝か昼か夜か分からないけど(記憶が曖昧)
この日、頭痛と吐き気があった。
吐き気が強く、でも何も食べていないので、黄色い胃液だけ吐いた。
頭痛や吐き気は、麻酔の副作用で、何といっても麻酔を3本も打ったので、
そのせいで副作用が強く出ているのだ、とのこと。
1週間ほど続くかもしれないが、麻酔が体から抜ければ治るとのことでした。
お腹がとても空いていました。
吐き気は空腹のせいだという気がした。
このままでは餓死するよう!
ずうっと点滴入れられてて、それはないけど、でも餓死するよう! と思った。
でも相変わらず、うがいしか許されないのでした。
頭痛と吐き気が取れないので筋肉注射を打たれ(痛い!)、座薬を入れられ、筋肉注射を打たれ(痛い!)、
この日は薬漬け、って感じでした。疲れてうつらうつら。
何が効いているのか、それともどれも効いていないのか、何だか分からない。
具合も悪かったけど、A先生が来て、話をした記憶もあります。
そうだ、このとき傷の手当てもしたんでした。
下腹部一帯に一見湿布薬のような白く厚い絆創膏のようなものが貼られていました。
それをバリバリバリと剥がしたんですが、これ剥がすの、すごく痛い。
傷口を見て、看護婦さんが「さすが綺麗ですね」
A先生は「虫垂炎をこういう風にするのは賛否両論あるんですけどね」と言いました。
このときは聞き流しちゃったけど、これ、何のことを言っていたんだろう。
ああ、聞けばよかった。気になるじゃないね。何か切り方に流派があるのか?
消毒をして、透明なシート(トクダームというらしい)を貼りました。
「立派な盲腸でしたねー」と言われました。
「あのとき消化器科から外科に回されて、手術した、というのは、結果的に良かったんじゃないでしょうか」って。
そうなのか…。
あ、でも、手術後、右はもちろん傷口が痛かったけど、手術前の左脇腹の痛みも残っていたんですよ!
いつの間にか治ったけど、今でもちょっと不安。もしかして右もそのままにしておけば治ったのでは…。
いやいや盲腸だったんですよね。
何よりもう切っちゃったんだし…。
「ドラマでよくやっているように、ガスが出るというのがひとつの目安なので、出たら覚えておいてください」
と言われました。これは、次の日ぐらいに出たと思う。
傷口も腸のほうも順調。
頭痛と吐き気が辛かった。お腹が空いているのも。

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2003/10/4(土)

痛みのせいでけっこう早く目が覚めました。
両脇腹が痛い。筋肉痛のちょっとひどいような感じ。
筋肉痛…とも思ったんだけど、昨日も一昨日も特に心当たりはないので、
やっぱりお腹壊したかな、と近くの病院に行くことにしました。歩いて5分ぐらいの総合病院。
今日はお昼前に部屋の補修工事が入っていたので、朝一番に行けば
何か薬か、もしかしたら浣腸されちゃうかもしれないけど、でも工事には間に合うだろう、と思ってました。
一応おうちの人が一緒に行ってくれて、私はお腹が痛くてゆっくりとしか歩けなかったので、
彼が先に行って初診手続きを済ませてくれました。

消化器科の待合室。
動かずに座っていれば痛みは平気だけど、笑うと響く。
消化器科は混んでいて、長くなりそうなので、おうちの人には帰ってもらいました。
8:30に受付して、呼ばれたのは10:00近くでした。
女の先生。昨日食べたものといつ頃から痛いのか、痛みに波があるかを聞かれました。
波はなくて、動いたり、仰向けだと痛い、と答えました。
触診はせずに、血液検査とお腹のレントゲンを取ることになりました。
便秘のセンはないのかなぁ、でもレントゲンを取ればそれも分かるのかなと思い、検査に行き、
検査の結果が出るまでまた1時間近く待たされ、もう一度呼ばれました。
血液に炎症反応が出ている、ということ。私も検査票をのぞいたら、白血球の数が多く、
あと、忘れたけど、何か他のも正常範囲を超えた値でした。
ベッドに横になり触診。先生が、私のお腹を手で押さえ、こうして押さえたときと離したとき、
どちらが痛いかを聞かれ、押さえたとき、と答えました。両脇腹が痛い。
とにかく炎症反応が出ているので、虫垂炎か、または他の何かが炎症を起こしている疑いがあるということ。
虫垂炎だと、入院して、もしかしたら切ったほうがいいかもしれない、と言われ、びっくりしました。
浣腸して終わり、じゃないのかなあ、してみなくていいのかなあ、と思ったけど
カルテを回しておきますので、外科でもう一度診察してもらってください、ということなので、外科フロアに行きました。
こちらはわりと早く呼ばれ、何時から痛いかとか同じようなことを聞かれ、触診。
右が痛いんですよね? と聞かれましたが、いいえ、右と左、両方です。と言いました。
さっきと同じように、先生が手でお腹を押さえて、押さえたときと離したとき、どちらが痛いか、聞かれました。
今度は離したときのほうが痛かった。「痛っ!」って声が出るぐらい。右も左も同じような感じでした。
はっきりとは分かりませんが、虫垂炎の疑い、または、右も左も痛いなら膿が広がっていて腹膜炎の可能性もあり、
あるいは女性だから卵管炎などの疑いもある、とのことでした。
とにかく切ってみないと分からないし、切ったら、虫垂炎でなくても盲腸は切除する、と言われ、またびっくり。
一回お腹を切っちゃうと、今度本当に虫垂炎になったとき大変になるので、一回お腹を切ったら取っちゃうそうです。
ええええー? 何でもないのに?
「盲腸って何にも使われてないんですか。取っちゃって大丈夫なんですか」と聞いたら
「リンパ腺の集まりなんですけど、それが何に使われているのか、よく分かってないんですよ。
まあ、これだけ世の中に盲腸取った人がいて、どうもなっていませんからねえ」と言われて、
だけどだけど、必要だから神様がわざわざ作ったんじゃないかなあ。
まさか虫垂炎の痛みを与えるために作ったわけじゃないでしょう、と思ったんだけど、
そんなこと医者に言ってもなんなので、「はぁ…」と答えるしかない私。
健康な内臓の一部分を取ってしまうのは、すごく抵抗がある。
それにこうして座ってる分には普通に話せるぐらいだし。盲腸ってすっごい痛いんじゃなかったっけ?
「さっきレントゲンを取ったんですけど、それでは分からないんですか?」と聞いたら
レントゲン写真を出して、もう一度見て、
「うーん…、所見は充分ありますからねえ…」
とにかく押さえて離したとき痛いというのは虫垂炎の典型なのだそうです。
でも消化器科でやったときは押さえたときのほうが痛かったけど…。しかも左も痛いけど…。
抗生物質を投与しながら様子を見る、という方法もありますが、明日は日曜で休みなため
もし症状が進んで手術になった場合に困るので、やはり今日切った方がいい、ということでした。
心電図と、もう一度血液検査とレントゲンを取るように言われ、検査伝票を渡され、検査室のフロアへ。
途中、公衆電話があったので、おうちの人に電話をかけました。
「虫垂炎かもしれないから、今日中に手術して、違ってても盲腸は取っちゃうんだって」と話したら
おうちの人も「え、そんなん?」ってびっくりしてて、あたしだってそう思うよ~、って恐くなって、
そしたらまだ伝票も出してないのに、血液検査室で名前呼ばれて、まったく診察のときはすごい待たせたくせに!
と思いながら「決まったらまた電話する」と電話を切って、検査を受けました。
外科に戻り、今度は看護婦さんと入院センターに行くように言われました。
持たされた書類に手術指示書というのがあって、看護婦さんに「あの、手術決定なんですか?」って聞いたら
「そうですねー」と言われました。ああ、そうなのか。考える時間ってなかったのか。
お腹壊して浣腸して帰るんだとばかり思ってたから、もう何が何やら。
入院センターでぼんやり説明を聞き、承諾書にサインをして、さっそく病室に案内されました。
あれきりおうちの人に電話してなかったけど、タイミングよくおうちの人が現れて、
T字帯やら腹帯やら(お産のときみたい!)、売店で用意するように看護婦さんに言われて、
私のほうは、病室で待っていました。ベッドにぼーっと座ってたら、看護婦さんに「不安ですか?」と聞かれ
「あの、お腹をこわした、と思って来たんですけど、急に手術することになっちゃって、
 でも便秘してるだけ、ってことはないんでしょうか?」と聞いて、
今思えば、この場で看護婦さんにこんなこと訴えてもどうしようもなかったんですけど、
看護婦さんは「先生が、検査の結果を見て、判断されてますから」と言いました。
ううん、先生は、切んなきゃわかんない、って言ったの(涙)。
手術は何時頃になるのか聞いたら、早くても2時頃になると思う、と言われ、もうあと1時間後じゃない! とまたびっくりしました。
それからお腹の産毛を剃ったり、トイレに行ったり、手術の前は浣腸するかなって思ったんだけどそれはしませんでした。
それでお腹治ったら手術しなくてもいい、と思ったのに。
朝から水も飲んでいない、というのは好条件なようでした。
ピアスを全部外し、手術着に着替えて下着を取って、点滴をして、ストレッチャーに乗り、血圧測って、肩に注射。
「最初に言っておくけど痛いですよ」と言われ、この注射は本当に痛かったです。
麻酔を効きやすくする注射って言ってました。
1時40分に手術室に入ることになったようです。予定より早かった。
色々考える間もなく、「(りこ)さん、出床しまーす!」の声と共にガラガラ…。ストレッチャー初体験。
エレベータに乗り、渡り廊下を渡り、またエレベータに乗り手術室へ。
手術室の前で病室の看護婦さんとはお別れでした。
「頑張ってくださーい」と看護婦さんが手を振っていました。

手術室には外科医のA先生とさっきの外来のS先生。すごい美人の手術室の看護婦さんが1人。
手術室で、まずストレッチャーから手術台に移動。このときに手術着は全部取ってしまいます。
手術は全裸でするんですね。もちろん体に布は被せてありますけど。
正直言って、手術することになってから、それの方(初めての外科手術)に気を取られて、
目新しいことばかりで、お腹の痛みなんか、全然気にならなくなっていました。
それもまた不安。こんなんで本当にお腹、切っちゃうの??
さっそく腰椎麻酔。下半身だけに麻酔が効き、意識はあるそうです。
でも「ドキドキしちゃうといけないから眠る麻酔もしましょうか」 と言われ、
いや、手術の様子も聞いていたい、と思ったけど(だって盲腸じゃないかもしれないし)、
でも「使う前には言いますので」と言われたので「はい」と答えました。
横向きになり、足を曲げ、顔はおへそを見るような感じで背中を丸くして、その格好で押さえられ、
背中に注射。「痛くても体を引いたりしないで、我慢してください」と言われました。
死ぬほど痛いわけじゃないけど、それなりに痛く、長い時間なので「んんーっ」と声が漏れる。
「我慢してください」と言われる。
仰向けに直され「足が温かくなってきましたか?」と聞かれ「分かりません」「そのうち分かります」。
でも一向に温かくなりません。医師に太ももをつねられ「痛い!」と声をあげる。どうも効いてないようです。
先生も、あれ? という感じになり、もう1本、打つことになりました。「ごめんなさい、15分前に逆戻りー」だって。
また背中を丸めて、さっきの注射。今度はすぐ足が温かくなりました。「今度は温かくなりました!」 と教え
また仰向けに。今度は手術台の頭のほうを下げられました。
次第に足が、正座をして痺れたような感じになってきました。足を伸ばしたい気持ちになって
「足、伸びてますか?」 って聞いたら、「伸びてますよ。やな感じですよね。そういう麻酔なんです」とのこと。
そう、すごく嫌な感じ。手術の間中これだったら我慢できないかも、と思う。
A先生がアルコールを浸した布? で上半身を触り「冷たいですね?」「こっちはどうですか?」とお腹のあたりをその布で触る。
「冷たいです」 また、え? という顔をされる。太ももの下のほうはもう知覚がなくなっている感じだけど、
でもお腹の辺りはダメです。S先生が足の付け根をぎゅっとつねる。「痛っ!」 まだ痛い。
「あの、私、普段から頭痛持ちで、頭痛薬よく飲むんですけど、それだと麻酔効かないって聞いたことあるんですけど、どうなんですか?」
と聞いてみました。「うーん、どうなのかなあ」というお返事。
先生が困ったなあ、という様子で、さっき体を押さえてたほうのA先生が、
「今度は俺が打つ。で、効かなかったら、麻酔科の先生を呼んで、全麻にしよう」と言いました。
このままの状態で手術をすると、途中で麻酔が切れて、途中で麻酔を追加することになり、
患者さんにも負担がかかるので、と説明されました。
そりゃそうですね。途中で麻酔を追加、ってどんな風なんだろう。
手術の途中、傷口が痛くなってきて、慌てて開腹状態でまた横向いて丸くなって? 恐すぎー。
だけど、せっかく総合病院なんだから、初めっから麻酔医がやってくれたらいいのに! って思いました。
途中で、執刀する先生が手術室に入ってきたようでした。
で、3回目の注射。ああ、さっきの肩の筋肉注射といい、この腰椎麻酔といい、
喉にするSGBも嫌だったけど、これに比べたら、SGBのほうが、よっぽど楽だったわ! って心から思いました。
後日、人に言われて、麻酔が効かないのは毎日SGBを受けていたせいでは? と気付いたんだけど
このときは考えていませんでした。頭痛薬なんかよりよっぽど、だわ。うかつでした。
診察のとき、一応、歯科大でSGB受けてます、って言ったんだけど、消化器科の先生も外科の先生も知らないみたいで、
私も直接関係ないかな、と思っちゃったんだけど、しっかり、麻酔薬を打ってる、って話すべきだった。
そのときはとにかく、麻酔効かない体なんだ、と思って3本打って、
なんかその後は、記憶が曖昧。すぐに「眠る麻酔入れますねー」と言いながら、「要らないです」と断る間もなく、
注射か点滴か忘れたけど薬入れられて、意識が遠くなって、目覚めたのはどこだったかな?

いつの間にかちゃんと病衣を着せられていて、ぼんやりした中で、そばにおうちの人がいて、S先生もいて、
先生が「盲腸でした」と言いながら袋に入ったピンク色したものを見せてくれました。
とにかく麻酔から覚めたすぐ後で、記憶が鮮明じゃない。子供のチンコみたい、って思った記憶だけ。
腹膜炎は起こしていませんでした、とか何とか言ってた気がする。
どうだろうか。おうちの人にも聞いたけど、切った盲腸見せられても、正常のがどうなのか分からないから、
虫垂炎だった、と言われても、分からないよねえ。でも、まあ、ほんとかな。
何より、もう切っちゃったんだしね。
トイレに行きたい、と言ったら「変な感じがすると思いますが、管入ってるんですよ」と言われました。
あらま、導尿されてます。そう、すごく変な感じ。不快。でも歩いてトイレに行かなくていいんですね。
時間とか全然分からなかったけど、お腹がすごく空いていました。もう夕方だと思うけど、朝から何も食べてないもん。
口の中もすごく乾いていて、とりあえず看護婦さんに「お水お願いします」と言ったら
「先生の指示があるまで、ダメなんです」と言われ、すごくびっくりしました。
お水も飲めない? こんなに口が渇いているのに?
うがいだけならいい、と言われ、紙コップ(尿検査のコップだ)と膿盆というのかな? の深いやつを差し出されました。
「お水は吐き出してください」って。あーあ、食事なんて、じゃあ、もってのほかですね…。
と思いながら、その日は終わっていきました。
ていうか、やっぱり麻酔が切れた後で、記憶が曖昧。おうちの人がいつ帰ったかも思い出せない。
おうちの人はちゃんと「バイバイ」って言ってたよ、って言うけど。
退院は1週間以内、とのこと。

この後、 麻酔の副作用の頭痛と嘔吐に悩まされるのですが、その症状がいつから出たのか、
はっきり覚えていません。この夜からだったのかな。

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2003/10/3(金)

夕方、帰りに買ってきたアイスクリームと卵ケーキを食べる。美味しい。
つい一人で全部食べてしまう。
その後、普通に夕食を取り、少しお腹が痛くなり、さっきアイス食べたせい? と思う。
トイレに行ったけど下痢もしていないし、あまり良くもならず、
お風呂に入り、便秘に効くポーズなどしてみて(ブリッジ)、風邪薬を飲み、
ホカロンでお腹を温めながら寝る。
夜中、痛みで何回か起きる。トイレに行きたい気持ちはすっかりなくなっていて、
もしかしたらお腹を壊したのとは違うかも、と思う。
ちょっとウーンウーンと唸っちゃうような感じだったし
とりあえず朝になったら病院に行こう、と思いながら寝る。

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2003/10/2(木)

やっと、カエルちゃんが我が家にやってきました。
2年前、引越ししてすぐに、お台場のアジアの雑貨屋の店頭で見かけて、すごーく気に入って、
玄関の扉の前に置きたい! と思っていたんだけど、少々高かったので、そのときは見送って、
それからお店の前を通るたびに、まだいる、まだいる、って見ていました。
なかなか買い手がいないみたい、と思っていたのに、この間行ったら、いつもの場所にいなくなっていて
すごくあせって、後悔して、そしたら、お店の奥に移動されてただけだったんだけど
もう、すぐに取り置きしてもらいました。ああ良かった!
19000円だった。なんかもっと高いような気がしていたんだけど、そうだったんだっけ。
そのときは自転車だったので取り置きだけして、昨日、映画見たときに受け取ってタクシーで帰ってきたんです。
嬉しい。外に置くとやっぱ傷んじゃうかな、と思い、リビングにいることになりました。うふふ。

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10/1の分を書いた後、急性虫垂炎で 10/4~10/16まで入院することになりました。
その間のものは少しずつまとめてアップしていきます。↑↑(10/18)

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2003/10/1(水)

朝一番にSGBの注射をしてから
損保ジャパン東郷青児美術館「ゴッホと花」展
ゴッホはたくさんのひまわりを描いていますが、私はパリ時代のひまわりが好きです。
通りすがりに新宿三井ビルのエプソンイメージングギャラリー
「江成常夫写真展 原色の夢」
(↑色が物をいうのですが、web上では再現できていませんね)
全てエプソンのカラープリンタで出力したもの。好きなのがいっぱいあった。
お隣で、サバンナの写真展もやっていました。こちらは銀塩写真。
夕焼けとかとても美しいんだけど、こういうのってなーんか、
本物見ればいいじゃん、という気になっちゃうんですよねぇ、私。

ところで、美術館の入っている損保ジャパン本社ビル(旧安田火災海上保険本社ビル)は
下のほうが少し広がった形をしているのですが、このビルを真下から見上げると、
自分の方に倒れかかってくる錯覚になって、恐くて面白いんですよ~。
ビルの正面よりも横から見るといいです。今日久しぶりに見た。

それから、これはお台場で観なくちゃね、ってことで移動して、
シネマメディアージュ「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」。
「んなわけねーだろ!」がもりだくさんの娯楽映画です。言いたいことはわかるけど、
ま、娯楽映画だから、いいか。もう少しドラマがあると良いけど、
ま、織田裕二かっこいいしね。
私の理想の(ていうか夢の)息子は織田裕二です。一緒の家に住んで、
あの顔で「かあさん…」とか言われたら、キャー!!


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